第29話:鉄郎、東大卒業しNTTドコモに就職
この頃に光ファイバーのインターネット100M時代を迎え、札幌のビルでも
使い始め証券会社も大手証券からネット証券に切り替えた。株式市場が上がって
来て2005年11月にヤフーを18400万円で売り16530の利益を得て
残金が11.3億円になった。12月になり、あっという間に2006年になった。
2006年には幸夫おじさんと母の安江さんは、こちらの快適さに負けて10
月から3月までは沖縄・那覇で過ごし4月から6月は横浜で過ごすようになった。
息子の哲郎は、この2人の老人がタクシーで3分で横浜駅、また10分で元町、
中華街、みなとみらい21、山下公園などどこでも行けてレストランも洋食から
中華、和食まで旨い店も多く景色も良く、こちらに住む様になるのをよくわかる
気がした。
この年にシティバンクの札幌支店が閉鎖されると言う情報が入り、そこで寛太
が幸夫の許可を得て投資関連の事務所の閉鎖を3月に決めた。ちょうどその頃、
良三の友人の整形外科医がクリニックを探しており、このビルの4階を使いたい
とい言う情報が入り寛太が整形外科を開業したがっている小平昇平を紹介してく
れ月30万円の家賃で貸すことにした。
その後、やむなくシティバンクから他の日本の銀行をメインバンクにする事に
した。ただシティバンクが世界中の投資情報や、ヘッジファンド、海外支店での
口座開設、プライベートバンク情報など、今まで知ることができない貴重な情報
を教えてくれ、また更に勉強会で、より詳しい情報を提供してくれたのは、大変
助かった。日本の財務省(旧大蔵省)は余計な入れ智惠をするなとばかりに数回
にわたる行政処分をかして日本を再び金融鎖国の状態にして取れる所から手当た
り次第に税金を取るという悪代官ぶりを益々、発揮してきた。その後も日本国民
に知られない様に水面下で毎年、数十行の銀行の救済合併という名の銀行倒産が
おきて日本経済がドンドン収縮していった。
この年2007年にシティバンクは日本の三井住友系の銀行、支店、ATM、
従業員を渡し、売却して個人向け営業から撤退した。ただ、東京支店と企業向け
の営業は継続しており、一部の大口顧客は、例外的に取引をしていた様だ。
その他、寛太の息子の鉄郎が3月に東大工学部を卒業し4月にNTTドコモに
入社してスマートフォンのプログラムの研究をする部署に配属され、5月に寛太
と君恵が横浜のマンションに行き鉄郎に就職祝いの話をすると子供じゃないから、
いらないと言い、月10万円の仕送りでやって行けたし、今は、この豪華な広い
マンションに住んでいて、経費は全て親父の支払いになっているので大丈夫だと
言い、むしろ感謝してると言った。
2007年10月、母の安江さんと幸夫おじさんは、那覇から石垣島、西表島
、竹富島では牛車に引かれて島を回り星の砂を買ってきた。また来年は、石垣島
の先の波照間島、与那国島も行ってみたいと考えた。その他、宮古島、久米島、
座間味島にも興味を持ったらしい。マンションを購入した不動産屋の人と仲良く
なり、海釣りに連れって言ったもらったのが、随分うれしかったようで、北海道
に帰ってきても、みんなに話していた。
幸夫おじさんは苫小牧でも横浜、那覇のマンションを嵐山家のファミリーに、
解放して出かける予定をカレンダーに書いてもらい行く前にマンションのキーを
渡す様になった。無料と言う訳にはいかないと言うので1人1泊5千円をいただく
事にした。投資の方では2001年に買った1千万円分のチャイナファンドが
急上昇したので2007年10月に6500万円で売却できた。
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