第36話:須賀川肇さんの死とカリブクルーズ1

 2006年10月15日早朝、急性心筋梗塞で所沢の防衛医大病院に搬送された

と、息子さんの治さんから電話が入り、徳川泰平と志保さんが、車で病院に

向かった。早期に発見されて、命は助かると言われた。昼過ぎに、心臓の周りの

大きな血管が詰まっていて、そこに、ステントと入れる手術で、ひと安心だが

、他、2ヶ所、血管が詰まり始めてるので1-2年の内に、再度手術が必要だと

言ったが、体力が持つかどうかの問題もあるかもしれないとも言った。


 2006年12月15日に、無事退院した。そうして、2006年が終わり

2007を迎えた。しかし、2007年2月の寒い朝、再度、須賀川肇さんが

胸の苦しみを訴えて、所沢の防衛医大病院に搬送されたが、その時は、心臓の

機能が落ちていて、心臓の蘇生をはかったが願い叶わず、心不全で、息を

引き取った。


 そうして、この徳川泰平と須賀川肇さんの夢の中の話は、他人に一切、

知られること無く終了した。2007年4月に、急に豪ドル高になり、

それ以降、2008年7月迄の16ヶ月間、1万3千豪ドルを16回、

満期解約して、合計21万2千豪ドルとなり、1豪ドル102円で、円に

両替した所2100万円となり、泰平は、円を日本へ少しずつ戻した。

 泰平の実の両親も同額を同様にして、日本に戻した。


 2007年4月に、今年12月からアメリカ、マイアミからカリブ海クルーズ

へ行こうと思っていますが、一緒に行きませんかと、隣に住む、義理の両親に

聞くと、飛行時間が長いので、いかないと言われて、泰平と志保さんの2人で

行く事にした。5月の土日は、義理の両親と4人で車で、横浜の港を見に言き

、中華街でしたり、元町を散歩したりして楽しんだ。6月に、橫浜の先の本牧に

、海釣り公園と言うところを探して、釣り竿を用意した。その後も、早朝に

家を出て、出かけるようになり、車で出かけた。アジやイワシ、イイダコが

つれて、特にイワシが多かったので、天ぷらにして食べた。



 夏になるになると、奥秩父、奥多摩、たまに山梨の八ヶ岳の麓や清里高原

、諏訪湖までドライブして、涼みに行くようになった。秋風が涼しくなると

、清里高原の紅葉の名所に出かけ、多くの写真を撮ってきた。


 その後、徳川太郎の勤めるホンダジェットでは、2007年11月にホンダ

エアロ インク、米国で本社と小型ターボファンエンジンの生産工場の建設を

開始して。多くの日本人技術者が渡米してきた。2007年12月13日に

成田からヒューストン経由でマイアミへ飛んだ。ヒューストンでは、徳川泰平

が、簡単な英語で、チケットをみせて、ヒューストンから行きの飛行機の

乗り場を聞いて、移動でき、無事、マイアミ空港へ到着して、カーニバル

クルーズの東カリブ航路のクルーズ船にのった。


 2007年12月15日、マイアミ港16時出発で、昼過ぎに乗船手続を

して、荷物を預けた。その後、直ぐに、客室に入れるのかと思っていたが、

13時半でないと入れず、レストランへ入ると、ウェルカムドリンクの

シャンパンが配られ、海を眺めながらランチをいただいた。出港前には

全員参加の避難訓練がありました。放送が流れ、それぞれが指定された

救難ボートの前に集まるというもので、全員が指定された場所に行って

、放送の指示通り、非常時の船を離れる方法を訓練した。

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