黒白グレー

流川あずは

第1話 盗人と貴族


 1 🔪 


 ついてねぇな。

舌打ちしつつ、小袋を漁る。中に入っているのは、何かの植物の種らしきものと、小さな花の絵だけだった。期待外れだ。相当身なりの良い男だったから、金目の物を持っていると踏んだのだが。

 ふうと溜息をつき、青年、オリクは袋の口をしぼる。白く質の良い布で作られた高級そうな袋だ。手触りも良く、入っているものよりも袋自体の方が価値はありそうだった。

 まぁとりあえず売れば多少の金になるだろう。そう目星をつけて、袋をしまった。

 袋は、街中で男から盗んだものだった。白っぽい上品な服を着た、金持ちそうな青年だ。特に何か持っている様子もなく、手ぶらで商店街を歩いていた。人も多かったし、何か考え事でもしていたのか、俯き気味に歩いていたので、盗むこと自体は割と簡単だった。周りに注意を払っていない、良い服を着た男なんて、格好のカモだ。ただ、今回は失敗だったようだが。

 やはり専門でないものに手を出して、そう簡単に上手くいくほど甘くはないか。しかし、一体何のためにこんなものを大事に持ち歩いていたのか…。

 考えても仕方ない。知る必要もない。それより、今後の生活をどうするかについて考えた方が良いだろう。最近調子が良くない。体のほうの限界が近づいて来ているのが分かっていた。最後にまともなものを食べたのはいつだったか。思い出そうとしたが、無意味な事だと思いなおしてやめた。よほどのことがない限り、死にはしないだろうが…。


 じっとしていても何にもならないので、とりあえず歩き始めた。もう一度、街へと向かう。その途中、ふと巨大な建物が目に入った。豪邸と言っても良い。貴族の家だ。

 でかでかとした、家紋の旗が頂上ではためいている。五枚の花弁を持つ、青い花が二つ。たしかここは。

 ふいに、ある考えが舞い降りてきた。それは、その家紋が袋の中の絵に似ていたかもしれないし、空腹を通り越して頭がおかしくなっていたからかもしれない。いずれにしても、普通だったら考えないようなことだ。

 その豪邸に忍びこもうと思ったのだ。よりによって白昼堂々、まず間違いなく家人の誰かは居る時間帯に。



 2 ✿


 商店街の喧騒を潜り抜け、甘い香りのするケーキの店に入った。備え付けのチェアに腰掛け、溜息をつく。

 どうしたものだろうか…。

 ソドントは、頬杖をついて窓の外を眺めていた。行き交う人々をぼうっと見ていると、どこか虚しい気持ちになってくる。もう一度溜息をついて、窓から目をそらした。

「ソドント様」

店番の少女が声を掛けてきた。緊張しているのか、ぎこちない笑顔だった。

「やぁ。ええっと…。すまない、商売の邪魔だったかな」

席を立とうとすると、少女は慌てたように止める。

「いえ、邪魔だなんてとんでもない。うちの店はテグロフ家あってこそ、ですから」

テグロフ家というのは、ソドントの家のことだった。この町、フォドノットを統べる貴族で、商業に力を入れている。土地は領有しているのでもともとテグロフ家のものだが、店もほとんどが傘下にあった。

 かなりの財力を持った貴族だ。ソドントは、そのテグロフ家の長男、いわゆる後継者というやつだ。


「あの、どうかなされたんですか」

「えっ?」

少女は俯き、上目遣いに言った。

「いえ、その…。気分が沈んでいるように見えたものですから」

「ああ。妹のことで、少しね」

「ミリア様のご病気のことですか」

 ミリアは、テグロフ家の末娘だ。原因不明の病に侵されており、あまりベッドから出られない事が多い。よく貧血を起こしたり、高熱をだしたりするので、滅多なことでは家を出られない。

 ソドントはそんな妹を救いたくて、しょっちゅう薬商の所へ通って薬を買うのだが、どれもこれも効能は薄く、ミリアは良くならない。ソドントがあちこちで薬を探して回っていることは、街のほとんどの人間が知っていた。

「大丈夫ですよ!ソドント様がそれだけ頑張っておられるのですから、絶対に良くなります」

必死な調子で訴えかけてきたかと思うと、少女は少し頬を赤らめて俯いた。

「あっ、その、すみません。出過ぎたことを…」

語尾を曖昧にして、もごもごする少女に、優しく微笑みかける。

「ありがとう。そうだ、ケーキを一つ買っていこう。君のおすすめはどれだい?」

ソドントは立ち上がって、カウンター横のショーケースを眺める。少女はさらに顔を赤らめ、ケーキの種類を、少し早口で話した。

 買ったケーキの箱を持って、店を出る。家への帰路を歩みながら、妹の薬のことを考えていた。

「やはり、あの花しかないよな…」

そう呟いて、何とはなしにズボンのポケットに手を入れた。

「あれ?」

もう片方のポケットもまさぐってみる。やはり無い。

 妹から貰ったお守りがなくなっていた。花の種が入った、ミリアお手製の物だ。

 どこかで落としたのかもしれない。後ろを振り返れば、多くの人々が歩いている。この雑踏の中、見つけるのは難しそうだった。それでも一応、来た道を引き返して探してみる。しかし、やはり見つからない。そこでまた、大きく溜息をついた。

 今日は溜息をついてばかりだな。そう思うと、また溜息をつきたくなった。

 しばらく探したが、結局お守りは見つからなかった。諦めて、家に帰ることにする。


 俯くと、胸元に光るテグロフ家の家紋が目に入った。青い花が二つ、斜めに並んでいる。テグロフの花。家の名前の基となった、高い薬効のある植物だ。

 花の形は勿忘草に良く似ているが、花自体が大きく、マーガレットほどはあるらしい。美しい青色をしており、良い香りがする。     

 一番の特徴は、花弁と蜜に薬効があること。テグロフで作られた薬は、どんな病でも治すことができるという。ただ、あまりに稀少で、そう手に入れられるものではない。薬商が血眼になって探しても、見つからないらしい。そもそも、今も存在するのかどうかすら分からないのだ。すでに絶滅している可能性もある。

 それゆえ、生息地などは良く分かっていない。ただ、危険な場所に咲く、ということだけは伝わっている。どう危険なのかはわからないが。

 テグロフ家の先祖は、この花によって救われたらしい。初代は、このテグロフの花を使って商売をし、富を築いたという。それにあやかり、家紋にテグロフの花を使い、家名もテグロフとしたのだと聞いている。

 昔は、独自の入手ルートがあり、花自体も結構あったのかもしれない。商売ができるほどには手に入れられたのだろう。

 でも今は、一つだけでいいのだ。一つあれば、妹の病は治せるだろう。命に関わるような高熱をだして、しょっちゅう生死の境を彷徨うような事にならずにすむのだ。

 家についた。テグロフの花が描かれた、家紋の旗が風に揺れていた。

 装飾施された、黒い門。そこに立っている門番は、ソドントの姿をみとめると、門を開いた。中に入る時、一匹の真っ黒な猫を見かけた。しっぽに緑の布を結んだ、利口そうな猫だった。




   3 🔪


 首尾よく貴族の屋敷の中に忍び込み、オリクは家具の合間を縫うように歩いていた。オリク自身、この街に来たのが最近なので詳しくはしらないが、家紋を見て、この屋敷が一流貴族テグロフ家のものであることは、すぐに分かった。

 テグロフ家といえば、最近商業で大いにもうけ、それまで傾きかけていた家を完全に立ち直らせて栄えた貴族だ。前領主が一代で多額の財を成し、領地面積を広げた上に近隣の店を牛耳っているらしい。

 それゆえ、他の貴族からは成金貴族と揶揄されたりもするようだが、テグロフ家の商業能力は確かで、現に今の当主も商才に優れている。

 現在も着々と商業展開をしているというから、なかなか馬鹿にできない。成金であろうが力があることは確かなので、疎まれつつも他の貴族が手を出してくることはない。

 オリクがテグロフ家について持っている情報といえば、それくらいのものだった。内部事情までは、さすがに分からない。

 ただ、裏町の酒場で聞いた話によると、この家には地下室があるらしい。 

 貴族の家に地下があることは割と良くあるのだが、使い方は様々だ。当主の書斎、隠し部屋、緊急時の避難用地下通路。家主の性格がよくあらわれる。

 テグロフ家の地下室は、代々の当主が集めた宝物が収められているらしい。本当かどうか怪しいところだが、とりあえず地下室を探してみることにした。

 とはいえ、思い付きで突発的に入ってしまったため、地下がどこにあるのかは全く分からない。脱出経路は確保してあり、万一見つかった場合の対処法も心得ているので、危険なことはないが、ある程度探して見つからなければ、諦めようと思っていた。


 ひぃ、ふぅ、みぃ…。思ったよりも、使用人は少ないようだ。出払っていて居ないのか、もともとそんなに雇っていないのか。どちらにせよ、好都合だ。

 ふと、女が談笑する声が聞こえた。ばれない程度に近付いて、盗み聞きする。声の主は、棚の皿をのんびりとふいている二人の使用人だった。

「あーあ、ご当主様ったら、口うるさくて嫌になっちゃうわよねぇ」

「あら、ちょっと声が大きいわよ」

「大丈夫よ。今、ご当主様は書斎にいらっしゃるし。ばれなきゃ何言ってもいいの」

 会話の相手である女が密告でもしたらどうするつもりなのか。平和な奴だな、とあきれた。


「それにしても、ご当主様と比べてご長男様は素敵よね。優しいし、格好いいし、私たちに対しても威張り散らしたりしないし」

「そうねぇ、でも、商才に関しては次男様の方が上らしいわよ。だから、ご当主様は次男様に後を継がせたいらしいわ」

「えー。次男様はちょっと冷たい感じがして好きじゃないわ。顔はいいけど、プライド高そうで。仕えるなら、ご長男様がいいわよね」

「まぁそうね。次男様は、なんていうか、私たちのことを見下している感じがするもの。一番フレンドリーなのは、三男様だわね」

「やだ、三男様なんてまだ子供じゃないの」


 なるほど、少なくともこの家には三男までいるのか。

 使用人たちの話は、街の菓子屋の話や男性の同僚の話に移行したので、さっさと立ち去ることにした。

 物音をたてないよう、人の目を盗んで歩を進める。

 家具を見ていると、ちょっと高級なものが揃っているのが分かる。見た目よりも機能性を重視したらしい品々で、当主の現実主義を表しているようだった。

 先ほどの使用人が、次男の方が商才はあるだとか言っていたが、だとすると本当に次男に後を継がせる気かもしれない。

 ただ、長男がいるにも拘らず、次男に相続させるとなると、世間に悪い印象を与えかねない。なにせ、健常者であるのに長男に継がせないということは、周りに『長男は無能だ』と公言しているようなものなのだ。

 商売人なら問題ないだろうが、血統を重んじる貴族社会では、あまり好ましくない事態だろう。今でも敵が多い家なのに、これ以上立場を危うくしたくはないはずだ。

 そうすると、後腐れなく次男に継がせるには、婿養子にでも出すか、もしくは事故か何かに見せかけて殺すくらいしか方法はなさそうだが…。


「ふざけるな!」

 突如、男の怒号が響いた。驚いて一瞬身を固くしたが、すぐに声の出所を探る。

 どうやら半開きの扉の奥から聞こえるらしい。そっと覗くと、40代くらいの中年の男が、物凄い形相で怒っているのが見えた。

 例によって機能的なデザインの椅子に腰かけた、威厳のある男だった。よく見えないが、身なりや雰囲気が一般人のそれではないので、あれが当主と見て間違いないだろう。

 その当主の怒りを買っているのは、手前にいる青年だ。後ろ姿しか見えないものの、使用人という感じの服装ではないので、当主の息子の誰かだろう。

 どこかで見たような気もするが…。

「しかし、父上…」

「うるさい‼」

 青年の言葉を遮り、当主であろう男は声を荒げる。

「そんなことが許されると思っているのか!下らないことを考えていないで、商業に関しての勉強でもしたらどうだ」

「父上!ミリアのことですよ⁈下らないなんてそんな」

「下らないではないか。そんなあるかどうかも分からない花を探すなど」

 青年が黙る。当主は憤りを隠そうともせずに言った。

「ルドルを見てみろ。素晴らしい才能を持っている。さすが私の子だ。それに比べてお前はどうだ、全くなっていないじゃないか。お前は本当に私の子なのか?」

 途中から詰るような冷たい響きになっていく。自分の子供に対する発言とは思えないほど、容赦のない言葉だ。

 青年は依然として黙ったままだ。反論しても良さそうだが。

「私はここ最近ずっと考えているよ。長男がルドルだったらよかったのに、とな」

「…」

 酷く自分勝手な意見であるが、やはり青年はなにも言わない。親というのはそれほど怖いものなのだろうか。それとも、別に理由があるのか。

 当主の方はさらに辛辣な言葉を言い放つ。

「そんな愚にもつかないことを言っている暇があるなら、自分の弟に教えを乞いたらどうだ。この出来損ないめ」

 辺りの空気が急に冷え込んだように思えた。鋭利な刃物を突き付けるような、乱暴な言葉だ。少なくとも、実の息子に向けるべき言葉とは思えなかった。


「…そう、ですね」

 青年が言った。感情の読めない声音だ。

「申し訳ありませんでした。父上の息子という自覚が足りなかったようです」

 怒りも悲しみも全く感じられない、穏やかな話し方だった。不気味なほど丁寧で、なおかつ優し気な響きだ。

「今日のことは、出来損ないの妄言ということで、お忘れになって下さい」

 青年の言葉には、熱もなければ棘もない。自虐するような発言ではあるが、微笑すら浮かべていそうなほど平然とした口調だ。

 ただ、そこには何となく、暗さと諦観が渦巻いているような、痛々しさがあるような気がした。


 とりあえず、この親子関係は冷え切っているのだ、ということは分かった。

 その場を後にし、その後は地下探しを続行していた。どこかに侵入して動きまわるのは慣れているし、広い上に人が少ないので見つかる心配はない。

 途中、いかにもお高くとまった貴族らしい青年を見つけたが、相手はどうやら気が付いていないようだった。

 ふと、中途半端に開いた二枚扉を見かけた。この家の人間は扉を開きっぱなしにする癖でもあるのだろうか。しかし、開いている方がこちらとしては好都合だ。

 そっと中を覗く。誰もいないようだったので、音をたてないように入り、扉を閉めた。

 大き目のテーブルが5つ並んだ、比較的広い部屋だった。すぐ隣がキッチンだったので、ここはダイニングなのかもしれない。

 きっちりと椅子が並んでいるなか、一つだけ不自然に乱れているものがあった。近づいてみてみると、そこのテーブルの下だけ床の色が微妙に違う。

 よくある隠し方だ。其の辺りを手で撫でてみれば、引っかかる場所が見つかった。

 羽目板を外すと、下へ続く階段が現れる。オリクは、その階段を下りて行った。




   4 ✿


 父の書斎から出て、ソドントは本日何回目かの溜息をついた。

「やっぱり駄目か」

 まぁ、どうせ許してもらえないだろうとは思っていたので、そこまで落ち込みはしないが。しかし、ミリアの薬のことを『つまらないこと』と言うなんて、信じられない。自分はともかく、娘のことが可愛くないのだろうか。

 とにかく、テグロフの花探しに父の協力は望めないことは分かった。探しに行くことすら許可されなかったのだから。

 ふと、視界の隅で黒いものが動いたような気がした。気になってそちらを向くと、そこにいたのは黒いものではなく、弟のルドルだった。


 テグロフ家次男のルドルは、完全に父親似だ。見た目もそうだが、商売の才能も父譲りで、優れている。性格はクールで、多少謙虚さに欠ける所があった。

「兄上」

 ルドルが声を掛けてきた。声は冷たく、父を思わせる。

「なんだい?」

「まだ薬探しをしているのですか」

 感情の見えにくい声だが、そこには確かに侮蔑の色があった。

「まぁ、そうだね」

「やめたほうがよろしいのではないですか?跡継ぎなのですし。そろそろ現実を見るべきでは」

「現実?」

 今度は、はっきりと軽蔑の色を表して言った。

「ミリアの病気は治らないということですよ。兄上は現実から逃げているだけです」

 それに比べて自分は現実が見えているしお前よりも優秀だ、とでも言いたげな物言いだ。実際そうなのかもしれないし、父から求められているのはこの弟なのだから、間違いではないのかもしれない。

「治らないかどうかは分からないさ。私の行動で何か変わるかもしれないじゃないか」

 微笑みながら、穏やかに言った。

「変わりませんよ。兄上に何ができるんですか」

 ルドルは、刺々しく言い放った。無能な兄だと嘲る響きだ。いつものことなので、特になにも感じないが。

「まぁいいじゃないか。こんな私でも、何かできるかもしれない。いずれにせよ、何もしないよりましだよ」

 軽い調子で言って、ルドルのそばを通りすぎた。

まだなにか言いたげだったが、これ以上話す必用もないと判断し、気づかないふりをした。


 そんなことより、テグロフの花をどうやって見つけようか。父から許しをもらえなかった以上、あからさまな行動に出るのは危険だ。最悪の場合、家に閉じ込められるかもしれない。ただでさえ、父から好かれていないのだ。

 こっそり家を出る方法は考えてある。この家には地下室があるのだが、実はそこに隠し出口があるのだ。外につながる、秘密の通路。

 地下自体は、ずっと昔からあるのだが、最近出入りしているのはソドントだけだった。昔から、他の家族はあまり興味を示していなかったが、ソドントだけはその地下室が好きだった。

 地下室は、代々受け継がれている、年季の入った部屋だった。昔の当主やその血縁者が、各地を旅して買い集めた物が収められている。父や祖父は興味がないようで、入り口の場所を知っているかどうかも定かではないが、ソドントは母から場所を教えてもらっていた。

 地下室の存在は、この家に居る全員が知っているだろう。しかし、入り口の場所を知っているのは、ソドントと、教えてもらった時に一緒にいたルドル、それに母くらいのものだ。

 母は故あって家に居ない。ルドルは父と同じく、興味がない、もしくは覚えていないらしい。つまり、出入りするのはソドントだけ、ということだ。

 地下にあるものは、あまり実用性のない、父やルドルに言わせれば「がらくた」なわけなのだが、きれいに色付けされた大皿や、凝った装飾品などは結構好きだった。その中でも、一番気に入っているのは、鍔に月をモチーフにした装飾が施された、美しい大剣だ。


 初めて見たとき、その輝きと迫力に、息をのんだ。どこか、惹きつけられるその雰囲気に、並々ならないものを感じた。

 それまで、剣などろくに触れたこともなかったが、これを使いこなしてみたいと、強く思ったのだ。それから、書物で型を勉強し、地下や外で見つからないように素振りをした。剣技を練習しているなどと、父に知れたらどうなるか分かったものではない。不必要だ、無駄だ、となじられるだけでは済まないだろう。

 「花探しに旅をするなら、あの剣はやはり必要だよな」

 あまり町から出たことはないが、外はなにかと物騒だと聞いている。この前も、薬商の荷車が賊に襲われた、という話を聞いた。

 一人で旅をすることになるのだろうから、自分の身は自分で守らなくては。家族には、協力はおろか旅立ちを教えることすら許されない。

 父は、昔からソドントを外に出そうとしなかった。昔は大切な跡取りだから、という理由からだったのかもしれないが、今はきっと「出来損ない」だからだろう。出来の悪い息子が、他所で何をしでかすか分からないから。

 長男の出来はその家の出来、という風潮が、血統重視の貴族社会では、はっきりと存在している。父の言う、ルドルが長男なら良かった、という言葉も、本心なのだろう。

 そんなことは分かっている。父から期待されていないことも、旅に出るのを許してくれないだろうということも。だから最初は、何も告げずに家を出ようと思っていた。

 剣を持ち出すために地下へ行こうと、入り口の羽目板を外す直前で、思い直して父に話すことにした。


 許してくれるはずがないとは思っていた。それでも話したのは、もしかしたら許してくれるかもしれない、力を貸してくれるかもしれない、その意志を、ひいては自分を、認めてくれるかもしれない、そんなことを少しだけ、期待していたからだ。

 甘い幻想に少しでも希望を持った、自分が愚かだった。かえって状況を悪化させ、家から出るのを難しくしてしまった。

 とはいえ、父に許可されなかったからといって、諦めるほど子供ではない。諦めていいほど小さな事でもない。

 気を引き締め、地下の入り口があるダイニングに向かおうとしたところで、弟が階段からどたどたと足音をたてながらかけ降りてきた。

 「あ、ソドント兄様!」

 三男のダルミフは、明るく、はつらつとした少年だ。テグロフ家の家族の中で一番元気がいい。そして、人当たりが良く、使用人や町の人にも分け隔てない態度をとっているので、人気はあるはずだ。

 「やあ、なんというか…、元気そうだね」

 その元気を分けてほしいくらいだ。

 「そうですかー?普通ですけど」

 そんなことより、とダルミフは笑って言う。

「兄様、これから町へ出ようと思っているんですが、一緒にどうですか?ケーキ屋の女の子が可愛いって噂があるんですよ」

 ケーキ屋の女の子とは、帰りに寄った店の少女のことだろうか。

「いや、遠慮しておくよ。さっき外から帰ってきたばかりだから。そういえば、途中で買ったケーキをキッチンに置いたままだったな」

「え、ケーキを買ったんですか?じゃあ丁度いいですね!」

「丁度いい?」

「さっき、ミリアの部屋に行ったんですよ。何か欲しいものないかって聞いたら、ケーキが食べたいって」


 ミリアは甘いものが好きで、病気になる前はよく町で菓子の食べ歩きをしていた。ミリアとダルミフは気が合うらしく、小さい頃からよく一緒に遊んでいた。

 幼い頃は、自分もよくルドルと遊んだものだったが…。

「なるほど。じゃああれを持って行っていいよ。たしか、4号のホールケーキだったから、二人で食べるのにはいいサイズじゃないかな」

 もともと、食べたいと思って買ったわけではなかった。流れで買っただけであるし、一人で食べきれる量ではない。

「ホールですか!なら兄様も一緒に食べましょうよ」

「えっ…いや、私は別に」

「みんなで食べた方がおいしいですよー。それに、買ってきたのは兄様ですから」

そう言って、ダルミフはソドントの手を引いた。キッチンの方へ歩いていく。どうやら拒否権はないらしい。

 苦笑いしつつ、そんなに悪い気はしない。

「そういえば、兄様は外で何をしてきたんですか?ケーキを買いに行ったわけではないですよね。ミリアの薬探し?」

 ダルミフは、無邪気な様子でそう尋ねてきた。ルドルと違って、言葉の端に嫌味を含んでいない。素直で可愛い弟だ。

「ああ。見つからなかったけれどね」

「そうですか…。何とかしてあげたいですよね」

 真剣な顔でそう言うダルミフを見て、絶対にテグロフの花を見つけ出そう、と改めて心に誓った。


 キッチンに入ると、テーブルにケーキの箱が置いてある。中には、苺のホールケーキが入っている。あらかじめ、4等分されていた。

「おいしそうですね!」

 ダルミフが笑顔で言う。含みのない、明るい笑みだった。自分にはできない顔だと思った。

「そうだね」

 ソドントも、ダルミフに笑いかける。自分の笑顔で。

 キッチンを出て、ダイニングの前を通った。なんとなく違和感を覚えたが、ダルミフに急かされてよく考えずに通り過ぎた。




  6 ✿

「わあ、お兄様、ありがとうございます!」

ミリアの部屋で、ケーキを分けた。ミリアの世話役の使用人が用意してくれた。この家には、あまり使用人がいない。ほかの貴族はもっと雇っているのだろうが、父が贅沢をすることを好まない性格なため、必要以上に使用人を雇わないのだ。だから、ミリアの部屋にも使用人が一人いるだけだ。

「おいしいねー」

「本当ですね!」

 ケーキを食べながら、笑いあう二人を見ていた。今日はミリアの体調が良いようだ。ひどいときには、一日ベッドから起き上がれないということもある。

 二人の楽しげな様子を見て、微かな痛みが胸をかすめる。もしも…自分が長男じゃなければ、この二人のように無邪気に笑えたのだろうか。父のことも、弟のことも、家のことも、なにも考えなくていいなら、もっと気ままに生きていけたのだろうか。

 長男に生まれさえしなければ、いや、貴族に、この家の子として生まれてこなければ、父に罵倒されることも、弟に冷笑されることもなかったのだろうか。そして、そのことにこんなにも慣れてしまうこともなかったのか。いっそのこと…


「ソドントお兄様、どうかなさいましたか?」

ミリアの声で我に返る。心配そうな表情のミリアと目があった。

「なんだか深刻そうな顔をしていらっしゃいましたから。なにかあったのですか?」

 ミリアは勘が良く、感覚が鋭い。そして、優しい。よく相手の感情をくみ取れる、思いやりのある子だ。

「なんでもないよ。それより、食べ終わったなら皿を片付けようか」

「あ、大丈夫ですよ。私がやっておきますので」

 そう言って、使用人の女性がダルミフとミリアの皿を回収した。ソドントも、礼を言って皿を渡す。

 使用人が部屋を出た後、ソドントは立ち上がって言った。

「それじゃあ、二人とも。私は少し用事があるから。その…、元気で」

 旅に出る旨を伝えるわけにはいかない。ダルミフは不思議そうな表情をしている。ミリアは、一層心配そうな表情になった。

「お兄様…。無理はしないでください」

 ミリアの揺らぐような声。安心させるように、笑顔を作って嘘をつく。

「大丈夫だよ。すぐ戻ってくるから」

 ミリアの部屋を出た。花を手に入れたら、絶対に帰ってこよう。

 ソドントは、ダイニングに向かった。





  7 🔪

 長い階段を降り切ると、扉が見えた。鍵穴はあったようだが、ノブは簡単に回った。鍵はかかっていないらしい。

 扉を開く。地下なので、中は真っ暗だ。持ってきた自前のライトでは心もとないので、テーブルの上のランプに火をつけた。

 部屋はそこまで広くなかった。いや、部屋自体はそれなりの面積があるようだが、物が大量に置いてあって狭く感じるのだ。

 古びた皿や、止まった時計。年季のはいった壺に、大きな絵画。たしかに、宝物なのだろう。当人たちにとっては。

 それは個人の宝物であって、他人から見ると全く価値のないもの。いわゆる思い出の品、というやつだ。

 どれもこれも、大して珍しいものではない。たしかに古いが、見覚えがある。

 皿の模様は、ある町で伝統的に受け継がれているという、お土産用の大皿と同じだし、時計は一昔前に流行った型と同じだ。絵画など、テグロフと記名してある。自分で描いた風景画だろう。

 おそらく、あちこちへ旅行して買い集めた品々なのだろう。テグロフ家の祖先には、旅好きがいたのかもしれない。今の当主にそんな気は全くないが。

 しかし、そうするとここに入ったのは完全に失敗だった、ということになる。無駄足だ。しかしとりあえず、新しいものもあるようだし、金になりそうなものだけ頂いて帰ろうか。


 ふと、テーブルの上に真新しい本がのっているのに気が付いた。どう見ても、最近誰かが持ち込んだものだ。『剣技―上級編―』中身をパラパラとめくってみると、たしかに難しい剣の技が書いてあった。

 とはいえ、人に見せるための技がほとんどで、実戦ではあまり使えなさそうなものばかりだ。

 本をテーブルに戻した時、ランプに手が当たった。光が揺らぎ、なにかがきらりと光った。

 テーブルの横に、鞘に入った大剣が置いてあった。三日月に似た形の装飾が施された柄には、赤い宝玉がはめ込まれている。持ち上げてみると、かなり重い。この貴族の家に、こんなものを振り回せるやつがいるとは思えないが…。

 真新しい剣技の本と、大剣がセットで置いてあるとなれば、考えられることは一つ。誰かがここを使っている、ということだ。

ここで誰かが剣技を練習しているのかもしれない。上級者向けの本に手を出そうと思えるほど、剣を使い込んでいるのだ。それなのに、この地下から持ち出していないのだとすれば、持ち出せない理由があるのだろう。        

 つまり、練習するにはここに来なくてはいけないということで、そうなると頻繁に出入りしている可能性が高い。そして、ここから直接外に出る通路がある可能性が高い。わざわざ階段を上って正面玄関から外に出るのなら、ここに剣と本を置くのは非効率的だし、なによりリスキーだ。しかし、他の出口らしきものは見当たらない。隠されているのかもしれない。


 これは、早く出た方が良さそうだ。考えてみれば、ここに入るとき入り口の近くの椅子が乱れていたのは、誰かが入ろうとしていたからなのだろう。聞いた情報では、地下はほとんど使われていないという話だったのだが。やはり、人聞きの情報は嘘と真が半々、と思った方が良いのかもしれない。

 剣は高級そうだが、流石にこんな大きくて重いものを持ち帰るのは難しい。ここは諦めて、別の部屋へ入るべきか。

 書斎ならば現金があるかもしれない。あの当主は、手元に現金を置いておくタイプと見た。商売人は他人をそう簡単に信用しないものだから、常に大事なものは自分の近くに置きたがる。

 オリクは、別の部屋へ入る算段をたてつつ、テーブルのランプを消した。





8 ✿


 ソドントは、ダイニングの扉を開いた。椅子が出たままになっているテーブルの下。そこが地下への入り口だ。少しだけあるくぼみに指を入れて、羽目板を外した。

「え?」

 そこには、一匹の黒猫がいた。急に光を浴びて驚いたのか、一瞬動きを止めたようだが、すぐに身をひるがえして階段を駆け下りていった。

 その時、緑色の布をしっぽに結んでいるのが見えた。外で見かけた猫と同じだ。

「あっ、ちょっと…」

 急いで猫の後を追ったが、地下の階段は暗い。たちまち姿が見えなくなってしまった。仕方がないので、羽目板を戻してから、階段をゆっくり降りて行った。

 地下は、真っ暗でなにも見えないが、道には階段しかないし、通いなれているので不安にはならない。けれど、自分の足音しか聞こえない暗闇というのは、孤独を生むものだ。

 心細さを吹っ切るために、声を出した。


「猫、好きなんだがなぁ」

 動物は好きだ。その中でも、特に猫が好きだった。あの、一人で生き抜いていくようなクールな態度が格好いいと思う。

「しかし、あの猫はどこから入ってきたんだ。まさか隠し出口…」

 地下室の隠し出口は、この家の裏手にある森に出る。途中、長い通路を歩くことになるが、町から森へ出るなら家の地下から出るのが最短ルートだろう。

 森は、町の土地よりも高度が低い。そのため、町から森へ行くには少し遠回りをして、なだらかな坂を下りていくしかない。直接森へ降りようとしたら、切り立った崖を降りることになるが、高さもあるし危険すぎる。

 森でならば、剣技の練習をしても見つかる心配はない。地下の隠し出口は、ソドントにとって好都合だった。

 森で練習できたおかげで剣技の型は一通り頭に入っている。無論実戦はしたことがないが。


 そうこう考えているうちに、地下室の入り口についた。真っ暗だが、扉などの大体の場所は体が覚えている。だから、扉の脇にあるろうそくには火をつけなかった。

 部屋の中央のテーブルに、大き目のランプがあったはずだ。そう思い、扉を開けた。

 中に入った時、ふと違和感を覚えた。ランプの残り香が鼻をかすめる。嗅ぎなれた匂いではあるが。

 誰かが、ここに…?

 その時、首筋に冷たいものが当たった。

「騒ぐなよ。まあ、こんな所で助けを呼んでも無駄だと思うがな」

 それは、若い男の声だった。





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