第49話 7/05 暗ければ、文句より進んで明かりを灯せ。
天海の「これへ」の合図で、板場の身なりをした者が膳を運び込んできた。
「無作法な身なりは、お許しくだされ」
家康の前には、家康の好物の幾つかが配膳された。
「ほぉー、これはそなたらがこしらえたのか」
「どう致します、毒見を致しますか、この私が」
「よいよい、では早速」
そう言うと躊躇わず、家康は、天ぷらに箸をつけた。
「おお、美味じゃ」
「お口に合いましたかな」
「ふむふむ」
「この者たちが、食の見張りを致します、貞丸と伝助で御座います。この者達には、家康様のお好きな御膳一式を教え込んでおりまする」
「そうか、そうか」
「これからは、野戦ではなく、この城内での戦があろうかと。そこで危ぶまれるは、賄い所。そこをこやつらに監視させまする」
「ふむ」
家康は、天海の提言などどこ吹く風の如く、箸を進めていた。
…、天海の振り返り映像が、飛び込んできた女の声に遮られた。
「天海殿、話の腰を折るようで申し訳御座いませぬが、ふと、思うところが御座います」
「おお、ついつい、長々、振り返り申したな。済まぬな、お福。これよりも、振り返りを行う際は、閉ざす所を決めて、自らか、聞き手に止めて頂かなければ、瞑想に耽る故にな、心して、かかられよ。さて、お福の気になる所はごもっとなことよ」
「お分かりか…では、如何なされた?」
「お福の言う、思うところとは、このことじゃな。この入れ替わり、重臣たちを黙らせるのは、難しい話ではない。事なかれ、自らに火の粉が飛び火せねば、重臣たちは、家康様のご趣向と捉えて気にも留めぬことよ。重臣たちと言っても、この天海と向き合い話すは、ほんのひと握りの腹心たちよ。私の存在は、姿の見えぬ妖怪の如くですからな。事なかれを貫くは、己の立場を守ることと見つけたり、とな。さて、お福の申したいのは、重臣は誑かせても、秀忠には通じぬと言うもので御座ろうて」
「御意」
「秀忠か…、心配は要らぬは。奴とて、この私には会ったことがないのじゃから」
「…と申されますと」
「このような事がいつか来るやも知れぬと、奴と会う際は、襖越し、屏風越しに致しておったからな。声だけじゃよ、奴が知る私はね」
「そのように、注意深き行いを」
「備えあればじゃぞ、お福。備えは、大概無駄になるが、いざと言う時に、効くものよ。苦労は、その場だけにあらずですぞ。苦労は、買ってでもせよとはよく、言うたものよな」
「心しておきまする」
「唯一、私が秀忠に直接会わねばならぬ事があった。それも、秀忠の大遅刻で、免れたがな、く・く・く・く」
「関ヶ原の戦いの時の…、まさかあの遅刻の件も…」
「それは、考え過ぎじゃよ。私は何もしておらぬわ」
「信じがたく、成り申す」
「勘ぐるは、よくありませぬぞ、ほれ、また小皺が増え申したわ、く・く・く・く・く」
「天海様!」
「では、金地院崇伝殿は…、流石にご存知のことかと」
「知っておるぞ、全てをな」
「心配をなさらないのですか?」
「何を心配することがある」
「…」
「崇伝殿は、我ら親子のことを熟知しておられるわ。父上と私が入れ替わるのも、都合の良いことと捉え、我関せずの立場を取られておる」
「何故に?・」
「崇伝殿わなぁ~、容易に言うならば、政権争いや、金銭欲などに全く興味のないお方でな。それより、自らの才能を発揮できる政所に関心が深い。人と接するより、書と接するのを好まれるのですよ。それを熟知していたからこそ、我ら親子が江戸の町、城づくりを担当し、御定法を崇伝殿に任せたのですよ」
「我が利を死守するには、他が利を生かせ、ですね」
「ほぉー、分かってきよったか、良きこと、良きこと」
「崇伝殿のやりたいことをやれるのは、我ら親子が、この徳川幕府を裏で牛耳っているからできることよ」
「でなければ、揶揄すれば、あちらこちらから、横槍が入り、派閥が生まれ、争いが起こるりまする。そうならば、相手の要求を飲むことにも成りかねない駆け引きが横行致します…それは、厄介なことですものねぇ」
「そうよ、その通りよ。他が利を生かすと言っても、主導権は絶対に渡さぬことよ。一度、渡せば、箍が緩み、上手く行く物も、衝突の種となるだけじゃからな」
「強き権力の傘の下、有無を言わさぬ大義名分を糧に速やかに事を進めること。
考えさせる隙を与えず、任務遂行の責務を評価する、と言うことですね。ふむ…、私…、先ほどより考え方が変わっているよな…」
「同じ、瞑想を経験したであろう。その副産物じゃよ。心をひとつに成せば、考えもひとつになろうとするのですよ」
「これが、天海殿が言われた、容易く身につく、と言うことですね?」
「そうですな、く・く・く・く・く」
「その言葉を信じとう御座います」
「そうなされば、良い」
「御意」
「よい機会じゃ、そなたもいずれはこの江戸幕府を裏で牛耳る権力を持つことになりまする」
「この…このお福が…ですか?」
「そうですとも。そなたは三代将軍・家光の乳母として裏で家光を支えるのです。家光は、政権と言うものに興味がない。そなたが傍で支えなければ、お江と国松に、
この幕府は、奪われてしまい申そう。それでは、この世は、お江と国松の玩具となり、賄賂が横行し、それを憂う者たちによって、大きな争いが起きましょう。それは、頑なに防がなければなりませぬ。家光が将軍職に興味を持つまで、家康様の血と我らの思いを継ぐ家光を陰日向となり、支えるのです。それが、そなたの大義ですぞ。必要な人材は当方で支度する故、安堵致せ」
「承諾致しました」
「さて、そのお福に知っておいて貰いたいことがある」
「はて、何で御座いましょう」
「万が一の話をしておこうと思ってな」
「何とも意味ありげな…」
「いや…、私もいつまでも生きられぬ。お福の方が長生きられよう。故に知っておいて欲しいのです」
「さて、さて、何を聞き入れば良いのでしょう」
「江戸の町についてじゃよ」
「はぁ…」
「家康様も築城よりも町づくりを優先されたのには意味が御座ってな。城を作っても大軍が押し寄せれば、これは厄介なこと、この上なし。そこで、築城は藤堂の技法と伊達家の金で進める。政宗は、未だに隙あらばの構えじゃからのぉ、金と人材を注ぎ込ませてやるは。さて、町づくりじゃが、陰陽道を用いて、京の都を手本に作る。あのようにはいかぬと思うが…」
「どう、いかぬのですか」
「我らが考える城壁は、民衆による壁じゃ。築城を大義に人夫として、この江戸に民を集める。その人夫を目当てに商いが営われ、町は潤いを得る。広めの道の両側には、商家や旅籠など二階建ての家屋を城壁の如く並べる。しかし、これは、攻められ易い道となるのですよ」
「花道に見えて、実は茨の道、と言うことですか」
「まぁ、そう言う言い方もできなくはないな。建造物で双璧を築くことで、生活基盤と防壁を賄える。さすれば、大軍が押し寄せてきた際、通りに障害物を置き、それを敵側に除けさせておる内に、屋根の上に矢組、鉄砲隊を配備し、道を通り過ぎる敵を左右上から迎え撃つ。敵に逃れる道はない。先鋒隊は、刀と槍。それでは、反撃などできない。建物を取り壊せば、自らの後続隊の進路を塞ぐことになる」
「では、火を放てば…」
「そのようなことをすれば、民衆の怒りを買い、民の犠牲者も出るであろう」
「前もって避難させるのは?」
「確かに一理あるわなぁ」
「ふむふむ…、ならば、先程の思うように行かぬはとは…・」
「人が押し寄せ、町並みが崩れる、密集してな。繁栄は喜ばしいが、美しさにはかけるでな」
「拘られますな」
「繁栄は、整備の上に成り立つのです。覚えておきなされ」
「御意」
「秀吉がこの江戸を与えられた家康様は、この江戸地を見て愕然となされた。それは、人が生活を営むには余りにも不適格。しかし、家康様は湿地帯を活かす方法を、考えられた。秀吉に悟られぬように、鷹狩りを大義に、何年も掛け、調べられた。そこで、この地の弱点を活かされる方法を見出されたのですよ」
「それは、どのような?」
「これは、あの大坂の冬の陣の幸村の真田丸が手本よ。積み上げられた土嚢の上からの攻撃は、凄まじいものであった。それも、粥と投石でな」
「戦う術も、今までに支配されず、解き放てば、粥も武器となる、ですか、拘りを捨てれば、未だ見ぬものが見えてくると言うことですね」
「その通りよ。思案の闇は、思い込みにあり。発想の領域を限りなく解き放てば、道は見えてこよう」
「それで、家康様は如何なされたのです?」
「家康様は、秀吉に屈することなく、これも試練よ。ならば、与えられたこの試練、必ずや乗り越えて見せよう。秀吉は、この悲惨な土地を与えて、さぞかし安堵しているに違いない。そこに探偵の目が緩むに違いない。そこを逆手に取り、難攻不落の大坂城に負けぬ、いや、それおも凌駕する徳川領を築いてみせてやるわ、と」
「流石で御座います。苦難を苦難とせず、向き合うとは」
「そなたも、嘆くのは勝手。しかし、そこからは、虚無感しか生まれますまい。ならば、向き合い、活路を見出されるようにな」
「それで家康様は、どのような手立てを打たれたのです」
「この土地を活かす方法を、考えられたのよ」
「活かすと言われても…」
「まずは、この土地を見極めようとなされたゃ」
「見たままの湿地帯、そこの何を?」
「それ、そこよ。見た目で判別すれば、悲惨な土地。されど、元を正せば、遠い昔、ここは平地であったのではないか、それが、何かによって、水の侵略にあったのでは、ならば、その水はどこから湧いてくるのか…何故、水が留まるのか、とね」
「それで如何なされた」
「家康様は鷹狩と称して、この土地の隅々までを調べられた。それを元に私は、 領の地図を作成し、土地の者に話を聞き、この土地が持つあらゆる問題を炙り出したのですよ、この土地を如何に活かすかを考えるために」
「それは大儀なことでしたなぁ」
「く・く・く・く…お気楽なことよな、そなたは」
「これは、これは、つい本音が」
「まぁ、よい。調べを重ねる内に、この土地への愛着と言うのか…、何としても、生き返らせて見せよう、と思う気持ちに、家康様も私も穫られたのですよ」
「住めば都…と言うものですね」
「そう容易いものではないわ」
「御意」
「思案が尽きそうになりかけた時、ふと家康様が、水が豊富であるは喜ばしいこと。しかし、有りすぎるのも困るものよな、と。そこで、閃いたのですよ。この厄介な水の豊富さは、実は、宝の山では…。それを活かす術を考えるのが良いのでは、とね」
「痘痕も靨…ですね」
「そなたが、言うか」
「それは、無礼なことですよ、これでもおなごゆえに」
「済まぬ、済まぬ」
お福は、容姿で見向きされるようなおなごではなかった。
お江の気の緩みは、お福が男から見向きもされない器量のなさ、野暮ったさから、生れたものと言って過言ではなかった。
「手のつけられない水の弊害。それを宝と見る。それは、大胆な思いつきでしたがね」
「それで、何をされたのですか?」
「そなたが見ているこの江戸は、以前、湿地帯であった。そこに山を切り崩し、その土でこの一帯を埋め立てた。土が緩いのを逆手に取って、地固めの際、箱型の水路を埋め、碁盤の目の要所要所に、生活用水のための井戸を設けた。生活用水の使用料は、町衆から徴収する。次に川の反乱を避けるため、川そのものの流れを変えた。とは言え、この土木工事は、まだまだ時を要する。詳細は、家光にもわかるように書にして残そうと思う。そなたも、それを把握し、町づくりを推進されよ」
「承諾致しました」
「さぁ、長々と話し申したな。日も暮れよう、お開きと致そう」
「左様で御座いますな」
「おお、肝心な事を忘れるところでした」
「何で御座いましょう」
「恵最には、気をつけられよ」
「恵最…ですか」
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