知らない痛み

 「ふーん。んじゃ、明日の朝には発つのか?」


「そのつもり。エナルもカナルもそれでいいでしょ?」


「いいよ。……エナルは寝ちゃったけどね」


みんなで火を囲んで寝たいと言い出したのはエナルだった。

意外と寂しがり屋なくせして強がりなのは、そろそろイヴにも分かってきている。


「そろそろ寝ようか。明日も昼に飛ぶと、エル・グランデ側の憲兵に見えちゃうかもしれない」


「そうだね。おやすみ、暗殺者さん」


楽しそうに笑って、仰向けになったカナルの目は、驚くほどに冴えていた。

いくら目を瞑ってみても、寝返りを打ってみても、一向に寝れそうにはなかった。

やがて二人の寝息が聞こえてきたので、起こさないようにそっと、隠れ家を抜け出した。


「なーんか、いい枝ないかな」


手頃な長い枝を拾うと、カナルは父の声を思い出すように目を瞑った。


ひゅっ。


一歩踏み出して、枝を振り下ろして、くるっと回って、また振り下ろして。

カナルに槍の型を教えたのは、父である王だった。


『槍は人を傷付けるものじゃなくて、自分を傷付けないために使うものだ』


そういう割には掌が擦れるじゃないかと、カナルは微笑んだ。

カナルに槍を教える時だけは、王はカナルなものだった。


「実戦では役に立たなそうだな」


馬鹿にするような声が後ろから響いた。

驚いて振り向くカナルに、クーガが意地悪そうに笑う。


「いいでしょ、別に。クーガには関係ないもん」


「おう、どうでもいいよ。脇がガバガバ過ぎてすぐ裂かれそうだな」


どうでもいいと言いつつ、変わらず文句を言うクーガにカナルはむくれた。


「……まあ槍舞としては綺麗なんじゃねーの?」


枯葉が立てる音よりも小さい声で、クーガが言った。居心地悪そうに顔を背けている。


「今綺麗って言った!」


「言ってねぇ。耳くそ詰まってんのか」


「言った!」


「言ってねぇって!」


耳がほんのり赤くなるクーガに対して、カナルの顔は今までないほど輝いていた。


「言ったよね、言ったね! 綺麗だって!」


「あー、うるせぇ。たまに言い間違えることだってあるだろ」


ガンとして認めようとしないクーガに、カナルは顔を寄せた。

それからいい事を提案するように、声を潜めて言った。


「あのね、これ父様に教えてもらったんだ!」


「おー、あの敵対親父か。その親父から逃げてんのに、呑気なこったな」


「そんな言い方ないじゃんか!」


確かに今は父から逃げている。

でもそれは今だけのことで、建前だけのことだとカナルは信じていた。


「あのな、皇女様。敵は実の父かもしんねぇが、敵は敵だ。お前、今ここで親父に殺されそうになって、本気で、ぶっ殺す覚悟で抵抗出来るか?」


「それは……」


「無理だろ。殺すか殺されるかだとは言わねぇが、少なくとも相手は『皇女カナル』を殺しに来てる。『皇女カナル』が殺されたら、命はあってもお前は亡霊だぞ」


カナルの頬にはつうっと涙が伝っていた。


(父様が好きだ。優しい父様が、大好きだった)


流れた涙は拭わずに、目に溜まった涙を振り払って、真っ直ぐ前を見る。

クーガの顔は真剣そのものだった。


「分かったか。だから親父との思い出に浸ってる暇なんてないってことだ」


「父様との思い出は思い出だよ」


「だから……!」


「向こうが『皇女カナル』を殺しに来てるなら、こっちは『王である父様』を殺しに行くよ」


カナルにとって父は父だった。そして王は王だった。

皇女だからと言って王が身近な存在であるわけでもなく、むしろ王からは遠ざけられていた。

会って話す王は、王ではなく父だった。


「お前なりにそれで吹っ切れるならそれでいいんじゃねーの」


ふいっとそっぽを向いてしまったクーガに、カナルはそっと微笑んだ。

伝え方は下手くそだったが、カナルには伝わったようだった。


「ね、クーガは寝ないの?」


「小便しに来ただけだし寝る。で、俺が小便するとこ見るつもり?」


「もっとあっちでやってよ!!」


カナルがクーガの背中を叩く。

げらげら笑ってクーガは茂みに入っていった。


「さて、私は寝ようかな」


カナルは独り言を呟いて隠れ家へ戻って行った。

クーガはまだ茂みでしゃがみ込んでいる。胸の辺りを抑えて怪訝な顔をしていた。


(なんでこんな脈打ってんだ?)


クーガには、ついさっきカナルに叩かれた背中が痛いほど熱く感じた。

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