第一章 青龍生誕 完筆版

1

森坂衛が警視庁刑事部鑑識課に異動になったのはかれこれ5年前。丁度、巡査部長の昇進試験に合格し、警察官としてのキャリアも充実してきた頃の突然の人事辞令だった。

最初に彼が鑑識として担当した事件はヒルズの高級マンションで発生した一家バラバラ殺人事件だった。その名の通り、父・母・長男・次男・長女・祖母の計6人の二世帯家族が五体バラバラで家中に散乱していたという凄惨な殺人現場だった。『これは人間が同じ人間に行う行為だというのか?』

森坂は警察官としては10年以上のキャリアを積んでいる。しかし、今まで渡ってきた部署はどちらかと言うと交通整理や庶務・経理などの裏方な仕事が多く、刑事や鑑識などの仕事には縁が無かったからだ。

鑑識に異動になり、十分過ぎる程の洗礼を彼は受けた。マスク越しに遺体の腐臭が部屋全体を支配しており、彼は思わず嘔吐感を覚え、事件現場の規制線の外で盛大に吐いた。

「お前、森坂って言ったか?新米にしちゃあ、事件現場で吐かねーのは偉ぇこった。もし嘔吐してたら、ここに赴いていた一課長の鉄拳が飛んでたろうよ。」

そういうのは検視官の宮町徹という年配の男性だった。検視官は刑事部または鑑識課に在籍する特別司法警察員で事件現場で発見された変死体の調査に赴かれ、他の捜査員からは『検視官』の他は『調査官』とも呼ばれている。検視官になるには、まず警察大学校で法医科目を修了し、10年以上の刑事経験を積んだ後に、警部または警視以上の階級の優秀な人材が着任する役職だが、実際にある資格ではない。

「いえ、あそこまで酷い仏さんを見るのが、お恥ずかしながら今日が初めてなんです。」

すると宮町検視官は【恥じる事じゃねーよ。】と労いの言葉を掛けた。

「人の死は突然来る。殺人だってそうだ。ある日突然にそれは起きて、そこで警察(オレ達)が出張る。そこに残された被害者達が残した痕跡を探っていくのが鑑識(お前ら)の仕事だろ?俺はあくまでも遺体の死因を明確にして、事件の真相を明らかにしていくのが使命だからな。」

宮町検視官は森坂にそう言い残し、そそくさと事件現場に戻った。―― また、このヤマ(事件の意)が解決したか否かはまた別の話でお話しよう。

それ以来、森坂と宮町はよく一緒に飲みに行く仲となった。

「そういえば宮町警視正の娘さんって、どんな方なんですか?」

「まぁ、一言で言やぁー、頭でっかち・・・かな。ハハ、どっちかって言うと母親似かね?俺が江戸っ子でせっかちなトコがあるからな~。」

宮町はざっくばらんに森坂に語った。森坂は宮坂からの徳利(とっくり)に入った日本酒を一杯、頂いた。

「今お幾つですか?その、宮町検視官の娘さんの龍子さんは。」

「そうだな、お前ぇが今34歳だから、アイツは22歳。もうすぐ大学卒業して警察学校に入ってる時期だな。まぁ、アイツは警察官としてならかなり優秀な優秀な人材だから、警務部の人事二課はこぞって色々な部署からのドラフト指名に追われるだろうな、はは、楽しみだ。」

「それは検視官であるお父上の恩恵とかがあるからですか?」

「いんや、元から龍子は洞察力と観察力が鋭かった。大学では理工学部に在籍していて科学的視点から事件解決に貢献したいって言ってたよ。」

「だとしたら、警察学校じゃなくて警大(警察大学校)の技術課程を修了した後に、警察庁が管轄する科警研(科学警察研究所)に入れば宜しいのでは・・。」

すると宮町はその問いに首を横に降った。

「俺もそう言ったよ。けど、アイツの目指しているのが警視庁刑事部捜査一課、そこの統括長である捜査一課長なんだってよ。」

「志の高い御息女ですね。」

「ああ、自慢の娘だよ。」

その日の飲みの席での会話が森坂と宮町の最後の会話となった。

翌日、宮町は急死した。胆嚢癌(たんのうがん)でレベル4にまで達していたのに前日の昨日はバリバリ働いていたのだ。

森坂は葬式で初めて宮町の一人娘である龍子と初対面をした。

「この度はお父様のご冥福をお祈りします。私は生前、あなたのお父様に世話になっていた森坂衛です。」

「はい、話は伺ってます。父は森坂さんの事をとても嬉しそうに自慢してました。今後の警視庁刑事部鑑識課の未来はあの若ぇ者に掛かってるって。」

そんな話はこの人に聞くまで知らなかったとばかりに森坂は恥ずかしい気持ちになりながらも、宮町徹の遺影写真に向かって涙目を浮かべ敬礼のポーズをした。――

そして、5年後の2016年10月。宮町は立派な鑑識課員に成長し、バラバラ死体にも顔色一つ変えない鋭い眼光をメガネに潜ませる頼れるサブリーダーへと成長していた。また、それと同時にこの日、警視庁刑事部鑑識課小野寺班にあの宮町龍子が赴任する事になる。――

2

宮町龍子が刑事部捜査第一課殺人犯捜査第5係から刑事部鑑識課へと異動辞令が出されたのは2016年10月未明のことだった。27歳の若さで刑事部の期待の星であった彼女の突然の人事に当初は難色を示す上司や部下、同僚がいたものの、当の本人はこの人事を黙って呑み込み、荷物をまとめ一課の部屋を深深と頭を下げた後、新たな新天地へと向かう為に静かに去った。

鑑識課は今、人員的に最小限に抑えられている。刑事部の中で捜査員を除く100%中およそ20~30%程しかなく、不景気も伴い、優秀な人材は殆どの場合捜査一課、捜査二課、捜査三課、組対四課(組織犯罪対策四課)等に回されるケースが2016年現在ではかなり顕著になっている。

【あぁ、今から少し期待よりも不安が襲ってきた。】

すると後ろから年配の男性が龍子に話しかけて来た。

「すいません、もしかして宮町龍子巡査部長ではありませんか?」

いきなり声を掛けるものだから龍子は驚いた顔でその男性を見た。男性は鑑識の制服を着ており、ここの職員だと直ぐにわかった。

「はい、そうですけど・・・。」

「あぁ、申し訳ありません。私、刑事部鑑識課初動捜査第4係小野寺班の副班長をしてます、佐島太陽です。階級はあなたと同じく巡査部長です。」

副班長と言うだけあって、佐島はベテランの雰囲気が漂っている。そう龍子はハッキリと感じ取っていた。

「改めて私の方から自己紹介させて下さい。本日付で警視庁刑事部捜査第一課強行犯殺人捜査第6係高家班から此方の鑑識課初動捜査第4係小野寺班に転属を命じられた宮町龍子、巡査部長です。歳は・・・。」

「ストップ!!女性に歳をお聞きになるのは私の矜持としてはセクハラ(セクシャルハラスメントの略意)ですので、そこまででお願いします。」

佐島という人はかなりのジェントルだなと思うと、警視庁の通信アナウンス司令が流暢に流れた。

「警視庁より各局、警視庁より各局。港区PS管内で背中に真一文字の傷が刻まれた30代から40代男性の遺体一名が発見。すぐさま機動捜査隊並びに地域課警ら隊、刑事部捜査第一課及び鑑識課に臨場要請を願いたい。繰り返しー。」

すると鑑識課のドアの向かいから駆け足で向かってきた森坂に鑑識の制服を無言で渡された龍子は素早く着替えた。――

現場に到着すると【KEEP OUT】と書かれた規制線前の制服警官は【鑑識】と書かれた腕章を掲げた龍子一行に無言で敬礼をし、潜らせた。これから赴くのは残忍で惨い遺体である。龍子自身も覚悟は出来ているはずなのに、刑事時代は殺人現場に来ても地取り(事件関係者の聞き込みの意)のみでただ写真の中の遺体を見ていただけだったのが、今度は自分自身の目で死者と向き合うのだという意志を明確にして対峙しなければならないのだと自らを鼓舞して歩を速めた。

検視官の皆川葉月は眼光鋭く、背中に刻まれた真一文字の傷痕を聡く観察した。

「お疲れ様です、皆川検視官。」

「お疲れ様です。あの、そちらの方は?」

龍子は恐らく自分の事だと思い、自己紹介をした。

「はい、本日付で警視庁刑事部鑑識課初動捜査第4係小野寺班に転属しました宮町龍子です。」

「あぁ、あの宮町さんの御息女でしたか。いやはや、私も検視官心得の頃から宮町さんには大変ご鞭撻を頂いた身でありまして、よろしくお願いします。」

眼光が鋭い目とは裏腹に物腰は丁寧な皆川に龍子も【よろしくお願いします】と言いながら、他の鑑識係員と共に遺体周辺の現場鑑識作業に移った。すると、龍子に話し掛けてくる齢60であるのだが筋骨隆々とした男性の鑑識係員らしき人物が寄ってきた。

「班長の小野寺充だ。ああ見えて皆川さんは職人気質と言うよりオタクみたいな人だ。案外スプラッターな死体話も酒の席でもする人だから吐かずに今日の君の歓迎会では聞いておくんだぞ。」

その言葉に龍子はたじろぎながらもしっかりした返事で【はい。】と答えた。

「あと、君は今後、科捜研(科学捜査研究所の意)への連絡係を任せたい。」

新米らしい仕事の依頼に龍子はその命令に意気込んだ。

「分かりました。どなたに連絡すればよろしいでしょうか?」

すると小野寺は一枚のメモを渡した。

「澤村一貴、、、ですか?どういう方ですか?」

「一言で言えば、【外人みたいな】科捜研の先生だ。」

外人みたいな人とは何ぞやと思いながら、【あと、かなりのイケメン】の小野寺の言葉に対し、龍子はこの現場の状況に不謹慎ながらも心の中が赤くときめいてしまうのを覚えてしまった。――

先輩である森坂と共に科捜研に来た龍子は検討室で一人マスクを着用し、顕微鏡を眺めながら警察から嘱託された鑑定資料と格闘する銀色寄りの白髪の法医研究員を見つけた。

「澤村先生、少しよろしいでしょうか?」

森坂が遠慮がちに尋ねながらも早急に鑑定嘱託を促した。

「はい。たった今、衣服に付着した血液のALS検査が終わったばかりですので大丈夫ですよ。あと、そちらの方は?」

龍子は少し恐縮気味に自分に指を指した。イケメンだとは小野寺班長から聞かされていたが、彼の美しさに情けないが先刻まで現を抜かしていたのだ。

「紹介が遅れてすいません。本日付で警視庁刑事部鑑識課初動捜査第4係小野寺班に異動となりました、宮町龍子です。巡査部長です。よろしくお願いします」

澤村も龍子が美人だからか少し惚けている表情(かお)をしてるからなのか森坂は少し大きめの咳払いをした。

「あぁ、失礼しました//💦。では、宮町さん。よろしくお願いします。」

「はい、よろしくお願いします。」

森坂は女性に対してここまで挙動不審になる澤村を初めて見るような表情(かお)をしていた。普段の彼なら相手が女性であっても淡々と鑑定嘱託を引き受けているというのを知っているからだ。そんな余計な考えは時間の無駄だと考え、早速澤村に例の証拠資料の鑑定を依頼した。

「凶器と目されている刃物に切りつけられた傷口から細かい鉄錆が検出されました。今日中に結果は出せますか?」

するとさっきまでの挙動不審さは嘘の様に消え失せた澤村は落ち着いた声色で自信たっぷりに発言した。

「いえ、半日頂ければご納得いただける鑑定結果を出せます。」

「そうですか、ではよろしくお願いします。澤村先生。じゃあ、宮町さん、あとはお願いします。」

龍子は【えっ、よろしくって・・・。】と言い終える前に森坂は足早に検討室のドアを開け去っていった。

「では、手伝って貰えますか?宮町さん。」

「あの、他の研究員の方々は?」

「他の研究員の方は別件の鑑定嘱託が立て込んでいて、しかも科捜研の研究員は基本的に人材不足なんです。宮町さんは電子工学科に在籍していたという経歴があると森坂さんから伺っています。」

大学で電子工学科に在籍していたと入っても卒業の単位が必要だったなんて事はこの際、言うのは恥として【はい、分かりました】の二つ返事で龍子は応じた。

鑑定の作業に入った澤村の眼はさっきまでとはまるで別人で龍子もさっきの狼狽な態度から一転、自前の鑑識キットで証拠品の入念な微物採取に取り掛かった。

龍子は一通りの鑑定協力を夕方の5時半には済ませ、澤村の凶器鑑定も1時間前には既に終了していた。やはり、科捜研の研究員は鑑識とは比べ物にならないほど精密に仕事をしてくれる。っと言うと鑑識がまるで頼りにならないのかと仲間内から責められそうだから龍子はそう心の内に閉まっておくことにした。

「では澤村先生。私は先生の鑑定結果を届けに戻ります。」

「分かりました。お疲れ様です、龍子さん。」

いきなり下の名前で呼ばれた龍子は驚いたよりも嬉しさみたいな感情が先行した。

「あっ、すいません。何か下の名前で呼んでしまって。何か、貴方と会うのは初めてじゃあ無い気がしたものですから。」

失礼だなんてこれっぽちも思っていない龍子は【いえ、大丈夫ですよ、龍子で。じゃあ、この鑑定結果を急いで本部に届けます。】と言い、検討室を急いだ足取りで出た。

「・・・と言うのが澤村先生からの鑑定結果と見解です。」

鑑定結果を龍子は確信を確実に持っている表情(かお)で仲間に報告した。班長である小野寺は彼女に対して、【宮町、君は自信があるんだな、澤村先生とみつけたその鑑定結果に。】という問いに龍子はそれでも意志を曲げずに【はい、絶対に科捜研の鑑定結果は正確です。これは間違いない事実です。】と答えた。

「分かった。捜査一課には俺がこの鑑定結果の報告を伝えておく。」――

そして、龍子の同期で若くして捜査の最前線を任されている八神章介巡査部長による徹底した捜査網と龍子と澤村が見つけた物証の鑑定結果で今回の事件の真実が明確になった。鑑定結果で獲られた鉄錆から凶器は日本刀で銘柄は長曾祢虎徹(ながそねこてつ)と呼ばれる名だたる剣豪が喉から手が出るほど欲しい逸品であった。ホシは殺されたガイシャの婚約者であるOLで20代中盤の女性だった。女性は高校からの学生時代から社会人となった現在まで居合道を学んでおり、背中から切り刻むに当たり下段の位置から日本刀を構え、被害者の男性が振り返る寸前に真っ直ぐに垂直に斬った。取り調べで女性は殺されたガイシャの男性に結婚寸前に浮気をされ、元来高かった自身のプライドに傷が付いたと逆上し、人通りが少ないあの場所で殺したと供述した。しかし、1番の決め手となったのは偶然にもその後の捜査一課の捜査で60代のホームレスの男性がその事件の犯人の顔を目撃した事であり、その後の似顔絵作成により龍子と澤村の共同鑑定のその甲斐も相まり事件は無事、被疑者特定及び確保により解決された。

事件解決後、龍子は自身の歓迎会で同期の八神章介と陸奥鈴花も合流となった。

「聞いたぞ、小野寺班長から。今回はお前と科捜研の若い先生のお陰だったって。」

「耳が早いね、八神は。」

同期との会話だからか、さっきまでの強ばった自身の顔付きはすっかり消えたなと感じた龍子は陸奥にも話を振った。

「そういえば陸奥も今は八神の元で仕事してるんだよね?」

「えっ、えぇ。貴方と入れ替えで彼の部下になったの、私。」

陸奥は若干龍子と距離のあるような話し方で接している姿を見て八神は龍子の歓迎会の会場へ一緒に行くように促した。

「そろそろ行こうぜ。お前の歓迎会、みんな楽しみにしてるからさ。」

龍子も陸奥もそれに納得したのか【うん分かった】と小さく頷き会場の襖を開けた。

開けた後にまず最初に出迎えてくれたのが澤村だった。

「お疲れ様です、龍子さん。皆さんかなり待ち侘びてましたよ。」

澤村の言葉を受け会場を見渡すと彼らが到着する前から晩酌は既に始まっており、後に来た三名は呆れた表情(かお)になった。

「えぇ、そうみたいですね。」

二人の雰囲気は八神と陸奥からしたら既に恋人の様な雰囲気が出来上がっていた。澤村は下戸な為かカシスオレンジのジュースを先に飲んでいた。すると龍子もそれが良いのか店員さんに【彼と同じのをお願いします。】とお願いした。

酔いが回って来た龍子はそのまま隣にいた澤村にゴロンと凭れ(もたれ)かかって寝てしまった。澤村は優しく微笑み、八神も陸奥もそれを温かくも切ない気持ちで見守り、空気を読んだのか先にお開きの姿勢に入った。八神はほんの少し、名残惜しさを出しつつ振り返らず陸奥と共に龍子の歓迎会の席を出た。

安心感だからなのか龍子はそのまま、自分一人が住んでいるアパートまでおんぶにだっこで澤村に送って貰う事になった。龍子の住んでるアパートの部屋は凄く生活感に満ちており、遠い昔に澤村自身が家族と一緒に住んでいた家に何処と無く似ていた。初めて男の人を入れた事が無い龍子は恐らく忘れているだろう、彼は、澤村一貴は龍子が高校時代、彼女自身が進路に迷い、途方も無く目標も定まっていない時に澤村が大学院生で社会の臨時講師として龍子の高校に来てくれていたのである。この時の沢村の髪の色は黒色で見目麗しい現在【いま】の姿からは想像できないほど地味な格好だった。最初に龍子が初めて澤村とあった感じがしなかったのはそういう事だ。澤村は龍子が高校生の頃から覚えていた。ベッドで龍子がスヤスヤと気持ちよく熟睡する姿に澤村は何とも言えないドキドキ感を覚えた。澤村はしっかりと毛布を龍子に被せ,部屋をゆっくりと出た。

東京小菅刑務所特別棟――。澤村は龍子を家に送った後、とある人物と会う為にココに面会に訪れた。名は鬼島賢吾、元・犯罪心理学者である彼は澤村とは大学時代の先輩後輩の仲で澤村を科捜研へと導いた存在だった。しかし、五年前に彼はとある連続殺人事件の被疑者として現行犯で逮捕された。鬼島の年齢は警察でも明かされておらず、それ以前に警察は彼に対し、幾度となく捜査協力を要請し、その度に事件解決に貢献してきた負い目もあり、刑の減刑と囚人への待遇としては異例の専用独房を鬼島に法務省は特別提供した。この鬼島の優遇ぶりを事件被害は兎に角憤慨してるが、その関係者の中で特に澤村は彼に対して憎しみは強く、しかし、自身の先輩でもあった彼に親愛もあったとされている複雑な関係性だった。それでも澤村は今、自分の目の前にいるこの男は【ただの犯罪者】とだけ心の中に留めながら対峙した。

「久しぶり、一貴。」

「お久しぶりです、鬼島先輩。」

面会はガラス越しではなく、直で取調室かのようにバリケードが一切なく行われた。

「僕に話って何ですか?貴方はそんな何にもなく人を呼出す性格じゃないでしょ?」

「ははは、相変わらず勘は鋭いな、一貴は。俺がお前の目の前で人を殺す場面に遭遇した時、お前の髪は一瞬にして白銀に染った。要はお前の心に一生消える事は無いトラウマを俺は植え付けたんだ。」

そう、澤村のこの髪色は元々黒髪だった。あの日、鬼島が目の前で人を殺した時、悲しみと絶望から白銀に染った。

「分かってるなら、教えてくださいよ。殺人犯である【貴方】が僕を今日、ここに呼んだ事を。」

「お前が惚れている【女】の事だよ。」

【女】というワードを聞いて澤村は一瞬にしてそれが【宮町龍子】だと察した。

「彼女に何かあるんですか?」

「いずれ、その女にもお前と同じかそれ以上の絶望が襲う事件が起きるって事だよ。それはな、( ―――――” ” ” ―――――――) 。」

鬼島の言葉がその時に信じられずに澤村は

ただ驚愕するばかりで暫く彼が看守に面会を切り上げる時まで放心状態が続いた。

龍子は飲み過ぎたなとばかりに気怠けな感じで起き上がり、台所へ行き水道水を飲んだ。時刻は朝の7時で少しばかり焦ろうかとばかりに早めにシャワーを浴び、朝食を食べ、歯を磨き、忘れ物が無いかバッグを確認した後に急いで家を出た。駅に着き、電車で待ってる間に龍子は澤村宛に昨日のお見送りのお礼のメッセージをLINEに送った。するとすぐにでも澤村からのLINE返信が来た。

【昨日は龍子さんに関して色々知れて良かったです。今度、龍子さんが非番の日にもしよろしければ僕とデートしませんか?】

「(えっ、嘘、デート!?何か、現実味ない感じだけど、誘ってくれてるなら受けるしかないよね?)」

龍子は心の中でそのメッセージに静かに歓喜の雄叫びを上げ、開閉自動ドアが空いた電車に力強く足を踏み入れた。――

3

龍子が鑑識として関わったあの事件から一週間が過ぎた。森坂はその日、非番で遊園地にとある人物と待ち合わせをしていた。生前、龍子の父である宮町透の一番弟子であった田山晴太だ。現在は科捜研の科長で澤村の直属の上司である。田山は神妙そうながらも穏やかな顔つきで森坂に話しかけた。

「どうだね?澤村君が君らにかなり目を掛けて手を貸してるそうじゃないか。以前の彼だったら一歩引いた立場から警察のサポートをしていたものだが、何でだろうな、あの宮町龍子という元刑事の女性鑑識係員が来てから前へ、前へでそちらに協力して行く姿勢を見せているんだよ。」

澤村にとって龍子がもうそこまで大切な存在に変わっていたのが森坂は驚きだった。

「はぁ、宮町が澤村先生を変えてると解釈してもよろしいでしょうか?」

田山は満足気な顔で【そうだね】と森坂に返した。

「こういう穏やかな日に訪れる動物園はやはり最高ですね。」

「あぁ、ここでならお互いの気持ちを整えて会話出来ると思って君を読んだんだよ。森坂君。」

そう言ってから田山と森坂はもう一巡、さっきのコースを歩く事にした。

龍子が鑑識課小野寺班に移動になって早一週間。仲間と早急に打ち解けあえたかと思えば実はそうではなく、中には捜査一課から異動してきたばかりの龍子と必要以上に距離を縮められず、どう接すればいいのか分からない者もいる。それが川田鉄子だ。彼女がこの鑑識課小野寺班に於いて【鉄の女帝】の異名までもが通る存在であり、その知性と美貌で納得の存在感を放っている。龍子は鑑識課に入ってまず誰と仲良くなったかと思ったら、髪色は黒なのに何処かチャラチャラしたイマドキ風の若者である鈴村照之だった。彼は案外こう見えて真面目で真摯な面を持っており、龍子の事も一同僚として何気なく気配りができており、彼女自身年が自分とそれほど離れていないのも大きいのかもしれない。

「宮町さん、そういえば、アレやってくれたかな?捜査三課から依頼された杉並区の資産家自宅で先日に発生した窃盗事件の指紋採取。」

言動まではこのように真面目とはいかないが・・・。

「うん、既に五分前に完了している。あそこの資産家宅は今時珍しいほどセコムといった警備会社に入ってなくて、ホシ(犯人の意)と呼べる人物と呼べるような人物が複数あったけど、今回はその中でも前あり(前科ありの意)が二人。井上拓哉、54歳と羽沢武、35歳のこの二人はノビ師(窃盗犯の一種で自宅にいる、いないに限らず忍び込む犯人の意)としてコンビを組んで見事な連携で何件もの自宅に忍び込んで現金や財宝、高級品を転売して現金にして私腹を肥やしてたみたい。まぁ、それも三年前までみたいだったけど・・・。」

「三年前まで?何かあったの?」

「主犯格である井上拓哉の方は奥さんが余命僅かでその為の治療費、共犯の羽沢武の方は自分の別れた奥さんとのお子さんの養育費とそれぞれの事情があって、盗みからは完全に足を洗ったみたいなの。それ以降は地道に会社で非正規社員だけど真面目に働いているわ。」

犯罪者とはいえ家庭を持つ者であれば、罪を犯してまで自分の家族を養いたい、守りたいと思うものだろう。それが間違ってる事とはいえ一概に完全な悪と呼び断罪するのは些か狭い杓子定規で独善的な考えである。【罪を憎んで人を憎まず】という言葉は龍子が亡き父からよく教えられてたことわざだが人の人生を左右させる警察の仕事を鑑識に異動になって改めて彼女は思い知らされた。

「とは言え、どの犯罪でも同情は禁物だ。もし彼らの犯行だとしたらとことん突き詰めていかないと。指紋は本人たちのモノで間違い無いんだよな?」

「うん、再度分析を掛けてみても両人の指紋である事は間違いないみたいなんだけど・・・。」

自信が薄そうな龍子に後ろから低めのトーンの声で川田が【見せて】と言った。

「はい、分かりました。」

初めて川田から話し掛けてきた事に龍子は内心、驚いていた。

「これって本当に井上拓哉と羽沢武の指紋なの?」

「はい。真新しく採取されたモノで間違いありませんけど、何か引っ掛かるんですか?」

「引っ掛かるも、何もコレは彼らの指紋を何者かがコピーした代物よ。」

川田のクールさに似合わない情熱的な何かを感じ取った龍子は威勢よく再度の分析作業に移った。その様子を遠巻きに見ていた小野寺と森坂は優しい眼差しで龍子を見守っていた。

ただ厄介なのはどう井上と羽沢の指紋を偽造して犯行に及んだかと言う事だ。

この事件を担当しているのは捜査三課勤務歴20年のベテラン刑事である大島弥生警部補だ。女性ながら三課の中では【手口捜査のプロフェッショナル】として歴戦の猛者達を率いてきた名物刑事だ。彼女と共に龍子、川田、鈴村の三名は現場に臨場した。

「まず窃盗犯というのは高い確率で再犯率の高い常習性の高い人物が容疑者として浮上し易いわ。それに彼らがこれまで行ってきた犯行手口も変えに変えながら必ず何処かパターンを同一化させてる場合があるの。」

流石ベテランと言うべき存在の大島は冷静に窃盗犯の犯罪心理を三名に説明した。小野寺班は結成されて約二年半が経つが、窃盗事件の担当は少なく、特に新米の龍子は不慣れな部分も多く、先輩からの訓辞を貰わないといけない。すると後ろの方から【僕も捜査に加わっていいですか?】と声が聞こえた。その声の主は澤村だった。どうやら龍子では心許ないと判断した森坂が科捜研に電話して彼を臨場させたのかもしれない。科捜研は事件現場に臨場する際に鑑識と同じ服装で赴くので澤村も今日はそういう出で立ちである。

「森坂さんから伺ってます、澤村先生。こちらこそよろしくお願いします。」

「はい、よろしくお願いします、大島警部補。」

澤村からデートの誘いを一週間前に受けた龍子も彼に対し、自然に会釈をし、規制線テープが貼られた現場に足を踏み入れた。

今回の窃盗事件の被害者である資産家の田畑当三は20代で飲食会社を起業した後に、インスタント食品事業で大成功を収め、順風満帆に会社を大きくさせ幾つものチェーン店を広域に広めていきトップクラスの財力を手に入れた。昔気質で頑固な性格からなのか三年前に建てたこの家では住民票には登録しているものの、警備会社には家族の説得も聞かず、登録していない。家自体は西洋風のアンティーク家具が勢揃いしており、腕時計も甲冑も宝石などのアクセサリーも全て西洋マニアといわんばかりの品集めだった。

「和な小物とか置いてねぇのかよ、ここの家主は。」

「えっ、鈴村さんは和風な置物とかに興味あるの?」

「そういう訳じゃないけど、いくらなんでも一個くらいは日本製のブツが置かれててもいいでしょうに。」

すると大島は【和風な置物だったら一つ有るわよ。】と言った。

それは招き猫の置き物だった。家主である田畑は大の猫好きで西洋風、和風関係無く猫なら和の代物でもコレクションするほどだ。

「はぁ、猫好きとか堅物そうなおじさま方が何より好きそうな物だな。」

「えっ、ちょっと待って。コレ・・・。」

すると龍子は招き猫の置き物の右目に着目した。そこには何と隠しカメラが内蔵されていた。

「澤村先生。コレ、隠しカメラでしょうか?」

「はい、龍子、いや、宮町さん。これは恐らく何者かが仕掛けた高性能な隠しカメラですね。一回、科捜研で鑑定してみます。」

鑑定の結果、小型カメラには今回の窃盗事件の犯人と思われる人物が映されていた。そこに映っていたのは井上拓哉でもなく、ましてや羽沢武でもない。被害者であるはずの田畑道三の姿があった。

大島は早速、田畑への任意の事情聴取を行った。

「こちらが貴方が映っていたと思われる犯行の瞬間を切り取った映像です。」

最近の小型カメラは制度が高く、些細な瞬間さえも事細かく撮れるように出来ている。澤村はモザイク処理とノイズ除去を正確に取り除き、何とか映像の修復を完了させる事が出来た。

「はっ、ウチのバカ息子が取り付けた小型カメラですよ、恐らくそれは。」

田畑は反省するどころかふてぶてしい笑みでそう言った。

「でも、コレが私だとして、どうして現場から井上と羽沢の指紋が出てきたんです?彼らの指紋を使って私が私の所有物を盗んで何のメリットがあると言うんですか?」

すると大島は表情一つ変えず取り調べ室の机に二枚の手袋を取り出した。

「これは貴方が二人を自宅に呼び寄せた時に採取した指紋付きの特殊テープを用いた手袋です。」

「特殊テープを用いた手袋って何ですか?」

「とぼけても無駄ですよ。井上さんと羽沢さんのお二人からお話を聞きました。貴方は前日の前の日にお二人をご自身の自宅に招待しましたね。」

しかし、ここで田畑はこう切り返した。

「はぁ?そもそも私と彼らは何の接点もありませんよ。私はしがない資産家の経営者、彼らは前科ありの元窃盗犯なんですから。」

「いいえ。そもそも貴方の会社は三年前から経営不振に陥っていますよね?それも貴方のワンマン経営で。貴方がまだ若かった20代で飲食会社を経営出来たのも、インスタント食品事業で成功を収める事に成功できたのも、その後の会社経営が上手く傾く事が出来たのも、全てあの二人とその関係者のお陰でしょう?」

「なっ、何を仰ってるんだかサッパリですね、私には。」

すると大島は次に井上と羽沢の二人からの証言を記録した映像を田畑に見せた。

「【あなた方は今回の窃盗事件の被害者である田畑さんとは数年前からの付き合いなのですね?】(voice:大島)」

「【はい、その通りです。我々はあの人とは2007年のリーマンショックぐらいの時からの付き合いで、元々は田畑さんが経営する会社の社員だったんです。】(voice:井上)」

「【まぁ、正確には我々の親の代からの知り合いですね。】(voice:羽沢)」

「【親の代とはどういう事でしょうか?】(voice:大島)」

「【彼が20代であそこまで会社を大きく出来たのは私と井上さんのお父さんが経営コンサルタントとして就いてくれてたお陰なんです。インスタント食品の事業も元々特許は私達の父にあったのです。しかも、その5年後に父達はリストラの対象になりました。会社が大きくなり、成功を収めた瞬間にあの男は父達を切り捨てたんです。その事実を知ったのは、私の父親が亡くなって葬式に来ていた、父達が生前に相談していた弁護士の佃康夫という先生が教えてくれたんです。】(voice:羽沢)」

「【弁護士の先生?お父様達は訴訟をしていたんですか?】(voice:大島)」

「【ええ、その頃。不当解雇に対する旨の訴訟を裁判で争ってました。しかし、田畑が雇った悪徳弁護士によって一審も、二審もどちらも勝ち上がらず、苦渋を我々の父達は味わいました。その頃の私達は日々自身の生活の維持で精一杯で父達がそんな大きな裁判に関わっていたなんて露ほども知りませんでした。】(voice:井上)」

「【そんな時にあの男から我が社に入社しないかと2007年の秋に言ってきたんです。丁度その頃、我々はリストラに遭い、失職中でした。それも父の葬儀が終わって数週間後の出来事でした。そこで井上さんと会ったんです。】(voice:羽沢)」

「【私達は同じ時期に田畑の会社に入社して父を失ったという境遇から意気投合したんです。すると羽沢君の父親も私の父と同じく田畑の会社に勤めていたという事が分かり、更に言うと弁護士も同じ佃先生でした。】(voice:井上)」

――”――

「この先も見たければ、お見せましょうか?」

するとそれまで余裕そうな表情を浮かべていた田畑は額に幾重にも汗をかき、眼は涙で溢れていた。

「今回は貴方の自演自作による窃盗事件だった。・・・そういう事ですね?」

田畑は今にも掠れそうな小さな声で【はい、そうです。】と言った。

土曜日の快晴。龍子と澤村は横浜の水族館にデートに訪れていた。すると龍子はこの前解決された窃盗事件の報告も澤村にした。

「大島警部補、佃康夫という弁護士にも言質を取ったんです。するとその弁護士の先生が言うに井上さんと羽沢さんが窃盗で捕まったのは二人が私利私欲で盗みに入ったんじゃなくて、金銭や財宝を盗んだのは目くらましでこれまで数件もの窃盗事件の被害者宅は逮捕された田畑道山のライバル会社で、本当に彼が欲していたのは彼等が取り組んでいる事業の設計書だったんです。」

「なるほど、井上さんと羽沢さんは田畑に良い様に体良く利用されたという訳ですね。」

「はい、ちなみに田畑の顧問弁護士で悪徳弁護士でもある上村航大は今回以外の揉み消しの他にも政治家の汚職事件にも数件関わっていたみたいで今は東京地検特捜部が全力で余罪を吐かせてますよ。」

「そうですか、彼もこれから大変ですね。あっ、そうだ、折角水族館まで来たんだからイルカのショーを先に見ましょうか?」

「はい、アイスも買って♥。」

そう言って二人は自然と手を繋いだ。それは誰の目から見ても正真正銘のカップルみたいな姿だった。――

4

「本日付で警視庁刑事部鑑識課小野寺班に配属となりました、福永玲奈です。階級は巡査です。今日からよろしくご鞭撻をお願いします。」

その福永という女性は開口一番から威勢よく小野寺班の面々に挨拶をした。二週間前に配属したばかりの龍子よりもが強そうな女性鑑識員が来たなと小野寺班一同は心中そう肌で感じ取った。余りにキャピキャピそうなので森坂も川田は敬遠したのか、龍子に指導役を任せた。

「あ~、あの、配属して約二週間で貴方の指導役を担当する宮町龍子巡査部長です。よろしく。」

すると玲奈はさっきまでのキャピキャピした様な態度から一気に真面目なトーンで龍子に挨拶をした。

「よろしくお願いします、宮町先輩。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。」

その様子を見た龍子はスイッチというかギアを入れ替えて玲奈と向き合った。

「分かりました。私が指導に向いているかはさて置き、貴方を一週間でココ(鑑識課)の戦力になれるようにします。」

「はい、それと質問があるんですが・・・。」

「うん、何?」

「宮町先輩って、彼氏いますか?」

直球で突然なその質問に龍子は一瞬、頭の中で澤村を思い浮かべてしまったが、即座に気持ちを切り替えた。

「それは、秘密です。・・・じゃあ、まずは鑑識キットの使い方から覚えてもらうわよ。私が二週間前にココに異動してきてばかりの頃は事件現場に即出動してきて覚える暇は無かったけど、少なくとも三日でマスターしているから貴方もそれまでには覚えてね。」

「はい、頑張ります。」

もう安心だなと森坂と小野寺と佐島、鈴村に川田も安堵した表情(かお)で玲奈の指導にあたる龍子を見た。

科捜研は警察組織の中では異端且つ独立した科学捜査のプロフェッショナル集団である。最も科捜研は警視庁の刑事部直轄の専門機関、科警研は警察庁の刑事局直轄の専門機関とあり、組織の構図で分かりやすく言えば前者はノンキャリア組、後者はキャリア組とここでも圧倒的に格差と縦横が存在する社会である。しかし、両者は共に警察組織の為にあるのでも無く、被害者の為でも無い。鑑識以上に微量に散らばった血痕や毛髪、唾液、服の繊維などを洗いざらい調べあげていく科学捜査のジョーカー《切り札》的存在である。特に此処(ここ)、法医科に在籍する澤村一貴研究員は抜群の鑑定技術の他に犯罪心理学も専攻にしており、プロファイラーとして龍子や森坂、八神がいる刑事部一同をサポートしている。しかし、プロファイラーとしての能力は鬼島賢吾という天才的な頭脳を持つ犯罪心理学者から訓示を貰った過去があるが、彼はとある事件で逮捕され、牢の中で今は過ごしている。しかも鬼島は澤村に予言めいた発言を数週間前に言った。

「【いずれ、その女にもお前と同じかそれ以上の絶望が襲う事件が起きるって事だよ。それはな、アイツらが再びここ東京でテロを起こそうとしている。】」

【アイツら】とは何なのか?テロを引き起こすと言っているから何処かのテロ組織の事なのか?澤島はその存在に薄々感づきながらも今の自分の力ではこの東京はおろか、愛する者でさえも守れないのだと無力感で苛まれていた。すると彼の同期で科捜研工学科に在籍する馬場竜馬が澤村を訪ねに来た。

「どうした、馬場。僕に何か用かい?」

「あっ、いや、澤村さぁ、最近のお前、よく事件現場に行くな~って思ってな。何か心境に変化が起きたのかなって思ったんだ。」

「別に変わった事なんて特に無いよ。それと何かあるね?君は何かある時は必ず左手首を少し上向きに曲げる癖があるから。」

「あぁ、お前宛てに厚生労働省の麻薬取締部取締官(通称=麻取)の岸本恭吾さんって人から嘱託したいって検体があるから鑑定して欲しい物証があるという電話を貰ったんだけど・・・。」

「分かった、僕が取り次いでおく。」

 そう言って澤村はフットワーク軽く作業をこなした。

2時間後、麻取から嘱託された案件を負えた澤村は廊下で玲奈を連れて歩く龍子に遭遇した。

「あ~、龍子さん。どうかなさったんですか?」

「えっ、あぁ、いや、上司から鑑定資料の検体を科捜研に提出してきてくれって頼まれて私が来たんです。」

「はぁ、そうですか。あの、こちらの方は?」

玲奈の事を指していることに気付いた龍子は自己紹介した。

「ああ、本日付けで警視庁刑事部鑑識課小野寺班に配属となった福永玲奈巡査です。ほら、自己紹介して。」

「はっ、はい。福永です。よろしくお願いします。」

「科学捜査研究所法医科研究員の澤村一貴です。よろしく、福永さん。」

「はい、あと、質問よろしいでしょうか?」

「はい、なんでしょう?」

「さっき、宮町先輩を【龍子さん】って下の名前で仰ってましたけど、お2人は付き合ってるんですか?」

すると澤村ではなく龍子が耳と頬を赤くしながらサッと腕を上下に振って玲奈をどやした。

「福永さん!!そんなんじゃあ、そんなんじゃなく澤村先生は私をそう読んでるんだから変な方向で勘繰らないで。」

「えぇ~、でも二人、休日にデートによく行ってるとか森坂さん、言ってましたよ。」

あぁ、もう森坂さん、何この娘に言ってんのよ。っと龍子は心の中で毒づき早くここを離れたいと思った。

「まぁ、それをデートと呼べるならそうでしょうかね。あぁ、そろそろ僕はこれで失礼しても良いですか?」

「あぁ、すいません。ウチの福永が失礼な事を聞いてしまって。」

「いえ、彼女も悪気があって聞いた訳じゃあありませんし。あと、龍子さんに相談したいケースの鑑定資料があるので後でまた伺ってもよろしいでしょうか?」

「はい。良いですよ。///」

そう言って別れた龍子・玲奈と澤村は、龍子の方が澤村の姿が見えなくなるまで彼の姿を見送った。――

5

森坂と福永の二人の最近の興味事は目下、龍子の恋愛事情だ。あの様子からして科捜研の澤村とはかなりいい線まで進んでいるに違いないと踏んでいる。

「あのさ、澤村先生とはどこまで進んでるの?宮町さんは。」

男女のデリケートな恋愛事情を意図も簡単に聞いていく鈴村という男には驚きよりも呆れが大きい。この男にはデリカシーが無いのかと森坂と福永はお互いの目を見てそう思った。

「うん、恋人のちょっと前というか更にそれよりも前までって所かな・・・。」

鈴村にはここまでハッキリと相談するのかと森坂と福永は思った。

「うん、でも未だに澤村先生を下の名前じゃなくて上の名前でしか呼ばないとか、恋人に発展させるには難しいんじゃない?」

「そうよね。私と澤村先生との仲を発展させるには次のデートで決めるしかないわよね。」

そう言って明日の澤村とのデートで澤村の名前を呼ぼうと決心を固めた龍子だった。

「(この服装は流石に攻めすぎたかしら。)」

ハロウィンも兼ねての遊園地での二回目のデートで花柄の透けた感じのワンピースとスカートは異性からの受けは良いが、同性からの受けはあまり良くないが、スタイルがモデル並みに抜群な龍子が着ると様になっており、同性からの嫌味や僻みがなく似合う。これを選んでくれたのが何を隠そう、川田鉄子なのだ。あの窃盗事件での共同鑑識作業で仲を深め、公私共に支え合う同僚になった。そんな川田さんも化粧をきちんとすれば顔が恐ろしいほど整う美人である。彼女には【川田マニア】と呼ばれるオタクというか、付き合いたいと言ってる警察官や捜査員は数名いる。そうこうしている間に澤村が爽やかなコーデで駆け寄って来た。

「すいません、遅れてしまって・・・。済ませなければいけない仕事が溜まっていたので、自宅でそれを片付けていた所です。」

「いえ、大丈夫です。私も三分前に来たばかりですから。」

本来は男性が言うべき台詞なのに女性である龍子が言うのが普段から真面目で真剣な性格である彼女らしいなと澤村は愛おしく思った。

「では、行きましょうか。先ずはベタですけど、ジェットコースターとかはどうでしょうか?」

「あぁ、良いですね。行きましょう。」

二人はジェットコースターに乗り、次第にゆっくりと動き出し、高く高く上へと昇っていくと園外にある住宅街や田園風景も凄く颯爽と見え、二人は互いの顔を見て笑い合った。

「確かこの先は薄暗い中で閃光と水しぶきが上手い事合わさっているイルミネーションがある洞窟に入るんですよね?」

澤村はここの遊園地は初心者だからか無邪気な少年のように龍子に聞いた。

「はい、私は毎年ココのジェットコースターに乗るとその景色が楽しみなんです。」

「見てみたいな。龍子さんが言うその景色。」

すると洞窟に入った瞬間、プロジェクションマッピングを搭載した人工背景と共に赤色の水しぶきが流れた。

「うわー、やっぱり最高ですね、ここのジェットコースターの演出は。ねぇ、澤村せ・・・。」

隣を見ると澤村の顔色がやけに青ざめた。澤村は一通りのコースを過ぎ、コースターを降りると物凄い血相を変えて飛び出した。そうすると突然、意識障害を起こしたかのように倒れ、叫び出した。

「ううァ、ぅぅぅぅ、あぁぁぁ。」

「澤村先生、どうしたんですか?澤村先生!?すいません、誰か、誰か救急車を・・・。」

すると澤村はサッと龍子のスマホを握っている右手を掴み叫んだ。

「良いです・・・、はぁ、はぁ。大丈夫ですから・・・。」

急いで駆け寄ってきてくれた遊園地の従業員は【取り敢えず医務室に行きましょうか?】と二人に促した。

龍子は澤村との遊園地でのデートの途中で、沢村が急に気分を悪くしている様子を目の当たりにしてしまい、その時はショックだった。その時の澤村の眼光は、何時ものように穏やかに嘱託された事件の証拠品の鑑定結果を優しく報告してくれる【事件の真実を先導してくれる,龍子の知っている澤村】では無く、本能の向くままに人を狩りに行く【畜生道に堕ちた人殺しの眼をした,龍子の知らない澤村】だった。そして、それから数分後の今、澤村はやせ細った病人のように項垂れるかのように眠りについていた。心配で心配で仕方が無い龍子は力強く両手で彼の手を握りしめた。すると澤村は瞼を強くこじ開けるように開き、龍子の方を見た。

「澤村先生。良かった・・・、無事で。」

「龍子さん?僕は一体どうしてました?」

ひとまず澤村は起き上がろうとしていた。龍子もそれを手伝うかのように背中を支え、右手を握り、起き上がらせた。すると突然、澤村は龍子を抱き締めた。

「えっ、えっ?ちょ、ちょっと澤村先生?」

「怖かった・・・。あんな無様な姿を見せて、もし、龍子さんが僕の前から消えるんじゃないかと思うと怖かったんです。」

龍子は頭の中が真っ白になりながらも彼が安心できるならと抱き締め直した。

「大丈夫。私は貴方の前からずっと、いなくなりませんから・・・。」

「龍子さん、キスします。」

突然澤村からそう言われた龍子はやさしいキスを彼からしてきた。龍子もそれを受け止めるかのように目を閉じてお返しのキスを再度、彼女からした。

二回目のデートが終わって自分の家に帰宅した龍子は自分の顔を鏡で見て唇を指でなぞった。澤村に唇を奪われた龍子は初め少々どころかかなり動揺した。そんな急な事をされても、龍子の中での澤村に対する【想い】は日々募って行った。

【もっと強引に私に迫って欲しい。――】

会ってほぼ数ヶ月の男性に龍子は強く心を揺さぶられていた。ミステリアスで心の内が全く読めない彼をこれ程までに恋焦がれるのは何故だろう。ずっと前から自分は澤村に恋をしていたのではないかと龍子は静かに確信していた。一方の澤村も彼女を守りたい一心で帰宅後にとある事件の捜査資料を読み込んでいた。――

6

ハロウィンが群雄割拠に盛り上がる東京都原宿で謎の通り魔事件が発生する。事件が発生してから一時的に大パニックとなり、辺りは叫び狂う悲鳴の声が鳴り止まなかった。地域課の警ら隊隊員は【うるせえ奴らだな、あぁ、こんな馬鹿騒ぎ止ませる為だけに俺らを此処に寄越したなんて、それに給料もそれほど変わらずだとやってらんねーよ、全くよォ。】と内心、毒を吐いていた。

「そういやぁ、ここいらって昔、帝都大学銃乱射事件が発生した区域の近くだったよな?」

警ら隊の制服警官の男性は隣にいた同僚の制服警官に聞いた。

「あぁ、被害者は確か当時、大学生と帰宅途中のサラリーマンで加害者は40代後半の大学教授で警官数名も射殺された事から、刑事部長から制圧許可が下りてその後、SATの隊員の銃弾を受け、絶命。被疑者死亡で書類送検されたんだよな?」

「まぁ、その後、特別捜査班の再捜査で大学教授にはテロ容疑も余罪としてあったらしい。まぁ、銃乱射事件と聞いてここはアメリカかよって思ったからな、当時の俺は。」

もう一方の制服警官も「【俺もだよ。】」と同意してると、警察無線が掛かった。

「(警視庁より渋谷PSに報告。現場付近で通り魔事件が発生。死傷者、重傷者、軽傷者多数。現場にいる渋谷PSは至急、急行せよ。以上警視庁。)

「おい、連続通り魔って嘘だろ!?しかもこの現場から近くって・・・。」

「兎に角俺達も急ごう。」

「ああ。」

制服警官二名は通り魔事件の発生現場に急行した。

その頃、警視庁刑事部鑑識課小野寺班は帰宅の準備に移ろうとしていた。龍子も定時だなと思い直帰しようとしていた。すると森坂から呼び止められた。

「宮町君、君、もしかして今日は澤村先生とアレですか?」

「アレって何ですか?」

何やら口を上下に動かしているが、読唇術に長けている龍子にはそれが【デート】だと察し、釘を刺した。

「森坂さん、それ、セクハラだからマジで訴えますよ。」

 そう激しく睨まれた森坂は眉を引きずりながら後退った。

「はい、辞めます。すみません。」

 すると警視庁のアナウンスが流れ、至急龍子達は現場に臨場(初動捜査の意)する体制に切り替えた。

※ 

 現場に駆け付けるとそこは既に地獄だった。ハロウィンで活気に溢れているだろう原宿の交差点付近が重軽傷者が多く、消防も駆け出すほどの大惨事となった。すると制服警官が龍子達小野寺班に向かって来た。

「お待たせしました。案内します。」

 森坂はすかさず「【お願いします。】」と声を出した。

 すると通り魔だというのに刺されて死亡をしたのがたったの3名だったのだ。検視官の皆川葉月は深々と手で合掌をし、龍子達のいる方向に来てくれた、どうやら検視は終わったようだ。すると何時になく皆月の声色は時に溢れていた。龍子は恐る恐る彼女に聞いてみた。

「何か分かったんですか?皆月検視官。」

「はい、全くこの犯人は狂っています。どの遺体にも刃を入れた後にまるで抉るかのように引き裂いていました。」

 すると後ろにいた玲奈は急に口を手に抑え、それを心配した龍子は「【どうしたの?福永さん。】」と聞いたが、その直後に颯爽と現場の外に飛び出していった。玲奈は元々嗅覚が鋭く、数十メートル先の匂いでさえ簡単に嗅ぎ分ける警察犬ばりの鼻を持っている。

「彼女は?」

「あぁ、すいません。先月から鑑識課のウチの班に異動となった福永玲奈巡査です。すいません。彼女があのような事で・・・。」

「いえ、無理もありません。私も何十年も検視官をしてきてますが、遺体の異臭には未だに苦手意識があります。今回のホトケの方も相当の深手の傷口で悪臭がしましたから・・・。こんな事言ったら検視官失格ですね。すいません。」

 龍子は「【そんな事無いです。ところで死因は?】」と改めて聞いた。

「いずれも鋭利な刃物による出血性ショック死です。先程でも申しましたが、かなりの身体の深部にまで刺さっていました。」

 龍子一同はうぇ〜っという表情をしたい衝動を胸の内に隠し、靴にビニール袋を被せ現場に足を踏み入れた。ー

7

 一歩現場に足を踏み入れると血生臭い光景がこれでもかと広がっていた。これはまるでテロ現場だなと龍子はそう感じていた。駆け付けた救急隊も、人命救助の為に出動してきた救命医療の医師達も思わず困惑の色を隠せないほどだったが、流石はプロでテキパキとした治療、救命を行っていた。自分達も彼らに負けてはいられないと龍子は自分を鼓舞し、3名の遺体の前に立った。そして、今は亡き命に哀悼の意を込めて合掌をし、鑑識作業に取り掛かった。血痕は何処もかしこにも散りばめられており、ホトケのと、重軽傷者の数を合わせると相当な量だった。

 ―血痕の採取作業が一通り終わり、龍子達は早速、【原宿連続殺傷障害事件】の戒名が貼ってある捜査本部に赴いた。すると捜査一課主任の高家宗一郎が鑑識課の佐島にとある事を聞いてきた。

「なぁ、佐島。大丈夫か?お前のところの福永玲奈巡査は。現場で嘔吐をした後、鑑識作業に参加したものの、また倒れ込んだって聞いたんだが・・・。」

「あぁ、済まない、高家。大丈夫、今は医務室でゆっくり養生をしているから。」

 高家は「【そうか、分かった。】」というと別の話題に移った。

「今回は一課長(捜査一課課長の略称)がかなり解決に躍起になっている。」 

「えっ?それはどういう・・・。」

「ああ。今回殺害された3名は元大学教授で政界に進出した政治家だ。その中に法務省に在籍する田辺滋法務副大臣がいるんだが、その人が一課長の推し進める刑事訴訟法改正法案の実務を担っていた人物なんだ。」

「刑事訴訟法改正法案?確か今年の6月辺りから諸々の刑事訴訟法を見直す為の法案だったな。」

「あぁ。まぁ、その影響というか恩が田辺氏に一課長はあるためなのか犯人検挙に意欲を燃やしているんだ。」

 もはや政治規模となっている今回の事件に法務副大臣が絡んでいるという事実に龍子達一同は衝撃を受けながらも捜査本部で物証の資料整理に手を回していた。

*

 その頃、玲奈は医務室で汗を無数に流しながら呻き声を低い声で出していた。すると横には彼女の同期で交番勤務の巡査である田畑健介がいた。

「田畑君?どうして貴方が・・・。」

「はぁ、心配させんなよ。今、お前の先輩の宮町龍子さんって人が俺の交番に電話掛けてきたんだよ。」

 どうやら龍子は玲奈の為に警察学校時代の名簿等から調べて彼の現在の連絡先に電話をしたという事である。

「まぁ、後でその人には感謝しておけよ。お前の体はお前一人じゃないんだから。」

 余計なお世話だからか玲奈は布団で顔を隠し、「【早く帰ってよ、田畑君。】」と言った。田畑もそれを察したのか帰る支度をし、「【お大事にな。】」と言って医務室を出た。するとそこに龍子と川田が来た。すると玲奈は不満げに龍子に吐き捨てた。

「宮町先輩。人の個人情報調べるときは本人の許可取ってからにしてくださいよ。監察じゃあ無いんだから。」

「ごめん、ごめん。何か貴方自身に聞くのは野暮みたいだからこっちから調べたの?これ食べて許して。」

 するとシュークリームを2つほど出した。

「カスタードですか?生クリームですか?中身。」

「どっちも。川田さんが買ってくれたの。」

 玲奈は川田に「【いただきます。】」とシュークリームを突き出してお礼を言った。

「あっ、美味しい。」

「でしょ。私達もさっき食べたから保証済み。」 

 そう言われてからなのか玲奈は一気に元気が出て来て「【宮町先輩、川田先輩。私、現場に戻ります。】」と言った。これで元気出してくれるなと二人は玲奈を暖かく見つめた。ー

 捜査一課の緻密な捜査で一連の通り魔事件は全て3年前に発生した帝都大学銃乱射事件の復讐だという事が捜査一課の調べで判明された。2013年10月某日に帝都大学に在学していた法学部の藤田圭人、当時21歳がネットで購入した改造したモデルマシンガンを大学構内で乱射をし、重軽傷者は優に十人以上も超えていた為、刑事部長はSIT(捜査一課特殊犯捜査係)に射殺命令を出し、射殺された。SITに当時そのような制圧の権限は無く、あるとすればSAT(警備部急襲部隊)にあり、SITは交渉人(平たく言えばネゴシエーターと呼ばれる捜査員)による交渉が主であり制圧は最終的な手段として使われる。それなのに犯人の心理状態を無視し、制圧を強行したのは刑事部長が当時、大学時代のOBにより【とある事の願い】を叶えるという甘言に負け、制圧を強行した旨だった。その【願い】とは【刑事訴訟法改正法案の推し進め】であり、その【人物】とは今回の事件の被害者である当時、大学教授で法務副大臣の【田辺滋】だったのだ。まぁ、捜査一課の緻密な捜査とあったが、正しくは裏で全て鑑識課の新人鑑識員である玲奈がたった一晩で、たった一人で調べ上げて、それを知った龍子が一課長に密告するなどをせずに一緒に調べ上げたのだ。その際、玲奈は聞いた。「【私の勝手に付き合ってくれるんですか?】」とし、龍子は「【私は貴方の教育係だからね。】」とし、協力した。その際、科捜研の澤村にも協力の連絡を入れ、事件現場から数十メートル先に発見された血痕が付着したナイフの鑑定を依頼した結果、2013年当時に帝都大学に在籍していた藤田圭人の同期である上坂藤丸のDNAが混じっていた事が判明し、上坂に八神が任同(任意同行の略意)を掛けた結果、今回の事件を画策したという事を自供。犯行理由に上坂は「【僕は大学の単位が絶望的に悪くその件で応じてくれなかった田辺を公衆の面前で殺害する事を思い付いた。3年前の事件の再現も同時にしたかった。】」という身勝手極まりない供述に八神は怒りに震えながらも取り調べを最後まで続け、逮捕状を請求し、上坂は緊急逮捕された。ー

 事件が解決し、玲奈は深く反省をしていた。初めて担当した大きな事件があのような大規模な殺人事件の現場だというのを只々恐怖を感じていた。

「大丈夫?福永さん。」

「・・・怖かった、怖かったです。宮町先輩。私、初めての殺人事件の現場でただ立ち尽くす事しか出来なかった。・・こんな私が警察官を続けていいんでしょうか?」  

 すると龍子は叱りつける事なく淡々と泣き溺れている玲奈の背中を擦りながら言った。

「私も怖かったよ、殺人の現場は。」

「えっ?」

「私ね、ココの鑑識課に異動になる前は捜査一課にいたの。最初にあんな血生臭い現場に立つのは、怖かった。ただひたすら遺体に刻まれた傷口に恐怖を覚える日々が続いた。」

 すると直後には真に迫った様に言った。

「するとね、私の先輩刑事だった羽賀さんが言ったの。“遺体から逃げるな。遺体もお前から逃げない”って。今考えたら、遺体が動く訳無いのにって思うかもだけど。しっかりとそこに仏さんとなっている【人】がいる。私もそこから逃げちゃいけないって思ったの。」

 その言葉に玲奈は暫くうなだれるように龍子にもたれかかった。龍子もそっと肩を擦りながら抱き寄せた。自分は誰よりも弱い、だから誰かと寄り添える優しさを持っているんだと龍子は改めて思い直した。―

8

龍子が鑑識に異動になる一年前、彼女は捜査一課刑事としてとある一件の連続殺人事件の捜査に当たっていた。龍子は同期で同僚の八神章介に廊下で例の事件の意見を求められた。

「宮町、どう思う?このガイシャ(被害者の意)の切創・・・。」

「確かに八神の読み通りならこの切創からしてプロの犯行ね、人を殺めることに何の躊躇いもない且つ計画的に被害者を狙う快楽殺人犯に多い傾向ね・・・。」

八神の顔を見ると龍子は不思議そうな顔をした。

「えっ、何?」

「いや、お前が俺の意見にまともに肯定してくれるの、初めてだから。」

「あぁ、そうだっけ?って言うかそもそも八神は私に対して意見とか聞いてきてくれないじゃない。」

それはお前があまりにも俺よりも優秀で聞きづらいからだよっと八神は内心、龍子を褒め称えた。すると八神は腕時計を見て、立ち上がった。

「悪ぃ、この後羽賀さんから相談されてるんだよ、警察学校の臨時講師をやってくれないかって。」

「スターだよね、八神は。」

スターと【好きな女】から言われると八神は背中がムズムズと痒く感じた。本当のスターは今目の前にいるよと八神はそう感じた。ー

それから一年が経過して八神は捜査一課を巡査部長という階級ながら『警部補主任補佐現場統括長』という聞いたことの無い、肩書きの役職で係長となった羽賀龍造警部と主任に配置換えもなった高家宗一郎警部補の両人の指揮の下、屈強な捜査員を率いて今日も大都会東京を駆け抜ける。――

9

小野寺班の佐島はとある日に、過去に発生した未解決事件の捜査資料を受け取りに警視庁内部に設立している【未解決事件特別捜査班】に訪れていた。【捜査班】と命名されながらも実質は資料課状態でここの責任者である正田蓮介は昼行灯と謳われている飄々とした人物で班長の小野寺でさえ面食らうほど仕事の出来は良いとは言えない男だった。要はゴンゾウ【警察内部で怠け者と噂される警察官を呼ぶ隠語】で彼が行う仕事の大半は事務員のような南雲冴子が担当している。

「あの、鑑識課の佐島ですが、例の捜査資料を取りに参りました。」

 佐島が丁寧にそう言うと応対に当たった南雲冴子は会議等で正田不在で事務的に淡々とこなしていた。

「期限は2週間となりますので、それまでに返却をお願いします。」

「はぃ、分かりました。」

 佐島は謎の圧を感じたのか南雲のお願いに素直に従い、鑑識課に戻った。ー

 南雲から受け取った捜査資料にある今回の未解決事件の再捜査は今年の2016年9月の約2ヶ月前に発生した【品川高校教師一家惨殺事件】だ。何故捜査一課ではなく、鑑識課がこの再捜査の資料を調べ直すかと言うと当時鑑識作業で不備が無かったかという点であり、当時から鑑識員として捜査に加わった佐島太陽はこの件に関して、係長である羽賀龍造から直々にそちら(鑑識課)で調べ直すよう支持され、やむなく上司である小野寺充もこれを受理し、鑑識課で再捜査に移った次第であった。龍子もその事件の捜査に鑑識課に異動となる前に捜査一課で扱った件だからか再捜査することになった。また、前回のハロウィンでの原宿で発生した連続殺傷傷害事件での龍子と玲奈の独断の捜査で羽賀は怒りに震えたものの、上司である小野寺の宥めで何とかこの事件の再捜査も鑑識課に任される運びとなった為に龍子と玲奈は小野寺に一生足を向けて寝る事は出来ないなと感じた。すると森坂は苦言を龍子に呈した。

「前回の件で君達二人に謹慎を言い渡されなかったのは小野寺班長による尽力だというのを忘れないでくださいね。」

「((はい。))」

 龍子と玲奈は反省をしっかりしながらこの事件の捜査資料を熱心に読み直し、殺害現場となった品川の犯行跡地に赴き、不審な部分の見直しも当たった結果、現場の血痕部分に他者ではなく同族間によるものだという血痕が発見された。また、事件で生き残ったとされる高校教師の今年20歳の長男による犯行であることが捜査一課の捜査で判明し、今は一人暮らしをするその長男を任同に掛け、彼は常日頃より父からの抑圧に耐えかね父親も含めた一家全員を包丁で惨殺し、痕跡の抹消などもその筋の業者に金で依頼したという供述も明らかとなった。ー

 事件の再捜査が終わり、捜査資料を未解決事件特別捜査班ルームに返却しに行こうとしていた龍子は廊下で一人の青年に「【すいません。】」と呼び止められた。

「はい、何でしょうか?」

「刑事部長室はどちらになるのでしょうか?あぁ、すいません、自己紹介が遅れてしまいまして。僕は来年度から此方の本庁に移動となる世田谷警察署刑事課の明神光警部補という者なんですけど。」

 何故だろうか?彼はどことなく普通の刑事の目をしていないと元刑事で現鑑識員の龍子は直感でそう感じ取った。

「はい、この廊下を真っ直ぐ進んで右の突き当りにあるエレベーターで六階の棟に行けば地図がエレベーターの真ん前にあるのですぐ見つかると思いますよ。」

「あぁ、ありがとうございます。え〜っと貴方は?」

「私ですか?私は刑事部鑑識課小野寺班所属の宮町龍子巡査部長です。」

 そう言って二人は一礼し、別々の方向に歩いて行った。ー

10

鑑識課の仕事はクリスマス・イブのこの日も例外ではなく、何件も、何十件も入っていた。本庁だけではなく各所轄の鑑識課も猫の手を借りたいほどの多忙さだった。ご多分にもれず刑事部捜査一課もてんてこ舞いの忙しさだ。殺人事件や強盗事件、誘拐事件などの捜査の為に尾行やら取り調べやら書類作成やら何やらで現場は人手不足が騒がれており、所轄からの応援が必要とまでこの年(2016年)はそうだった。ー

宮町龍子は澤村一貴に日々想いを募らせていた。彼の科捜研研究員としての鑑定能力に助けられたことなど、半年で僅かに100はあるなと感じていた。

「龍子さん、今日、クリスマスですよね?もし龍子さんが良かったら、ディナーを今から一緒に行きませんか?」

そんな事を電話越しに言われ、龍子は有無を言わずに【行きます、是非お供させてください、澤村先生。】と了承の返事をした。澤村との明るい未来を期待している龍子は彼が抱えている【闇の正体】のソレに気付く事も無く、明日も彼と共に事件現場に臨み、会う。――

第二章に続く

参考文献:【ミステリーファンのための警察学読本】【犯人は知らない科学捜査の最前線!】【そこが知りたい!日本の警察組織のしくみ】

この作品はフィクションです。実在する人物・職業・団体とは一切関係ありません。

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