セカンド・バディ
加湿器
セカンド・バディ
あぁ、この醜い思いは。
嫉妬にすら、なれない。
初恋は叶わない、とは良く言ったもので。
最初にそう言った人はきっと、恋に恋する盲目さだとか、憧れと恋をない交ぜにしてしまう、幼さだとか。
そういう可愛らしい恋をしてきた人なのだろうけど。
私の初恋は、はじめから叶うはずもない恋だった。
届かない腕を伸ばすのに疲れて。目を背けてしまった恋だった。
だから。
ずっと、恋なんてもう、しないつもりだった。
* * *
『――はじめまして。今日から、私が貴女の
彼女と……「先輩」と出会ったのは、私が学校を出てすぐの春。
学生時代、ずっと打ち込んできた武術が長じて就いた仕事――今はただ、「捜査官」とだけしておく――の、指導員としてだった。
化粧っ気の薄い顔に、ロングヘア、と呼ぶにはただ伸ばしただけの感がある長髪。
しっかりと着込んだレディーススーツの下には、職務にふさわしいしなやかに鍛えられた体。
『ふふ、私も指導員は初めてなんだ。至らないところがあったら、何でも言ってくれ。』
そして何より、人懐こい笑顔が妙に印象的な女性。
目線は私よりも10cmばかり低かったが、そんな差を感じさせないくらい、堂々としたオーラのある女性。
それが私の、先輩への第一印象だった。
* * *
定時を過ぎて、人の気配が少なくなりだしたオフィスで。
私は、午後中ずっとにらみ合っていた報告書がようやくひと段落着いて、肩の力を抜くように小さく伸びをする。
「お疲れ。飲むだろ?」
ふと、先輩が後ろから声をかけてくる。手には、二人分のマグカップに、淹れたてのコーヒーが握られていた。
「戻られてたんですね。」
「あぁ、ついさっきね。資料、どんな感じ?」
「明日には出せると思うんで、一回見といてください。」
あぁ、わかった、と返事をして、先輩が自分の分のコーヒーをすする。
――そんななんでもない仕草に、また。私のなかで、ほの暗い感情が首をもたげる。
先輩の手に握られた、猫の柄のマグカップ。こちらに背を向けた黒猫の尻尾が、欠けたハートの半分をかたどった。
「ペアマグ……ですよね。」
「うん?」
なるべく、平静を装って。なんでもないように尋ねる。
「かわいいなぁ、って、いつも思ってたんですけど。」
「あ、ああ、これか。」
よく見てるなぁ、と先輩が気恥ずかしそうに顔を赤らめる。
ぽりぽりと、照れ隠しに頬を掻くその仕草に、また私の感情は揺さぶられる。
一体誰と、なんて事は、聞かなくてもわかっていた。
それは、私の前任者。先輩の、初めての
* * *
いつのことだったか。たしか、私と先輩が、コンビを組んで数ヶ月ほど。
目標を持って、というよりも、未練を振り払うために、半ば現実逃避のように武道に打ち込んでいた私は、職場での人間関係になかなか折り合いをつけられずにいた。
先輩は、体育会系らしい距離感の近さで、親身に接してくれていたけれど。
少しばかりおせっかいな先輩の接し方に、ほんのちょっぴり鬱陶しさも感じていたりして。
そんな風に悩んでいたころ。
偶然、いつもより早くオフィスに着いた私は、私の机の前でたたずんでいる先輩の姿を見つけた。
いや、それはきっと。私の机ではなく。
その机を以前に使っていた、誰かの姿を見ていたのだろう。
ゆっくりと、机の表面をなでる先輩の。
横顔は、普段の人懐こさからは信じられないほど、儚げで、切なげで。
――信じられないほどに、綺麗、だった。
あの人に、あんな表情をさせるのは。させられるのは。
一体どんな人なんだろう。
そんなことが気になって。
あの、さびしく微笑む表情が忘れられなくて。
くるくると、子供のように表情を変える先輩を、いつも、いつも。
目で追いかけて。見つめているうちに。
私ははまた。きっと叶わない恋をしていた。
* * *
「それじゃ、お疲れ様。乾杯!」
「乾杯。」
ジョッキ二つを、こん、とあわせる。
少し呑んで帰りませんか、と、私から先輩を誘ったのだ。
珍しい後輩からの誘いに、上機嫌な先輩を見て。
ほんの少しだけ、良心が痛んだ。
以前に一度。先輩の同期だという同僚に、以前の
『――その話は、直接本人に聞いたほうがいいんじゃないかな。』
そういって、目をそらした同僚。
危険とは、隣り合わせの仕事だ。私の中で、最悪の想像が膨らむ。
結局、その同僚に、それ以上詰め寄ることはしなかった。
つらい思い出を探ることに、本当に意味があるのか。
――そもそも。向き合うことが怖くて、逃げ続けた私に。
そんなことを尋ねる権利は、あるのか。
だけれど、私はもう限界だった。
「アイツの、話?」
こくりと頷く。私が来る以前の
先輩は、んー、と少し困ったように、どこか寂しそうに笑う。
その表情が、あの日の光景にどこか似ていて。
私の胸は、またちくりと痛んだ。
「いい、相棒だったと思うよ。」
私に輪をかけてガサツだったけど、と冗談めかして先輩が言う。
「あいつとは、中学からずっと一緒でさ。この仕事についてからも、ずっと隣にいて、それが当たり前だと思ってた。」
ほんの少し震えた、先輩の声。数年相棒として過ごしてきて、一度も聞いたことの無い、弱弱しい声色。
「ペアマグもさ、アイツの提案だったんだよ。二人、ずっと欠けることの無いように、って、似合わないのにさ。それなのに……」
ぐ、とこぶしに力を入れて、先輩がジョッキを傾ける。
半分ほど残っていた中身が、喉の奥へと消えていく。
「自分だけ抜け駆けて寿退職しやがってよォーーっ!!」
――渾身の、叫びだった。
「……寿、退職?」
「そうだよ!私ら独身貴族だよー、なんて言ってたくせにさ!」
ずるり、と、肩から力が抜ける。
わたしは、担がれたのか。そういえば件の同僚も、少しばかり肩を震わせていた気がする。笑っていたのかあの野郎。
先輩は、いまだに尽きない恨み言を、延々と並べ立てている。
今は、生まれたご子息の写真が毎日のように送られてきているんだとか。
少しだけ、心が楽になる。
そのせいか、少しばかり、ブレーキが利かなくなったようだった。
「もし、」
震える声で、私が切り出す。
――もし、その人が帰ってきたら。
「先輩は、また。その人の、
……そういって、すぐに目線を手元に落としてしまう。
ほんの少しの、間。先輩の、口を開く気配すら、今の私には耐え難いほどの恐怖だった。
「――いいや。」
また、少しの間。
「他の誰かと組むつもりはないよ。今の私は、貴女の
――ぷつん、と。何かの糸が切れた気がした。
「ちょっと、今ので泣かれたらさすがに恥ずかしいんだけど?」
先輩が、そう冗談めかして言う。なのに、私は涙を止められない。
我ながら、勝手なやつだ。勝手に嫉妬して。勝手に悩んで。
そうして、勝手に救われている。
「ほら、呑も呑も!呑んでヤなこと忘れようぜーぃ。」
頬の紅潮は、酔いか、気恥ずかしさか。先輩に進められるまま、私は中ジョッキを飲み干した。
――きっと、この恋も、叶わない。それでも、
しっかりと、向き合って生きていくから。
* * *
気がつくと、知らない部屋で寝ていた。裸で。
あまりの急展開に、頭が働かない。
上体を起こした私が呆然としていると、私服の先輩が部屋に入ってきた。
「お、起きた?」
そう確認すると、すこし、話があります、といって、先輩はベッドの脇に腰掛ける。
「昨日のことは、無理に呑ませた私にも、せ、責任があります。」
だから、いったん忘れなさい。先輩がそう言う。
忘れるも何も、記憶がないんですけど。
「そっ、それと、だ。」
先輩が、珍しく吃りながらそう言う。
「君の気持ちは、その、嬉しい。本当だ。」
……待ってください。私は昨日、何を。
戸惑う私を置いて、先輩は続ける。ほんの少し、心の整理をさせてほしい、と。
「だから、その。少しだけ、返事を待っていて、ください……」
……何を言ったんですか!私は昨日!
先輩の肩をつかんで詰め寄ると、ぼ、と音が聞こえるくらい、先輩の顔が一気に赤らむ。
「あうぅ……。」
……マジで何言った!? 私!?
セカンド・バディ 加湿器 @the_TFM-siva
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