第17話   親子  (没17)

      『 親  子 』   (没17)

 親と子が離れて暮らす時、とにかく親は子供が心配だ。

 大学生になれば自分の経験からも分かっているのに、(ご飯をちゃんと食べているだろうか? 慣れない一人暮らしに体調を崩していないだろうか? 都会の雑踏で事件に巻きこまれやしないか? 友達は? 学校は?)と、親は杞憂に等しいつぶやきを繰り返す。

 しかし、いつ電話を掛けても繋がらず、しまいに留守番電話にそのまま受話器を置いて溜め息をつく自分に親はようやく、子供がもはや親の支配できる掌の中にない現実を知って、わが子が大人の階段を上り始めた年頃に寂しさと喜びの入りまじった心境に陥る。

 それでも母は何やかやと買い溜めてはせっせと荷物を送るものの、ありがとうの電話も用件を済ませば早く切りたい子供は、止まらぬ母の饒舌に愛想ない受け答えに終始する。

 年に二回、盆と正月の帰省では、帰ってきた次の日にもう都会に戻る算段をして親をがっかりさせる。更に、たかだか数日の帰省の間も、かつての友達に会うと言っては外出を繰り返し、夜ふかしに不慣れな親はわが子が何時に帰って来たかさえ知らない。子供たちのために・・と、そそくさと動き回って酒の肴を揃えた父と、久しぶりの一家団欒を心待ちにしていた母は、折角の夕食もいつもどおり夫婦二人の席に互いの愚痴は止まらない。さすがに帰る前日は、寂しげな親にわざと快活に振るまう子供らは父の酒に付き合い、明かりと談笑は夜半過ぎても消えない。ところが再びそれぞれの日常に戻る前に、親は少しでも早く人生の真実を伝えなければ・・という思いから、あえて様々な苦言を呈すけど子供はほとんど聞く耳を持たない。

 親は親の意見を述べ、子供は子供の道を行く。私はそれで良いと思っている。どんなに頑張っても三十年の歳の差は永遠に埋まらないのだから、二十歳の若者に五十のオッサンの考えが理解できるはずはない。人生では自分がその年齢になってようやく分かる真実はたくさんあり、その時に両親の意図を汲めれば良い。それゆえ『冷や酒と親の意見は後から効く』という箴言を説く必要はないだろう。

 明らかに子供たちが今している事はかつて私自身がしていた事の繰り返しに相違なく、私がただ目を細めて彼らを見ているのは、賢明な父母が常に私に寛大であったお陰で私が悔いのない青春時代を送れたからである。

 仮にお互いのわがままでぶつかる時があっても、心の底を語り合えば親子なら必ず分かり合える。もちろん親子だからと言って無理に融合を図る必要はないけれど、わがままも親子なら許せるはずだ。

 親はわが子が他人に迷惑をかけず、真面目に人生を送り、いつの日か温かい家庭を築いてくれれば・・と願っている。子供たちがそうなるまで、とにもかくにも親は心配し続けるものだ。

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