2.非日常と決意




 幸いにしてダンジョンの構造はそれほど複雑ではないらしく、通路はほぼ一直線に伸びていた。話に聞いていた程迷宮という雰囲気は無い上、怪物達も中々出てこない。


 このまま何事も無く平穏無事に終わることが理想ではあるが、ダンジョンだというのに何も起こらないというのも一周回って不安になる。いっそ敵の姿の一つでも見えれば、警戒もしやすくなるというものだが。


 ただ閉塞した空間を前に歩くというのは予想以上に精神的にくるものがあり、時折スマホを見て時間を確認しなければすぐに感覚が狂ってしまう。もう一時間は歩いた気がするが、スマホの時計ではまだ五分ほどしか経っていない。思わずため息が出てしまうのも仕方のない事だろう。


 足の裏に裸足特有の冷たさを感じながら先を進んでいると、薄暗い中に少し開けた空間が存在しているのが見える。すわ出口か、と目を凝らして見てみるも、少し進んだところでそうでは無いのだと分かった。


「(おいおい、勘弁してくれよ……)」


 そしてその空間の中心にいたのは、一体の小鬼だった。


 緑色の肌に、人の腰元ほどしかない背丈。体には粗末な腰巻一枚しか纏っておらず、鋭く尖った乱杭歯は獰猛さを示すかのように狂暴に剥き出されている。また額にはこぶのような角が生えており、小さくとも鬼であることを如実に主張していた。


 そして何よりも目を引くのが、その手に握られた幅広の山刀のような武器だ。特に手入れもされていないだろう錆びだらけのそれは、しかし人を殺すには十分すぎる威力を発揮する事だろう。寧ろ、切れ味の鈍い凶器はより長く相手を苦痛に浸らせると聞く。であれば、あの一撃には絶対に当たりたくない。


 ワンチャン奴と仲良くなれたりしないだろうか……いや、奇妙なうなり声を上げながら涎をたらし、何かを探すように辺りを見回している様を見ると、相互理解には程遠いだろう。そもそも相手が人間だったとしてもあんな奴には近づきたくないというのに、化け物であるなら何を言わんや。なんなら握手に差し出した手がそのまま吹き飛ぶ光景まで見えた。


 ただ、怖いからと言って足踏みをするわけにもいかない。なぜならこの道は一直線であり、進む場所はすでに前しか残されていないから。前に進もうと脱出できる保証は無いが、後ろに進んだところで壁があるだけ。希望は既に一つきりなのである。


 覚悟を決めて前に進む。すぐさまこちらに気付いた小鬼がニヤリと牙を剥いた。


「あー、ハロー……」


 一応ダメもとで友好的に挨拶。恐らく顔は引きつっているだろうが、これで友好的に感じない生物はいないだろう。多分。自分の顔面がそこまで酷くなければ。


 だが、願い虚しく相手は戦闘態勢に。山刀を引きずりながら舌なめずりをして近寄ってくる姿には、とても友誼を結ぶ雰囲気を感じ取ることは出来ない。冒険者の中には特殊な能力を使って怪物たちを操る人もいるらしいが、それがどれだけ難しいことかいざ目の当たりにすると分かる。


 いよいよ相手が襲い掛かってくるだろうという距離。やるしかない、と自分に言い聞かせ、ポケットの中に忍ばせたスマホを強く握りしめる。


 ──グゲギャギャギャ!!!!


 奇妙な叫び声を上げた瞬間、自分の中の決意は固まった。素早くスマホを小鬼へ向け、カメラ機能を起動する。


 ──カシャッ!!


 ──グギャ!?


 激しく瞬くスマホのフラッシュ。薄暗いダンジョンの中でその輝きは鮮烈に映し出され、暗闇に慣れているであろう小鬼の目を強く焼く。


「(っ、今!!)」


 目を眩ませている隙を付き、素早く山刀を奪い取る。急な抵抗にままならなかったのか、存外簡単に奪うことが出来た。


 だが、俺に出来たのはここまで。その山刀で相手をどうこうするビジョンは浮かばなかった為、慌ててその場から距離を取る。それほど強力なフラッシュでも無かった為、小鬼はすぐさま視界を取り戻した。


 ──グギャ、ギャギャガ!


「……あー、やっぱり怒ってらっしゃる?」


 言葉は伝わらなくとも伝わってくる感情がある。基本的に他人の感情の機微には疎いと自覚している俺だが、流石にこれくらいは分かった。


 だが、それでもどこか高を括っていたのかもしれない。武器を奪い、背丈も低い。そんな相手ならば大したことは無いのだと。例え相手がダンジョンのモンスターでも、この状態なら勝てると。


 小鬼がその場で勢いよく跳ねる。人間離れした脚力で飛び掛かってきた小鬼に、俺は反応し切れなかった。


「う、うわっ!!?」


 ギリギリ体を引いたおかげで、致命傷にはならなかった。だが、相手の鋭く伸びた爪が自分の顔を掠めたせいで、頬に熱い液体が流れ出る感触が伝わる。


 やばい。これは本当にシャレにならない。あと数センチ顔が前にあれば、顔面ごとどこかへ吹っ飛んでしまった事だろう。さあっと頭から血の気が引いていく感覚がした。


 そう考えた瞬間、唐突に目の前の敵が巨大な物として俺の前に立ちはだかっていた。悲鳴を上げそうになる声を必死に押し殺し、手に持った山刀を構える。武器があることで、少しだけ心が落ち着くような気がした。


「(……ダメだ。やらなきゃ、やられる!!)」


 ダンジョンが生まれたところで、自分の居住域に大きな変化が起きた訳では無く、命の危険にさらされたわけでも無い。だからこそ、この状況で落ち着かせなければいけないのだ。このガタガタと恐怖に震える腕を。


 再度襲い来る小鬼。やるか、やられるか。殺すか、殺されるか。残されたのは既に二択。そう、やるしかないんだ。やるしか──


「はあぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 無我夢中。必死の一撃は幸運を引き起こし、俺の振るった刀は小鬼の喉仏へとぶち当たる。


 グシャリ、という肉を叩き潰したような嫌な感触。相手は俺の首を狙っていたのか、爪先がわずかに首元へとめり込んでいた。まさに紙一重、あと少し自分の一撃が届いていなかったら、頭と胴体が泣き別れしていた事だろう。


 即死だったのか、そのまま小鬼の体からはずるり力が抜ける。山刀を慌てて抜くと、不可思議な事に小鬼の体は光の粒子となって空へ解けていった。


「っ、はぁ、はぁ、はぁ……ま、マジで死ぬかと思った……」


 偉大なる先人はこれの繰り返しで子孫を養っていたのだと考えると、やはり凄い。原始人もあながち馬鹿には出来ないなと現実逃避代わりにくだらないことを考えていると、ふと視界の端に奇妙な文字列が入ってきた。


『レベルを獲得しました! ステータスを確認して、スキルポイントを振り分けましょう』


「は?」


 まるでシステムメッセージのような文字列に、思わず目で追おうとする。だが、常に右端に固定されているかのように、視界を動かしても一緒に文字列まで動いてくる。


 体験したことも無い奇妙な現象に疑問を覚えつつも、一応は言われたとおりにやってみるべきか。


「……でもステータスを確認って、どうやって」


『ステータスの確認を承認しました! 表示を開始します』


「うわ、マジかよ……」


 そろそろ俺はマジかよという言葉の汎用性に感謝するべきかもしれない。それほど衝撃の出来事が俺の身には降りかかっていた。平穏な春の一日の筈が一体何故こうなってしまったのか。いや、もう深く考えたら負けなのかもしれない。



 名前:佐藤 太郎

 レベル:1

 体力:9/11

 魔力:5/5

 筋力:10

 技術 +

 残りスキルポイント10



「いやマジでこれなんなん……? てかスキルってゲームかよ。え、ステータスってこんなゲーム的な勢いなの? 全然分からないんだけど」


 余りにゲーム的な画面が目の前に表示され、思わず声を上げる。ゲームではよく見る光景だが、いざ自分がとなると尻込みしてしまうのは一般人としての性だろうか。


 戦闘の高揚か、或いは非現実への興奮か。未だ逸る心を抑えながら、目の前のステータスボードへ触れる。


 技術の横に存在するプラスのマークを押してみると、ずらりと並ぶ単語の数々。恐らくは有体に言う『スキル』なのだろう。だが、その殆どが灰色で彩られておりタップしても反応しない。どうやら現状で解放することは出来ないようだ。


 軽くスクロールしていくと、一つだけ淡く光り輝くスキルが存在する。試しにタップすると、説明文がずらりと現れた。



 ▼《剣術》Lv.1


 刀剣を操る技術が向上する。レベルを上げる事で剣技を扱う事も可能となる。戦士としての力を欲するか、無明へ至る為の足掛けとするかは扱う者の自由だ。



 ……フレーバーテキストの様な表現には若干の突っかかりを覚えずにはいられないが、まあ伝えんとする事は分かった。もう一度タップすると、ファンファーレと共にスキルの文字が一際強く発光する。


 これでスキルが習得出来たという事だろうか? 試しに初めのステータス画面へと戻る様にフリックしてみると、本当に戻る事ができた。



 名前:佐藤 太郎

 レベル:1

 体力:9/11

 魔力:5/5

 筋力:10

 技術 +《剣術》Lv.1

 残りスキルポイント0



 スキルポイントはなんと10から0に。この剣術スキルとやらにそれほどの価値があるのか、それともスキルポイント自体に対した価値が無いのか。個人的には前者である事を望むが、果たして。


「……とりあえず進むか。早く戻って愛しの布団に会いてぇなぁ」


 通路の先に見える光はダンジョンの終着点だろうか。いや、そうであってほしいと心の中で祈りつつ、疲れと緊張、そして興奮に震える足を動かした。

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