怖い女

しゅりぐるま

怖い女

 年が明けた。電話がなった。私の心に不安と期待が入り交じった。画面にうつる名前を見て、一瞬の間をおいて電話にでる。

 「明けましておめでとう」あなたからの電話だった。年明け早々、酔冷ましを理由に犬の散歩に出たそうだ。クリスマスはイブをともに過ごした。でもお正月はそうはいかない。私は実家に帰った。あなたは、あなたの家族を連れて実家に帰った。

 こんな些細な電話ひとつで愛されていると勘違いしてしまう。私は賢くなりきれない女だった。


 あなたには十年連れ添った奥さんがいて、もうじき小学生になる子どももいる。新築の庭付きマンションに住み、週末はワゴン車に犬を乗せてお出かけをする。私はあなたのその生活がそっくりそのまま欲しかった。あなたと奥さんが時間をかけて作り上げた、その生活が欲しかったのだ。


 「電話ありがとう。愛してる」彼氏にも言ったことのない台詞を言い、すぐに電話を切った。「あんまり時間ないねん。すぐ帰らんと怪しまれる。でもどうしても一番に話したかってん、お前と」なんて、よく言うわ。


 人はどうして背徳を感じるものにのめり込み、制御できなくなるのかしら。青い炎のように見る者を凍りつかせ、触れる者を一瞬で燃え上がらせる。普通の人が聞いたら笑い転げるような愛の歌を奏で、どこまでも滑稽な演者となる。


 そんな喜劇が自分の人生に起こるだなんて、全く笑えないわ。私は自嘲し煙草に火をつけた。これも、やめられないものの一つ。私には自制心がない。好きになった人に恋人がいようが家族がいようが関係ない。欲しい物は手に入れる。服も、鞄も、男も友達も、セックスだけの関係も。欲しい時に欲しいものを、食べたい時に食べたいものを。


 でもどんなに狡猾にすり寄っても、人の人生だけは手に入らない。そんな単純なことに、経験してみるまで気がつかなかった。どこが狡猾だってのよ。こんなの、ただの大馬鹿者だわ。


 さっきの着信履歴を見ながら煙草を消す。もう家に戻ったかしら。電話を置きっぱなしにして、お風呂にでも入ってないかしら。折返しの着信を残したらどうなるかしら。そんな馬鹿なことをまた考える。


 何もかもバレてしまえばいいのに。コールボタンを押そうとした瞬間、メールが届いた。

 「少ししか話せんくてごめんな。早く会いたい。愛してる」


 なんて馬鹿な男なの。私はあなたを愛していない。あなたの家庭も壊したいわけじゃない。私はあなたの生活そのものが欲しいのよ。壊してしまっては意味がない。頭の中ではわかっている。だけど終わりにしないのは、この青い炎に魅せられているから。普通の恋では一生口にできない言葉を口にして、一生かけてもらえない愛の言葉に酔いしれる。この甘美な世界に取り憑かれているだけ。


 巻き込まれている人たちのこと、少しは考える。だって、背徳感が増してゾクゾクするもの。私の存在を知ったら、あなたの奥さんはどうするかしら。女性は強かだからあなたなんてすぐに棄てられてしまうかもね。そしたら私も、あなたのことはいらないわ。


 「おやすみ。夢の中で会おうな」二通目のメールが届いた。


 本当に馬鹿な男。私は二番目の女。だけどあなたは、私の欲しいものの二番でもなんでもないのよ。

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