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  • 胸にグッときました。
    昔有名な男性アイドルがアジアの恵まれない子に会うテレビ番組があり、
    その最後に彼がこう言っていました。
    「考えると辛いから、考えないことにしました」
    私は最初なんて無責任だと思いました。
    何も出来なくてもいいから、せめて考えていてほしい、と。
    その気持ちは今でも変わりませんが、このお話を聞いてもう少し別の視点でも見られるようになりました。

    目をそらしたい時はそらしていい。

    そうですよね、人間誰でも元気な時もあれば力がない時もある。
    力がない時は考えるだけでもつらいから、目を背けたくなる。
    そんな時期があってもいいですよね。
    いつか元気になったらまた思い出してくれればいいな、そんなふうに考えられるようになりました。

    とてもいいお話でした、ありがとうございました。

    作者からの返信

    木沢様、貴重なご意見に加え、レビューまでありがとうございます。

    ご自身の経験も交えてのコメント、大変身にしみました。

    >「考えると辛いから、考えないことにしました」

    これ、確かに私も無責任だ、って思ってしまうかもしれないなぁと(苦笑
    ただ、この発言をした当の本人が心の奥底で何を考え結論を出したのか、は誰にもわからないんですよね…特に、テレビだと、この側面が強くなるような気がします。
    芸能人は、自分に貼られたレッテルを前提に発言をしなくてはならなかったり、レッテルのせいで穿った目で意見を見られがちなのかも、と。
    これは芸能人に限らず、ニュースでもそうな訳ですが…。

    震災は悼むべきものだ、という考えが根底にあるので、震災に関する番組を組む時は、「悲惨さ」「苦難からの感動」をメインに押し出した構成になりがちな気がします。
    勿論これは正しいのです。
    でも一方で、震災のことを前向きに忘れて、活気よく過ごしたい人もいる(観光業の方なんかは、特にそうかもしれませんね。被災直後の映像を流すより、今の復興した光景を流して欲しいと、そう思っている方もいるかもしれません)。

    本エッセイで、私は『感情はグラデーション』、と語らせて頂きました。
    グラデーションだからこそ、一人の人間、一つの物事にも様々な側面がある気がします。
    表立って見える一面だけに着目するのではなく、裏に隠れた思いや側面にも着目できるようになりたいものだなぁ、と常々感じております。


    >力がない時は考えるだけでもつらいから、目を背けたくなる。
     そんな時期があってもいいですよね。

    このコメント、私が言いたいことを的確に理解して頂けたことが感じられて、非常にありがたかったです。
    もちろん、本エッセイでは私の考えを書いたわけですが…やはり共感は得られにくい内容かもなぁと思っていたところでもあったので…。
    この意味では、今回は私が木沢様に助けてもらった形になりますね(笑

    ともあれ、非常に深い議論をするきっかけを頂けましたこと、改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

    編集済
  • はじめまして。企画を立ち上げた《押羽》です。

    グラデーション。本当に、キレイな言葉ですね!
    人間は誰ひとり同じではないし、みんな別々の方向を向いている。
    だから、たまたま同じ方向を向いてる人が、すごく気になったりね。

    『3・11』に関する思いも、人それぞれです。
    この企画を立ち上げたのには、いろいろな意見や思いがあることを
    知るためです。参加していただいて、ありがとうございました!

    作者からの返信

    押羽様、コメントありがとうございます。

    いえいえ、こちらこそ、押羽様の企画がなければ、このエッセイを執筆することもありませんでした…本当にありがとうございます。
    このきっかけがあったからこそ、自分の気持ちを見直して考えをまとめることができました。

    >だから、たまたま同じ方向を向いてる人が、すごく気になったりね。

    ここ、とても好きです。
    仰る通り、誰もがいろんな方向を向いているからこそ、たまたま同じ方向を向いている人を見つけた時には、寄り添ってあげたいですよね。

  • 感情=関心でもあるかなと思います。
    それは心の余裕にも関係あるかなと。
    TVで言っていました、「バブル期は、世界の情勢のニュースもやっていたけれど、今はみんな余裕がないから世界の嫌なニュースは見たくない、いい話しかききたくない」って。
    わたしも、余裕があれば電車で席を譲るけど、疲れ果てているときは高齢者に席を譲りたくない、って迷う時があります。
    地震も私は被災していないので、あまり感情を高まらせることがなく、寄付はしてもボランティアはいかなかった、行こうと思えばいけた時もあったのに、、、。湊波さんの感情に親近感というか重なるところがありました。
    それでも、目の前に苦しんでいたり、辛いという人がいたら、助けてあげられる人間でいたいですね。

    最後の、「前を向くことを助けてあげられる」「世界を作りたい」
    後押しをするのか、手を引くのか、相手に寄り添う気持ちと、世界を作るという壮大でいながら、個人だけに限定しないもの、どのような思いでそれをおっしゃったのか、言葉が心に沁みました。

    感情はグラデーション、綺麗な表現ですね。怒りや憎しみでも一色だけじゃない多色なものなんだろうな、と感じました。

    作者からの返信

    水瀬様、貴重なコメントありがとうございます。

    私の感覚も、水瀬様に近いものがあります。嫌なニュースばかりでは気が滅入るし、それならば笑い話を見ていたい。電車の席も、譲らなきゃな…と思っている間にタイミングを逃すタイプですね(苦笑

    ボランティアも…私も行くべきかな、と思いつつ、自分の体力を考えると行けないなぁと諦めてました。

    一時、そんな自分が嫌に思った時もあります。つまり、結局自分は綺麗事を並べ立てるだけで、行動に移せない臆病者なんだと、思いもして。

    ただ…今は、それでもいいんじゃないかなぁと、思っています。
    ボランティアに行くこと、寄付すること、それも被災者を助ける手段の一つです。
    一方で、例えば復興に必要な技術(除染であるとか、防災に強い建物を作る技術を開発するであるとか)を学んで、将来その技術を活かす、というのも、被災者の方を助ける手段になるのではないかな、と。

    私はボランティアに行けるほどの体力はないけれど、防災や復興に役立つ技術を学んで、それを社会に還元することならば出来るかもしれない。
    あるいはこうやってエッセイを書くことで、悩んでいる人の気持ちにも寄り添えるかもしれない。

    出来ないことを並べて、己を責める必要はないと思います。人間は完璧ではないのですから、出来ないことがあって当然なのです。
    そうではなくて、自分なりに出来ることを並べて、そこに向かって諦めずに進むことの方がよほど大切なんじゃないかな、と…個人的には思います。

    気分が落ち込んでいる時に、無理して相手を気遣う必要はないと思います。
    でも、自分の気持ちに余裕が出来た時には、相手のことを気遣ってあげたいと思います。それだけで、気遣われた相手にとって、その日は良い日になるかもしれない。

    そうやって、お互い気遣ったり、気遣われあったりしながら、一つ一つ「小さい幸せ」を積み上げていけば、ノーベル平和賞なんかとらなくても優しい世界は作れるんじゃないかな、と思います。

    …と、長々と返信してしまいました(苦笑
    ともあれ、こうして深い議論ができたこと、本当に嬉しく思います。
    コメント、ありがとうございました…!