復興へ
復興の兆しなんてものは全然見えなかった。
相変わらず水は出ないし電気も来ない。
半月以上もそんな毎日が続いた。
ただ、嬉しいこともあった。
あれは三月末だったように思う。ツイッターで「近所の床屋さんが、ボイラーの燃料とタンクの水がある限り、無料で洗髪します」と言う情報を聞いた。
情報は本当だろうか。半信半疑のまま、徒歩20分ほどの所にある床屋さんへ。
そこには噂を聞きつけた町の人達が、すでに十数人並んでいた。
子どもたちの表情が明るい。
久しぶりに髪がスッキリして、頭が軽くなる。
それだけで気持ちまで軽くなった。
それから数日、夕方に昼寝(数分意識を失うとも言う)から目を覚ますと市の広報車が走っている。
窓を開けて耳を澄ますがよく聞こえない。
「なんか、電気って言ってない?」
「そう言われれば……」
慌ててキッチンへ走り、ブレーカーを上げる。
すると、薄暗い夕闇の中、久しぶりに文明の光を目にすることが出来た。
とにかく全員の携帯を充電する。これで今日から電子レンジも、電気炊飯器も使える。文明度が急に上がった。
もちろんテレビも見ることができるようになった。
ニュースだけでなく、子供向けのアニメやDVDも見れる。「ぽぽぽぽーん」のCMだらけで自主規制だらけの番組より、DVDを見るほうが良さそうだった。
これで少しでも子どもたちのストレスが緩和されればいいと、心の底から思った。
翌日、自転車で給水所まで行くついでに、放ったらかしの自宅へ。電気をチェックすると自宅でも電気が戻ってきていた。
更に水道の蛇口をひねると「ごごっごごごんっ!」と言う音とともに、赤茶色い水が出た。すぐには飲めるようにはならないだろうけど、水洗トイレが使えるだけでも帰宅する意味はあると思った。
ただ、ぼくらが引き上げると義母の家に男手が無くなってしまう。
それでぼくらは、もう少し同居を続けた。それも一週間程度だったと思う。義母の家でも水が出たのだ。
こうしてぼくらは一ヶ月ぶりに自宅での生活を始めることになった。
困ったのは震災一週間前に買った液晶テレビだ。
電気が来てないときには気づかなかったが、液晶面がバッキバキに割れてた。表面のガラスが割れてなく、液漏れもしていないと電気通さないと気づけないものだと思った。
ただこれは後に地震保険が適用されて、数千円で修理してもらえた。
今でも現役で使っている。
ちなみに三月末は下の娘の誕生日なんだけど、前々から注文していたケーキ屋から「お届けできません」と連絡を受けたのもこの辺だった。
ガソリンスタンドで、一日に一台20リッターまでではあったけど、給油してもらえるところも出てきた。
娘の好きそうな開いてるケーキ屋を探してケーキを買う。プレゼントはぬいぐるみ。質素ではあったけど、家族揃って楽しく「娘が元気に生きていること」を祝えた誕生日だった。
自宅の掃除もひと段落。その頃には次の魔の手が伸びていた。
四月六日の余震。
これは震災の揺れとは位相が90度違っていた。居間のテレビで言えば左右の揺れではなく、前後の揺れ。もちろん固定ベルトを引きちぎって倒れ、トドメを刺す。
小さい26インチテレビを引っ張り出してきて、見ることにした。
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