病気~その後

 三月の後半から奴らが猛威を奮った。


「花粉症」


 それがその病気の名前だ。

 娘とぼくがとくにひどく、目をこすり続けたぼくの顔はパンダのようだった。

 娘は鼻にティッシュを詰めている。

 病院が再開したのは四月中旬で、そこで薬を処方してもらい、なんとか軽く済んだんだと思う。あのままシーズン終わりまで言ったらと思うと背筋が凍る。


 その診察のとき、世間話程度のつもりで「最近眠れないし、眠りが浅いんですよね」と相談すると、医者はぼくの睡眠時間を聞いて驚く。

 その日からぼくの薬袋には喘息の薬の他に、胃薬と痛み止めと睡眠導入剤が増えた。


 花粉症の症状が良くなったある日。開幕から1ヶ月半もの中断期間を開けざるを得なかったベガルタ仙台が、川崎フロンターレさんと試合をすることに決まる。

 強敵だ。

 それでも週末にサッカーが帰ってきた。

 これはもうぼくたちにとって、大事な、本当に大事なイベントだった。

 川崎へはいけないので、テレビの前にかじりついて試合を食い入る様に見る。


「宮城の希望の星になろう、ともに進もう前を向いて」


 横断幕が気持ちを盛り上げる。

 そして試合は劇的な逆転弾で仙台が勝ち点3を奪った。

 勝利者インタビューの手倉森誠監督につられて、このシーンだけは何度でも泣ける。

 この年、ベガルタはJリーグ4位と言う成績を残すのだが、彼らは復興の星になれたのだとぼくは思う。


 5月。GW明けから仕事も再開する。

 導眠剤に体がなれないままの生活はずっとキツかった。

 眠さやだるさ、意味もない頭痛やものすごいめまい。胃の痛み。


 どうにも睡眠障害と言う病気では起こらなそうな症状だ。

 それでもなんとか、ぼくは仕事をこなした。

 病気が悪化したのは震災から数年もたった2016年位からだったと思う。

 その長期出張で一緒に仕事をすることになったのは、周りから「そいつに部下つけると心を病む」と悪名高いプロジェクトマネージャーだったらしい。

 たった1ヶ月でぼくの体は言うことを聞かなくなり、朝ベッドから起き上がることすらできなくなっていった。

 病院でちゃんと検査してもらえと言われて、板橋の大きな病院で検査する。

 診断は「かぜじゃねぇの?」というものだった。

 出張中だけど、仕事にならないので東京から帰宅。かかりつけの先生から精神科の先生を薦められて受信。


 これで晴れてぼくは「不眠・睡眠障害・不安感・鬱を伴う適応障害」と言うことになった。

 8年たった今でも薬で抑え込んでいる。逆に言えば薬をキチンと飲んでいる限り生活は続けられる。

 病院に毎月1万円支払ってるのがもったいないが、仕方ないと諦めている。

 これも広くは震災の後遺症だと言われた。


 後遺症の範囲って広いね。


 そしてベガルタは、一時期Jリーグ2位まで順位を上げる。

 去年は天皇杯で準優勝している。


 ぼくの中で、ベガルタが優勝できたら復興は終わり。

 なるべく早く、そんな日が来てほしいなぁ

 とにかく、そう思うのだ。


―終わり

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ニジュウヨンテンハチハチ〜8回目の3.11〜 寝る犬 @neru-inu

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