◆子供時代 行商のひと(クローセル視点)
ベリアル閣下がイリヤを肩に乗せ、少々離れた場所まで飛行魔法で移動している。以前閣下にお連れ頂いた湖に行きたいと、イリヤが珍しくわがままを申したからだ。侯爵である私クローセルも、もちろんお供させて頂いておる。
湖のほとりには隊商が馬車を停めており、馬に水を飲ませたり、座って談話をしている。閣下は関わるのも面倒だとばかりに、離れた場所に降り立った。
しかしイリヤは降ろして頂いたらば途端に走り出して、隊商へと向かって行ってしもうた! 警戒心の欠片もない!!
「わ~い」
なにやら楽しそうだぞい……。
「失礼いたしまする」
ため息をつく閣下の脇をすり抜け、イリヤの後を追うとしよう。
「こんにちは! イリヤです」
声を張り上げて挨拶をすると、護衛と思われる内の一人が膝を曲げてイリヤに顔を合わせた。他の者達は周囲を警戒しいてる。子供を使い油断をさせるような、卑劣な賊も存在するでな。
「お嬢さん、一人? 何をしてるのかな? 大人の人は一緒じゃないの?」
「かっかと、先生と一緒です。イリヤは今日は、ピクニックの日!」
「ピクニック。湖に来たの?」
「うん!じゃなくて、ハイです!お店の人ですか?イリヤ、おこづかい持ってきたよ」
イリヤは喋りながら荷馬車の後ろを隠す布が
小さな手で首からさげた巾着を握ると、チャリチャリと金属が擦れあう音がする。小銭を入れてあったようだ。
欲しいものがあるのならば、閣下にねだれば良いものを。
「何か欲しいの?」
「おかしください!エリーの分も、欲しいです」
何故か片手を上げて答える。言われた男は別の者を振り向き、商人に聞いてくるよう指図をした。若い男がすぐに馬車の向こうへと姿を消す。
「お弁当はお母さんが作ってくれるですが、おかしはお店やさんがくるまで、おさとう節約です。ハチミツはね、こんど分けてもらえるの。ハチミツをミルクにいれると、すごくおいしくなるよ」
聞かれぬ事まで勝手にペラペラ喋っておるぞい……。相手をする者も、呆れるのではないであろうか。
「イリヤ、無理を言って困らせてはならんぞ。すまぬな
「お嬢さんの保護者の方ですか?」
「せんせー! おかいもの、ダメですか?」
軽くたしなめると、不平の声を漏らしおった。相手をしている若者は、笑顔のままで言葉を続けた。
「私たちは護衛だから、今お店の人に聞いているんだ。少し待っててね」
「ごえー。弱い人を守る、りっぱなお仕事です。ごしゅうしょうさまです!」
「違うであろうが、お疲れ様と言わんか!」
「あれれ?」
相変わらずとぼけておるな……。護衛の者共は、笑っておるぞい。
間もなく商人らしき男が先程の若い冒険者に促され、従業員を二人ほど連れてこちらへやって来た。
商人は小さなお客さんとイリヤに笑いかけ、すぐに菓子を用意させる。
「そうだ、五人ぶんください。ナッツが入ったクッキーがいいです。チョコレートはおいしいですが、高級品なので子どもにはまだ早いですよ。おいわいになると食べられるんです!」
そのチョコレートの無駄な情報は、なんなのだ……。欲しいのだな?ゆっくり歩いてちょうど追い付いた閣下が、仕方のないと笑っている。
「クローセル、小娘にチョコレートを与えてやれ」
「は、閣下。商人、閣下のお召しだ。すぐに用意せよ」
「は、はいっ!! おい、聞いたな!」
私が言うと商人は姿勢を正して返事をし、すぐに菓子を用意しているのと、別のもう一人に指示を出した。しかしこれは嫌な予感がするぞい……。
「宝石や絵画はないのかね」
「も、申し訳ありません。そのような高級品は、取り扱っておりません」
やはりだ。始まってしもうた。
「では、彫刻などはないかね? どうも小娘の家は殺風景でいかん」
「恐れながら、そのような高価な品を持って山道を通りますと、盗賊に狙われやすいので……。私どものように山間の村に生活必需品を届ける様な隊商は、襲えば通常よりもきつい処罰がされることになっているのです。隔絶された村々の生命線にもなりますので、保護されるのです。しかし高級品を売っていると、保護の対象から外れてしまいます」
どう考えても、持ち歩いているとは思えんのだが……。閣下はイリヤに何か、高価なものを買い与えたいらしい。
「かっか、わがまま言っちゃいけないですよ。お店の人、困ってます」
「ぐぬ!! そなたの家の装飾を増やしてやろうと、言っておるのだよ!!」
「なんで?」
当のイリヤが閣下を注意している。子供の“なんで?”は、強い。眉を顰める閣下の御前で、きょとんとしていられるとは……。
「そなたの赤貧ぶりを憐れんでいるからであろうが!!我が情けをかけてやっておると言うのに、全く感謝の念が感じられぬ!」
「ふゆは寒いから、ませきっていうのがあった方がいんですよ。ちょーこくは、あったかくない!」
よくもまあ、地獄の王たるベリアル閣下に堂々と言うものだわい。まあ彫刻は、むしろ冷たいであろうな……。
「魔石は扱っておるのかね?」
「はい、ございますが……、先ほどの村ですべて売れてしまい、これから火の魔力を入れねばならないんです。これでは知識のない者には使えませんで……」
魔石というのは、鉱山で採れる魔力を持った石の総称。その中でも役に立たぬものを明かりや暖をとる為に使うのだが、販売するには素人が魔力を放出するだけで使えるように、魔石に魔力による加工を行わねばならない。
「構わぬ、見せてみよ」
閣下が一つ受け取り、魔力を与える。閣下の魔力は火に特化されているので、このような事は得意分野であらせられる。
「わああ。普通の石だったのに、火が入りました」
ほう?イリヤは変化が把握できるようになっておったか。
「お嬢ちゃん、解るの……?」
「わかるよー! あったかくて乾いてるのが、火なんだよ」
よほど浮かれているのか、敬語を忘れてしまっておるわい。まだまだ勉強が足りていないようだ。
「……今、ほんの短い詠唱も使わずに、属性を変化させましたね……」
護衛の内の一人、魔法使いの女が小さな声で閣下に神妙に訪ねる。
「そなたの予想通りであると言えよう」
女はそれ以上探る事はなかった。
加工前の魔石を幾つか買い、閣下が火の属性へと変化させてイリヤに渡す。喜ぶイリヤが履く靴が薄汚れている事に、閣下が気付かれた。
「小娘の靴ならばあるかね? 革のブーツなどあれば、濡れにくくて良いであろう」
「それならば、ありますが。実はお嬢さんより少し年上の金持ちの娘が注文したのですが、気に入らないからいらないと、キャンセルされたものでしで……」
「構わぬ、見せてみよ」
他には子供用の革の靴はないからと、商人は申し訳なさそうに箱を開けた。キャンセルのあった品を輝かしい風貌の閣下にお渡しするのは、気が引けるのであろうのう。
「すごい、かわいいです、かっか! こんなすてきなくつを持ってる人、村にはいないです!!!」
ブーツと言っても足首を隠す程度の長さで、両脇にリボンをあしらった赤い靴を見たイリヤは、目を輝かせて喜んでいる。
「気に入ったか。履いてみよ、靴は履けねば意味がない故な」
「はい! わあい、ちょっと大きいけど、ちょうどいいです!」
ちょっと大きいけどちょうどいい。おかしな言い回しではあるが、どうしても欲しいと言うところだろう。他にも何か子供用の衣装はないかと、閣下が尋ねた時だった。
「大変です! ワーウルフの群れが来ました、十体以上います……! 発見が早かったから、今は弓や魔法で近づけないようにしてます。とにかくすぐに応援を頼むと、護衛の人が!!」
後方から走ってやって来た下男らしき男が、動転した様子ながら懸命に状況を伝えてくる。言い終わらない内に隊商の護衛達は武器を手に、移動しようとした。
「……クローセル。鎮めて参れ」
「御意にございます」
膝を折って頭を下げ、すぐさま飛んで敵を目指す。
「先生、がんばってー!」
イリヤが何度も手を振っていた。
馬車の後方では魔法使いが初歩の魔法を唱え、弓を持った三人が木々の間から姿を見せるワーウルフに矢を放っている。あまり命中精度がよろしくないところから察するに、戦力不足を補うため、戦闘職ではない使用人にも弓を使わせているのではないかの。
冒険者らしき男二人が、一人は剣、一人は槍を持ち魔法使いの斜め前辺りで警戒しているが、劣勢に冷や汗をかいている。どう考えても馬車の前方にいる他の者達が援護に走ってくるのは、間に合わないからであろう。
じりじりと近づくワーウルフだが、あの種族は攻めると判断すると、人間の足などでは追い付けぬような速度で突如襲ってくる。
広がって姿を見せた十数体の周囲に、私の霧を発生させてた。薄い
「なんだ、急に霧が……?」
対峙している者の一人が瞬きをしながら呟く。突然の事態に、皆が困惑しているようだった。
馬車を警護する者達の前へと、私は降り立った。
「これは私の魔法といったところ。任せて下がっておれば良い」
両手を広げ、氷の槍をワーウルフの数だけ出現させる。
そして一気にそれを放った。
真っ白い霧の中からワーウルフ達の叫びが聞こえ、ドサドサと地面に倒れていく音がする。全て討ったろう。
「これで仕舞いだ。問題はないと思うが、後は任せたぞい」
ワーウルフなど何体いても簡単すぎてつまらぬ。とはいえ閣下を煩わせるわけにもいかぬし、これで良いであろう。すぐに閣下の元へと戻ると、私の姿を見たイリヤが何やらまた、懸命に手を振っておる。
「せんせ~、かっか止めて下さい!! かっか大変です!」
「何を言うかね、この小娘は」
何事かと思って見れば、閣下はイリヤに服だの小物だのを買い与えようと、商品を引っ張り出させておった……。
靴に合うような靴下や手袋、ケープ、帽子、りぼんにカーディガン。段々と増えていくぞい……! イリヤが欲しがった魔石と、砂糖とチョコレートもすでに箱に入れてある。
「閣下、そのくらいになさっては。あまり買い与えすぎるのも、子供には毒ですぞ」
「ぬぬ……。しかしこの程度では買った気にならぬ」
「かっか! むだづかいは、いけないですよ!」
私達のやり取りを、商人は笑顔で見守っている。既に十分な売り上げが見込めるであろうからな、予定外の収入に満足しているのだろう。なんせキャンセル品まで買い手がついたのだ。
ぐ~。
問答をしていると、イリヤの腹が鳴った。いつの間にやら昼を過ぎていたらしい。
「おなかすいた。のどかわきました」
イリヤがお腹をさすって空腹をアピールしとるぞい。
「もうそんな時間ですね。一緒に昼食に致しませんか?」
商人が誘いかけるが、閣下のお答えは否であった。
「精算をせい。我らは移動する故な。もっと景色の良い場所はないかね」
「それでしたら、対岸に小高くなっている場所があります。湖の全体が見られ、遠くまで見通せてなかなかの穴場ですよ」
「ふむ。参るぞ、小娘」
じいっと閣下を見上げているイリヤを肩に乗せ、すいっと飛んで湖を越えていく。
私は支払いを済ませて商品を受け取り、後を追って飛行した。
穏やかに晴れた、ピクニック日和だわい。昼食をとって湖の周りを散策し、水辺の薬草でも探して勉強をさせるかな。
……と思ったのだが、食事の後、はしゃいで遊び過ぎたイリヤはすっかり眠ってしまったぞい!!
寝息を立てるイリヤを送り届けて買った品を渡すと、母親に恐縮されてしまった。とはいえ受け取らねば私が叱られることは理解しているようで、拒否される事はなく、安心したわい。
イリヤがクッキーを五人分と言ったのは、我らの分も買ったからだった。
次の日、新しいショートブーツを履いてきたイリヤが、帰り際に渡してきた。閣下はこのささやかな献上品をお気に召したらしく、いつになく嬉しそうに召し上がられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます