過去のベリアル殿(ベリアル視点)

 我がルシフェル殿と茶を飲んでいると、異界の扉が開かれる気配があった。

「おや、喚びだしだね。強制力もだいぶ低いし、行く必要はないけれど」

「……ちょうど良いな、久々である。たまには人間の世界も良いものよ」

「君が行くのかい? あまり遊び過ぎないようにね」

 ルシフェル殿は紅茶を飲み欲し、目を細めた。どうも意図が見え辛いものよ。


 召喚された場所は暗い地下室で、若い男が魔法円の中に精いっぱいの虚勢を張って立っておる。黒い木の杖を持ち、薄汚れたローブを着ている。召喚師としては中々の腕と言えよう。

 座標から炎が噴き出すと男は一瞬怯んだが、杖を両手で強く持ち直して、真っ直ぐに前を見据えておる。

「我に何か用かね?」

「な、名は? 階級を教えてくれ! 爵位のある悪魔、だろう!?」

「そなたが我と契約をするのならば、教えよう。退屈しておったところであるからな」

 我がそう告げると、人間の男はゴクリと唾を飲みこみ、慎重に言葉を選んだ。

「俺は、成功したいんだ。見下した奴らを、見返してやりたい。だが、今は代償になるようなものを持っていない……」

「復讐とは違うのかね」

「……殺したいとかは思わないけど、バカにされたままでいるのは嫌だ」

 なかなか面白い話であるな。この男がどのように変わっていくのか、観察するのも一興である。己で底だと感じた場所から這い上がった時、人間とは変わるものだ。良くも悪くも。


「そなたを成功させれば良いのだね? 代償は、そうであるな。我が望むものを、年に一つだけ頂こう。それで良いかね。払えぬ代償は望まぬ」

「有り難いが……、それでいいのか!? 何の保証もないのに……」

「ふ……っ、ははははは! この地獄の王、ベリアルの力をもってすれば、人間界での栄誉など思いのままであろうよ!」

「王……!?」

 王を召喚できたとは、微塵も考えていなかったようである。しばらく言葉を失っておったが、是非にと条件を承諾し、契約を締結した。


 まずは住み家であるな。商人のようであるが、ずいぶんとみすぼらしい家に住んでおる。売りに出ていた広い屋敷を買い、早速移り住んだ。家族は同居しておらず、独り者のようであるな。

「召喚術など良く学べたものであるな」

「もともとそれなりの商家の出身で、召喚術を学ぶことが出来たんだ。ただ、両親や兄弟と折り合いが悪くて。飛び出して来てしまったから、今更失敗だったなんて帰れない」

「そのような暗い顔で成功する商いなど、ないわ」

 どうも陰気な男よ。まずは商品を見直し、いい客を掴まねばならんな。我の配下を一人召喚させるか。手を貸すのも面倒であるが、この男が一人で利益を得られるようになるとは思えぬ。


 店の立て直しを始めてからすぐに、効果は表れた。客は少しずつ増え、経営も軌道に乗っていく。そうすると男は徐々に威勢が良くなり、従業員も雇うようになったのである。我は適当な宝石や気に入った物を代償として提示し、緩やかに十年以上が過ぎた。

 男は己の財で新しく以前よりも大きな家を建て、資産を順調に増やしていった。調度品は一流のものを揃え、我の部屋も望むように整えられた。使用人を増やし、貴族との繋がりも生まれ、この町で知らぬ者がいない程に有名になったのである。


「やっぱりアイツの仕業なんだ……」

「ならば我が殺してやると言うに」

「しかし、命まで取るのは……」

 高位貴族に賄賂を贈って、この男を陥れようとする者があった。

 殺してしまえば問題はないのであるが、もともと気の小さい男だったが故に、なかなか決断を下せぬ。もうあと一押しで罪に堕とせることは明白である。

「……そろそろ我に、一年ごとの代償を払う時期であろう。その男の命で構わぬ。そして妻を我が頂く。それが来年の代償になるわ」

「代償として、か……」

「それとも他に払うのかね? 誰の命で?」

 今年の代償は命だと思わせる。すれば、要らぬ人間からあげるものよ。

 ついに了承が得られた。我は相手の男が一人で家にいる所を殺して火を放ち、火災で死んだように偽装した。そして残された妻の誘惑を試みたのである。当初は突然の夫の死に嘆いておったが、家財を失くした上に事業も立ちいかなくなったおった。途方に暮れ、甘言に縋るように徐々に靡いてくるのが解る。

 見目の麗しい女であったが、一ヶ月と経たずに飽きてしまった。次の年はこの女を殺して代償とし、来年また新しい遊びを考えねばならん。


 この頃から契約者の店は破竹の勢いに乗り、更に幾つかの店を乗っ取って、金は今まで以上に勝手に入ってくるようになった。そこらの貴族すら挨拶に来るほどの富を得て、気弱なところがあった男の態度が、目に見えて変わってきおった。

 我が悪魔だという事はいつの間にやら知れ渡り、立派な召喚術師として数人の弟子まで抱えておる。

 美しい妻と子供を得て、まさにこの世の春を謳歌しておると言えよう。

「ベリアルッ! 次はどこに出店すればいいと思う? お前の提案は、よく当たる」

 書斎の椅子に座り、背もたれに寄りかかったまま、地図を机に投げる。

 我に対する態度も、傍若無人になってきおった。そろそろ潮時であるな。


「それよりも、そろそろまた我に代償を払う時期であるな」

「おお、何でも言ってくれ。金でも宝石でも、家でも女でも。今の俺には、何でもお前に与えるだけの財力がある!」

 我の力でのし上がった分際で、ずいぶんと思い上がったものよ。最後に頂く品は、最初から決まっておる。

「ならば、最後にそなたの命を頂こう」

「何を言うんだ!? 年に一度の代償で、俺を成功させる約束だろう……」

 我の提案に驚き、男は勢いよく立ち上がった。椅子がバタンと床に倒れる。

「果たしておるではないかね。そして、代償はそなたが我に支払える、我が望むものと言ったであろう。迂闊であったな。そなたは、我から身を守る条件など入れておらんのだよ!」

「騙したな、こんな契約は破棄だ……、うあああああぁ!!!!」


 男は我の炎で黒く焦げて、それ以上言葉を発することはなかった。

 カツカツとブーツの音を大きく立ててゆっくりと入口に近づき、ドアノブを回す。

 扉の外で様子を聞いていた弟子の男が、震えながら立っておった。

「……そなたも契約を結ぶかね? それとも、我を地獄へと送るかね」

「じ、地獄へ……、お送りいたします……!」

「残念であるな。……まあ良い、此度は十分楽しめた」



 地獄に戻り、久々にルシフェル殿の宮殿を訪ねた。今の時期はバラが咲き誇っておる。我は赤いバラが良い。血のように濃い紅色をした。我の姿を見たルシフェル殿は、近侍に茶席を設けるようにと指示を出す。

 ある程度は把握しているのであろう、説明を聞くまでもないと言った風だ。

「まあ、予想していた結末だね。不相応な富を得て、ずいぶん高慢になっていた。私なら途中で殺している」

「果実は熟すまで待たねばならんのだよ、ルシフェル殿」

 もちろん、殺さずに最後まで契約を続ける事もある。これは堕ちるかどうかのゲームなのであるよ。堕ちたならば人生の最高潮に殺すのが、一番良い。



□□□□□□□


「かっか、まほうできました!!」

「ほう、もう中級を発動させられたのであるな。褒美を取らせよう、何が良い?」

「やったあ、ごほうび! えとね、んとね~。チョコレートください!」

 ……この小娘は、どうしてそうくだらぬものを強請るのだね。我が地獄の王だと、忘れておらんかね。

「宝石でもドレスでも、何でもいいと言っておるのだ」

「……チョコレートは、まだダメですか? じゃあ、クッキーでもいいです」

 何やら残念そうにしておる。だからなぜランクを下げるのだね。

「もっと良いものを望まぬかと、言っておる」

「いいもの? いいもの……、わかった。ケーキが貰えるですね! イリヤ、いちごが乗ってるのがいいです!」

「食べ物から離れられぬのかね、小娘は……!」

 急に元気になりおったぞ。どういう事であるかな、たかがケーキで。はしゃぎながら走り回っておる。

 全く訳の解らぬ小娘である。今まで契約した中で、最も不可解な。


「わあい、かっかがケーキをくれます! 先生、明日のおやつはケーキですよ!」

 クローセルの方へ、駆けていきおったわ。

 さて、いつまでこの調子が続くやら。

 我がそなたの望みをいくらでも叶えることが出来ると知っても、そなたは魂を濁らせずに、そのままでおられるのかね?

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