0になるまで

立見

0になるまで


 最初に見た光景は、床にうつ伏せに倒れた子供。それと、隅で膝を抱えて震える子供。


 震えている方は、手のひらできつくきつく頭の両側を押さえている。顔は膝頭にこすりつけるようにしていて、その面は臨めない。

 何も聞かず、何も見ない。そういう強い意思だけが伝わってくる。


 そしてもう一度、倒れた方の子供を見やった。受け身も取らず、細い手足は床に打ちつけられた形のままで投げ出されている。ボサボサの髪がまばらに散って、子供の横顔を覆い隠す。再び起きるのを拒むように、ピクリともその躰は動かない。

 


――――死ね

 

ビクッと肩が跳ねる。知らない声。なのに耳にした瞬間、胸の奥が冷たくなる。


――――死ね


自分の声じゃない。目の前にいるニ人の子供のものでもない。低くざらついた声音が這い寄ってくる。


――――お前なんか


アーアーと目も耳も塞いだ子供が声を上げ始めた。振り絞るような悲鳴は苦しげだった。



――――………産まなきゃよかった


悲鳴はやまない。指で毛髪を掻きむしり、裸足がダンッ、ダンッと床を叩く。


 そうか、と納得した。倒れている子供は、死んだのだ。死ねと言われて。たくさん罵られて。たくさん叩かれて。だからもう起きてこない。起きられないほど、ボロボロになったから。

 隅で一人、泣いている子供。聞きたくない、見たくないと嫌がるこの子の代わり、もう一人のほうが死んだ。全て聞いて、見て、受け止めて、耐えきれずに壊れた一番目。

 

 ふと、自分が明るい場所にいることに気づく。反対に、もう一人の子供は薄闇に沈んでいく。倒れた子供はもう消えた。遠ざかっていく、啜り泣くような声は誰のものなのか分からなかった。


 明るいここでは、逃れることは叶わない。全部が鮮明で、空恐ろしいほどに迫ってくる。逃げ場所はあの子一人のものだ。自分は二番目の代役。一体いつまで保つだろう。


 


 硬く冷たい感触を身体の下に感じた。同時に、頭と背中と右肩に鈍い痛みがつたう。

 目を開ければ、右の視界には床、左の視界には散らかった部屋が映った。伸びっぱなしの髪が視界を細かに区切り、どこか紗がかかったようにも見える。現実味がひどく薄かった。

 どこもかしこも気怠かったけど、ゆっくりと力を込めて起き上がる。骨の目立つ身体なのに、動かすだけで重く感じられた。

 顔を上げ、部屋の奥を見る。空き缶が散乱したテーブルに埋もれるようにして女が眠っている。

 音を立てないよう、ひっそりと部屋の隅へ移動した。ゴミで膨れきったスーパー袋や横倒しになったペットボトルに足が当たらないよう、無意識に細心の注意を配る。どうすれば怒られる可能性が少ないか、身体が勝手に知っていた。

 そして、テレビの影に隠れるような形で座り込む。あの子を真似するように足を抱え、できるだけ小さく小さく身体を折り畳む。けど、耳は塞がないし目も覆わない。どれだけしっかりと手で押さえても、簡単に通り抜け、声は突き刺さる。どれだけ見たくないと目を瞑っても、一度怒鳴られれば視線は相手に凍り付けられてしまう。

 見えないのも聞こえないのもあの子だけなのだ。それが許されるのも。

 一番目が、どれほどこの明るさの中に居られたかは知らない。二番目である自分も、ずっとは耐えられないだろう。二番目が死ねばきっと、次は三番目がここに立たされる。暗い隅でうずくまるただ一人を守るために。

 


 あの子は見ないし聞かない。だからこれはずっと続くのだ。

 代わりは死に続ける。誰も残らず、あの子自身が壊れることを望んで0になる、その時まで。



 

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0になるまで 立見 @kdmtch

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