◆牧場(クローセル視点)

 イリヤはバスケットが気に入ったらしく、毎日バスケットに昼食を入れて、笑顔で持って来ている。今日はサンドウィッチをたくさん作ってきて、我らにも振る舞っていた。

 どうやら母親に気を使わせてしまったようだの。子供はそんな事情も分からず、ただ喜んでいる。

「イリヤがたまご、まぜまぜしたですよ。かっか、食べて」

 作る際に手伝いをしたらしく、自分が手を掛けたものを閣下に勧めておるわい。

「食べておるわ」

「えへへ! おいしいですか?」

 笑顔で問いかけるイリヤ。しかし相手は閣下だからのう……。

「……普通であるな」

「ええ~、すごくおいしいのに! もう。かっかには、サンドイッチの良さはわからないです」

 口を尖らせているイリヤだが、サンドウィッチを食べるとすぐに笑顔に戻った。


 食事も終えて授業の準備をしようしたところ、閣下がイリヤに話しかけられた。

「小娘。牧場へ行きたくはないかね?」

「牧場。牛さんのおうちです。行きたいです!」

「ならば明日、参るぞ」

「……イリヤ、牧場へ行かれるですか!? やったあ!」

 両手をあげて大喜びしている。閣下もそんなイリヤの様子に、満足しておられる。

「母御に許可を取っておくのだぞい」

「はい、先生!」

 しばらくはしゃいでいたイリヤだったが、急に首から提げている巾着を開いて中身を確認しだした。チャリチャリと、少数の金属が擦れる音がする。

「おこづかいが、あんまり残っていないです。かっか、もっと早く言ってください。イリヤにも都合があるんですよ」

「何が都合かね!!」

 相変わらず、王であるベリアル閣下に無礼な……! こればかりは直らぬし、下手に諫めて泣かれでもしたら、私が閣下のお怒りを買う。子供の教育は難しいぞい……!


 次の日、イリヤはきちんと母御に出掛ける許可を貰い、帽子を被ってやって来た。

「お出かけ、お出かけ。イリヤ、牧場は初めてです!」

 ウキウキと下手なスキップをするイリヤを閣下が肩に座らせ、出発だぞい。飛んで行けば、大した時間はかからずに済む。

「しゅっぱつしんこーです! ごー!!」

 イリヤが閣下の肩で、満面の笑顔をして片手を振り上げる。

「ゴーではないわ!」

「きゃはは! 早いです」

 本当に乗り物扱いしているわい……。


 広がる森を抜けて、幾つかの村を飛び越える。日の当たる斜面が草で覆われている牧場は、低い柵で囲われている。牛が遠くでのんびりとしている姿が見えた。

 手前には縦長の屋根が並んだ牛舎と、売店らしき小さな建物。

 売店の近くを若い男が歩いているので、牧場の看板のある入り口で降りて、まずはその男の所へ向かった。

 

 イリヤは閣下の肩から降ろしてもらうと、一目散に駆けて行く。

「こんにちは、イリヤです。牧場の人ですか? 牛さんに会いに来たよ!」

「こんにちは、乳しぼりの体験かな?」

「ちちしぼり?」

 首を傾げるイリヤ。どうやってミルクを作るか、まだ知らなんだわい。男は箒を持っていて、どうやら掃除をしている最中のようだ。

「その子はまだ牛を見たこともないのだ。体験が出来るのならば、やらせてやってもらえるかの」

「こりゃどうも、いらっしゃいませ。近隣の子がたまに来るので、体験用の牛が牛舎にいるんです。ぜひどうぞ」

 ぺこぺことお辞儀を繰り返す。後から姿を見せた閣下の堂々とした佇まいに、さらに緊張したようで、また頭を下げていた。


「イリヤ先に行ってるです。牛さんに、ごあいさつしないとなので!」

 そう言うと男の横をぬけ、牛舎まで真っ直ぐに走って行く。全く落ち着きのない子供だぞい……!

 まあ良い、どうせ行く場所は一緒なのだ。すぐ見えてもいる。男が促すのに、ゆっくりついて歩いた。

「わきゃきゃ……!」

 牛舎を覗いたイリヤが躓きそうになりながら、慌ててこちらに戻って来た。牛は他の牛舎だったのかの……?

 なにやら焦ったような表情をしておるぞい。

 目の前まで辿り着くと、閣下に必死で訴えかける。

「かっか、たいへん! 牛さん、すごく大きいんです。きっと大人用です!」

「あはは、ビックリしちゃったかな?」

 従業員が笑っている。慣れている様子だ、たまに怖がる子もいるようだの。


「何を言っておるかね、小娘は。牛を見に来たんであろう、行くぞ」

「子供には危ないです。イリヤにはちょっと早かったかも……」

「大丈夫だよ、イリヤちゃん。牛は大人しいから」

 不安がるイリヤに笑顔で声をかけ、一緒に行こうと頭を撫でる。ここまで来て何もしないのでは、意味がないぞい。

「んむ~、かっかもイリヤと一緒?」

 イリヤは閣下の指を小さな手で握り、横に並んだ。一人では行かれないようだ。

「牛舎など好まぬが……、仕方あるまい」

 閣下は牛舎の中までは入る気はなかったようだが、イリヤにせがまれて一緒に行く事にしたようだ。なにせ匂いがなかなかきつい。そもそも重厚で煌びやかな閣下の服装は、酪農には似合わんの。マントは赤いが、牛は興奮しないだろうか。


 牛舎の中は柵で区切られていて、牛が数頭ほどおった。

 乳しぼり体験の為の場所があり、牛をここに連れて来るようだ。

 マントの事を従業員の男性に尋ねてみた。牛は色を識別できず、闘牛では赤ではなく動くものに反応しているそうだ。とはいえ閣下はマントを外しておられる。汚れそうでもあるからのう。あれは炎を編みこんだ特殊なものなので、簡単に洗う事も出来ない。

 私は閣下のマントを預かり、入口で立って眺めることにした。

 イリヤは恐る恐る牛に触り、説明を聞いて乳しぼりを体験している。

「やったあ、イリヤがミルクを作れたよ!」

 絞るというには勢いがないようだが、喜んで手に力を入れる。バケツに白いミルクが揺れた。

「ふわああ、がんばりました。かっかの番です」

「我がやるわけがなかろう!!」

「え~、とっても楽しいのに!」

 ……あの子供は、本当に閣下をどのような御方だと思っているのやら……。


 従業員に勧められて、乳しぼりを終えたイリヤと馬を見せてもらう。これは製品を運ぶ荷馬車の馬だ。こげ茶のしっかりした馬で、牛ほど大人しくはないからかの、イリヤはあまり近づかなかった。

 養豚場も案内してもらってから、外に出て柵越しに牧場の牛たちを眺める。

 イリヤは何が楽しいのか、しばらく飽きもせずに柵の周りを歩いていた。

「牛さん、遠いところにたくさんいるです。牛さんは忙しいです」

 ……のんびりしているようにしか見えんがのう。

 散策を終えて、今度は売店へ向かうことにした。


 牧場で食事にしようと思っておったが、なんとここにはレストランがないぞい。売店の外にあるウッドデッキに、木のテーブルと椅子が用意されていて、そこが飲食のスペースであった。買ってここで食べても良いようだ。

 イリヤが頼んだのは、ウィンナーを挟んだパンと、牛乳。閣下はウィンナーを召し上がる。あとは水を所望された。私も同じものにするかのう。

 店員が用意してくれたものをトレイに乗せ、テーブルへ移動。全員の支払いを済ませ、閣下の分の食事は私が運ぶ。

 椅子に座ったイリヤは、足を動かしながらパンにかぶりついた。

「牧場のウィンナーはおいしいです。牛さんを見ながら食べられるので、ふんいきがとてもいいです」

「……まあ、なかなか良い味ではあるな」

 ……それは雰囲気がいいのであろうかの……? 子供は時々とんでもないことを口にするものだ。閣下は雰囲気の話には触れずに返事をされた。

 確かに、このウィンナーは上質だぞい。閣下も満足されているようだ。


 食べ終わったイリヤは、牛乳をもっと飲みたいとコップを眺めている。それならば、と思った時だ。呼びかけるような声が聞こえてきた。人間が叫びながらこちらに向かっている。

「そこの人達、建物の中に入って! ワイバーンだ、牛を狙ってやってきた!」

「狩りの獲物としては不足であるな」

 閣下が立ち上がられた。手に赤い剣を出現させる。

「ではイリヤと待っておりまする」

「うむ。小娘はそなたに任せる」

 それだけ仰ると、返事を待たずに空中へと躍り出る。知らせに駆けていた人物は驚いて閣下が飛んで行くのを見送り、我に返ってこちらに小走りで近づいた。


「い、今の方は……?」

「かっかです。かっかはすごく強いんですよ」

 イリヤが自慢げに、手を腰に当てる。この男が聞きたい情報とは、違う答えではないだろうかの。とはいえ地獄の王であらせられるなど、教える必要もない事。

 男は他の従業員にも知らせようと、私達には売店の中に避難しているよう告げて、牛舎の方へ向かった。

「イリヤよ、この中で閣下をお待ちしようかの。買い物でもして」

「はい、先生。お土産がほしいです。イリヤに買えるの、あるといいなあ」 


 売店でウィンナーやチーズを選ぶ。私も買っておこう。このウィンナーはとても良い味だったぞい。また買いに来てもいいのう。イリヤはまだ計算が得意ではないので、どれだけ購入できるか解らないようだ。私のかごに入れさせた。

 店内でゆっくり選んでいると、閣下が大した時間もかからずに戻って来られた。たかがワイバーンだからの、何頭いたとしても脅威になどならない。

「小娘、用は済んだかね」

「えとね、これもです。キャラメル!」

 一番上の箱を掴んで、こちらに差し出した。あとはまとめて精算をする。最初は自分で払うつもりだったイリヤだが、カゴに入れてしまえば忘れるようだ。良かったぞい、閣下が買って与えたいのであろうからのう。

 外へ出ると槍を持った男性が数人集まっていた。ワイバーンの襲来に備えていたようだの。無駄足であったが。


「さっきの方! ワイバーンはどうなりましたか?」

「安心せい。全部倒してあるわ」

 閣下のお言葉に、全員が驚愕している。こんなに早く退治されるとは思わなかったのであろうのう。一人で何本も槍を抱えているところを見ると、投げるための槍のようだ。ワイバーンは飛ぶので、魔法がなくては人間には戦い辛いだろうが、かといって普通の矢では弱い。

 閣下がイリヤをまた肩に乗せて我らが帰ろうとすると、一人が慌てて声をかけた。

「あの、お礼を! ワイバーンは牛を狙ってたまにやって来るんです、被害がなくてとても助かりました」

「そうでした、何かお礼をさせて下さい」

 引き留めようとするのを、煩わしいとばかりにそのまま宙へ浮く。


「いらぬ」

「牛さんと遊べて楽しかったです。ばいばい!」

 イリヤは多分、何もわかってないぞい。満足して屈託のない笑みを浮かべている。

 さ、自宅まで送るぞい。瓶に入ったミルクも買ったからの、きっと喜ぶだろう。

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