現実世界編

第19話唐突な帰還

 ──視点は私、悪役令嬢エリザベートの体を借りた人間に代わる。


「う、ううん……」


 体に慣れ親しんだ……慣れ親しんでしまった感覚と共に、私は目を覚ました。

 この世界でゲームから別のゲームへと移動すると、独特の気持ち悪さがある。

 空間失調パーディゴの一種なのだろうか、ほんの一瞬、前後も上下も分からなくなる感覚があるのだ。


(ここは、えーと……まばメモの世界だっけ……)


 私が周囲を見回すと、そこは穏やかで、古さの残る商店街の路地裏だった。

 雑居ビルの間に見える空は青く晴れ渡っている。

 私は起きあがり、すぐに、周囲に人気ひとけがないことを確認して、どこかケガをしていないか自分の体も確認した。

 先ほどまでと全く変わらない……悪役令嬢『エリザベート』の体だ。


(……やっぱりちょっと眠いわね……)


 頭の奥がずんと重い。当たり前だ。

 こっちの異世界に来てからウトウトしてばっかりで、ロクにちゃんとした睡眠をとれていないのだから。


(うー……十分くらい寝ても駄目そうなくらい疲れているわ。

 社畜の体力って、二日ぶっ通しで寝ないと回復しないのよね……)


 もっとも、そんな贅沢はもうずいぶん味わっていないけれど。

 転職を手伝ってくれた人材派遣会社に「完全週休二日の職場がいい」と口を酸っぱくしてお願いしたにもかかわらず、転職した仕事場も中々の修羅場系職場だったのだ。

 書類上は確かに週休二日なのだけれど……持ち帰り仕事があまりに多すぎる。

 最近は週に一回でも休むことが出来ればいい方な毎日を送っていた。


 私はつらつらとそんなことを考えながら、商店街の表通りに出ようとした。

 が……ふと嫌な予感がしたので、思わず足を止めてしまう。


(なに……?)


 私はビルの壁の間から、大通りの様子をうかがった。

 街の様子が明らかにおかしいのだ。

 商店街という設定の場所であるにもかかわらず、人の気配が全くしない。

 こういう場合、経験上店主とか通行人だとか、一応それらしいNPCが路上を歩いている(話かければ一応反応もしてくれる)はずなのに……。


(……誰も、いない……)


 その事実に蒼然そうぜんとしていると、今度はパタパタと誰かが駆けてくるような音が聞こえた。

 思わずその方向に目を向ける。

 大通りの一方からとんがったエルフ耳の美人が駆けてきていた。


(あのいかにもな姿かたち、明らかに私たちと同じ種類の人間だわね……)


 つまり、現実世界からこの世界に迷い込んできた『人間』だ。

 その証拠に、走っているエルフはいかにも運動のできそうな姿かたちをしているのに、妙に足がもたついていた。

 見た目の形は変わっても、身体能力は現実世界の自分の体と変わらないのだ。



(私も足が遅いから気を付けないと……。

 ていうか、あのエルフは誰から逃げているの?)


 次の瞬間、エルフはびくりと体をけいれんさせると、その場にどさりと倒れこんだ。

 ……一拍遅れて、エルフが『背後から後頭部に何かを投げつけられて倒れた』のだとわかった(自慢じゃないが、私は動体視力もカスなのだ)。


 私が物も言えずに事のなりゆきを見守っていると、エルフが走ってきたのと同じ方向から、一人の青年が歩いてくるのが見えた。

 青く長い髪を一つにまとめている……美形で洗練されているが、少しガラのわるい感じもする人物だった。

 両腕に入れすみがあるせいだろう。

 青年はエルフのそばにしゃがみ込むと……そのまま迷いなく首を絞めた。エルフはしばらく暴れていたが、やがてくたりと動かなくなってしまう。


(ころ、した……殺したんだ……!)


 私は思わず息を止めた。

 それを見た青年は、「これもハズれかあ」と首をかしげていた。

 ああ、と私は喉の奥だけで声にならない悲鳴を上げる。


(……『前回』と同じ、『前回』と同じだわ!

 あの男、自分がどうやれば元の世界に帰ることが出来るのか知っているんだわ!!)



 自分の体が自分の意志に反してガタガタと震えだすのが分かった。

 私がこの妙な出来事に巻き込まれたのは二回。

 2014年の春と、2016年の秋……今の状況は『2016年の秋』と酷似していた。


 前にセラに事情を説明した時に……私は少し話をボカした。

 この世界で殺し合いをする人間には、私の知る限り二種類いる。


『自分が何に巻き込まれたのか分かっておらず、目先の楽が出来そうな電子機器を欲しがって核を殺そうとする人間』


 と、


 『自分が何に巻き込まれたのかある程度分かっており、明確に核を殺そうとしてくる人間』だ。


 目の前の男はおそらく後者だ。

 仕事が立て込んでいるとか急ぎの用事があるとかで、さっさと核を殺して元の世界に帰ろうとしているのだ。

 たぶん、何度かこの世界に来たことがあるのだろう。



「……あれ? そこにもまだ人間がいたのか」


 私が硬直しているうちに、向こうが私を見つけてしまった。

 青年は端正な薄い唇に笑みを浮かべながら、スタスタとこちらへやってくる。


「ずーっと隠れていたの?

 かくれんぼ、上手だねえ。ずっと隠れていたんだ?」


 男派ニコリと優しい笑顔で首をかしげながらも、すごい速度で私の頭をわしづかみにして、そのまま地面に引き倒した。


「ぅわぶぇっ!!」

「……それとも、今来たばかりなのかな?

 どうやってこの場所に来たの?

 スマホかタブレットか何か、持っているかな?」


 青年は私の隣にしゃがみ込み、なおも優しい笑顔で私に問いかける。

 彼はすうっと私の体や手に視線を走らせて……何も持っていないとみるや、残念そうにため息をついた。


「……。……アンタもはずれの可能性が高いなあ。

 ま、でも、答えてくれないってことは、君も事情を知っているんだよね?

 俺もねえ、こんなことしたくないんだけど、早く帰らないと俺が社長に殺されちゃうんだよねえ」


 そう言って苦笑まじりに頭をポリポリ掻く彼は、これから人を殺そうとしている人間にはとても見えない。……が、次の瞬間に、妙に凄みのある笑みを浮かべた。


「勤務先……█宿なんだよね。ちーさい会社なんだけどさあ。

 場所柄ね、色々あるんだよね。どういう職場だか察してよ、ははっ」

「……」


 無感情な目で形だけの笑い声をあげる青年を前に、私はただ無様にガタガタと震えるしかなかった。


(……ど、どうしよう……どうしよう、どうしよう、どうしよう!!)



 ――前にセラに看破されたように、私には戦闘能力なんてない。

 暴力沙汰は苦手だし、喧嘩だってやったことがない。

 根っからの優等生なのだ。

 出会った当初、私がセラや桐生さんに襲い掛かったのは……他でもない。

『事情が分かっている人間』に先手を取られたら、私は殺される側の人間だと痛感していたからなのだから。


(セラは十五分生き延びてくれって言っていたわね。だけどこれは……)


 私は絶望的な気持ちで青年を見上げた。

 目の前の男を相手に、十五分の追いかけっこ。


 ……無理だ。


 私が死の覚悟を決めたのと、目の前の青年が笑いながら私の首に手をかけたのは、ほぼ同時のことだった。

 そしてその直後に……青く晴れ渡っていたはずの空が、大きく音を立てて割れる。


(え……えっ!?)


 私は目を見開いた。

 青年が驚いた風に立ち上がって天を仰ぐ。

 驚いてるのは私も同じことで……それでもただ空を見上げるしかなく、そこで意識がふつりと途切れた。









 まぶたごしの日の光があまりにまぶしかったので、ほぼ反射的に目を開けた。


「……ん……?」


 あまりに急激に変化した状況に頭が追い付かず、私は何度も目をまばたき、ゆっくりと体を起こした。

 清潔なフローリングの床に散乱する様々な筆跡の書類と、作りかけの演劇の衣装。

 窓は少しだけカーテンが開いており、そこから燦燦さんさんと朝日が差し込んでくる。

 見慣れた……見飽きつつある職場の一室だ。


(……私、かえって、きた……?)


 てっきり病院のベッドで目を覚まして看護師から「貴女は一週間眠っていたのよ」とでも言われるかと思っていた。

 だが、どうやら実質六時間程度の『異世界転移』で済んだらしい。

 私は壁掛けの時計と日付表を見上げ、そんなことを考えた。

 朝日は強いが、まだ早番の職員が来る時間にもなっていない程度の時間帯だ。


(今日、たまたま早番だったから助かったわ……って、ちょっとまって)


 そんなことを考えているうちに、私はとある『事実』にも思いが至り、目の前が真っ暗になった。

 あの異世界は、核と呼ばれる人間が生きている限りは脱出できない。

 裏を返せば、つまり……。



(……つまり、セラは……)


 体中の血が足元に落ちていくような気分がした。

 頬に当たる朝日は温かいが、体が酷く寒かった。



(私がここに帰ってこれた、っていうことは……)



 ……セラが、死んだということだ……。







 そんな出来事があってから、さらに一週間が経つ。


 異世界で出会った友人が死んだという事実はショックだった。

 でも、私は悲しみに沈んでばかりいられるほど贅沢な身分ではなかった。

 何しろ私は█宿の社畜で、持ち帰りの書類仕事も山ほどあるのだ。

 ……しかもこれは、本来は私の仕事でも、今の施設長の仕事でもない。

 数年前に辞めていった前施設長や、職員たちのしりぬぐいである。


(本当、世の中こんなことばっかりよね)


 夜。残業終わりの帰り道。

 気だるい気持ちで帰路につきながらも、私はそんなことを考える。


 教員にしろ、それ以外の仕事にしろ……子ども相手の仕事というものは、目の前の子供を最優先にして仕事をしなければならない。

 それなのに、毎年毎年文科省から指定される『書かなければいけない書類』は増えているし、要求水準も上がっている。


 子供相手の仕事は人材不足と言われて久しい。


 書かなくてはいけない書類が増えても、ただでさえ少ない人員の中、子どもたちだけを放っておいて書類を書くわけには絶対にいかない。

 ……ので、余裕をなくした職員は、まず書類を書かなくなる。

 上にいる人間もすぐ辞めるつもりだったりすると、部下の書類の不備をいちいち指摘したりしない。

 その結果、一行だけの計画書、書かれてさえいない日誌……そんなものが何ヶ月分も、よりによって監査の直前に発覚したりするのだ。


(……疲れた)


 コンビニで夜食を買い、繁華街を離れて西武S宿線で数駅離れた自宅を目指す。

 人気のない帰り路を歩きながら、私は小さなため息をついた。



 監査まであと少し。

 施設の存続にかかわるのだから、休みを潰してでも書類は埋めなければならない。

 その間に、もちろん自分の書類仕事だってやらねばならない。

 本業の保育業務で体はもうクタクタだ。

 だけど、仕事づけの私が弱ってしまうことで、可愛くて大切な子どもたちに不利益があるようなことだけは絶対にあってはならない。

 だから、日中は十分に気をつけて彼ら彼女らと接していかなくては……。

 私はもうどないせいっちゅうねんという思いでマンションのオートロックを開け、一人暮らしの自分の家に入ろうとした。

 と、その時。

 ……自分の家の扉の前に、一人の男がたたずんでいることに気が付いた。


(誰?)


 と、私は首をかしげる。見たことのない人だった。


 ――眼鏡をかけた、穏やかで知的な印象の人だった。

 整った顔立ちの人で、見る人によっては好印象を持つかもしれないが、雑踏に入ったらあっという間に紛れてしまいそうな……そんな感じの男の人。


 私の家の前に立っているのに私がこの人を「ストーカー?」と思わなかったのは、彼から放たれている圧倒的寝不足社畜オーラのせいだろう。

 彼のことは何も知らない。

 だが、こんなにボロボロになってる社畜(多分)人間にストーカーをする余裕があるわけがないと確信できる。

 というか今にも倒れそうだが、大丈夫なんだろうか。



「……ようやく見つけたぞ……エリザベート」

「ぅえっ……!?」


 目の前の男から久しぶりに呼ばれたその名に、思わず声が裏返った。

 私は思わず自分の口を押える。

 男はそんな私の様子に思わずといった様子で苦笑しながらも、


「俺だ。

 ……この見た目じゃピンとこないだろうが……『桐生 総一郎』の見た目をしていた人間だよ」


 と、言った。

 私の手からコンビニの袋が滑り落ち、どさりと音を立ててビニール張りの廊下に転がった。




【本編を読み進めるうえで何の参考にもならない登場人物紹介(ややネタバレ版)】


■ 朝倉 江里華(あさくら えりか)


 エリザベートの中の人。ショートヘアのねこっ毛黒髪ストレート。めっちゃ体が細いというか薄い。

 子供相手の仕事に対しては理念を持って進んだタイプで、体質的な適性はたぶんあまりない。(それでも頑張って体を鍛えてはいるのだが)

 苦労性な上に頭脳労働の出来る子なので、施設長からガンガン仕事を割り振られて死にそうになっている。

 元々はボーイッシュなビジュアル系の恰好かっこうが好きだったものの、服装のことで保護者から苦情が来たらめんどうだと思っているので、通勤時は何のこだわりもないシャツに膝の抜けたパンツといった投げやりな格好をしている。

 化粧っ気がなく体もガリガリなのでモテないかと思いきや、メンヘラ入ったヤバいヤツには妙に好かれるタイプなので、予めガードを張るべく男性全体に対して妙につっけんどんに対応している。本編で桐生さんに対して妙に当たりが強かったのもそのせい。

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