宮廷魔導師見習いを辞めて…の、こぼれ話

神泉せい

◆1話 イリヤとベリアル閣下の契約

 木々に隠れるように、空から森へと降り、落ち葉が敷き詰められた道なき道を歩いて行く。

 右腕の怪我が痛むが、それ以上に屈辱的だ。

 地獄の皇帝サタン陛下の直臣であり、忠実なるしもべである我!地獄の王として五十の軍団を率いる、このベリアルともあろう者が、天の者を相手に傷を負わされるなど……!


 我ら魔の者にとって天使に負わされた傷は、治りにくい厄介なものである。しかもここは人間の世界。召喚され契約をしていない状態では、森羅万象に溢れるマナの力を取り込むことも難しい。卑小なる人間と契約をするという事は、良くも悪くも、この世界のことわりに入るという事なのだ。


 不敬にも我を召喚した者は、トレントから作られた杖を持った、景気の悪い顔をした壮年の男の召喚師であった。あまり出来のいいとは言えぬ魔法円に立ち、居丈高に配下になれなどと命令をしおった。

 我に対してそのように振る舞ったのだ、代償として命を貰うくらいは当然であろう。

 召喚師が従えていた魔獣を下し、召喚された石造りの塔を跡形もなく破壊してからその場を去ろうとした。

 

 どうやら召喚師が数人身を寄せておる場所だったようである。異変に気付いた連中が集まり、刺客を差し向けてきおった。

 その中でも力のあったのは、中位の天使、ヴァーチャーズの者であろう。適当に叩いてさっさと切り上げ、我はこの世界というものを見てみようと思ったのだ。


 宙から眺めれば、我が召喚された場所は森の奥の実験施設、という印象だった。

 市街地からだいぶ離れておるが、街自体もあまり規模の大きなものではない。力のある国ではないのであろう。故にろくに使えもせぬ人間が、召喚術などというものに手を出し、自ら身を滅ぼすのだな。


 すぐ東にかなり峻険な山がある……と見ておると、尾根に向かって黒い巨大な魔力の塊が迫ってくるではないか。

 雷鳴を従え暴風を巻き起こし、嵐を生み出す黒雲を伴なうソレは、黒竜であった。

 ……どこのバカであるかな、よりにもよってティアマトなんぞびおった、愚か者は!


 竜神族というものは、かなりプライドが高い生き物なのだ。その上黒竜どもは戦闘能力に長けており、その長であるティアマトは元々は神の位にあったもの。生半可な戦神でも倒すことなどかなわぬものを、よもや人間に操れるわけがない。

 怒りの感情の発露が嵐や大時化になる、迷惑極まりない生物である。

 人間どもの失敗に、再び巻き込まれるのも煩わしい。防御して方向転換すべきであろう、君子は危うきに近寄らぬが上策と言える。


 防御に思わぬ魔力を使わされながら、西へと移動していく。

 うっそうとした森が終わると、小さな沼がいくつか集まる地帯があり、丘の下を川が流れておる。

 草原にはちらほらと咲く花が見え、先程よりも明るい景色になったように思える。

 しかし旅気分はそこで終わりであった。


「悪魔だな! この国で好きにはさせん! くらえっ!!」

 問答無用でかかってきたのは、プリンシパリティーズの一員と思わしき天使。ちなみに確かであるかはわからぬ。魔力量などから推察しておる。

 まったく面倒な羽虫どもよ。真っ直ぐに炎を飛ばし、奴の目の前で一気に魔力量を上げる。小玉だった火は忽ち呑み込むほどの大きさになり、一瞬で消え去る……予定であった。


「うわあああっ!」

 天使の悲鳴はなかなかに心地良い。寝る前に聞いたならば、いい夢に迎えられるであろうよ。

 次の瞬間、燃え盛る壁のようにもなった我の炎は消え去り、白い翼を持つ別の天使が姿を現しおった。

「……そのような行為を蛮勇というのです。この者はベリアル、王の一人でありましょう」

「正解だ、神の使いよ。知っていて尚、我と戦うのかね?」


 我々の会話を聞いた先程の天使は、ヒッと小さく震える。そして素早く後退し、あっという間に戦線離脱しおった。

「この程度の火を消したことで、調子に乗るべきではないと思うがね?」

 我は畳みかけるように続けた。

 この天使は上級三隊に値する力があるとみられる。

 なぜこんなに天使ばかりに会うのだ……! 同じ悪魔であるならば、穏便な話し合いで済むであろうに……。そもそも我はこの国がどの国だか知らん、何もしに来てないと言うに。面倒である、王たる者が、なぜ相手をせねばならぬ。


「私はオファニムに属するもの。見た所、貴殿は契約をされていないご様子。この世界における絶好の好機であると存じます」

 冷静に見ておるな……。この世界で本来の力を出す為には、はなはだ遺憾だが人間との契約というのは重要になる。

 平素であれば潰すまでだが、先ほどの戦闘に加えて魔力を使わされた事もあり、あまりいい状態とは言えぬのだ。



 結局そのまま戦闘に突入し、お互いに怪我を負って痛み分け、というところだ。

 もちろん相手の方が深手であるぞ。


 その気分の悪い場所から、随分離れた森まで移動した。マナを取り込めないかと座り、太い幹に背を預ける。しばらく休息をとっていると、葉を踏み分けるガサガサという音が耳に入ってきおった。

 警戒しつつ音源を見ると、どこからやってきたのか、子供が一人こちらを見ておる。


 肩にかけているカバンから何か取り出し、こちらに向けて小走りで近づいて来おるわ。

「あ、あの……ケガ……。これ、薬……」

 六、七歳くらいであろうか。小さな手には丸いカンが乗せられておる。

「……要らぬ、人間の子供よ。今は相手をする気分ではないわ。去れ。」

 薄紫の髪は肩で切りそろえられていて、深い紫の瞳が気遣わし気に揺れている。

 よれた長袖の衣服に、短いスカートの下には擦り切れたズボン。幸の薄い村娘と言った所か。


 そこで我は一計を案じたのだ。

 この小娘と契約を結べば良いのだ。子供の望むことなぞ大したものではない。ささやかな欲望を叶え、力を得る。何とも旨みのある話ではないか!


「娘よ、我と契約を結ばぬか? 何でも与えてやるぞ。代償は我の自由である」

「けいやく……? じゆうって、あげられるものじゃないよ?」

 子供にも解るように説明するのは難しいものだ……。どの程度の理解力があるのかもわからん。

「……まあよい、欲しいものを言ってみよ。まずはそれからであるな」

 子供は少し迷ったようだが、しばらく俯いてからぽつぽつと話を始めた。

「……お父さんが……しんじゃったの」

 ……。死者の蘇生は出来んぞ。魂の残っている内は会わせられるが、無理難題で来るとは……


「それからお母さん、大変そうで。妹もいて、ごはんはみんながたまに分けてくれるけど、お金が足りなくなっちゃうって……」

 おお、生き返らせろではないのか。驚かすでない、小娘が。

 なるほど、生活の向上か! これはなんと楽な仕事であろうよ。

「ふ……、安心せい。我と契約を結べば、そのような心配はいらんわ」


 我は上機嫌で羊皮紙を出現させた。これは我の特製、契約用の羊皮紙である。我が魔力を込めて言葉を告げれば、自動的に内容が記されていくものだ。一度書き込めば訂正することは不可能であり、我の意に沿った契約の文言が浮かんでくる優れものである。破棄出来るのは契約の締結前までになっておる。

 では早速開始しよう!


「我が名はベリアル。そなたは何と申す?」

「私……、イリヤです」

 羊皮紙が光り、一際強い金の光の筋が契約書に名を記していく。

「ではイリヤ、我と契約を結ぶ事に異存はないな?」

「え、でも……タダでもらえない」

「タダではない。契約を結べば、この傷がすぐに治るのだ」

「治るの!? なら結ぶよ!」

 お互いにいい事になるのだと、嬉しそうに笑顔を見せる。そして我の手を小さな両手で握ってきた。子供は単純でとてもよろしい。


「お前の生活を助ける、コレで良いな?」

「うん、私もがんばるから、助けてね」

 羊皮紙には“第一、契約主の生命・生活を助ける”と現れた。

 ……生命……? ぬ? そこまで入るのだったか? まあ良い、我直々にとは書かれておらぬ。召喚術を覚えさせ、配下どもを喚ばせて任せれば良いのだ。


 ふはは、望むままの豪華な生活をさせてやろうぞ!それこそ王侯貴族のように、な……! そうだ、地上に我が帝国を作り、宰相に任じてやるのも良い! 邪魔なものを全て殺し、壊し、恐怖の上に築く悪魔の王国……! 素晴らしい。いや、人間の王の首をね、まるごと国を頂くのも良いかも知れんな!


「我には自由を、で良い。他に何かあるかね?」

 一応確認せねばならない。確かな同意を必要とする決まりであるからな。

 すると子供は瞬きをして、こう言ったのだ。

「あ、そうだ、ケンカはダメだよ。いつもお父さんが言ってたです」


 すると羊皮紙に“第一条項に基づいての行動以外、契約者の許可なく他者を殺害しない”という文言が増えるではないか!

 待て、これは我の魔力に反応するはずでは!?

 まさかこの小娘……握った手から流れる魔力を無意識に変換させているのか? 

「これでだいじょうぶ!」

 大丈夫ではないわ!! しまった、締結されてしまっている! 先程我は“良い”と言ってしまった……!

 

 なんたること、この我をたばかるとは……!暗黒の支配者、虚偽と詐術の貴公子、炎の王とうたわれたこの我を!

 子供相手と油断しすぎたか……っ。 

 羊皮紙は全面に白銀色の光彩を湛え、徐々に光は淡くなっていった。ただの紙に戻ったところで、契約は成立となる。

 

「よろしくです! ベリアルさん!」

「……さん、ではないわ!!!」

 子供は何のことか解らないというような、きょとんとした間の抜けた表情を作りおった。

 とんでもないことをしおった癖に……。呆れて怒りすら通り過ぎたわ。


 我はつけている飾りの中からルビーが嵌め込まれた装飾品を外し、左手で握り魔力を籠めた。

「……これを持て。そなたの魔力に当てて我を呼べば、すぐに通じる」

「うわあキレイ! とっても素敵です……! こんな高そうなもの、もらっていいの!??」

 子供……、イリヤは無邪気に、嬉しそうにはしゃいで宝石を色々な角度から見まわしておる。

 これが魔術に通じた道理の解る者であれば、宝石以上の価値に恐れ戦いたであろう。


 この無知なる小娘の相手をせねばならぬとは。

 なんともこれから先の思いやられる事よ……。

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