第11話  三ずの川

    『 三 ず の 川 』             (没11)

 私が音楽に狂った出発点はベンチャーズで、初期の曲に『ウォーク、ドント ラン』という傑作がある。邦題は『急がば回れ』と付いていたけど、神業「ノーキー」率いる演奏中心のエレキ・グループだった為に(後に歌詞一つの和訳に拘泥したビートルズやストーンズと違って)、どのタイトルでも日本語訳を気にする必要はなかった。

 本来『急がば回れ』の意味は、「急ぐ時ほど回り道をしてでも確実な方法を採れ」だ。けれども私は『ウォーク、ドント ラン』の訳を「歩け、走るな」の直訳から、『ゆっくり急げ』という意訳に捉え直して、人生に対する教訓の一つにしている。

 若い頃は時間の使い方が本当に下手で、時間を持て余して無為に過ごしたり実に下らない事に浪費したりと、今振り返れば急ぐべき時に漫然と構えて着実に進むべき時に急いで仕損じたように思う。仮に将来タイム・マシンが完成すれば誰も時間で後悔する事はなくなるに違いないが、現実に時間旅行が不可能な現代では時間に縛られるのではなく、自らが時間を支配する意識を常に持つ事でタイム・マシンを完成させることができる。

 実は時間を最も有効に使う方法が『ゆっくり急げ』で、人生の真実の殆どが一朝一夕では体得できないと悟った今の私はとりわけ、『焦らず、弛まず、怠らず』を『三ずの川』と名付けて日々の戒めとしている。つまり、「人生を焦る必要はないけれど、決して弛んで怠惰に過ごしてはいけない」とする自戒の警句で、正に『三ずの川』は人生の残り時間がさして長くないと思える年代に入った私が未だ見果てぬ夢を追い求めるのに実践しなければならない真実になった。と同時に一日が瞬く間に終わって、どれほど進歩があっただろうか?と自問して首を傾げるものの、『三ずの川』を頑張れば必ずゴールに近づく、と己を鼓舞する箴言にもなった。

 ところが同世代の訃報をしばしば耳にすると、不慮の事故以外で命の灯し火が消えてしまう現実が、決して冗談ではなく私にも来ると認めざるを得なくなる。若い頃は酒に酔って気分を悪くする事もなかったし、風邪をひいても一日で治ったのに・・とうつむく時、私にとって『三ずの川』は心にも体にも益々有効な教訓に昇華する。

 人生は他人との競争ではなく、どのように送るかを決める自分との契約である。恐らく今までの人生で最も衝撃を受けた慈父の死を経験して、私は父から様々なメッセージを感じ取ったが、まだ生を授かっている私は黄泉の国に赴く時が来るまで『三ずの川』を渡り続けなければならない。それは今日が明日に繋がっているように、現世の『三ずの川』が来世の『三途の川』に合流し、死後に渡る川向こうにある極楽浄土にたどり着くためには何が大切か?を、父のメッセージから最も強く感じたからに他ならない。

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