国の重臣の裏の顔
「なんでお前がここにいる? お前は盗まれた私の竜じゃないか!」
予想外のイリナの言葉に、イヴは声をあげそうになった。
ティフはイヴが主人に頼まれて世話をしていた竜だ。
イヴは主人の家臣の話に従うだけで、主人にちゃんと会ったことはなかった。当然、主人の顔をイヴが知るはずもない。
「俺の主人がイリナ……? あいつ、自分の親父を俺たちに殺させたのか」
(通りであの時何も手こずらずにサリヤを殺せたわけだ。息子なら自分の親父がいつどこにいるか把握しててもおかしくないもんな)
あの頃、ベル・スフィアスの重臣で、そう簡単に位置情報なんてわかるはずもないサリヤの居場所報告がやけに的確だった。
「ねえ、このままだとあいつティフを連れて行きそうな勢いよ。どうするの?」
エナルは不安になって、イヴに呼びかける。
「ごめん、エナル。カナルに『ティフにそいつの言うことだけは聞くな』って伝えてくれる?」
「分かったわ」
エナルは指示通り、カナルにすぐそう伝えた。
カナルも聞くとすぐティフに伝えたらしく、イヴにVサインを向けた。
「でも眠り薬を使われたり、武器で脅されたらどうするのよ。連れて行かれなくても、傷付けられちゃうかも……」
「しっ!」
更に不安そうにまくし立てるエナルの口を、エナルが言い終わらないうちにイヴが塞いだ。急なことで、エナルは驚いた顔をした。
「んん? やっぱり女の声がしないか?」
「まさかまさか。鹿でなければ、猿でしょう。丁度猿の繁殖期です故、きっと猿だって濡れた声のひとつや二つ出します」
「……そうか」
女の声と聞くと無造作に濡れた声だというイリナたちに、イヴは今にも飛びかかりそうだった。
「お前らが知るよりもずっと、女は純粋だぞ」
代わりに小声の呟きが漏れた。
エナルに手を叩かれて、イヴがやっとエナルの口を自由にすると、エナルは困ったように笑った。
「ごめんなさいね。興奮して声が大きくなっちゃったわ」
「ねえ、エナル。イリナの従者の足に、ツタを絡ませることって出来る?」
「ええ。よっと」
エナルが目をつむって小さく手をあげると、みるみるうちに近くにはこびっていたツタがイリナの方に伸びていく。
イリナの横は通り過ぎて、迷わずに従者へ向かうと、足に巻きついた。
「うわっ!?」
蛇にように登ってくるツタに、イリナの従者たちは大慌てだ。
「何事だ?」
「イリナ様! ツタが巻きついてくるのです!」
自分の主人に助けを求める従者はツタを振り払うように、足をバタつかせている。そんなのは逆効果のように、ツタはどんどんと従者の足に絡まっていく。
「イリナ様ー!」
「ふむ。もう行くとするか」
「いいのですか? この竜はイリナ様の所有物じゃ……?」
「よく考えたら、私のだという証拠なんてないのだ」
ツタのせいで大慌ての従者に、引き返すように指示をすると、イリナはティフに向き直った。
イヴたちは何をするのかと身を固くしたが、そんな心配なんて無用だった。
「よく似た竜もいるのだな」
そうとだけ言って、ティフのお腹をぽんぽん叩いて、イリナは馬に跨って去っていった。
それが合図だったかのように、イリナの従者たちの足に絡んでいたツタは解けた。
「ごめんなさいね、イリナ」
言葉と裏腹に悪ガキのような微笑みを浮かべるエナルは、カナルにそっくりだった。
イヴはそれを見て、苦笑いを浮かべると、立ち上がった。
「もしあいつらが戻ってきても、すぐ飛び立てるように箱船の中には入っていようよ」
「賛成!」
「じゃあ急いで乗りましょう」
せっせと縄ばしごを登って、最後のイヴが上り切ると、他には登って来ないように縄ばしごは引き上げた。
しばらくしてもイリナは帰ってきそうにはなかったので、イヴたちはそっと飛び立った。
「良かったのですか、イリナ様?」
イヴたちが飛び立った頃、イリナたちはせっせと森の中を駆けていた。
しつこい自分の従者にため息をつくと、イリナは言った。
「お前もまだまだ未熟だな」
鼻で笑われて、男は不服そうな顔をしたが、まさか自分の主人に逆らえないというようにため息をついた。
「まあ、いずれ分かるさ。あのヘドロ色の竜を泳がすだけで、もっと大きな獲物が捕まるんなら、いくらでも自由にさせてやる」
そう言ったイリナの顔はいつよりも意地が悪そうだった。
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