最終話 二次元少女に愛されて 

 最高の夢は、いつだって最高の瞬間に裏切られる。何とか「そこ」まで行ったのに……僕が最善の方法を選んだ瞬間、その未来がすっかり無くなってしまって。


 僕は憂鬱な顔で、ベッドの上から起き上がった。


「う、ううん」


 僕は、学校の制服に着替えた。着慣れた上着に腕を通して、それから上着の襟元をピシッと正すように。僕は制服に着替え終えると、いつもの準備(髪型が変わっていた事には驚いたが、すぐにどうでも良くなった)を済ませて、家のダイニングに向かった。ダイニングの中では、父さんが今日の朝食を食べていた。いつもの背広を着て、ネクタイの色はいつもと違っていたけど。

 

 僕は、父さんの服装から視線を逸らした。


「おはよう、父さん」


「ああ、おはよう」


 母さんも、僕の挨拶に「おはよう」と応えた。


 母さんは、僕の茶碗によそった。


 僕は、自分の席に座った。


 父さんは、「僕の表情?」に眉を上げた。


「進」


「なに?」


「顔色が悪いぞ?」


「顔色が悪い?」


「ああ」


 父さんは横目で、僕の顔を見つめた。


「学校で何かあったのか?」


 僕は、自分の学校生活を思い返した。あの忌まわしい地獄のような生活を。僕はその光景に苛立ったが、「家の人に知らせるのも癪だ」と思い直して。今の質問に「何もないよ?」と答えた。「本当に何もない。至っていつも通りだよ?」

 

 父さんは、朝食の目玉焼きに視線を戻した。


「そうか。なら」


「ん?」


「彼女についての悩みか?」


「え?」


 僕は、椅子の上から思わず立ち上がった。「この人は一体、何を言っているのだ?」と。この僕が「彼女について悩む」なんて、そんなのは天地が引っ繰り返ってもあり得ない事だった。


 僕は不機嫌な顔で、父さんの顔を睨み付けた。


「それ、何の冗談?」


 父さんの表情が変わった。「冗談?」


 父さんは、僕の顔をまじまじと見た。


「お前」


「たぶん、照れているのよ」


 母さんは、テーブルに僕の御飯と味噌汁を運んだ。


「自分の親に心配されて。そう言うのは、ほら? 自分の親には、あまり知られたくないし」


 母さんは、僕に「ね?」とウインクした。


 僕は、そのウインクに(何故か)腹が立った。


「さっきから、彼女、彼女、彼女って! くっ! 僕の趣味がそんなに許せないの?」


「す、進?」


 僕は、母さんの手を振り払った。


「三次元の女なんて大嫌いだ!」


 僕は、ダイニングの扉に向かって歩き出した。


 母さんは、その背中に向かって叫んだ。


「朝ご飯は?」


「要らない」


 母さんは、僕の所に弁当を持って行った。


「忘れ物!」


 僕は、その弁当を受け取らなかった。


「要らないよ。今日は、コンビニのパンを買う!」


「なっ」


 母さんは僕の後を追い掛けたが、その努力は文字通りの徒労に終わった。


 僕は自分の部屋に戻ると、学校の鞄を背負って、いつのも待ち合わせ場所に向かった。いつもの待ち合わせ場所では……どうしたのだろう? みんなの姿が見られない。自分の周りを見渡してみても……視界に入ってくるのは、僕の様子に首を傾げる女子児童と、その周りを歩く小学生しかいなかった。


 僕は、自分の正面に向き直った。


「今日って、何かあったけ?」


 学校に早く行かなければならない用事が。でも……。


「そんな用事があるんなら、絶対に忘れない筈だし」


 それに友達の誰かが連絡を寄越す事も。


 僕はその疑問をしばらく考えたが、「まあ、学校に行けば分かるだろう」と思い直して、お馴染みのコンビニに行った。


「そう言えば」


 僕は今日の昼食を買って、コンビニの中から出た。


「どうして、スマホの事を忘れていたんだろう?」


 いつもなら絶対に忘れないのに、どうして?


 僕は、学校の中に入った。


「今日は、変な一日だな」


 僕は憂鬱な顔で、自分の教室に向かった。教室の中は、静かだった。廊下側の列に座った生徒達はもちろん、普段は五月蠅い女子達ですら、黙って僕の事を眺めつづけていた。

 

 僕は、その光景に震え上がった。「何なんだ。これは?」と。僕は何も、みんなから見られるような事をしていないのに。「まさか!」


 僕は、女子の一人に目をやった。僕の事をいつもからかって、「それ」を楽しんでいる女子使徒。僕はその女子生徒、根岸香菜が死ぬほど嫌いだった。

 

 根岸さん(一応、「さん」付けで)は、僕の前に歩み寄った。


「片瀬くん」


「な、なに?」


 彼女は、僕の目を見つめた。とても悲しげな顔で。彼女は、その雰囲気に俯くと……。


「え?」


 僕は、頬の痛みに驚いた。「バチン」と言う音と共に。僕は左の頬を押さえると、間抜けな顔で正面の彼女に意識を戻した。


 根岸さんは(何故か)、泣いていた。


「どうして?」


「はい?」


 彼女はまた、僕の頬を叩いた。


「どうして? どうして? どうしてよ?」

 

 彼女は僕の身体を押し倒すと、鬼のような形相で「アンタ!」と馬乗りになった。

 

 僕は、その動きに怯んだ。


「なっ!」


 彼女は、僕の上半身を殴った。「思い出せ!」、「思い出せ!」、「思い出せ!」と。周りのみんなから「止めろ!」と止められるまで。彼女は、僕の身体を殴りつづけた。

 

 僕は、彼女の身体から何とか離れた。


「はあはあ、一体、何なの? これは」


 僕は、周りの奴らを睨み付けた。


「僕に対する嫌がらせ? うっ」


 今度は、友達の男子に殴られた。「進!」


 男子は、僕の胸倉を掴んだ。


「なんで? どうしてだよ? お前は」


 彼の涙が見えた。


「『最後まで諦めない』って言っていたじゃねぇか?」


 他の友達も、その言葉に涙を流した。


 僕は、彼らの反応に戸惑った。


 最後まで諦めないって? 何を? 僕は……。


「一体?」

 

 僕は、言いようのない吐き気を覚えた。


「うっ」

 

 男子達は、僕の異変に気付いた。


「進!」


「頭が痛い!」


 女子達が(井口さん、友永さん、宮本さん)、僕の所に駆け寄った。


「片瀬くん!」


「しっかりして!」


「今、悪魔を取り払うから!」


 女子達は「奇妙な呪文?」と唱え出したが、根岸香菜のグループから「そんなモノ、効くわけがないでしょう?」と止められてしまった。

 

 僕は、床の上に倒れた。


「う、うううっ」


 周りの奴らは、その様子に戦いた。


「お、おい、ヤバいって! これは」


「誰か保健室に連れて行け!」


 彼らは、自分の不安を叫び続けた。だが、「片瀬」


 周りの声が無くなった。たぶん、今の声に反応して。声の主(六道君?)は僕に近付くと、確かな力で僕の手を引っ張った。


 僕は、床の上に立ち上がった。


「う、ううう」


 僕は、彼の顔を見た。同じクラスだがほとんど話した事のない、女子にモテモテな彼の顔を。僕は虚ろな目で、彼の顔を見つづけた。


 彼は、僕の手を放した。


「君に会って欲しい人達がいるんだ」


「え?」


 僕に合って欲しい人達? それは、「どんな人達なの?」

 

 教室の後ろからすすり泣きが聞こえ来た。

 

 六道君は、その声を無視した。


「とても大事な人達。今の君は、覚えていないだろうけど」


 彼は「ニコッ」と笑って、教室の中から出て行った。


 僕は、近くの友達に目をやった。


「何処に行ったの?」


「先生の所さ。そこに『あの人達』がいる」


「そう」


 僕は不安な顔で、その人達が現れるのを待った。その人達は、すぐに現れた。自分達の前に「六道君」と「先生」を連れて。彼女達は教室の中に入ると……三人の横にいるのは、先生の奥さんだろうか? 「みのり」と呼ぶ先生の声が、他のそれと違う。周りの三人も、彼女には敬意を払っているようだ。

 

 僕は、その「みのりさん」に震え上がった。

 

 みのりさんは「ニコッ」と笑って、僕の所に歩み寄った。


「久しぶりだね、片瀬くん。あ! この場合は、『初めまして』かな? うちの主人がいつもお世話になっています」


「あ、はい、こちらこそ! お世話になっています、みのりさん」


「え?」


 みのりさんの目が輝いた。


「今、私の名前を!」


「は、はい。先生が呼んでいたのを聞いて」


 彼女の目が暗くなった。


「そ、そう」


 ハハハ、と、彼女は笑った。


「だよねぇー」


 僕は、彼女の苦笑に首を傾げた。


「あ、あの?」


「んん?」


「以前、何処かで会った事が?」


「うん」と、彼女の涙が光った。「あなたの大事な場所で。私は」


 彼女は、近くの三人(正確には、真ん中の女子中学生?)に目をやった。


 僕は、その女子中学生を見つめた。黒の真珠を思わせるような黒髪、髪の長さは「セミロング」くらいだろうか? 彼女の隣に経つ「女子高生?」よりは短いが、肩の辺りまで真っ直ぐに伸びている。瞳の色は、僕と同じブラウンだ。身長は、女子の標準と同程度。体型の方は、標準よりも少し痩せていた。

 

 僕は、その姿に苛立った。理由の方は良く分からないけど……とにかく、「イライラ」して仕方なかった。彼女を見ていると、腹の底が煮えくり返ってくる。まるで「長年の仇敵」にでも会ったかのように、すべての怒りが沸々と沸いて来た。

 

 僕は、目の前の少女を睨んだ。


「だれ?」


 少女の目から涙が溢れた(どうして?)。


「あ……」


 少女は、僕の前に歩み寄った。自分の隣に立っていた、「小学生?」の声を無視して。彼女は僕の目を見つめると、哀しげな顔で「クスッ」と微笑んだ。


「あなたの彼女です」


「え?」


 僕は、今の一言に混乱した。


「僕の、彼女?」


「はい」


 わたしは! と、彼女は叫んだ。


「幕内理穂子です」


「ま、く、う、ち、り、ほ、こ?」


 喉の奥が苦しくなった。


「……止めろ」


 僕は両手で、自分の耳を塞いだ。


「その名前を聞きたくない! 僕は」


 僕は、その場に泣き崩れた。


 周りの奴らは、僕の近くに駆け寄った。とても哀しげな顔で。先程の小学生も、「スーちゃん、しっかりして!」と走り寄って来た。

 

 彼女は、僕の身体を抱きしめた。とても温かい手つきで。だが!

 

 僕は、その感触に嫌悪感を覚えた。


「離れろ」


「え?」


「良いから、今すぐ離れるんだ!」


 彼女は、その怒声に項垂れた。


「スーちゃん……」


 僕は、彼女の顔から視線を逸らした。彼女が「うわんっ」と泣き出した瞬間、近くの女高生が「片瀬君」と話し掛けて来たからだ。


 彼女は僕の前に跪くと、哀しげな顔で僕の頭を撫ではじめた。


「ごめんなさい」

 

 僕は、その謝罪に苛立った。


「なにが、ですか?」


「こうなってしまった事の全部よ。あたし達は、君の大事なモノを壊してしまっ

た」


「僕の、大事なモノ?」


 僕は、正面の彼女を睨んだ。


「あなたは、誰です?」


 彼女の笑みが見えた。


「天道寺秋音。そして、この子が」


 彼女は、小学生の頭を撫でた。


「富田こころちゃんよ? あたし達は」


「天道寺秋音? 富田こころ?」


「君の事が大好きだった」


 頭の奥がまた、痛くなった。


「いや、だ。嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! もう、これ以上」


 僕の事を苦しめないで下さい……。


「あなた達は一体、何なんです?」


 僕の前にいきなり現れて。


 そればかりか、こんな僕の事を好き……。くっ!


「ふざけるのも大概にして下さい! 僕は」


 あなた達の事なんて、ちっとも……。


 僕は、彼女の顔から視線を逸らした。


「三次元の女が大嫌いだ」


 彼女の声が小さくなった。「そう」


 彼女は、僕の頬に触れた。


「なら、あたし達は大丈夫ね」


 一瞬、彼女の言葉に混乱した。


「何を言っているんです? あなた達は、どう見ても『人間』でしょう? 生身の身体を持った、それなのに?」


「世の中には、不思議な事がある」


 彼女は、僕の頬から手を離した。


「たとえ、今の君が覚えていなくても。あたし達は、君の好きな二次元少女なのよ」


「進くん」と、幕内理穂子が僕に抱きついた。「わたしの事が嫌いでも良い。それでも」

 

 彼女は、僕の唇に……何をしたのだ? 一瞬の事で、ほとんど分からなかったけど。僕の顔から離れた「それ」は、夕日のように真っ赤に染まっていた。

 

 彼女はまた、僕の身体を抱きしめた。


「あなたの事が好きです」

 

 僕は、その言葉に涙を流した。本当は、凄く気持ち悪い言葉だったのに。何故か、両目の涙が止まらなかった。

 

 僕は、教室の女子達を見渡した。僕の人格そのものを蔑み、そして、見下していた女子達の顔を。僕は……。

 

 女子達は、今の光景に涙していた。近くの女子達と抱き合ったり、「僕の不幸?」を哀れんだりして。彼女はクラス一の美少年が「大丈夫?」と宥めても、その嗚咽を決して止めようとしなかった。

 

 僕は、その光景に驚いた。「アイツらは何故、泣いているのだ?」と。僕はその答えをしばらく考えたが……もう良い。もう良いよ。これ以上考えたって、何も分かりっこしないのだ。自分の周りを見渡しても、帰ってくるのは「空っぽな答え」だけ。なら、今の状況を受け入れよう。

 それが「どんなに嫌な事だ」としても、今の僕には「それ」を選ぶ事しかできなかった。自分でも「信じられない」と言う状況を。


「僕は」


 うん……。


 二次元少女に愛されているようです。

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