2番目の男

山本航

2番目の男

 2番目の男が私を追いかけてくる。

 2番目の男というのは勿論順番に関係している。1番目の男がいて、3番目の男がいて、そしてその間に2番目の男がいるのだ。

 事は麗しき女帝陛下に纏わる些細だが愚かな出来事をきっかけに始まった。

 私が女帝陛下を御守りする親衛隊の一員として、心労多き陛下が一時の羽休めとして最も愛する鹿狩りに随行した時のことだ。

 まだ日も天の頂に駆け上がろうという時刻、陛下が若い鹿をその類稀なる弓の技術で。つまり陛下は鹿狩りへの愛に反して、類稀に狙いをつけるという事が苦手なのだ。せめて最後まで獲物を見ていてくれれば良いのだが、いつもの通り、矢を放つ直前に陛下は目を瞑ってしまわれた。

 悲しいかな、明後日の方向に飛んで行った矢は美しい弧を描き、人に当たってしまった。その姿は見えなかったが、木々の向こうから悲鳴が聞こえたのだから間違いない。

 私は親衛隊の中でも下っ端なので、すぐさま森の奥へと飛んで行き、哀れな犠牲者の様子を見に行った。

 そこにいたのが2番目の男だ。つまるところ女帝陛下の男妾だった。何がどうしてこのような森の中にいるのか、見当もつかなかった。男は肩を抱えて呻いていた。しかし幸い矢は肩の辺りを掠めただけのようで傷は浅かった。何か手当てが出来るだろうかと2番目の男に駆け寄ろうと考えたのだが、私はその考えを捨てた。

 2番目の男は明らかに憎悪の眼差しを私に向けていたからだ。私の持つ弓を見、己の肩に刺さる矢を見、そして憎悪に燃えた目で私の目を覗き込む。

 何のことはない。私がその場で彼が抱いているのであろう勘違いを正してやればそれで良かったのだ。しかし私は愚かにも、そして浅はかにも弓を放り出し、踵を返して逃げ出してしまう。言い訳をさせてもらうならば、彼についてあまり良くない噂を聞いていたから私は逃げ出してしまったのだ。そうして2番目の男はその勘違いを確固たる憎悪へと変換してしまった。

 2番目の男は何やら呪詛を吐きながら追いかけてきている。彼は魔術師なのだという話を聞いたことがある。荒野に潜み、邪なる獣どもが徘徊する時間になると美青年の姿になって都へとやってくる。そして陛下を篭絡したという噂がまことしやかに語られている。彼はまた生粋の狩人であり、女帝陛下と気が合ったようでもある。どこまで本当なのかは分からないが、彼が今私に投げかけている呪いの言葉は私の背筋を凍らせる力があるのは間違いない。

 私は耳を貸さず、とにかく走って逃げた。親衛隊の皆がいるところまで逃げてしまえば助けてもらえる。そう考えたからだ。

 鬱蒼とした下草を踏み越え、歪んだ木の根を踏み越え、鹿の姿を見た辺りまでやってきた。しかし、皆の姿が見えない。まさか私を、そして哀れな犠牲者を見捨てたというのか。その通り、見捨てたというのだろう。

 女帝陛下が誰を殺したとて責められるものはいない。それだけの権力をお持ちの方だ。それでいて陛下は大層気難しく、なおかつ心優しいお方でもあられる。

 であれば陛下は誰をも無暗に傷つけてはいない、ということにしてしまうのが親衛隊のやり方だ。私の報告を聞くと彼ら親衛隊は早急に手はずを整える。代わりに用意した鹿を私に持たせ、「陛下が仕留めた鹿を持って参りました」と言わせる。それで全ては解決するわけだ。

 しかし話は少し違ってしまった。陛下が寵愛する男妾を傷つけたという話を持ち帰るわけにもいかない。もしもそれが女帝陛下の夫の耳に届けばどうなるだろう。さらにはそれが邪悪な魔術師かもしれないともなれば大混乱に陥ってしまう。

 ことは最早穏便に済ませられる類の状況ではなく、私が何とかすることを親衛隊も望むだろう状況ではあるが、何せ私は小心者である。何とかコネを駆使して、親衛隊の末席へと潜り込んだが、邪悪な魔術師と対峙できる勇士ではない。

 私の足が速いのか彼の足が遅いのか、かなり距離を開いている。彼の叫ぶような呪詛はまだ聞こえるが、追いつかれることはなさそうだ。しかしこのまま逃げ果せることも不可能なのだ。直接話したことはないが、親衛隊の私と男妾の彼は何度か顔を合わせたことがある。そしてもう二度と忘れられるものではないだろう。地の果てまで追いかけてきそうな2番目の男の勘違いを解くにはもう遅い。となれば私にできることは一つだ。女帝陛下と親衛隊に追いつき、どさくさに紛れる。後は優秀なる親衛隊の皆が場を治めてくれることを願う。これしかない。

 そうしてとうとう私は親衛隊の一行に追いつく。事態は早急に対処されるだろう。その時、私の肩を射抜かれる。

 愚かなことだ。2番目の男は己の肩に矢が突き刺さっていたし、私は私の弓を放り出して逃げたのだ。私は倒れ、殿を勤める親衛隊の何人かが気付いて駆け寄ってくる。親衛隊は2番目の男に問いかける。一体何ごとなのかと。そして2番目の男は答える。

「陛下が仕留めた鹿を持って参りました」と。

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