一抹の悔しさ

 「うーん……」


「エナル? どうかした?」


考えるように呻くエナルに、イヴは心配そうな目を向けた。

カナルも本を読む手を止めてエナルを見る。


「今日はもう早めに休むわね」


「まだ、具合悪い?」


カナルが半ば泣きそうな声を出すから、エナルは思わず笑ってしまった。


「一応よ。ほら、イヴは容赦ないから、自分の周りのことくらい出来る体力は残しておかないとね」


あからさまにホッとするカナルに、イヴも笑った。


「だいぶ勘弁してるつもりなんだけど、疲れたなら寝てきなよ」


「そうするわ。おやすみ」


「おやすみ」


さっさと引き上げていってしまったエナルを見つつ、イヴは言った。


「そろそろティフも休ませてあげなきゃな」


昼間から大した休憩もせずに飛びっぱなしである。

偽のミーナおばさんから買った地図を眺めつつ、カナルに言った。


「この辺に降ろしてくれる?」


「はーい!」


カナルは言うや否や前方にある格子窓に駆けて行って、ティフになにやら話しかけている。

最初はどうにも奇妙に見えたのに、ものの数日ですっかり慣れてしまっているイヴは、少し微笑んだ。


「降りてくれるって!」


「ありがとう」


外はもう真っ暗だろうが、おじさんが光石をくれたお陰で船の中はぼんやり明るかった。

小船がむき出しの状態では、灯りを点けたくても点けられなかったので、感謝しかなかった。


「目立たないから憲兵にもバレにくいもんね」


「灯りを点けて空を飛ぶなんて捕まえて下さいって言ってるようなもんだからな」


にししと笑ってみせるカナルは幼い子供のようで、イヴは不安になった。


「お妃に会いたくならない?」


つい出てしまった疑問に、カナルはさも不思議そうに答えた。


「母様は好きだけど、宮にいたって最近は会わなかったから。もうそれなりには親のいらない年だからって」


まだ、とイヴは言いかけた。

声には出さなかったのは、自分も親がいなくても生きてこれたからだった。


「……赤子の頃に育ててもらえれば、物心ついた頃にはそれなりになるよな」


ましてカナルは皇女だった。侍女なりなんなり、助けはいくらでもあっただろう。


「あとはね、エナルがいるから平気!」


「シスコン気味なんだよな」


イヴには褒めたつもりはなかったのだけど、カナルは嬉しそうにドヤ顔をして見せる。


「まあ、エナルもアレだな。カナルが割となんでも出来るから安心だね」


イヴはこの数日で、カナルの飲み込みの早さを知っていた。カナルは頭で分かりさえすれば、すぐ身体が追いついてくるタイプである。


「それはちょっと違うかなぁ」


ぽそっと呟いたカナルの声が、驚くほどエナルに似ていて、イヴは目を見張った。

地の声は二人ともそっくりなんだろうけれど、カナルは明るく、エナルは静かに話すから、すぐに聞き分けはついたのに。


「なんでも出来るのはエナルの方だよ。なんでも頑張れる。私はね、最後にはお姉ちゃんに追いつかれて、どうにも勝てなくなっちゃうんだ」


悔しいからお姉ちゃんなんて呼んでやらない。

そう言うカナルの声が、イヴには聞こえるようだった。


「……多分シスコン度はカナルが勝つと思うよ」


「褒めてないでしょ」


「気付いた?」


ニヤっとカナルに笑って見せて、イヴは短剣を抜いた。


「教えてやろうか」


イヴの指先でくるくる回る短剣は、使い込まれてボロボロなのに、どうにもカナルを惹きつけた。


「難しい?」


「頭で理解したのをすぐ行動に移せるって点では、上達は早いと思うよ」


カナルは微笑んだ。


「エナルを驚かせたいなぁ……」


「なら朝早く叩き起こしてあげるよ。それならバレずに練習出来るだろ?」


どうせエナルは寝坊助だ。

カナルはまだ少し迷っているようだったけれど、ひとつ頷いて、真面目な顔をした。


「お試しでってことで」


「カナルは飽きが早そうだからね」


それ以上に体を動かすことが好きなのも、イヴは分かっていた。


「おっと」


ティフが目標点に着地したようだった。

イヴとカナルはタッと地面に降りると、おじさんのお陰で簡単に下ろせるようになった箱船を下ろす。


「これスゴイよね」


「おじさん昔からこういうカラクリ好きだったからね」


暗くなった森の中を冷たい夜風が駆け抜ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る