セカンドフラッシュの饗宴

名取

最良の二番目




 いつもいつも、「兄さんはあんなに立派なのに」、ばっかりだ。

 夜の公園でコーラをやけ飲みながら、僕は舌打ちを繰り返していた。


 僕の兄は、確かになんだってできる。スポーツも成績も僕より優秀で、顔もそこそこだから女子にも男子にもモテる。お前は漫画の主人公か? と言いたくなるようなやつだ。でも別にそれはいい。優秀な人間が優秀であることを責めたってどうしようもない。問題は、両親が兄と同じだけの優秀さを、僕に求めてくることだった。

 たとえばある時、母に、定期テストで一番よかった点数のものを見せたら、

「88点? 兄さんならこの学年の頃のテスト、90点台から外れたことなんて一度もなかったのに」

 と言われた。いつもは僕だってちゃんと90点台を取っているのに。その時だけ風邪気味で、たまたま一問余計に間違えただけなのに。

 またある時は、褒めてもらえるだろうと思いながら父に部活のことを報告したら、

「日曜のサッカーの試合、3対2か。悪くない点差だが、もう少し差を広げられたんじゃないのか? 兄さんがいた代なら、ダブルスコアもザラだった相手だぞ……」

 ときた。もううんざりだ。アラ探すのが趣味なのかこいつらは。時代が違うっつーの。

 しかしまあそんな親でも、親の言うことだから、と思って渋々聞いてきた僕だったが、今日の夕飯の席で、ついにぶち切れた。


 家族四人で食卓を囲んでいる最中に、兄が突然「ギターを始めたいけど、お小遣いが足りなくて」と言った。すると母がなんでもないことのように「弟のお小遣いから出せばいいじゃない」と言ったのだ。驚いて「つまり僕から借りるってことだよね?」と尋ねたら、

「なんで借りるのよ。頑張っている人がご褒美をもらえて、サボってる人が罰を受けるのは、当然のことです!」

 と言われた。一瞬頭が真っ白になり、僕は自分がサボリ魔であるような錯覚を覚えたが、実際はそんなことはない。ちゃんといつも人並みに……いや時にはそれ以上に頑張っている。そんな不当な仕打ちを受ける覚えはない。「で、でもさ!」と必死に反論の言葉を探していると、父親が言った。それも鬱陶しそうに、まるで自分には関係ないと言いたげに眉をひそめて。

「うるさいな。お前はいつもなんだから、黙って言うこと聞いてりゃいいんだ」

 それで、プッツン切れた。

 茶碗と皿を床に叩きつけ、家から自転車で走りに走り、車で追いつかれないように電車に乗って、やがて知らない街の公園にたどり着き、怒り心頭で一人ベンチに座っていた。



 初めは怒りでアドレナリンがドバドバだったが、時間が経つにつれてだんだん悲しくなってきて、ぐすぐす泣きながらコーラを飲んでいると、不意に声をかけられた。

「どうしたの、君?」

 見ると、自転車を押してこちらに歩いてくる男がいた。私服だったが、僕より年上の、高校生くらいに見えた。僕が涙目なのに気づくと、その人は何かを察したような顔をして、そっと隣に座った。

「僕は、兄貴の迎えで来たんだ。あの人、ライブの後は誰かが付き添ってやらないと、ちゃんと家まで帰れないからさ。ほら、この先にライブハウスがあるだろ?」

 聞けば、彼の兄はバンドのボーカルをやっていて、その送り迎えをさせられているらしい。どうしたのかと優しく尋ねられて、僕は事情を話した。

「ふーん。じゃあ一番目がいなくなれば、君は晴れて一番になれるわけだね」

「は、はあ……」

「でも、それって結局誰の一番なのかな?」

 彼はぽん、と僕の肩に手を置いた。

「僕も弟だから、優しくない兄貴をもつ辛さはわかるよ。でも見栄や世間体ばっか気にする、くそみたいな親の一番になったところで、面倒臭いだけだとも思うんだ」

 黙り込む僕の横で、彼は自分のバッグから無糖紅茶のペットボトルを取り出してグビグビと飲んだ。そして思い出したように、

「セカンドフラッシュって知ってる?」

 と聞いてきた。首を横に振ると、彼は語った。

「夏に摘まれた茶葉のことを、そう呼ぶらしいよ。個人の好みもあるけど、種類によっては、お茶の本来の味や香りがもっともよく出るのは春摘みのファーストフラッシュよりも、むしろセカンドフラッシュの方なんだって。つまり、なんでもかんでも一番最初が最良って決まりはないってことだね」

「よ、よく知ってますね」

「僕、紅茶好きだから」

 その話題が終わってしまうと、また沈黙が降りた。僕が特に意味もなく鼻をすすると、彼は慌てたように、

「歌でも歌う?」

 と言って、ベンチから立ち上がった。年上の自分が励ましてやらなければ、という使命感を感じているのかもしれない。見ず知らずの僕にそこまでしてくれるなんて、嬉しいけれどなんだか悪いな、と思った。

「いえ、大丈夫ですから……」

「いやいや、遠慮しないで! 僕もね、元気出ないときは、こっそり歌うんだ」

 にっこりと微笑み、彼はすうっと息を吸い込んだ。次にその喉から吐き出された歌声に、僕は思わず目を見開いた。

 月明かりの下、彼は、まるでガラスで作られた楽器のようによく通る声で一曲歌い上げた。深みのある伸びやかな歌声は、アカペラでも——いやむしろオケがないからこそ、巧みさが引き立っていた。素人でもわかるうまさだった。懸命に歌う彼から飛び散る汗の粒が、月光をキラキラ反射するのが見える。気づけば僕の目には、悲しみとは別の涙が滲んでいた。

 歌い終えると、彼はTシャツで汗をぬぐい、照れ臭そうに笑った。

「兄さんと違って僕、あがり症だから。観客一人を前にするので精一杯なんだよね」

「な……」

 いや、歌手目指したほうがいいよ。本当に。

 そう思ったが、それを伝える間も無く、彼は「じゃ、早いとこ帰るんだよー!」と自転車に乗ってそそくさといなくなってしまった。


 その日、僕は自力でなんとか家に帰り、家族全員から散々なお叱りを受けたが、そんなことはどうでもよかった。まったくの上の空だった。またあの歌を聞きたいと、そればかりを考えていた。部活も勉強もそこそこに、暇さえあればあの公園のあたりまで行って、彼を探した。再び彼に会えた時、僕は無理を承知で、あることを頼み込んだ——。




 以上が大人気バンド、「セカンドフラッシュ」の結成秘話であった。

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セカンドフラッシュの饗宴 名取 @sweepblack3

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