第2話 β:目覚め
気がついた時、俺の視界は狭かった。唇に柔らかい感触。
状況はさっきのままだ・・・
そうか、それが普通なんじゃないか。前がたまたま、奇跡的にそうなっただけで普通はあんなことにならないんだよ。
よくよく考えてみれば、一度起きたから二度目があるという考えが間違っていた。二度あることは三度あるというが、一度あることは二度あるというのは少し強引過ぎる。
そんなことより、今はアシアがどんなリアクションをするかが気になった。
「おい、アシア起きろ、俺らなんとも・・・」
・・・なくはなかった。
顔を離して気が付いた。そもそも目の前にいるのがアシアじゃない。
黒い髪の毛が肩まで伸びた少女。今朝の夢に出てきた少女と全くの同一人物がそこにいた。
懐かしく感じたのは、こっちの世界で会っていたからか。それより、俺は今こいつと何してたんだ?やっぱり、キスなのか・・・
ほんのりと残る唇の感触。アシアより柔らかかった・・・って、俺は何を考えてるんだ。そうだ、アシアは?
俺はその場でクルッと一回転した。河原、橋、芝生の坂。どこか懐かしい風景。しかしそこに、アシアの姿は無かった。
やっぱり来てしまったんだな、夢の世界に。しかも前と全く同じ夢。アシアの言った通りだ。今頃はあいつも俺を探しているんだろうな・・・
ダラダラと考えていてもらちがあかないので、とりあえず情報収集から始めることにした。こっちでの記憶はもうあんまり残ってない。俺がこっちでなんて呼ばれていたのかすらもう忘れた。今度はいつ戻れるかも分からないからこっちでしばらく生きる覚悟をしないと。前は十五年だったからな・・・
俺は目の前で目を閉じたまま座っている制服の少女に目を向けた。ちなみに俺も制服だった。
セミロングの黒髪に整った顔。座っているから正確に分からないが多分高身長。なんというか、生徒会長でもやっていそうだ。スタイルは・・・いや、なんでもない。何にせよさっきまで俺とキスしてたんだ。俺のことはよく知って・・・
「てめぇ、今あたしの胸見て何か考えただろ!」
「うおっ!?」
別に、胸だけ他に追いついていないなとか考え・・・すいませんやっぱり考えていました。
いつの間にか目を覚ましていたらしい。でもって俺は、容姿に似合わない荒々しさに少々戸惑っている。予想をひっくり返す口の悪さだ。生徒会長ではなさそうだな。
「・・・もしかして、敦也君?」
少女は首を傾げながら俺の顔を見つめる。そう、俺のイメージはこんな感じで・・・
「え!?」
「どうしたの?」
「あ、いや・・・」
さっきまのキャラはどうしたんだよ。
少女が駆け寄って来る。
「やっぱり、敦也君だ・・・」
顔が近い。って、今涙が。どうして泣く?ついさっきまでキスしていた相手の顔を見ただけだろう。
いや、そもそもおかしいな。さっきまでキスしていたやつの顔をみて、もしかして○○君?なんて聞くわけ無いだろ、今の俺なら有り得るけど。今の俺と同じ境遇なら・・・
「あっ。」
「えっ?」っと、少女は肩をビクつかせて言った。
「あのさあ、一つ聞いても良いかな。」
「えっ・・うん。」
とっさに思いついたのがこれだった。
「ペテルギアって、知ってるか?」
少女は黙って考えるような素振りを見せた。
「悪い、知らないよな。いいんだ別に・・・」
「知ってるよ。」
さすがにそんな偶然はな・・・
「知ってるのか!?」
俺は思わず少女に迫り寄った。
少女の肩が上がる。
「あ、すまない。」
「敦也君も・・・そうなの?」
「も」ってことは、やっぱりこの娘も・・・
「ああ、俺は王都で騎士をやっていたんだが、あることがきっかけでこっちの世界に来てしまった。」
「王都の騎士?」
「あ、なんか自慢みたいでうざかったな。」
「ううん、いいの。それより、向こうでの名前は?」
「アスラ=シウリス。」
それを聞いた途端、少女の顔が曇った。
少女はうつむいたまま・・・
「そうか、アドロア=シウリスの息子か・・・」
「どうして父の名を?」
「本人じゃねえが、この際息子でも構わねえ。」
何を言っているのかさっぱりだ。気付けばさっきまでの口調に戻っているし・・・
「覚悟しろ、父の仇!」
「はあ?」
瞬間、顔の前に繰り出された拳。俺は反射的にその腕を掴んだ。思っていたより軽い。
「仇?何か知らないけど一旦落ち着けよ。」
「親を殺したやつの息子が目の前にいるんだ。落ち着いてられるか!」
「俺の親父が何をしたのか分からないが、俺には関係ないだろ。それに、今は現実に戻ることの方が大事じゃないのか?」
「現実・・・」
その瞬間力が弱まり、その拍子で俺はバランスを崩し・・・
「いたっ・・・」
「あ、すまん。」
ベタだな。さすが夢と言うべきか。
俺は仰向けになる少女の上に四つん這いの格好で覆いかぶさっていた。さっきまで狂気に満ちていた少女はというと・・・なぜだか分からないうちに大人しくなっていた。
そして少女はそのままの体勢で呟いた。
「そうか。そうだよね。現実に戻って来れたんだから、夢であったことなんてどうでもいいよね・・・私、何考えてるんだろう。」
さっきまでの話し方に戻ってそう言った。俺はそのまま横に転がって、寝転ぶ彼女の隣に同じように寝転んだ。
俺とは何かずれている気がする。現実に戻って来れた・・・か。
「さっきの言葉、敦也君も同じ夢を見ていたんだね。」
少女はそう言った。ちなみに今更だが、この世界での俺の名は敦也らしい。そういえば今朝の夢でも俺はそう呼ばれていたな。
「なんか映画みたいだね。」
少女は笑った。さっきまでの狂乱ぶりが嘘のようだ。
「私ね、六年くらい夢の中にいた気がするの。敦也君もそうだった?」
やっぱりそうか。まさか俺と同じ境遇の者がアシア以外にもいたとは・・・
それより―
「なあ、さっきから何言ってんだ?夢を見ていた?夢を見ているのはむしろ今なんじゃないのか?」
そうだ、今俺はアシアとキスしたせいで夢を見ているんだ。
「まあ、あれだけ長い夢だと、現実と錯覚してもおかしくないよね。」
いや、そうじゃない。俺には分かる。確かに俺はあっちで最初に生まれたんだ。こっちでの誕生は現実で言う六年前だった。
「まあ、こっちが現実なんだっていう証拠もないんだけどね。」
かと思いきや、今度はそんなことを言う。前言撤回も甚だしい。
「私はね。ただ、こっちが現実であって欲しいって思ってるだけ。だって、こっちでの人生の方が明るいし、何より私は、この世界であなたを愛したから。それが全部夢だなんて思いたくないから・・・」
それを聞いた瞬間、急に後ろめたい気持ちになった。
「なあ。」
だから・・・
「ん?」
俺はこの時決めた。
「正直に言うよ。ごめん。俺、こっちでのこと、ほとんど覚えてない。お前の名前も思い出せない。」
少女が暗くなるが分かった。
「・・・そうだよね。だってあなたにとってこっちは夢なんだも・・・」
「だから!」
少女は顔を上げた。よく見ると目が涙ぐんでいる。
「だからさあ。俺に教えてくれないか?この世界でのこと・・・」
「え?」
この少女の言う通りだ。前にこの世界に来た時、俺は十六年間生きて、この少女と出会って、そして恋をした。それを無理に夢だと思い込む必要は無かったんだ。どっちも現実。それで良かった。それに、俺がここに来るのは二度目。それを夢の一文字で済ませて言い訳がない。
「ここにいる間はここが現実。とりあえず今はそれで良いかなって・・・」
ただ、夢でないなら何なのかっていう疑問が残るわけだが、そんなのは後で考えればいい。とりあえず今は・・・
「で、教えてくれるか?」
初め、驚いた顔をしていた少女は、やがて小さく微笑んだ後、
「・・・うん。分かった。」
涙を拭うなりそう言った。
「これからよろしく、えっと・・・」
「詞弥。」
「えっ?」
「だから、私の名前。」
「ああ・・・よろしくな。」
詞弥か。一瞬アシアかと思って驚いた。今頃上手くやってるかな・・・もしかしたら、既に記憶喪失者扱いを受けているかもしれない。
「呼んでくれないの?」
「え、何を?」
「詞弥って。」
むっとした表情。その時の顔は今朝あっちの世界で見た夢の中に出てきた少女そのものだった。今思えばあの夢は俺がこの世界に来ることの暗示だったのかもしれない・・・
「ねえ?」
「・・・会っていきなり下の名前で呼ぶってのは・・・なあ、名字はなんて言うんだ?」
「呼んでくれないなら教えない。」
いたずらっぽく笑う。まあこの手のやつは呼んだところで教えてはくれないだろうな。教えたら次から名字で呼ばれるのだから。
「それに、会ってすぐじゃないよ、私達。」
「確かに事実上そうだけど。ええ、でも・・・」
今の俺は、目の前の美人と口づけを交わした時の俺とは全く別の記憶を持った、いわば外見そのままの別人なんだぞ。関係は最初からやり直す方が良いと思うのだが。
「さっき、敦也くん言ったよね。この世界でのこと教えてくれって。」
「まあ、確かに言ったけど・・・」
「だから、教えてあげます。」
詞弥大先生は得意気に言った。
「この世界では私達、仲良しカップルとして学校でも結構有名なんですよ。」
有名って言っても、いい意味じゃないだろそれ。完全に妬みの対象だろ。
「もうそれは非リアどころかリア充にとっても憧れのカップル像なんですから。」
「リア充が非リアって単語を発するのは嫌われるから辞めとけ。」
「あ、確かにそうですね。」
これは多分知らないうちに周りの人を傷つけてるタイプだな。あと俺が思うに、憧れられている理由は、仲の良さとか以前にビジュアルの方な気がする。
自分で言うのもなんだが、俺もそこそこな方だし、何より、目の前にいる深夜アニメの女生徒会長的ビジュアルこそ、憧れの的となった大きな要因な気がする。
「とにかく、分かったでしょ。」
「何が?」
「はぁ~。それでも主席なの?」
「え、俺主席なの?」
「うん、しかも高校に入学してから今までずっと。」
確かにあっちでも成績は優秀で、高校卒業後は成績不振者だったアシア姫の騎士兼参謀にも推薦されたわけで、ただまあ、キス禁止という普通に聞くと馬鹿みたいな条件付きだったが・・・
それなら最初から俺以外を騎士に推薦すればよかったんじゃないのか。結果俺達は条件を無視してこうしてこっちの世界に来てしまっているんだし。何を考えての俺なのかがさっぱり分からない。
「で、さっきの話だけどつまりですね、私達が学校で名字呼びしているところを誰かが見たら、絶対変な詮索をされると思うのです。」
「自意識高いですね。」
「美人生徒会長ですから。」
自分で言ってしまうのか。あと、本当に生徒会長だったのか!?
「生徒会長ってことは、俺達は二年生か?」
「ううん、一年だよ。」
と、人差し指を出しながら当たり前のように答える。
「え、一年なの?」
てっきり生徒会長は二年でしかなれないと思っていた。
「二年生で生徒会長に立候補した人が一人いたらしいんだけど、その先輩が選挙直前の中間試験で赤点を三つ取って、担任に強制的に辞退させられたらしいの。で、もうひとりの立候補者だった私がそのまま就任したってわけね。」
というか、一年で生徒会長に立候補するあたりすごいな。普通一年は書記か会計スタートだろ。よっぽどの自信家だな。
「そういえば何の話してたんだっけ?」
「お前の自意識が高いって話だろ。」
「ああ、そうだ。呼び方の話だ。」
聞けよ・・・
「記憶喪失がバレたら色々と面倒くさいでしょ。」
「まあ、確かに。」
あっちの世界で一度経験しているから分かる。
「だから敦也くんは今まで通りにしないと行けないのよ。」
「それは・・・一理あるな。」
「でしょ。だから、さあ、恋人の私を呼び捨てしなさい。」
「え、今言うのか?」
「はぁ、しょうがない。雰囲気作ったげる。」
しきりに腕が重くなる。
「く、くっつき過ぎだ!」
「やだ、敦也さんったら、いつものことじゃない。」
「新婚夫婦のやり取りだろこれ。」
「もう、つれないわね。」
「それより、腕組は辞めよう。恥ずいから。」
「確かにこれは初めてしたわ。」
いつものことじゃなかったのか・・・
「いつも通りにしてくれ・・・」
「はいはい、分かりましたよ。」
腕の締め付け感がなくなり、今度は手のひらに手のひらが触れる。指の一本一本が指と指の間に収まり、指先が手の甲に触れる。
「・・・なんかこっちの方がドキドキするね。」
「・・・あ、ああ。」
それについては同感だ。
「なあ詞弥。」
「なに?・・・って、ぁああ!」
「どうした?」
「いや、いやあ、自然過て・・・」
「合格か?」
「それはもう、主席合格だよ。」
いいね!と言わんばかりに親指を立てる。
「そりゃどうも。」
案外自分でも驚いている。手を握っていると、何故か自然と言葉に出た。記憶は戻っていないが、どこか感覚的なところで思い出しでもしたのだろうか。
「ねえ、敦也君。」
「なんだ。」
「もっかい言ってもらっていい?」
「嫌だ。」
「ケチぃ~」
「いいじゃん一回くらい」とか「あ、もしかして恥ずかしがってる?かわいいな~」とか言う詞弥には目もくれず、俺はオレンジに輝く川を眺めていた。
「もう夕方だな・・・」
「あ、ほんとだ。敦也くん、家の場所分かんないでしょ。」
「あ、そういえば考えてなかった。」
この世界の俺には、この世界の家が、家族がいるわけだ。あんまり思い出せないな・・・
「私が送ったげる。」
「良いのか?」
「私の家と近いし。」
「こっち。」と言う詞弥に手を引かれ、俺はすぐそこに見えていた橋を渡った。
「あれ・・・」
あれ?って、そんな事言わないでくれ。あんたが唯一の頼りなんだ。不安になるだろう。
「この橋はいつも渡ってたんだよね・・・でももう渡った後なのかな・・・」
ふと思い出す。こっちのことよく話すからつい忘れていたが、詞弥もこっちに来るのは六年ぶりなんだったな・・・
「あ、多分こっちだ。」
先が思いやられそうだ。
「さあ行こ。」
「あ、ああ。」
その後も俺は、詞弥の自信無さげ発言を聞きながら引っ張りまわされるのだった・・・
で、着いたのが。
「駅・・・」
と、詞弥。
「ああ、ここ地元じゃなかったのか。高校の最寄り駅ってとこか?」
まあ確かに、高校生は大体住んでる地域が違うもんだしな。高校で出来た彼女と住んでいる地域が一緒ってことはあんまり無いわな。俺はポケットに手を突っ込んだ。やっぱり入ってる。
「先に中入ってるぞ。」
俺が手に持っていたICカードをかざそうとすると、
「ちょっとストップ!」
「なんだ、定期券ならポケットかカバンに・・・」
「うん、それは分かってるよ。だからそうじゃなくて・・・」
そうじゃなかったらどうしたんだよ。
「ごめん、間違えた。」
両手を合わせた詞弥が頭を下げている。
「あ、マジすか。」
「うん・・・さっきの橋、逆だった・・・」
最初から間違ってるじゃないか。いや、何も覚えていない俺が言えることじゃないけど。
「まあ、詞弥にとってもこの街は六年ぶりなわけだし、仕方ないよな・・・」
「ごめんね。」
「じゃあ、戻るか。」
「うん・・・」
言いながらも動かなかった詞弥だったので、
「え、あっ。敦也君!?」
今度は俺が詞弥の手を引いた。
「何を気にしてるんだ?」
「・・・私さ、向こうでの六年間、ずっとこっちのことを考えながら過ごしてたの。こっちが夢だってことを認めたくなかったから・・・」
手から震えが伝わってくる。
「・・・でも、戻ってきて気付いた。私、この世界のことちゃんと覚えていなかった。私にとって、この世界はそんなものだったんだなって思うと・・・」
「そうでもないだろう。」
「え?」
「詞弥はさあ、六年前にあった出来事を詳細に語れるか?まあ衝撃的な記憶とか、印象の強い記憶なら覚えているだろうが、それでも断片的にしか話せないだろ。その前後に何があったか、その時誰が何を言ったか、そこまで細かく話すなんて正直無理な話だ。」
そうだろと、俺は詞弥に尋ねた。
「・・・うん。」
「この世界での記憶が欠けているのは、詞弥がこの世界を捨てたからなんかじゃない。記憶なんてのは時が経てば自然に消えていくものなんだよ。むしろ詞弥はよく覚えている方だと思うよ。詞弥は誰よりもこの世界を大切に思ってる。だって同じ期間眠っていたのに、俺は全部忘れてるんだぜ。」
「自慢にならないよ、それ。」
詞弥は軽く笑って見せた。
「ほんとにね・・・」
横目で詞弥を見る。その目は、もう下を見ていなかった。
「そういえば敦也君、車とか電車とか見ても驚かないんだね。私のことは忘れたくせに・・・」
「いや、交通機関はあっちにも同じくらいあっただろ?」
「へ~、やっぱり王都住まいは違うね。所詮私は田舎者ですよ~。」
「そういえばお前、向こうだと別人なんだな。」
「あ、シヴァちゃん?」
「誰だよ。」
「向こうのあたし。シヴァって名前なの。なんか詞弥と似てるよね。」
確かに。そういえば俺の名前もアスラと敦也。少し似ている気がする・・・
「さっきの質問の答えだけど、育った環境のせいだよ多分。」
「どんな環境で過ごせば、あんな野蛮な喋りになるんだよ・・・」
山賊出身か?
色々と聞きたいことが浮上してきたが、残念ながらさっきの橋に到着。
「またベタな場所でキスしたもんだな・・・」
橋の上からさっきいた芝生を眺める。
「ベタだから良いんだよ。」
隣で詞弥が言った。
「そうだな・・・」
なんだか、前にもこんな風にしていたことがあるような気がした。
さて、思いにふけるのはこれぐらいにして、俺達は日が暮れるまでに家に帰らなければならない。ここからは再び詞弥先生にバトンタッチだ。
「こっからは頼んだぞ、詞弥先生。」
「今度こそ任せたまえ。」
結局この後、俺達は何度か迷い、それでも着実に家との距離は縮まって行った。
駅を出て三十分・・・・
「ありがとうな。」
「どういたしまして。思ったより近かったんだね・・・すごい遠回りしちゃったよ。」
「まあ、そのおかげで色々聞けたし・・・そういや詞弥、一人で家帰れるか?」
最初は覚えていると思っていたから心配していなかったが・・・
「ほんとに近いから、安心して。絶対迷わない自身あるから。」
と言われてもな・・・
「じゃあ敦也君、家族との再開頑張ってね。」
そう言い残して去っていった詞弥は・・・すぐ横の扉に入っていった。はは・・・俺ら、いつから付き合ってたんだろう・・・
詞弥のことは後にして、今の俺には最優先事項が他にあった。家族との六年越しの再開。
しかし問題なのは六年のブランクが俺にのみあるってことだ。家族は俺を見て驚きもしないだろうし、普段通りに話してくるだろう。俺はそれに自然な感じで返さなければならない。
ちなみに、さっきの帰り道の中で、詞弥が俺の家族について色々教えてくれたのでどんな人がいるかは分かっている。
なぜそんなことまで知ってるのかと俺が聞いた時、あいつは「彼女なら知ってて当然でしょ。」などと言っていたが、ここに来てその真相が幼馴染だからということに気付いた。
ちなみに俺の家庭は、母、俺、弟の三人で構成されたシングルマザー世帯らしい。ポケットに入っていたスマホの中に写真もあった。
スマホにはパスワードが掛かっていたが、最近のスマホは便利なもので、俺が親指をかざすだけでロックは解除された。中身が別人でも体が同じなら良いらしい。
その他俺の呼び方、逆に俺がどう呼んでいたかなど、最低限度必要な情報を見に付けて今玄関に立っている。表札には『荒川』の二文字。ここに来て、ようやく自分のフルネームを言えるようになったわけだ。
一度深呼吸をする。そーっとドアに手を伸ばし・・・なんだこの絵面は。はたから見れば、家出した高校生が結局行く宛もなく、渋々帰ってきたみたいじゃないか。まあ、俺は実際六年間家出していたようなもんなんだけど・・・
「あ、敦也やん。ナイスタイミング~。お母さん家の鍵忘れちゃってて・・・」
・・・あーしまった。このパターン考えてなかった。てっきり家にはもう全員帰っているものだと思っていた。
とりあえず俺は後ろに振り返り、
「おかえり・・・か、母さん?」
「どうしたん?」
「いや別に・・・」
写真ってあれ、十年くらい前に撮ったやつのはずだよな・・・
なのに俺の前にいたのは二十代後半くらいの女性だった。いや、母親のはずなんだけど・・・
「母さん何歳だっけ?」とはさすがにこのタイミングでは聞けないか。
「寒いからはよドア開けて。」
「あ、ごめん。あれ、鍵どこだ?」
「もうお母さんも若ないんやから。死んでまうで。」
大げさだろ。
そして俺は、このチャンスを逃さなかった。
「今何歳だっけ?」
「・・・十八。」
「矛盾してんぞ。」
「はいはい、四十二ですよ~」
え・・・ガチですか・・・正直まだ十八の方が信じられるレベルだった。
「あっ、あった。」
ようやく鍵を手にした俺は、
「遅い~」
素早くドアを開け、寒さに震える四十二歳ピチピチマザーを先に通し、後に続いて中に入った。
家の中は予想外にも真っ暗だった。てっきりいるものだと思っていた弟はまだ帰ってきていないらしい。
「ただいま~」
母がそう言う。ということはやっぱり中に居るのだろうか。いや、ならば部屋に光が灯っていないはずがない。だからおそらく、母はいつもお世話になっている自宅に対して挨拶したのだろう・・・と思っていたのだが、
トントントントン・・・
突如鳴り出す足音。それも、ものすごく軽快な音で。俺は自然と隣の母に目を向けたが、片足立ちをしていた母は靴箱の上に手を置いてバランスを保っていたので、足は地面から離れることはなかった。
それでも足音はなり続けている。それどころか、さっきよりも音が大きくなっているのに気付いた。
近づいてきている。しかし暗闇のせいで、何が迫ってきているのかが目で確認できない。
俺は正体不明の何かの出現をいつでも動ける万全の体勢で待ち構えてていたが、母は履いていた低めのヒールを脱ぐのに夢中だった。
足音がすぐそこまで到達し、直後俺の足に何かが当たる。俺は驚いて一歩下がった。
「大和、ただいま~」
ヒールを脱ぎ終えた母がそう言った。俺は少しホッとしてそれでも大和と言う名前に聞き覚えが無かったのでまた少し不安になった。
俺の弟は涼也で家族はそれで最後のはず・・・
謎の四人目について考えていると、当の本人が俺の足に・・・擦り寄ってきた?
俺はとっさに自分の足元に目を向ける。さっきまで全然見えないと思ったらそんなところにいたのか。
黒い毛むくじゃらが俺の足に頭を擦り付けていた。やがて上を見て、大和は言った。
「にゃあん。」
今まで見えなかったのは、相手が猫で身長が低かったからだと分かったと同時に、今まで猫ごときにビクビクしていた自分が恥ずかしくなってきた。
黒猫の大和は以前として俺の足に擦り寄りこっちを見るという動作を繰り返している。
どうやら懐かれているようだ。そう思い、俺はこっちを見つめる大和の後頭部へ手を伸ばし・・・
噛みつかれた―
我が家は二階建だった。
今俺は、一階のリビングでこたつに足を突っ込んで、抜けなくなっている。もちろん物理的には可能なのであるが、抜けないものは抜けないのである。
目の前に見えるカレンダーは十一月のもので、ここに来てようやく、日本に四季があると言うことを思い出した。記憶では冬は十二月からなのだが、十一月の今でも、こたつが必要になる程に夜は寒い。日中はそうでもなかったのだが・・・
さっきの大和だが、俺にすがりついてきたのは単に腹が空いていたからだったらしく、キャットフードを皿に出してやると、平らげるなりこたつの中に消えていった。だから今、足の裏に猫の毛が当たっている。こそばゆいが気持ち良い。お腹の毛も触って・・・
イタッ!
そういえば、俺の弟こと涼也はまだ帰ってこないのか。詞弥は可愛いと言っていたが、八時になっても帰ってこない中学二年生のどこが可愛いんだよ。
「なあ、敦也~」
台所から母が・・・
「うわっ。」
四十二歳の母は新妻的フリフリエプロンを身にまとっていた。若さの秘訣はそれですか。心が若いと見た目も若くいられるんですか。
「うわっ。ってなんや。・・・まあええわ、涼也が今日は彼女と晩御飯食べてくるって言ってきたからウチらも食べよっか。」
スマホで涼也とのトーク履歴を見せながらそう言ってきた。
って、弟彼女いんの?
「青春してるわね~」
それも晩飯を食いに行く程なのか。
どこに可愛い要素があるのかね・・・
その後、俺は晩飯の肉じゃがを平らげ―
「はい、お待ちどう。今日の夕食は肉じゃがでーす。」
テーブルに並べられた二人分の白米と肉じゃが。これがたまたまであったことを願わんばかりだ。もしこれが若作りプロジェクトの一貫なら、これから先も新妻を演じるという名目のもと、テーブルには肉じゃがが並べられ続ける気がする。
・・・あ、これ一ヶ月はいけるわ。
それから風呂に入り―
浴室は約三畳。風呂の中というのは考えことをするのには丁度いい。今の俺は大量の考え事を抱えていて頭が破裂する寸前まで来ている。朝から、いや、こっちでは昼からになるのか?なにせ色々とありすぎた。
シャワーを止め浴槽へ。
だってアシアとキスをしていると、気付いた時には相手が詞弥に変わっていたんだぜ・・・!?
俺は浴槽から飛び出した。反射的に・・・心臓が止まりそうな感覚に脳より先に体が危険を察知しての行動だったので、俺の脳はまだ何があったのかを認知していない。少ししてやっと気付く。
「水じゃんこれ!」
俺は瞬時にシャワーをひねり、冷えた体を温める。この間約三秒。今も心臓がバク付いている。
若くなければショック死していたかも知れない。あとで母にも言っておこう。見た目は二十代で通るが実際は四十代。もし俺と同じようなことになれば冗談抜きで心配だ。
歯を磨き―
風呂から上がった俺は、体を拭いたバスタオルをそのまま腰に巻き付け、目の前の洗面器に向かった。歯を磨く習慣や浴槽に浸かる習慣はあっちの世界にも同じようにあったのでそのあたりは違和感無かった。
俺はまず歯ブラシを・・・歯ブラシを取ろうとしたが、そこには歯ブラシが三本。どれが自分の歯ブラシなのか、覚えているはずもない。まず、このピンク色のは確実に違う。きっと母だ。そうなると、残るは緑と紫の二本なのだが、俺は感覚で自分が好きだと思った方を取った。
あとで母が白髪を抜きに来たとき、紫の歯ブラシをくわえていた俺を見て何も言わなかったので、多分正解だったのだろう。
そして現在に至る―
今寝室に居る。風呂では冷水に浸かり考え事をするどころではなくなったので、その分を今考えている。
王都ペテルギアでアシア姫の騎士を務めていた俺は、早朝にそのアシアにキスされる。気付いた時にはキスの相手がアシアから詞弥に変わっていて、時間は昼過ぎだった。
つまり、二つの世界の間に時間的な関連性はなく、一方の世界で眠っている時間=もう一方の世界で活動している時間にはならない、ラグは長くて十分。
それから、詞弥は王都を知っていた。つまり俺やアシアと同じ境遇の人間は少なくとももう一人いたということだ。
王都で言う六年前に、この日本にやってきた原因はアシアとのキスだった。ということはだ、この日本から王都へ移動する手段は・・・
おそらく、詞弥とのキスだ―
しかし、世界を移動するための鍵が女の子とのキスか・・・考えを確信に変えようにも、それだと簡単に確かめられないな。
そもそも俺は、何をゴールとしているのだろうか。詞弥となんとかしてキスをし、王都へと戻ることか?それでこっちの世界はほったらかしにするのか?昨日の俺ならそうしただろう。だが、今の俺はこちらの世界が現実である可能性を少しながら見出してしまった。そう簡単に捨て去ることは出来ない。
これからどうしようかな・・・
「兄ちゃん、なんでここにおるん?」
俺は後ろを振り返った。そこに立っていたのは、写真にも写っていた奴だった。
「お、涼也じゃん。おかえり。」
にしても中学二年生にして夜の十時帰宅とは、とんだ不良弟だ。俺のことを兄ちゃんと呼ぶあたりまだましか。というかそんな時間まで彼女といたのか・・・
「ただいま・・・だからなんでおるん。ここ俺の部屋やん。」
「へ?」
二階に上がった時、俺は部屋を二つ見つけていた。そのうち一部屋はここで、もう一部屋は驚く量の紙で床が埋め尽くされた、簡単に言えば足の踏み場も無い程散らかった部屋だった。
俺は結構綺麗好きで、ペテルギアの王宮にある自分の部屋も、床には何も落ちていないし棚の上もスッキリしている。だから、この部屋が自分のモノだと一瞬で分かった、はずなんだが・・・
「あ、ごめん。ぼけてた・・・」
「なんで、あのぐちゃぐちゃな部屋とここを間違えるんや。」
ほんと、どうやったらあんなぐちゃぐちゃな部屋が完成するんだろうか。前にこっちにいた時の自分に聞きたいね。
部屋から廊下に出た俺は一度後ろに振り返って、
「なあ、涼也。」
「ん?」
「お前って、まだ童貞か?」
「うっさい、俺そういうノリ嫌いやねん。」
勢い良く扉が閉められた・・・
男子トークが苦手、か。なんかちょっとだけ詞弥の言い分が分かった気がした。
さて、これはいったいどうしたものか―
扉を開けるなり待っていたのはコピー用紙によって作られた真っ白な床だった。真っ白と言うと少し語弊があるな。よく見るとまだらに模様が入っている。
俺はその中から一枚を選び取った。
絵だ。それに、結構上手い。世界的な画家に匹敵するかと聞かれたら、まだまだ未熟だが、普通の高校生とは思えないレベルには上手かった。それにこの数、何日でこの床が完成したのかは分からないが、一日にいったい何枚描いたらこうなるんだ。というか一高校生にこれだけのモノを描く時間があるものなのか?
いつの間にか感心していた俺だが、今気付いた。ここは俺の部屋、ってことは今の今まで自画自賛をしていたことに。
こっちの俺にはこんな才能があったのか・・・となると、俺と詞弥が通っている高校って、もしかして美術校なのか。
俺は部屋の奥に、布を被されたカンバスを見つけた。床に落ちた絵を拾い上げながら奥へと進んでいく。俺が通った後に道が出来ていく。
布と取り払った瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
そこには、正面から見た宮殿の絵がでかでかと書かれていた。
絵の完成度もなかなかだが、何より、その絵の宮殿が王都ペテルギアの、俺が毎日過ごしている宮殿そのものだったことが俺を絶句させた。
六年前の俺は十五年という時間を経て、この世界に順応してもなお、俺は王都の事を完全に捨てきれないでいた。どこかでは王都やアシアの事を考えていた。やっぱり、今の俺にはどちらの世界も捨てられないな・・・
気持ちの整理が一段落ついたところで、今日はもう眠ることにする。きっと明日からまた学校に通う毎日が始まるんだ。
俺はカンバスに布を被せ、落ちているコピー用紙をとりあえず勉強机の上にかためて、十一時十二分、ベッドの上にて眠りに就くのであった。
翌朝、目覚めた場所はいつもの場所じゃなかった。いつも場所とは王宮にある一室のベッド上のことで、考えてみれば昨日眠りについた場所がこの荒川家二階の一室にあるベッドの上なのだから、朝目覚める場所もこのベッドの上であることは当然のことなのだが・・・そう、言ってみれば、今俺は修学旅行二日目の朝みたいな感覚に陥っている。まだ夢の中に居るんじゃないか?って感覚。いつもの寝床で目覚めないと目覚めた気になれない。
俺は枕元のスマホを取った。液晶には『11月25日 金 6:00』と映し出されている。
ブブー・・・
突如、バイブレーションと共にスマホの表示が変わった。
『詞弥 拒否 応答』
俺は目をしょぼしょぼさせながら応答ボタンに触れた。
「もしもし・・・」
『あ、もしもし敦也君。』
「何の御用で?」
『いや、ちゃんと起きてるかなって。起きてるみたいで何よりだよ・・・』
それだけを聞く為に?
『そうそう、昨日良い忘れてたんだけどね、荒川家は敦也君が起こしに行かないと誰も起きないんだよ。』
「え?」
『だから、敦也君が声をかけないと皆んな遅刻だよ。』
「あ、なるほど・・・」
スマホの上部には『6:05』という表示。
「なあ、皆んながいつ家を出るとか知ってるか?」
『う~ん・・・多分いちばん早いのは敦也君だと思うよ。七時丁度だから。』
「え、マジか。全然準備してねえ、てか、何持って行けばいいんだ?」
『もー仕方ないな・・・玄関の鍵開けといて、今からそっちに行くから。』
「ああ、頼む。」
プー・・・プー・・・
電話が切れた。
俺が寝坊したら家族全員が遅刻か・・・ちと頼りすぎなんじゃないだろうか。
ピーンポーン・・・
あ、鍵開けないと、って、いくらなんでも早すぎるだろ。
俺は部屋から出て、階段に向う最中、弟、涼也の部屋に向かってモーニングコールを行い、階段を降りるなり母に向かって『六時七分っ!』と叫び、玄関の扉を開けた。
「よう。」
そこにはやはり詞弥の姿。もう既に制服姿だった。
「遅い、鍵開けといてって言ったじゃない。」
「間に合うか!お前、家の前で電話掛けてただろ。」
「どうせ困ってるんだろうなと思ってね。」
まあ、困ってたけどさ。
「さあ、中入ろう」
「あ、ああ。」
俺は詞弥を自分の部屋へと案内した。
「実は私、荒川家にはよく来てるんだけど、敦也君の部屋に入るのは初めてなんだよね。」
幼馴染であり恋人でもあるのにか・・・いや待て。
俺は昨日部屋に入った時の事を思い出した。当然だな、いくらなんでもあの紙まみれの部屋に彼女を連れ込もうとは思わない・・・
「あっ。」
「どうかした?」
詞弥が小首をかしげる。
「いや、なんでもない・・・」
大丈夫だ、昨日ある程度片付けたから。人を呼べるくらいにはなってるはずだ。
「お、詞弥やん。」
階段を上がる手前、寝起きの母が顔を出した。今更突っ込みたくもないが、もこもこ&耳付きポンチョでの登場だった。
「あ、お母さん。」
お母さん?そこのサバ読み四十二歳は俺のお母さんだぞ。
「まだ結婚してないやろっ。」
「いづれするんだから良いじゃないですか~。」
なに勝手に進めてるんだ。俺の意志は?というか、このお付き合いって結婚前提のお付き合いなの?
「少しお邪魔しますね。」
そう言って詞弥はズケズケと階段を上り始める。俺はその後に続いた。
「うん、楽しんで~」
母がニヤニヤがらそう言った。
何を楽しむんだ、こんな朝っぱらから。いや、別に何も期待なんてしていないぞ。
「ねえ敦也君。」
詞弥がこっちを向いて言った。
「なんだ?」
「まだ言い忘れてることあったの。」
「うん?」
詞弥は少しうつむき気味に、しかし目は上向きに言った。
「あ、あの・・・私達って、まだそういうことは、してないの・・・」
ゴトンッ・・・
「敦也君だいじょうぶ!?」
「大丈夫だ・・・」
けど、ものすごく痛い。階段で足を踏み外した俺は、段差の角でスネを強打した。これ、絶対アザになるやつだ。
それにしてもいきなりのカミングアウトびっくりした。まさかこのタイミングで、いやまあ、さっきの母の発言のせいだろうけど、詞弥からそんな発言が出るとは・・・
「歩ける?」
「ああ、問題無い。」
「なんか急にごめんね。でも結構大事なことでしょ。」
「まあ・・・そうだな。」
そう言って立ち上がろうとして顔を上げたその刹那、俺の目はある一点を捉えた。
「パンツ見えてるぞ。」
「へっ?!」
すると、詞弥は慌てたように、
「ち、違うからねっ、そういうフリじゃなくて、偶然だから!」
わかってるさ。
「若いって良いわね。」
「違うって母さん。」
「敦也君。」
「ん?」
「前行ってもらってもいいかな?」
「あ、ああ。」
そうして幅の狭い階段で、無理やり前後を・・・
「痛い痛い痛いっ、ちょっと敦也君・・・」
「わ、わりい。」
入れ替わった。
「朝から盛んやな、あんたら。」
「だから違うって。」
きっと母親があの容姿にも関わらず未だにシングルなのは頭の中が親父だからだと思った。
全く、階段を上がるのにも一苦労だ。
「あの奥の扉が俺の部屋らしい。」
俺が扉の方を指差し・・・
「イッタ!」
人差し指の真横にあった扉から飛び出してきた弟、涼也の体にその指が持って行かれた。かろうじて腕が付いていったから痛いだけで済んだが、もし腕が固定されていたら人差し指は横向きにポキっといっていただろう。
「兄ちゃん大丈夫か・・・」
「大丈夫・・・多分。」
いや嘘だ。もうそろそろ厳しい。指どうこう以前に朝早くから災難続きだ。
「あ、姉ちゃん。」
「おはよう涼也。」
そうか、幼馴染だもんな。弟とも面識あるか・・・っていうか勝手に進めるな。詞弥の家行ってもこんな感じなのだろうか・・・
「そろそろ時間やばいんじゃねえか。」
俺は詞弥の手を引っ張った。
「あ、ちょっと・・・」
すれ違いざまに涼也が囁いた。
「昨日のセリフ、そのまんま返すわ。」
だが、残念だったな、涼也。俺はまだ童貞だ。全くもって誇らしくないが・・・
俺は自室の扉を開いた。うん、よし、大丈夫だ。思っていた通り客は通せる部屋だ。
「へー、意外と普通だね。」
「普通で悪かったな。」
「じゃあ今までどうして入れてくれなかったの、って、今の敦也君に聞いても意味ないか・・・」
一応分かる。昨日の光景がそのまま答えだ。
俺はさり気なくスマホを確認する。『6:20』
「やばい、もう六時二十分だ・・・って、何してんだ?」
ベッドの下を確認しているから聞くまでもないが。
「へっ?なんでもないよー」
バレバレだぞ。
大体、そういう本を持っていたとして、そんなテンプレートな場所に隠すやつはもう現代にはいないだろう。
「あっ・・・」
詞弥が手から何か落とした。雑誌みたいなやつ・・・
「まあ、敦也君も男の子だから、し、仕方ないよね・・・」
「いや、俺は知らない!それをそこに隠したのは六年前の俺だ。今の俺は関係ない!」
テンプレートをやってのけたバカは俺自身だった。でも、今の俺なら絶対にやらないから。
「・・・」
「・・・」
気まずい。六年前の俺め、とんでもないトラップを仕掛けやがったな。記憶が戻ったら真っ先に自分を殴りたい。
「あ、あの、私は・・・」
「も、もう六時半だぞ。」
とりあえず話を逸らす。
「え、やばいじゃない。」
詞弥もそれに乗ってくれたみたいで何よりだ。
「何が出来てないんだっけ、あ、時間割?」
詞弥は軽くしゃがみ込み、前を見ながら後ろのベッド下に雑誌を戻した。やっぱそこに戻すのか。あとで移動させておこう。
「そうだけど、分かるのか?」
時間割はクラスによって違うはずだ。
「これも言い忘れてたけど、私達クラス一緒なんだよ。」
「えっ、そうなのか?」
カップルでクラスが一緒なのか。いや、クラスが同じだから付き合っているのか。でも幼馴染という点で前者だろう。
「教科書類どこ?」
「・・・多分そこだ。」
俺は勉強机の方を指差した。
「あ、これね・・・あ、これって・・・」
詞弥は教科書の隣に置いてあった大量のコピー用紙の山から一つを抜き取って見ていた。
「あ、それか。すごいよな、こっちの俺。」
「ほんとにね・・・」
詞弥はそう言うと、絵を山の上に戻し、今度は教科書の抜粋を初めた。
「これでよし。」
「ありがとう。こんなに少なくて良いのか?」
見る限り三教科分くらいしかない。
「うん、いいの。今日はあと体育と平面造形の授業があるから。」
「平面造形の授業?」
「あー、うん。私達ってね、普通科じゃなくて、美術科なの。」
やっぱりそうだったか。
「じゃあ、これで準備完了か?」
「体操服ってどこにあるんだろう。」
そうだ、体育があるんだった。
「干してるのかも・・・」
俺はベランダに干された衣服を窓越しに見つけてそう思った。
窓を開けて出てみると、案の定体操服は干されてあった。冷気をまとっているせいで、濡れているような感じがする。とりあえず半袖、短パン、ジャージ上下を取り込み、窓を閉めた。
十一月の朝は、心臓が締め付けられるような寒さで、今から家を出ることを考えると憂鬱になるばかりだ。
俺は持っていた体操服計四枚を体操服袋に詰め込んで、それをリュックサックの隣に並べた。
あとは制服に着替えるだけだから・・・
「詞弥、着替えるから一旦出といてくれ。」
見られるのが恥ずかしいとかは全く無いのだが、全く気にせずに異性の横で服を脱ぐのは、デリカシーに欠けるような気がしたのでそう言った。
「あ、うん。そうだね。」
詞弥そう言ってドアの外に出ていった。
俺は勉強机の前にある回転する椅子の背もたれに掛かった制服一式を手に取ると、ネクタイ以外を一分以内に装着した。
「詞弥、もう良いぞ。」
「はやっ!?」
そうコメントしてから部屋に入ってきた。
たかが制服に着替えるだけだぞ。そんな時間は掛からないだろ。女子の着替え事情は知らないが・・・
「じゃあ、行こっか。」
「ああ。」
俺はネクタイを閉めながらそう言った。
「ネクタイ締めたげようか?」
「これくらいは出来る。」
「ちぇ~」
残念がる詞弥を放って、俺はネクタイを閉め終えた。
「よし、行こう。」
俺はリュックサックを背負って言った。
「体操服。」
詞弥のそれではっとなった。慌てて体操服袋を手に取る。
「よし、行こう・・・」
「うん。」
階段を降りた俺達は、一階の玄関に現れた母と遭遇し、俺は母から温かいパンと、昼飯代にと五百円玉を渡された。
それらをありがたく受け取った俺は、そこから靴を履き、扉を押した。
「行ってきます。」
「行ってらっしゃい。詞弥も。」
「はい、行ってきます。」
ドアが音を立てて閉まった・・・
「さっむ。」
外に出て最初のセリフがそれだった。
流石は十一月だな。体感的には俺がこの寒さを味わうのは六年ぶりになる。あっちは年中暖かった。
それとは関係無いが、俺は隣で歩く彼女に質問した。
「なあ、そういえばカバンは?」
家に入ってきた時から持っていなくて気になっていた。
「あ、そうそう。私自分の家の玄関に置いてきてるの。ちょっと取ってくるね。」
「ああ、気を付けて。」
「隣の家だよ、何に気をつけるのよ。」
「確かに・・・」
俺は走る詞弥の後ろ姿を眺めながら、さっきのパンをかじった。
となり・・・か。詞弥とはいつから一緒なんだろう。やっぱり思い出せない。いつか全てを思い出す時が来るのだろうか。王都で記憶を失くした時は、思い出すのに二年は掛かった。でもその時は十五年ぶりの王都だったし、何より幼い記憶だったから、二年と言うのはむしろ早かった方だろう。そう考えると六年ぶりで、思い出すべき記憶が十五歳の記憶である今回は、もっと早く思い出せそうでもあるのだが・・・
「おまたせ。」
「じゃあ、行くか。」
今はまだ、制服の彼女が背負っているリュックサックが猫耳付きだということに違和感を感じてしまう。本当ならそれが当たり前だと思えるはずなのだが・・・
「ねえ敦也君。」
さり気なく俺の右手を握ってきた。
「あ、おいっ・・・」
「私達恋人で、今から学校に行くんだよ。」
「どっちも知ってる。」
「ほんとに分かってる?」
「ああ、この世界では俺はお前の恋人で、恋人らしくしないと周囲の人間から怪しまれて、最悪の場合記憶喪失がバレるってことだろ。」
詞弥の握力が強くなる。
「イテテテッ、おい、グリグリするな!」
「だからそうじゃなくて・・・」
「冗談だ、冗談。」
「ほんとに?」
「ほんとだ。ちょっとからかいたくなっただけだ。」
詞弥の力が緩む。俺は詞弥と手をつなぎ直した。
「これで良いだろ。」
「うん。」
この世界にはいつまで居るのか分からない。だけど、この世界に居る間はこの世界を必死に生きようと決意した。だから詞弥とも真剣に向き合うつもりだ。さっきのも、心配する詞弥が可愛くて、つい意地悪をしたくなっただけだ。男なら誰しも抱く感情だろう?
昨日通った道を今日は逆向きに進んで行く。ちなみにだが、今俺はどこを目指して歩いているのかを分かっていない。とりあえず昨日の駅まで行くまでは分かっているのだが、最終的な目的地であるはずの学校名すら俺は知らない、正確に言うと覚えていないのだ。
そもそも学校に着いたとして、周りの人間、いわゆるクラスメイトと自然に関われるのだろうか。この世界で言う昨日まで(正確には昨日の午後四時以前)の俺は、誰とどのような会話をしていたのか。昨日家族に会う前にもこのようなことを考えていて、結局その時は詞弥から色々な情報を提供してもらった。しかし、やっぱり今回も頼れるのは詞弥だけだった。詞弥には世話になってばかりだが、記憶が戻るまでは致し方ないか・・・
「なあ、詞弥。昨日から色々と悪いんだけどさあ・・・」
「また何か聞きたいことでもあった?」
「はい、そうです。」
「言ってみたまえ。」
「俺達が今から行く美術校って、ここからどのくらいなんだ?」
「えっとねえ、細かくは私も覚えてないけど、大体一時間ちょっとだった気がする。」
それでこんな時間に家を出るわけか。
ダメ元でこの質問もしておこう。
「詞弥は、学校での俺の人間関係とか分かってたりする?」
詞弥は少し考える素振りをして、しかし答えが見つからなかったのか肩を落とした。
「さすがにそんなことまでは覚えてないよな。」
「うん、ごめん。」
「謝ることじゃないだろ、俺の問題なんだし・・・」
よく忘れてしまうが、この詞弥も俺と同じく世界を移動していた人間で、昨日の記憶は、六年前の記憶なわけだから、別に忘れていたっておかしくはないのだ。
そもそも記憶の有無以前に、詞弥が俺の人間関係を全て把握しているわけがない。詞弥は詞弥であって俺や俺の一部では無い。恋人というところでいうと、ある意味俺の一部なのかもしれないが・・・
とにかく、人は一般常識的に、自分に関係しない人間関係を知ろうとはしないものだ。芸能人の恋愛報道などに興味を持つのも、周りと話題を合わせる為だと言えば、けして自分と無関係ではない。つまり、他者同士の人間関係であったとしても、それが自分に影響を及ぼすとわかっていれば、関係のあるものとして知ろうとする。
今回の場合は、詞弥にとっては関係の無い、完璧俺個人の人間関係なので、こればかりは自分でなんとかするしかなさそうだ。
「私ね、はっきり覚えてるのは私自身と私の家族と敦也君とその家族のことだけなんだよね。他は結構あやふやなの。時間割だって、机の上に時間割表があったから分かっただけだし・・・」
俺の考えがそのままそっくり詞弥の口から放たれた。
しかし、そうなると問題がまた一つ浮上する。
「学校の行き方は?」
「それね。丁度今考えてたんだけど・・・」
疑問だったものが確信へと変貌する決定的瞬間であった。
「駅までは行けるんだけど、電車が・・・」
「分からないのか・・・」
「うん・・・それが、困ったことに学校名も思い出せないの。」
詞弥は俺と繋いでいない方の手で、もう片方の腕を掴み、うつむき気味に申し訳無さそうな顔をしていた。
まあ、予想通りの答えだった。道に関しては昨日もそうだったので最初から覚悟はしていたし、その対処法も詞弥が話しているうちに思いついていた。
「ちょっと待ってろ・・・」
「え、それは覚えてるの?私は忘れたくせに・・・」
「安心しろ。どっちも覚えてない。」
「何も解決してないよそれ・・・」
俺は詞弥と繋いでいる方とは逆の手で、ズボンのポケットから小さなコインケースのようなものを取り出した。片面がナイロンで、そこからICタイプの定期券が顔を出している。
「頭いいね。さすが三連続学年トップ。」
詞弥は大したことでもないのにそう言う。こっちの俺ってことあるごとにこのセリフを浴びせられてそうだな・・・
ちなみに定期券には最初の乗車駅と最後の下車駅、何線経由かまで記されている。スマホで名前も分からない学校へのルートを調べるより数倍楽で早いことだろう。
「とりあえず、行き方は分かったし、一安心だね。」
詞弥は胸に手を当てて言った。その手を見ていたせいだろう・・・
「今敦也君、私の胸見て小さいって思ったでしょ。胸の代わりに身長が伸びたとか思ったでしょ・・・」
昨日もこんなセリフを聞いた気がした。その時はもっと荒々しい言い方だった気がする。確か、詞弥の二つ目の人格で、あっちの世界での詞弥。名前は、シヴァだったか・・・
「いや、俺が見ていたのは手だ。」
「嘘だ。」
本当なのだが、信じてくれそうもなかったので諦めることにする。
「見ていたかも知れないが、そんなことは思っていない。」
「嘘だ。」
「いや、嘘じゃねえよ・・・」
そこはさすがに折れないぞ。
「ほんとに?」
「ほんとに。」
「でも、見ていたかも知れないんでしょ?」
「かも知れない。」
「じゃあ何考えたの?貧乳サイコー?」
自虐してるじゃねえか・・・
「何も考えなかった。」
「それはそれで・・・」
面倒くせえな・・・
「女の子は面倒くさいのよ。」
勝手に人の心を読むな。
「やっぱりそう思ったんだ。」
俺の顔に動揺が見えたのか、確証を持たれた。
「まだ、体が小さくて胸も小さいなら良いんだよ、可愛いから。」
可愛いの意味合いが少し違う気もするぞそれ。
「でも、私って、でかいくせに小さいでしょ?」
同意を求めるように言ってきたので一応軽く頷いた。
「ムッ・・・」
詞弥は頬を膨らませる。
お前がそんな聞き方するからだろ。今のを否定して逆にどうするんだよ、慰めになるどころか、哀れみに聞こえるかもしれないだろ。
「まあ、この世界の俺は、そんな詞弥を好きになったわけなんだし・・・」
とりあえず、俺から言える最善の言葉がこれだった。
「今は?」
至近距離に迫ってきた詞弥が首をかしげる。さっきのでいい感じに締める算段だったののだが、そこを突き詰めてくるか・・・
「い、一ヶ月あれば好きになる。」
「何よそれ。」
「記憶喪失者だからな。今の俺。」
「都合の良い言い訳だよね、それ。」
「記憶が戻るまでは使わせてもらう。」
逆にそれしか武器がない。
「記憶、戻りそう?」
「そうだな・・・」
詞弥のことを懐かしいと感じたり、手を繋いだ時、急に名前で呼びたくなったり、感覚的なところでは結構色々思い出している気がする。一日目でそれだから、今回は結構早く思い出しそうだ。
「詞弥、俺が記憶を失くすのは今回が初めてじゃないんだ。」
「え?」
「いや、それは詞弥も同じなのかもな。」
「どういうこと?」
「最初の記憶喪失は六年前の王都で起こった。多分同じ頃に詞弥も記憶喪失になっていたと思う。」
「私が記憶喪失・・・」
「詞弥が夢だと信じて過ごした世界でだ。」
「あっ。」
何か思い出したように拳をぽんと叩いた。
「思い出した。気付いたら自分の周りがまるっきり変わっていて、それを当たり前に感じられない私は、記憶喪失者扱いを受けていた・・・そういえばそんなことあったな。」
詞弥はそれを夢だと思って生きてきたから、今の俺のように片方の世界での記憶があまりないんだと思う。
「だから、俺が記憶喪失になるのはこれが二度目。それに、前のブランクが十五年だったのに対して、今回は六年、きっとすぐに思い出せると思う。」
「早くしてよね。」
「ああ、頑張るよ。」
少し立ち話が長くなったか。三回連続学年トップらしい俺が、遅刻でもしたら、それこそ怪しまれそうだし・・・
「行こうか。」
「うん、そうだね。」
それから俺達は、最初のチェックポイントとなる最寄り駅にたどり着くべく、慣れない道を、昨日の記憶だけを頼りに進むのであった。
歩きながら、詞弥と会話をしながら、俺はその間、あることについてずっと考えていた。
こっちに来てから今までずっと思っていたことなのだが、この世界とあちらの世界で設定(この際わかりやすくそう呼んでおく)が被ることが多々ある。電車という交通機関がその例だ。
結局何なのかと言うと、それを考えていると、やっぱりどちらかの世界が夢で、もう一方、つまり現実と呼ばれる世界での情報が脳裏に焼き付き、夢にその要素が反映されているという考えにいたってしまうということだ。考えたところで、どちらが現実かなんて、俺には、少なとも今の俺には見当がつかない。
色々と考えたが、結局のところ、何も答えが出ないので、今は頭の片隅に寄せておくことにした。いづれ嫌でも向き合う日が来るだろう。だからそれまではこの世界の記憶を取り戻すことに全力を尽くすことにした。
昨日と同じ駅に着いた。
昨日は三十分掛かった道のりは、しっかりルートを把握すれば十五分弱の道のりだった。
移動中も、俺たちの間で話は絶えなかった。基本的に、俺が質問をして、それに詞弥が答えると言う形で、ついさっきまでは関西弁についてのトークをしていた。
本来この地域は関西弁を話す人が大半で、俺の母や弟、詞弥の家族も皆んな関西弁なのだが、俺や詞弥自身は、標準語で話している。詞弥いわく、生まれたときからそうだったらしい。詞弥は謎だったらしいが、俺からすればむしろ当たり前のことだった。
なにせ俺はこの世界で生まれる以前に標準語の世界で十二年生きていたんだ。
詞弥が言うには、俺は物心付いてすぐに小学六年生の問題を普通に解いていた。言ってみれば、王都で気を失って目が覚めた時には、見た目二歳の頭脳十二歳になっていたわけだ。その頃から標準語をペラペラと話していたものだから、両親もそれはもう驚いていたそうだ。
詞弥にしてもそうだろう。本人は忘れているが、詞弥も十二年分の能力を持って、この世界に生まれている。標準語で話すのも癖みたいなものだろう。
「何してるの、敦也君。電車来ちゃうよ。」
「あ、すまない。」
改札の前で、考えにふけっていた俺を、先に改札を通っていた詞弥が呼んだ。
俺はポケットからさっきのコインケースを取り出した。IC タグにそれをかざす。すっと通れたことに何故かホッとする。
『間もなく、一番線に、電車が参ります・・・』
丁度いいタイミングでアナウンスが流れる。
こっちのホームは女性アナウンスか、とかどうでもいいことを考えながら、前の車両を目指す詞弥のあとに続く。
歩く俺達の横を電車が追い越す。最前列には乗れそうもないと諦めたのか、花からそこを目指していたのかは知らないが、詞弥は一つ手前の車両で止まり、それと同時に扉が開く。開いている席は既になくなっていた。座席前の吊革を掴みに行く。
「乗り換えの駅、八つ目だって。」
「結構あるな。」
電車の中でベラベラと喋るのは、お互い嫌だったらしく、会話は一旦打ち切られた。詞弥がイヤホンを装着するのを見て、俺はスマホにイヤホンのプラグを差し込んだ。
こっちの俺はどんな曲を聞いているのだろう。王都の学校に通っていた時も、俺は電車の中で音楽を聴いていた。ちなみに今は、ハードロックにハマっている。
ミュージックアプリを起動。画面にはアーティスト名が表示されている。やっぱり王都のアーティストは一人もいないな。プレイリストを確認する。二つくらいあったので上の方を選ぶ。見た感じ『OverFrow』『just limit』の二バンドで構成されている。多分この二つが特に気にいっていたんだろう。
俺はそのプレイリストをシャッフル再生した。一曲目はOverFrowの曲だった。EDM感漂う前奏で始まった・・・かと思うと急にロックな感じに変化する。男性ボーカルの声も癖になる声だ。キーボードがいい感じに中毒性をつくっている。良い物聴いてるじゃないか・・・
俺はスマホのホームボタンを押し、検索画面へ移動した。
なんとなく興味が出てきたので検索ワードに【OverFrow】と打ち込んだ。検索。
一番上にバンドの紹介文とジャケット写真が出てきた。
《OverFrowは、日本の四人組バンドユニットである。キーボーディストの寿 天音以外は南造形高校出身。・・・》
造形学校?
今度は検索ワードに【南造形高校】と打ち込んで検索した。
住所や写真などが出てきた。この地名、どこかで見たような・・・
そうだ、定期券・・・
俺はポケットから例のケースを取り出し、定期券の表面を見た。下車駅の名前が、webページに表示された最寄り駅の名前と一致している。
このバンドのメンバー、多分俺達の先輩だ・・・
その後、もう一つのバンドjust limitがOverFrowと深く関わっていることを調べていくにつれて分かり、その歴史を色々見ていると、あっという間に乗り換えの時がやって来た。
次のホームに移動中―
「なあ、詞弥。」
「なに?」
「OverFrowって知ってるか?」
「私はジャスリミ派だな。」
「やっぱ知ってるのか。」
ジャスリミとはjust limitの略称か。
「というか、教えてくれたの敦也君でしょ。」
なんかそうだったような気がする。
「あっ!思い出した。私達の通う学校はその人達が通ってた学校と同じで・・・そう、南造形高校よ!」
なんか、詞弥がそう言うより先にネットで知ってしまっていたので少し申し訳ない気持ちになった。
「お、そうかっ!なんか思い出したかもしれない・・・」
知らなかった風の下手な芝居を打った。
だが今、本当に少しだけど思い出したような気がした。
「スッキリしたところで、ちょっと小腹が空いたからコンビニよっていい?」
と、詞弥。
地下の駅なので、結構そこら中にコンビニが見える。俺も喉が乾いた。
「そこ、よろうか。」
「うんっ。」
一番近いコンビニに入り、俺は迷うことなくコーラを購入。ちびちびしたお菓子をあーやこーや言いながら選ぶ詞弥をレジの横から眺めていた。
「放っていくぞ。」
「あ、ちょっとまってよ。」
詞弥は右手と左手にそれぞれ持ったお菓子を二、三回見比べてから、「よし。」と言って右手のお菓子を棚に戻してレジへ。
結局一つだけかよ・・・
「ごめ~ん、待った?」
「それはもう。」
「敦也君のいじわる・・・」
「前の俺はどうだった?」
「いじわるだった。」
やっぱり本質的なところは時がたっても変わらないものなんだな・・・
「さあ、行こ。」
「ああ。」
次のチェックポイントは・・・
定期券で確認。
「よし分かった。こっちだ。」
「ちょっと、敦也君。こんなに人がいるんだから迷子にならないように手を・・・」
はいはい、分かりましたよ・・・
所変わって駅のホームその二、いや三か。
ここまで来ると同じ高校の制服を着込んだやつがちらほらいる。いきなり知り合いに会って会話になるのは避けたいところだが・・・
「おーい」
言ったそばからこっちに向かって手を振っているやつがいた。しかし、それが俺に向けられたものではないことはすぐに分かった。
俺の左腕にへばりついていた、詞弥がスルッと外れたのだ。
「加奈、久しぶり・・・」
おい、それはまずいだろ。
「一日ぶりー」
良かった。勝手にそういうノリだと勘違いしてくれたみたいだ。
「今日も彼氏と登校?」
ポニーテールを揺らつかせながら駆け寄ってきた少女は,いきなりそんなことを聞いていた。
「ちょっと聞いて。敦也君ってばさっきコンビニで・・・」
そういう話は彼氏の俺がいないところでやってくれ。てか、まだその話引きずってるのか。
詞弥がわあわあ言っているのを一通り聞いて。加奈と呼ばれるその少女は、
「あんた、ほんま荒川のこと好きやなあ。」
この一言で詞弥の話をまとめた。
「あ、電車来たわ。ほんじゃあウチは行くから、あとは二人で楽しんで~」
少女はダッシュで一番前の車両まで走って行った。
「ああ~加奈~」
変な空気だけつくって逃げやがった。
「なあ詞弥。」
「からかいたいんでしょ。」
「いや、そうじゃなくて。電車行っちまうぞ。」
発車メロディーがなる。
「ああっ!」
「走れ!」
俺は詞弥の腕を掴んだ。
「わっ」
一番近い最後方の車両へ走る。最後方だったので、車掌さんが待ってくれた。入ってすぐ、扉が閉まる。後ろの窓に見える車掌さんに、軽くお辞儀をした。
「なんとか間に合ったな。」
「はあ・・・う・・・うん。」
「だいじょうぶか?」
「だ・・・あ、だいじょうぶ・・・」
じゃなさそうだな。
「詞弥って体力ないんだな。」
「はあ・・・はあ・・・んん・・・よし、オッケー。シヴァの時は運動神経抜群で、体力もあったんだけどね。だから詞弥に戻った時は急に体が重くなったよ。まだ馴染んでない。」
電車のアナウンスが駅到着を知らせた―
何人かが座席から立ち上がり扉前に移動する。俺は詞弥を連れて空いた座席まで行った。
「座ってろ。」
「優しくも出来るんだね。」
「俺を何だと思ってる・・・」
「サディスト。」
「ああ~」
「なに納得してるのよ。」
「まあ、どちらかと言うとS かもな・・・」
あ。どの駅で降りるか見ていなかった。
例によって、ズボンのポケットに手を突っ込み、例によって定期券の表面を見る。と同時に扉上の停車駅の図も確認した。
どうやら目的地は終点らしい。
それが分かったので、詞弥の前に戻った。
電車が停車するたびに、車内の南造形割合が上がっていく。
終点の一個手前まで来ると、ほとんどの人が下車して、車内の四割は南造形高校の生徒になった。
詞弥の隣が空いたので、俺もようやく座った。まあどのみちすぐに到着するのだが・・・
終点を告げるメロディが鳴る。ここに来て座ったことが失敗だったと気付いた。なぜなら今、最高に立ちたくない気分になっている。
詞弥はと言うと・・・夢の中だ。俺が夢と言うと少し複雑に聞こえるので付け加えるが、ノーマルな方の夢だ。
そうこう考えているうちにいよいよ扉が開いたので、俺は詞弥の寝顔をもう少し堪能したかったという雑念を捨て、詞弥の肩を揺すった。
慣性の法則的な理由で、セミロングな髪が左右に揺れる。ってか、起きろよ。
「詞弥、着いたぞ。」
起きないので、最終手段。俺は詞弥の鼻を指で摘まんだ。
「・・・ん、ん、はあっ」
「さっさと起きろ。」
「敦也・・・君?」
「終点だ。」
「・・・えっ!?」
詞弥は飛び起きた。
「もしかして・・・私が起きなかったから乗り過ごした?」
そう言う詞弥は、少し慌て気味だった。
「いや、ここが目的地だ。」
「あっ。そうなんだ・・・」
「良かった。」と詞弥は胸を撫で下ろした。
「あ、今私の胸見てたでしょ。」
またこのくだりか・・・
「小さくて可愛い胸だな。」
「な、何が小さくて可愛いよ!てか、やっぱり見てたんじゃない。この変態!サディスト!・・・」
そういうところが余計に可愛いかった。
「最低っ!」
「イタッ!」
足を本気で踏まれた・・・
『間もなく、二番線から電車が発車いたします。』
「あ、早く出ないと・・・」
俺はそのアナウンスに助けられた。車掌さんありがとう。
「今度じっくり話し合いましょ。」
「・・・」
「返事は?」
「あ、はい・・・」
結局後に回っただけだった・・・
「さあ、道案内しなさい。」
なんか扱いが変わった。まあ、そうなるか・・・タブーに触れたんだしな。
これが最後の乗り換え。
ツンツンしている詞弥の手を引きながら・・・いや、この状況下で手を繋ぐだなんて発想は俺には無かった。だから最初は普通に詞弥の前に立って誘導していただけだったし、そのまま行くつもりだったのに、詞弥が俺の手を掴んできた。なんだってんだ・・・
まあ、そういうことで、俺は詞弥と手を繋ぎながら、やたら長いエスカレーターに乗って、一分掛けて上のホームに移動し、そこに止まっていた発車待ちの電車に乗り込んだ。
降りるタイミングは周囲の同じ制服を着た奴らの動きを見れば分かる。もう、乗客のほとんどがそうだった。
結局二駅でそこにたどり着いた。掛かった時間、約四分。この間、詞弥との会話はゼロ。
扉が開き、南造形の生徒達が、中から押し出されるように一斉に下車。ホーム内に人だかりが出来る。
一つしかない階段を二列になって順に降りていく。俺はそこで詞弥と隣合わせで降りていく・・・改札が見えてきた。
「ほら、改札だぞ。手を離せ。」
「・・・」
詞弥は少し考えて、渋々といった感じで手を離した。別々の改札から外に出る。少し行ったところで詞弥が歩みを止めた。
「どうした?」
詞弥は俺の足元辺りを見て言った。
「敦也君、今私のこと嫌い?」
「なんで?」
「だってさっき、足踏んだり暴言吐いたり、命令口調になったり・・・」
結構気にしてたんだな。
「あれぐらいで嫌いになるかよ。てかそもそも、悪いのは俺だったわけだし・・・」
「でも・・・」
「話し合い、するんだろ?」
「・・・うん」
あ、やっぱりそれはするんだ。
「だったらそれまで、お互いネタは取っておかないか。」
俺は詞弥に手を差し伸べた。
少し間を置いた詞弥は、
「・・・じゃあ、そうする。」
言いながら俺の手を通り越して腕にへばり付いた。
「あっ、詞弥!?」
「良いでしょ。今は一時休戦中なんだから。」
「いや、そうじゃなくて。」
俺は周りを見渡した。ギャラリーの視線が痛い。
時と場所ぐらい考えろ。お前が学校の風紀を乱してどうする。
「仮にもお前は生徒会長なんだろ。」
「確かにそうだけど、生徒会長だからって、彼氏といちゃついたら駄目っていうのは少しおかしいでしょ。」
「俺が記憶を無くす前からこうだったなら仕方ないが・・・」
「あっ・・・」
その時の詞弥の顔は、何かをやらかしてしまった時の表情そのものだった。
「普段道理じゃないことやってどうするんだ。」
詞弥はさっと俺から離れ・・・離れすぎだろ。
「この距離はこの距離で変だろ。」
詞弥はちょこちょこと俺の方へ寄って来た。顔は地面の方を向いている。
「あ、敦也君?」
詞弥はこっちに振り向いた。
「これが一番自然だ。」
手を繋いだ俺達は、学校へと続く一本道をただひたすら歩いた。
周囲から集まる視線が少し弱まった気がする。何にでも言えることだが、度が過ぎると誰かから嫌われる。程よさが大事・・・そう思った。
一年四組の教室。つまり今、俺は六年ぶりのホームルーム教室に来ている。
「ねえ、敦也君。」
あと、詞弥も・・・
「なんだ?」
「話し相手になってあげようか?」
「もう十分話した。」
今、教室には生徒が三分の一くらいしかいない。時刻は八時四十分で授業開始の十分前なのだが・・・
詞弥はさっき駅のホームで会ったポニーテール少女と談笑しながら、俺は一人で、今まであったことをメモ帳に書き出しながら、授業までの時間を潰していた。
七時四十五分―
クラスメイトのほとんどがこの時間になってやっとやって来た。しかしなんだ、来るのは女子生徒ばかりで男子生徒はほとんどいない。美術校だから比率は仕方ないが、それにしても少なすぎる。もしかして、俺って友達いないのかな・・・
七時四十九分―
男子生徒四名が同時に入室。なんだ、いるんじゃないか。
だが、一つ不安が残る。今の四人って、もうあそこでグループできているんじゃないか?だって十一月だぞ。そうだとすると、いよいよ俺はぼっちだ。
さっきのメンバーの一人がこちらへ来る。おそらく後ろの席だ。俺は軽く身構えた。
「おはよう、敦也。」
「おん、おはよ。」
その堀の深さといい、鼻の高さといい、見るからに外国人顔だった。絶対モテるなこいつ。
ぼっちではなさそうだったのでとりあえず一安心だったが、名前が・・・結局何が問題なのかって言うとやっぱり名前なんだよな~
今の俺は、入学してから自己紹介をするまでの期間並に人と喋りづらい。マンツーマンでなら良いが、複数で固まって話すとなると、名前が分からないのは致命的だ。
思い出すまではいかないでも、知る必要がある。
ピーンポーンパーンポーン・・・
チャイムが鳴り、現代社会の教師が教卓までやって来た。
俺はその時間、授業の内容をほとんどを聞き流していた。現代よりも現在の方が重要だ。クラスメイトの名前を把握するのに一生懸命だった、それはこの時間に限ったものではなくその後の授業も、三時間目後の授業も、俺はノートだけ書いて、話は聞いていなかった。教師が生徒を当てる度に、その名前をメモっていた。ノートの内容を見る限り、社会以外は王都で習ったものと同じだったので、勉強のほうはまあ問題ない。
四時間目は例の体育の授業だ。男子は持久走、女子はバスケットボールと、不公平な授業内容に少々不満ははあったが、口には出さないでおく。
俺は、俺の考えていたことと全く同じ文句を言う男子たちの集団に紛れて、この教室がある五階から、更衣室のある一階まで、ひたすらに階段を降りた。
クラスで十人しかいない男子の中にも、見たところ二つのグループが存在していて。一つは、あまり色気の無い地味・・・大人しいグループで、もう一つがいかにも高校生活エンジョイしていそうな奴らのグループ。ただ、美術校だけあって、エンジョイグループもパリピではない。少し活動的で、女子とも喋る程度だ。
俺はいったいどっちに属しているのか。まずそこが気になるところだ。ちなみに、俺の後ろの席のハーフは後者のグループだった。名前か苗字かは分からないが、マナンと呼ばれていたのを十分休憩の時に目撃している。
更衣中、大人しいグループはゲームの話、エンジョイグループは女子の話に、それぞれ花を咲かせていた。俺はと言うと、その中間ぐらいで着替えていた。どっちから話されても対応出来るように・・・
「ああぁ~俺も彼女ほちいぃ~」
マナンが腹の立つ口調で言う。お前はできるだろ。
「お前はできるやろう、イケメンやし・・・」
ほら誰かもそう言っている。
「おもろかったら絶対モテる。」
だそうだ。
「おもろかったらな・・・」
「なんでそんなこと言うん、海音。」
カイトか・・・なかなかSっ気のあるやつだな。スマホのメモ機能に書いておく。
てか、マナン、喋りはバリバリの日本人じゃないか。
「そう言えば春樹、今どんな感じなん?」
あ、あれハルキって言うんだ・・・メモメモ。
「それが、すごいで。俺、デート誘っちゃった。」
「おっ、やるやん。」
「春樹ももうすぐこっち側やな。」
海音がさり気なくリア充アピールをする。
「ユッキーは・・・」
「幸成は無理や。あいつ今、ミヨちゃんにしか興味無いから。」
「ミヨちゃんって、あのアイドルの?」
「そう。まさかちょっと前までアイドルのこと馬鹿にしてたあのユッキーがな・・・人生何が起きるか分からへんな。」
「俺はアイドルが好きなんじゃないねん。ミヨちゃんだけが好きやねん。ミヨちゃんが出てる動画見てみ。絶対ハマるから。」
ユッキーことユキナリは重度なアイドルファン・・・っと。
意外と簡単に全員の名前分かった。こんなことならさっきの現代社会、真面目に受けときゃ良かった。俺の習った現代社会の授業は、こっちの世界では全く役に立たないみたいだ。そもそもあっちは民主政じゃなかった。
「なあ、あっちゃん。今何時?」
不意に、呼ばれなれない愛称で呼ばれたので、自分のことだと気付くのに少々時間を食った。
俺は着替え終わっていたので、体操服袋から腕時計を取り出して言った。
「十一時・・・四十八分。」
四人が口をそろえて言った。
「あ、やべっ(やばっ)・・・」
今気づいたが周りには俺達以外いなかった。多分皆んな運動場だ。
「じゃあ俺、先に言ってるわ。」
俺は、慌てて長ズボンの中間に足が引っかかって飛び跳ねたりしているそいつらを一瞥してから、更衣室から出た。
「あっちゃ~ん!」
そう聞こえて来たが、聞こえないふりをした。
一つ分かったことがある。あいつら四人は、俺の友達だ。証拠は無いが、そんな気がした。
チャイムが鳴る。
その時俺は体育教師の前にできた四列の中にきちんと混ざっていた。あいつらはと言うと、点呼を取っている最中に飛び入ってきた。しかし、名前を呼ぶ前に来たのでセーフらしい。俺はこの時も苗字を覚えようと必死になっていた。大体半数は覚えたかな・・・
ラジオ体操も大変だった。王都にいた頃は第一しかやってこなかったので、いきなり第二と言われても困る。ただ、最後列だったのが唯一の救いで、前の奴の動きを真似ることでその場は切り抜けた。
その後の二十分完走では、体の異変に気付いた。王都で騎士をやっていた俺はそれなりの訓練を受けていたので、体力も常人の二倍くらいあった・・・はずなのだが、僅か五分走っただけで疲れが出てきた。足が重い。こっちの俺は絵を描いてばっかりで運動をあまりしていなかったみたいで、俺が脳から出す指示に体は全く付いて来なかった。
チャイムの鳴る五分前に授業は終わり、チャイムが鳴る頃に着替えを終えた俺は、さっきの四人に昼食を誘われた。食堂で食べると聞いたので丁度昼飯代の五百円を渡されていたことを思い出した俺は、即オーケーした。
四人の内、三人は教室に弁当を取りに行き、俺は残った一人と直接食堂へ行き、人の少ないうちに列に並んだ。
「敦也は、最近どうなん。」
「どうって?」
「生徒会長さんと・・・」
そう言えば、こいつもさっき彼女持ちっぽい喋り方だったな。
「朝っぱらからケンカした。」
「マジかw。仲直りはしたんか?」
「今は一時休戦らしい。そう言う海音は?」
「会長らしいな。俺は、そうやな・・・昨日の帰りに初めて手を繋いだ。」
「ピュアかよ。付き合ってどれくらいだっけ?」
「七ヶ月・・・あ、担々麺で。」
入学していきなり付き合ってるじゃねえか。
「あ、俺も担々麺で。」
「敦也は二年だっけ?」
二年前・・・中学二年生か。
「まあ、もともと幼馴染だったしな。」
「付き合ってて、結局同じ高校に入学するって、しかも専門的な学校って、すごいよな。」
確かにそうだな、将来の、就職のこととか考えたのだろうか?
俺達はトレーを持って長机の端っこに移動した。
「あ、春樹。こっちや。」
海音が入り口付近にいた、コンビニの袋を下げた三好春樹に手を振った。
春樹がこっちへやって来ると、それに連なって尾形幸成とマナン=アンドレルも弁当の包みを持ってやって来た。体育の時に男子の苗字は全員覚えた。ちなみにさっきまで話していた海音の苗字は日比谷である。
春樹、幸成と順に席に着き、マナンがきたところで春樹がそこに自分のリュックを置く。
「なんでそんなことするん?」
男子グループの典型である。だいたい一人はいじられキャラがいるものだ。
もちろん本気でやっているわけではないので、その後すぐにリュックサックはどけられ、男子五人、仲良く昼食をとった。
午後一時十五分―
「あ、そろそろ行かな。」
スマホの画面を見た海音が言った。
「次どこやっけ?」
俺は何気ない感じで聞いた。
「敦也は・・・実習棟の三階や。」
敦也は・・・ってことは、全員じゃないのか?
「じゃあ、またホームルームで・・・」
「スゥィーユー」
「バイビー」
春樹、マナン、ユッキーの順に別れの言葉を残し、三人は去っていった。
実習にはスペースが必要で、一つの部屋じゃ足りないから、二つに別れて行う、ってことでいいのか?
その場に取り残されたのは俺と海音、俺は実習に何が必要か知らなければならないのだが、今から詞弥に電話を掛けるのでは間に合いそうも無かった。
だから、さっきと同じようになるべく自然に・・・
「今日、何がいるっけ?」
「どうした敦也。いつもはそんなん聞かんのに・・・」
まずい、感づかれた。
「テスト前やから、勉強のことしか考えてないんやろ。」
なぜか知らないが、切り抜けれた。
「ちょっとぐらい手え抜いても一位取れるやろ。敦也なら。」
「結構裏では苦労してるんだぞ。」
なんとなく話を合わせとく。
「今日は油絵セットだけでええと思うで。」
「どこに置いたっけ・・・」
なんか今ならいけそうだったので、とことん聞く。
「部室じゃね。」
部室?どこにあるんや。と言うのはさすがにまずいと判断したので言わなかった。どうする、結局動けなくなった・・・
「俺も部室だから、行くか。」
海音ナイスゥー。
「うん。」
「ヤバ、急がんと遅刻する。走ろ。」
「おう。」
ちらっと腕時計を確認した。
一時二十五分。タイムリミットはあと五分。五時間目開始の予鈴が鳴る中、俺は海音の後に続いて、実習棟らしき建物に向かって、履いているスリッパが脱げそうになりながらひた走るのであった・・・
天井の高い教室の妙な開放感。勉強机四つ分サイズの机が約十台並べられ、各机の前にはイーゼルが二台ずつ並び、そこにはそれぞれが描き進めているキャンパスが立て掛けられている。部屋に充満するオイルの匂い。絵を書くためだけに用意されたであろう環境がそこにはあった。
「今日は前回から描いている自画像の続きを、まるまる二時間使ってなるべく完成に近づけてもらいます。」
少し不思議な雰囲気をした若い女の教師が前で話している。生徒の方はと言うと、きちんと前を向いて、私語一つせずに真剣な眼差しでその話を聞いていた。普通教科の授業とは大違いだ。朝の授業では開始早々夢の中にいた奴が、今だけは勉強熱心な奴になっていた。普通教科の教師がこの光景を目にしたら、態度の違いにキレそうだ。
「今日はごちゃごちゃ言いません。思う存分描いてください。どうぞ。」
担当教師はそう言ったのだが・・・俺的にはごちゃごちゃ言ってもらいたかった。油絵のやり方なんてもう覚えていない。向こうの俺は剣の稽古しかしていなかった。
もう周りの人の描き方を見よう見まねするしか無い・・・と思ったが、出席番号が悪かった。最前列では覗けない。
いよいよ打つ手がなくなった俺は、机に置かれた鏡に映る自分の顔を、余計なことは考えずに、見えるがままに描くことにした。
まずパレットの上でチューブを・・・あ、なんで緑なんて出しているんだ。使うのは黒色だろ・・・
その瞬間、俺の脳にビジョンのようなモノが流れた。
―ねえ敦也君、どうやったらそんな絵が描けるの?
―ああ・・その絵、ちょっと貸してみ。
―あ、うん。ハイ。
―これは・・・黒を使い過ぎなんだよ。ここを暗くしたいなら、この色と反対の色、この場合緑とか青を加えてやって・・・ほら。
―あっ、なんかそれっぽくなった。よく知ってるんだね、敦也君。
―まあ、絵画部だからな。
―私も入ろうかな・・・
―え?
―ほら荒川、前を向きなさい。
―すいません先生。
「やっぱり上手いねえ・・・」
気が付くと俺は、意思とは無関係に勝手に色をのせていた。
「さすが絵画部やな。」
教師が俺を褒めるが、素直に受け取れない。だって俺の手が勝手にこれをやってのけただけで、俺は何も考えていないのだから。
それにしてもさっきのは何だったんだ。断片的に記憶が戻ってきている・・・
その後も俺は絵を描き続けた。六年経っても感覚は忘れなかった。詞弥と手を繋いだ時もそうだった。
授業が終わり、俺は今になって詞弥の存在に気が付いた。なにせ最前列で、この教室にチャイムと同時に入った俺は、メンツを確認する暇もなかった。
詞弥がこちらに気付く。さっきまで話していた駿河加奈に何かを言い、駿河が頷くなりこちらに駆け寄ってきた。ちなみに駿河という苗字は、二限目の授業で彼女が当てられた際に知った。
「敦也君、なんか久しぶりだね。」
「まだ別れて二、三時間だろ。」
「そうだけどさ・・・」
「この授業って、二グループに分かれて行うんだな。」
現に半分の生徒しかここにはいない。
「えっとね・・・この授業というか、この時間は、かな。」
と、言いますと・・・
「私達がこの平面造形の授業を受けている間、もう半分の人達は、他の分野の授業を受けているんだよ。確か今日だと立体の授業だったかな・・・」
「つまり、俺達はまた別の曜日にその立体の授業とやらを受けるってことか。」
「そういうこと。」
なんとなくこの学校のシステムが分かった。
「それより、どうだった?」
「何が?」
「とぼけても無駄だよ。後ろの席から、ずっと見えてたんだから。敦也君の絵。」
「ああ・・・」
「どうして描けたの?王都では騎士だったんでしょあなた。」
「なんか、思い出したんだよ。描き方とかじゃなくて、描く感覚を。」
「私、絵に負けたんだ・・・」
詞弥が少し大げさに落胆してみせる。
「それが違うんだ。」
「どういうこと。」
詞弥は首を軽くかしげた。
「実は、俺がその時思い出した記憶の主役は、詞弥だったんだよ。一つ前の人物画の授業で、思うように描けなかった詞弥が、絵画部員だった俺に救いを求めてきて・・・」
「そのアドバイスを聞いて、私は絵画部に入部した。」
「結局入部したのか?」
「それは知らないのか・・・」
「ごめん、そこまでしか・・・」
「でも、嬉しかった。」
「うん?」
「一つとはいえ、敦也君が私との思い出を思い出してくれたから。なんか自身出てきたよ。私、愛されてたんだな・・・」
「なんだよそれw」
「ねえ、あれ見て。」
詞弥は、教室の後ろに掛けられた絵を指差した。あんなところに絵なんてあったのか・・・
「あれ、前の代の優秀作品。」
確かにそこにある絵は、そう言われて納得できるものばかりだった。
「あれが一応この一年間でこなす課題なんだよ。」
壁の端から端まで並べられた、四種類の作品を、指で横から順にスライドしていく。
「で、今回の授業はあれ。」
分かっとるわ。自画像って言ったらあれ以外あり得ないだろ。
「敦也君なら、あそこ狙えると思うよ。」
「詞弥も狙えよ。」
人の目標つくってどうする。自分の目標にしろよ。
「私はだって、リアルに描けないもん。」
「いや、リアルである必要は無いと思うぞ。ほらあれ。」
俺は今の二年の誰かが描いたであろう自画像の右から二番目の上から二番目を指した。
「真っ青じゃないか。人の肌はあんな色をしていない。けど、あの人は自分の顔を真っ青に描いた。あれのどこがリアルだ。だけどあれはあれで魅力がある。何より、他のものと比べて、明らかに目立っているだろ。リアルな絵を描けるだけが優秀じゃないんだよ。」
知ったように話すが、俺は記憶喪失者だ。さっき取り戻した感覚だけで話している。
詞弥は拳を顎に付けて考えた後、「なるほどなあ」と感嘆の声を漏らしていたのを見ると、それなりの説得力だったのであろう。
俺は、その後も優秀作品の自画像を見ていた。優秀作品ともなると、どの絵にもその人らしさが出ていて、なんというかその人の性格とかもそこから伝わってく感じがする。
例えばあの、一番左上の作品。その堂々たる表情からは、自信やプライドの高さを感じる。その上団子にした髪の毛に金色のかんざしが刺さっているものだから、実に女王という称号がふさわしい・・・誰かに似ている気がするが。
「敦也君、そろそろクラスに戻らない?ホームルーム始まっちゃうよ。」
「あ、ああ。」
なんか見覚えあるんだけどな・・・
詞弥と廊下に出、実習棟と本館の連絡橋を渡り・・・
「ああ!」
「へっ!?」
「悪い、忘れ物した。」
「う、うん気を付けて・・・」
俺は詞弥の言葉を聞き終えるより前に、その場から去った。来た道を逆に、さっきの連絡橋を過ぎ、実習室の前まで行き、
「どうした荒川君。」
「ちょっと忘れ物しました。」
鉢合わせした先生を回避して、中に入った。さっきの自画像を探す。もう一度見て、俺は確証した。
アシアがこの学校にいる・・・
ホームルームの最中、俺はあることだけを考えていた。無論アシアのことである。
アシアとはもうしばらく会えないと思っていただけに、同じ学校に通っていると知った時の衝撃は強かった。しかも、こちらではアシアは同級生ではなく、一つ上の先輩にあたるらしい。
しかし、それが問題だ。二年生との面識が無い俺が、二年の教室に入って、こっちでなんと呼ばれているのかも分からない先輩を探すわけだから。
せめて名前だけでも分かれば良いのだが・・・
いや、待てよ。名前が分からないなら聞けばいいじゃないか。先生に。
とにかく、これが終わったらもう一度さっきの実習教室へ言ってみよう。運が良ければ誰か先生がいるかもしれない。それに、その隣の教室は絵画部の部室でもある。油絵が飾られていたんだし、絵画部で会えるかもしれない。
でも、いたとしてどうする?この場合俺は、どのように名前を聞き出せば良いのだろうか。『あの人、なんて名前なんですか?』じゃ、不自然だ。もっと自然な感じで、先生がポロっと口にしてしまうような感じの状況にもっていく方法は無いだろうか・・・
「・・・つや君。」
例えば、生徒を自慢したい気持ちにさせるとか、誰かの自慢をする時、その人の名前を会話の中に入れる気がする。
「敦也君。」
「あ。」
「あ。じゃないよ。何回呼んだと思ってるの。自分の世界に入りすぎ。」
腕を組んだ詞弥が、椅子に座る俺を覗き込むようにして見て言った。
「すまない。」
周りのざわつきからして、ホームルームはいつの間にか終わっていたみたいだ。
「何考えてたの?」
アシアのこと・・・とはさすがに言えない。たとえ詞弥がアシアと同じ境遇の者であったとしても、それを話すことはできない。それを知るということは、同時に俺がそいつとキスしたことも知れてしまうのだから。それで二人が出会ってしまった時には・・・修羅場の完成だ。
俺は黒板の右端に書かれた『金』という文字を目にする。
「休日どう過ごそうかな・・・って。」
「テスト勉強じゃないの?」
「え?」
「さっきのホームルームでも言ってたでしょ。聞いてなかったの?」
「聞いていなかった・・・」
「昨日から部活動も停止だから、今日はもう帰りましょ。」
なんと、部活ができないのか。詞弥が言うには、放課後は実習棟にすら入れないそうなので。残念だが、この件は少し保留になりそうだ。
―その日の帰り道でのことである。
「敦也君。明日暇?」
「この土日はテスト勉強が・・・」
「それは全然問題無いの。その話だから。」
と言うとあれか、勉強会のお誘いか。
「勉強会しない?私の家で・・・」
ほらやっぱり・・・って、詞弥の家!?
「そんなに驚いた?」
「前の俺はよく行ってたのか?」
「私の家?小6まではよく。でもそれ以降はこれが初めてだと思う。」
「良いのか、そんなところに行って。」
「良いんだよ、誰もいないし・・・」
えっ、今なんと?
「悪い、今のもっかい言ってもらってもいいか?」
「家には誰もいない・・・」
詞弥の顔がみるみる赤くなっていく。
「いや、別に、そう言う意味、じゃないからねっ。」
「分かってる、そんな気は全く無いから安心しろっ。」
「それはそれで・・・」
「ん?」
「いや、なんでも無い。じゃあ、明日は朝から勉強ね。」
「分かったよ。」
それだけ約束して、その日は別れた。
「ただいま。」
「おかえり、あなた。ご飯にします?お風呂にします?それとも・・・ア・タ・シ?」
「じゃあご飯で。」
「なんでやねーん!」
ツッコミ・オブ・関西である。
「再婚の相手が欲しいからって、毎回俺で練習するのはやめてくれ・・・ってか、何だその格好は・・・」
俺が見たのはショックなことに四十二歳の裸エプロンであった。息子として、マジで恥ずかしいから今すぐやめてくれ。仮に再婚したとして、そんな場面が訪れることはまず無いから心配しなくていい。
「若いんは顔だけやないんやから。ほら、この肌、このライン!」
自信満々に見せつけてくる。もう限界だ。110に電話してもいいか?「家に帰ったら、半裸の母が待ち構えていました。」って。まあ、まともに取り合ってくれないだろうが・・・
「安心しい。この下にちゃんと下着は着けてるから。」
エプロンをくわっと持ち上げる。なんだその勝負する気満々の下着は。
「何も変わんねえよ。俺のあんたに対する不安と不満は未だ健在だ。」
そろそろいい加減にしてくれ、相手にするのが面倒くさい。そんなんだからいつまで経ってもシングルマザーなんだよ。もっとこう、歳に見合った良さっていうか・・・なんかあるだろ。少なくとも、それで寄ってくるのはエロジジイだけだ。
「俺、部屋行くから・・・」
「ちょっと敦也、待ってえや・・・」
俺は一度も振り返ることなく、二階の自室に入り、念には念をと鍵を閉めた。
この後結局、夕飯を食べに一階に降りたが、その頃にはさすがに反省していたらしく。母は長袖長ズボンで、露出量はさっきとほぼ真逆になっていた。
それと、晩御飯だが、二日連続の肉じゃがではなく、代わりにハートマークの入ったオムレツがやって来た。レパートリー豊富で何よりだ。考えは毎回同じだが・・・
午後十時半―
色々と疲れた。
朝から詞弥とは喧嘩し、クラスメイトの名前を覚えるのに必死になり、よく分からないままに油で自画像を描き、家に着くなり半裸エプロンの母の相手をさせられた。とんでもなく濃い一日だ。こういう日に小学校の作文の宿題が出れば、軽く十枚は埋めれただろう。
そんなどうでも良いことを考えながら、俺はベッドの上で目を閉じていた。
そう言えば、今日はそんなことよりもっと凄いことがあった。実習室の優秀作品の中に、アシアの自画像が混ざっていた。名前が書いてあったとかいうわけではないので、まだ確定したわけではないのだが、俺の目がくみ取った視覚情報からすれば、おそらくアシア本人で間違いない。
何とかしてアシアとの接触を果たしたいのだが、それをするには、詞弥とアシアが出会ってしまうという可能性を忘れてはいけない。ここに来るため何をしたのか。ここに来て最初に何をしていたのか。それがそれぞれに知られた瞬間、修羅場への一本道が確定する。
世界は違えど俺は二人の女性を愛してしまった。しかも今となってはその二人が同じ世界に存在していたことも知る。完全に二股だ。こっちでは詞弥、あっちではアシア。そういう風にできれば良いのだが、さすがにそうはいかないだろう・・・
今そんなことを考えたところで打開策が見つかるはずもなく、一旦諦めが付いた俺は、何も考えずにただ眠ることだけを考えて、結局遅くまで眠れなかった・・・
ふと、誰かの声が聞こえた。
「・・・敦也君。」
敦也・・・俺のことか。
どこを見ても真っ暗で、人なんていない。
「敦也君。朝ですよ~」
朝・・・っあ。目が開いていないからか。
乾ききる前のボンドを引き剥がすように下瞼と上瞼を引き剥がした。っあ、光が・・・
「やっと起きたね。」
やがて白いモヤが晴れていき・・・
「あっ、どうして・・・」
今俺が寝ている真上から、詞弥が覗き込むようにして見ていた。
「やっと起きた。これで起きなかったら水でも掛けようかと思ってたんだけど・・・」
俺は酔っ払いか・・・
「どうしてここに居る?」
そう聞くのが当然である。
「迎えに来たんだよ。」
「なんの・・・ああ、勉強会か。」
「そう。」
「今何時だ?」
「五時。」
「そうか・・・っえ、五時!?」
確かに朝からとは言っていたが、いくらなんでも早すぎるだろ。大体・・・
「どうやって入った。母親も涼也も起きていないんだろ。」
「うん、皆んな寝てるよ。だから・・・」
詞弥は金属の塊を指でくるくる回していた・・・
「それって!?」
「そう、合鍵。敦也君ママが昨日くれたの。夜這いでもなんでもしちゃっていいからって・・・」
あのエセ二十代め・・・ん?これ褒め言葉じゃね。
「それはそうと、さすがに五時は早くないか?」
俺は起き上がりながら言った。
「勉強は朝早くのほうが身につきやすいんだよ。」
「さいですか。」
まあ、今更出直して来いと言っても無駄だろうから、俺は洋服の入ったタンスを開き、着替えを取り出し・・・
「あ、詞弥。廊下に出てろ。」
「え?」
「いたいなら良いけどさ・・・」
俺は服を脱い・・・
「あああっ、ごめんすぐに出るからっ・・・」
ガチャ・・・バタンッ・・・
詞弥は慌てて出ていった。
俺はパンツ以外全て脱ぎ捨て、代わりにジーパンと長袖、そしてフードを着て(ここまで一分)、
「もう良いぞ。」
ベルトを閉めながら声を掛けた。
たった今このやり取りにデジャブを感じた。今日は朝からデジャブが多い。
「お邪魔しま~す・・・」
ゆっくりドアを開けて入ってきた詞弥は、(さっきはバタバタしていて気付かなかったので、)記憶を失くして以降初めての私服姿だった。
白のタートルネックに、ショートデニム、黒のニーハイソックス。そして上からグレーのカーディガンを羽織っていた。
「あんまりジロジロ見ないでよ。」
「あ、悪い・・・つい見とれた。」
「あ、やっぱり、いい・・・かも。」
「あ・・・」
どう答えるべきなんだこれは。もう一度見つめればいいのか?いやそれはなんか違うだろう。
「・・・」
「・・・」
「そ、そろそろ行くか・・・詞弥の家・・・」
気まずい感じに耐えかねた俺は、そう言って話をそらした。
「・・・あ、うん。そうだね。」
歯切れの悪い会話だ・・・
そんなことを思いながら、俺は提出課題と筆記用具だけ用意して、詞弥と部屋を出た。途中、気まずさ晴らしに母と涼也を大声で呼び起こし、およそ帰るであろう時間だけ言い残し、家を出た。
外はまだ暗かった、十一月後半のこの時間はどっちかというと夜だった。
家を出てからも外を歩くのはほんの二十秒弱で、すぐに詞弥が住む信濃家へ到着。
「苗字で読んだら口聞かないからね。」
家の表札を見つけた俺に、詞弥は言った。
「もうさすがに詞弥で慣れた。」
再開してから今まで、何度口や頭の中でそう呼んだか分からない。
「ほら、遠慮無く入って。誰もいないから・・・」
詞弥がそう言うだけでドキドキしてしまう、俺であった。言った本人も顔を赤くしている。大丈夫かこれ。勉強どころじゃなくなる気がする。
「ほら。」と詞弥にもう一度言われ、仕方なく足を踏み込んだ。
女子と二人っきりの一日が始まる―
「勉強ったって、どこでするんだ?リビングか?」
今は詞弥の家族も居ないし、その可能性が高い。
「私の部屋・・・」
「えっ?」
俺の予測は的外れだった。まさか彼女の家で二人っきりと思いきや、もう一段上の彼女の部屋で二人っきりになるとは・・・いきなり勉強どころじゃない。いったい詞弥は何を考えているんだ?
俺は詞弥の案内で階段を上り、そして二階の上がってすぐの部屋に通された。
通された部屋は、女の子の部屋って感じで、ベッドにはランドセルサイズのうさぎのぬいぐるみが置いてあり、それに抱きつくように一回り小さい猫のぬいぐるみが・・・今動いた。
棚に少女漫画が並んでいたりするのも実に女の子らしい。タイトルが目に入る度、立場上恥ずかしくなってくる。
部屋全体は綺麗にに整頓されていて、どっかのお姫様の部屋とは大違いだ。
っと、そういう環境なのだが、今非常に居心地が悪い。
先程、詞弥が飲み物を持ってくると言って下に降りていったのだが、帰ってきた時どう対応しようかとか考えていると、どうにも落ち着かない。いっそ目の前に見える窓から逃げ出してやりたい。そんなことすら思ってしまう。
どうにか気を紛らわそうとキョロキョロと部屋を見ていたところ、俺はベッドの下に何かを見つけてしまった。初めはそっとしておこうと思ったが、そういえば昨日の朝、詞弥は俺(六年前の)がベッドの下に隠していた物を部屋に入るなり物色していた。その時の借りを返してもらおうじゃないか・・・
俺はベッドの下に手を伸ばした。女子にとってのエロ本的存在ってなんだ。BLか?
よし、掴んだ。俺は掴んだ本状の物を自分の方へ寄せた・・・その瞬間。
コンコンコン・・・
ノックが鳴り、扉が開く。
「おまたせ。」
詞弥はトレーにオレンジジュースっぽい液体の入ったグラス二本とスナック菓子のはいった木製の皿を載せて持って来た。
そして、
「今何か隠した?」
俺がさっきの本を持った手を後ろに隠したのをいち早く察知した。
「いや、何も?」
「嘘だ。」
詞弥はトレーを机に置くなりこっちに迫って来た。
「出しなさい。」
「な、何を・・・」
「とぼけても無駄よ。」
ついに手がまわり、さすがにごまかしきれなくなったので諦めて机の上に出した。
「・・・あ、それって!?」
詞弥は両手で顔を抑えた。
「ほんと気にしてるんだな。」
その表紙には『胸を大きくする方法100』と書かれていた。
「あれ、なんか付箋が・・・」
俺はつい、そのページを開いた・・・
「ストップ!」
詞弥がそう言ったが時すでに遅し。
目的のページが顔を見せた。
『その50 彼氏に胸をもんでもらう』
「詞弥・・・」
「だから駄目って・・・」
「ここに呼んだのって本当はこれの・・・」
「だから違うんだって。」
「じゃあ、なんでここにだけ付箋が・・・」
「これね、サブタイトルはこんなんだけど、自分でもできるって書いてあるでしょ、ほら、ここ。で、継続させるために忘れないように付箋を貼ったの。」
「じゃあそういうことで。」
「だから、本当なんだってば。」
だいたい、ベッド下のものについてはあまり追求してはいけないよな。俺も嫌だった。
「分かった、信じるよ。」
「お願いします。」
「ただ・・・」
「ん?」
「今度揉んで欲しくなったら言ってくれ。」
急に詞弥の顔が真っ赤になる。
「敦也君の馬鹿ぁぁ!」
その本で顔面を殴られた。あ、今なんか記憶が・・・
高校・・・いや違うな。多分それは中学校時代の記憶だ。
ある暑い夏の朝―
俺の一日は、登校を拒否する詞弥を無理やり連れ出すことから始まった。
「ほっといてよ!」
「そういうわけにも行かないだろ。」
拒む理由はというと、その日の午後のプール授業。それ以上は言わなくても分かることだ。
「だって、前の授業の時に一年ぶりに水着を着たら、小六の時に板だった娘も皆んな膨らんでて、気付いたら板は私だけで、しかも、男子たちからは変に期待されてたみたいでプールサイドに上がった瞬間皆んなすごくがっかりしてたし・・・」
確かに・・・小学校の時から詞弥は男子生徒注目の的だった。勉強もできたし、顔も可愛く、背も少し高め。胸以外は完璧だった・・・ということに気付いたのがこの前の授業である。
「敦也もそう思ったんでしょ?」
「俺は別に嫌いじゃないぞ・・・貧乳。」
「貧乳言うな!私が嫌なの。」
俺はこの時若かった。だから今思えば馬鹿なことをこの時言ってしまった。
「胸って揉まれたら大きくなるって聞いたことあるぞ。」
「え、それってどういう・・・」
「いや、俺達今付き合ってるだろ?」
はっと気付いた詞弥の顔が赤くなる。
「だから俺ぶぐぅぁあっ!?」
カバンで殴られた。
「ばっかじゃないの・・・敦也のばーか、ばーか。」
そう言って詞弥は家を飛び出していった。無論、学校へ行ったのである―
そうか。あの時もこんなふうに殴られたんだった・・・
「なあ、詞弥。」
俺は『胸を大きくする方法100』で殴られた部分を擦りながら聞いた。
「前にもこんなことあったよな。中学一年の夏のプール授業の・・・」
「え・・・思い出したの?」
やや嬉しいという感じの表情で、俺に迫る。
「殴られて思い出した・・・」
「・・・じゃあ、もう一回・・・」
詞弥が例の本を握る。
「やめてくれ。さっきのは殴られた時の記憶だったから思い出しただけで、殴って記憶が戻るというのは違う。」
第一俺の身が持たない。いったい何回殴られればいいんだ。逆にそれで記憶を失くしそうだ。
「残念。いい手だと思ったのに・・・」
お前は昭和人か。テレビの接続が悪かったら叩くのか?
「じゃあ、他の手試してみようか。」
詞弥はなんでもなさそうな鼻歌を口ずさみながら、引き出しの中からピンクのフォルダーを取り出し、机の上にそれを置いて、自分は俺の横に座った。
「ん?次の手って・・・」
「写真だよ。」
フォルダーの表紙には『私と敦也の物語』。
「痛いぞ、お前。」
そういえば、ここでは俺は呼び捨てなんだな。
「なあ、さっき記憶が蘇った時、一つ気になることがあって・・・」
「どうしたの?」
「中学一年の時、詞弥は俺のこと呼び捨てにしていた。このフォルダーもそうだ。」
何か理由でもあるのか。そんな気がして聞いた。
「う~ん・・・イマイチ覚えてないな・・・」
「そうか。」
「思い出したらまた話すよ。それよりほら、このアルバム見よっ。」
「ああ、そうだな。」
俺はフォルダーを開いた。
「これ・・・」
「そう。私達の物語はここから始まったの。」
なんだその言い方は。
写真に映るのは、俺の母親と、おそらく詞弥の母親であろう人物。その二人が抱きかかえているのが、当時赤ん坊だった俺と詞弥。
「こんな時から・・・」
というか、十五年前からほとんど変わらない自分の親もまた衝撃的だ。
「見て、これ。」
詞弥がページをめくる。
「実は敦也君の初めてはこの時にもらっちゃってるんだよね・・・」
そこに写っていたのは、赤子にしてキスを交わす、と言うよりはキスをさせられた俺達だった。両母に言ってやりたかった。俺らはお人形じゃあありませんよ・・・
ってことは・・・おい、待てよ。
俺達がキスをすることが何を意味するのか・・・それを俺は忘れていない。嫌ほど承知している。
つまり、俺はこの瞬間から、夢の中へ・・・しかし、アシアとのキスは六年前と一昨日の二回だけのはず・・・
ということはまさか―
「敦也君、大丈夫?」
「・・・ああ、大丈夫だ。」
「なあ、一昨日の夕方、俺達が再会した時、夢か現実かって話しただろう。」
「あ~。敦也君、こっちに居る間はこっちが現実だって言ってくれたんだよね。」
「ああ、でも今気が変わった。」
「それって・・・」
詞弥はあの時と同じ暗い顔をした。
「俺やっぱ・・・こっちが現実だと思う。」
「え?」
予想が外れた間抜けな顔で詞弥はそう発した。
「だから気が変わって、こっちが現実な気がしたんだよ。」
「えっ、どうして。あの時は必死に否定していたくせに・・・」
詞弥はおそらく世界を移動するトリガーがキスだと言うことにはまだ気付いていない。こっちでのキスが先だったと言ったところで意味が分からないだろう。だからといって、そのことについて説明をすれば、アシアの存在に気付いてしまう。俺がある意味二股を掛けていることにも・・・
「写真を見て気が変わったんだよ。」
全く理由になっていなかったが、詞弥は「嬉しい。」と一言ってなぜか納得した。
今度もしアシアに会った時、この事実をどう説明しようか・・・きっとショックだろう。今まで現実だと思ってきたのが全て夢だったと言われるのだから・・・むしろ言わない方がいいんじゃないだろうか・・・
「ほら、他の写真も見てみて。色々思い出せるかも知れないでしょ。」
それはまた今度考えればいいか。第一、どっちが最初か分かっただけで、その現象の起こる理由については何一つ分かっていない。問題はまだ解決されていないのだ。
「敦也君?」
「・・・ああ。」
まずはこっちの記憶を取り戻さないことにはどうにもならない。
俺は詞弥に言われるがままにページをめくり、そして写真一つ一つの説明を聞いた。現実と知ったからか、その写真一枚一枚が懐かしく感じた。
そうやって、忘れた思い出に浸っていると、気付いた時には窓の外は明るく、人の話声や車や自転車の走る音など、随分と賑やかになっている。
それもそのはず、俺のスマホの画面には『11:30』と表示されていた。
「もう五時間も経ったのか。」
「えっ、ほんとだ。」
話に夢中になっていたとはいえ、時間が経つのは早い。
「昼飯、どうするんだ?」
「それなら任せて、最初から作るつもりだったから。敦也君、私が弁当を作ってきた時、いつも喜んでいたんだよ。」
「それは、期待だな。何か思い出すかも知れない。」
「ほんとにそうかも知れないよ。」
アシアにも手作り料理を振る舞ってもらったことはあるが、あまりいい思い出では無い。
「じゃあ、作ってくるね。」
そう言って、詞弥は部屋を出ていった。またも俺は取り残される。
・・・
「あっ。まだ一回も勉強して無い・・・」
俺は持ってきていたいつものリュックサックから、提出物と筆箱を取り出した。
コンコンコン・・・
「あー敦也君、ドア開けて。」
詞弥が一階から上がってきた。
立ち上がりドアノブにてを掛ける。
「はい。」
「ありがとう。持ってきたよ。」
「悪いな。」
「いえいえ。」
にしても、豪盛な昼食だな。さっきのトレー一枚が一人い分で、今詞弥はトレー二枚持ち・・・
「重っ・・・」
「すまん、貰うよ。」
二枚とも受け取り、机の上に載せた。
向かい合わせで座るのかと思いきや、窮屈ながら隣合わせで座った。
「食いづらいな・・・」
「でもこっちの方がいい。」
そうっすね・・・
「それにしても凄いな、このクオリティといい、種類といい・・・」
白米にタクワン、サラダ、味噌汁があって真ん中にはとんかつ。和食屋さんの定食じゃないか。
「まあ食べてみてよ。」
「いただいます。」
「どうぞ召し上がれ。」
切り分けられたとんかつの一切れを口に運ぶ。噛んだ瞬間、サクッと音が鳴った。
「うまい。」
「良かった・・・まあ、大したことはしてないんだけどね。」
「昼からこの種類作るってだけで結構すごいよ。」
「お嫁に欲しくなった?」
「・・・ゴホッ、ゴホッ。」
「だいじょうぶ?」
「いきなり変なこと言うなよ。」
「ふふっ・・・」
詞弥はイタヅラっぽく笑った。
俺は最後に味噌汁を飲み干して、完食した。
「ごちそうさまでした。」
「お粗末さまです。」
ちなみに詞弥は自分の取り分を既に食べ終えていた。
「じゃあ、下げてくるね。」
「あ、なんか悪いな、俺が持っていくよ。」
詞弥からトレーを取り上げ、
「あ、ありがとう。」
「どこに持ってけばいい?」
「降りてすぐ右のドアに台所があるから、そこの流しに置いといて。」
「了解。」
俺は部屋を後にし、階段を降り、開けっぱになったドアからキッチンに入り、言われたように、流しにそれらを置いた。それから足元をうろちょろするのがいたので捕まえた。
「戻ったぞ。」
俺は真っ白な毛玉を抱きかかえながら、扉を開けた。
「おかえり、って、ミルキィ・・・」
ミルキィか、確かにミルキィって色をしているな・・・
「詞弥も猫飼ってたんだな。」
「うん。敦也君も飼ってたよね。確か黒猫ヤマ・・・」
「ああ、飼ってるよ。それよりさあ、」
俺は机の上の提出物を指差した。
「・・・っあ。そうだ忘れてた!」
五時間前までそのつもりでこの家に来ていたのに、今となってはすっかり忘れられていた。
詞弥はバタバタと教科書やらノートの用意をし出した。
俺は抱きかかえていたミルキィを床に戻し、さっきの位置まで戻って座り込んだ。
しばらくして。詞弥も俺の横に座る。
「何度も言うが、狭い・・・」
「さっきから思ってたんだけど、それって、私が太ってるって言いたいの?」
「ああ、もういいよ。」
仕方なくこのまま始めることになった。
「敦也君、何が分からないとかある?」
「各教科の範囲が分からない。」
「ほんとだ、分からないね。」
「共感してどうするんだよ・・・」
「ちょっとそこのカバン取って。」
「ああ、これか?」
俺は猫耳の生えたリュックサックを詞弥に手渡した。
「うん、ありがとう。」
何なんだその耳は・・・と聞きたくもなったが、ろくな答えが返ってきそうもないので辞めた。
「よし、あった。」
詞弥はその中のクリアファイルから一枚のわら半紙を取り出し、読み上げた。
「なるほど。やっぱり現社以外は余裕だな。」
「えっ、分かっちゃうの?」
「向こうでも同じ内容の勉強してたから・・・むしろ向こうの方が範囲的に進んでるし・・・」
「ちぇっ。教えれると思ったのに・・・」
詞弥は少し残念そうだった。
「だが、現代社会に関しては、こっちとあっちでは全然内容が違ってて、一から覚えなおさなきゃならない・・・」
「現社は私も苦手だから・・・」
「教科書とノートで勉強するしか無いか・・・」
「ごめんね。」
「いいって。俺を気にするより自分の勉強をしろよ。」
「私、こう見えて現社以外は結構点数高くて、総合的に言ったら、学年でも五位には入ってるんだよ。」
偏差値五十も無い学校だけどな・・・
昨日の登校時、インターネットでバンドの検索をしていた時に判明したことだ。それ以降、俺は自分が成績トップであることにあまり誇りを感じなくなった。
「よし、じゃあちゃっちゃと提出物だけでも終わらせるか・・・」
そうして、午後一時二分。ようやくテスト勉強を初めた俺達だったが、初めた時間が遅かったこともあってその日はなんとなくダラダラと過ごしてしまい・・・
午後六時―
「明日もやるか?勉強会。」
詞弥の家の玄関、俺は靴を履いて、いつでも出れる準備をしていた。
「えっと・・・明日は別の勉強会が入ってて・・・」
バイトの掛け持ちみたいに言うな。
でもそうか・・・それなら仕方ないな。
「分かった。なら明日は一人で集中してるよ。」
「その方が覚えられそうだね。」
「確かにな・・・」
勉強会などと言うが、本当に勉強する奴なんてそうそう居ない。大抵の奴はテスト前に遊ぶ為に、名目上勉強会と言っているだけだ。
「じゃあ、今日はありがとうな。」
「どういたしまして・・・っあ、ちょっと待って。」
「うん?」
言うなり詞弥は階段を駆け上がり、ほんの十秒くらいで戻ってくると、
「はい、これ。」
そう言ってさっきのアルバムを差し出した。
「いつでも見て思い出せるように・・・」
「あ、サンキューな。」
俺はそれを受け取り、信濃宅に別れを告げた・・・
と、言っても、自分の家の玄関から、横を見るといつでも見えるのだが・・・
自分の家のをドアを・・・あ、開かない。鍵か。
俺は両手をポケットに突っ込む。
・・・あ、持ってくるの忘れてた。
まあインターホンを押せば誰かは来るはずだ。
ピーンポーン・・・
・・・
ピンポーン・・・
・・・
あ、まずいな・・・
俺は家族に連絡しようとスマホを取り出した。画面を見るとメッセージが来ていた。詳細を見る。
『母さん:今日詞弥ちゃんのお母さんから連絡があってね、今、夫婦で(あ~羨まし。)旅行らしくて、明日の晩まで帰ってこうへんらしいんよ。やから女の子一人は危ないから、朝まで敦也は向こうの家おってやってー(*^^*)敦也がおらんから、母さんらは早めに寝まーす♪』
マジか・・・
途中に僻みが混ざっていたとか絵文字が・・・とかもあるが、内容にツッコミどころが多過ぎる。
テスト前だから詞弥を旅行に連れて行かないのには納得だが、それなら、詞弥を荒川宅で預かればいいはずだ、なんだって俺が信濃宅で詞弥と二人になるんだ。多分詞弥の母親も俺の母親とグルだ。これは俺と詞弥の仲をもっと近づけようとしての策略なのだろう。いや、そうだとしか考えられない。そもそも赤子の俺達をキスさせた人達なんだから・・・
罠だとは分かっているが、しかし他に行く宛が無い。俺の母親って結構賢いのかもな。上手いこと退路を絶たれた。
それと、夜中の住まいに、女の子一人とメスの猫一匹というのは確かに危ない気がする。まあ、寝込みを襲われればどのみち変わりないが・・・
仕方ない、今日のところは母親達の手のひらで踊ってやるか。ただし、母親たちが世に言う不純異性行為とやらを期待しているのなら、残念ながらそれは叶わぬ願いだ。俺は理性の塊だ。
俺は徒歩二十秒の道を歩き、信濃宅への再入場を試みた。
ピーンポーン・・・
音からしばらくして、
『・・・あ、敦也君?どうしたの?忘れ物?』
おそらくこのカメラから見えているのだろう。
「あ、あのさあ。ちょっと話があるから入れてくれないか?」
『・・・え~っと、うん分かった。ちょっと待ってて。』
会話が途切れ、代わりに詞弥が走って来る音が聴こえる。
ガチャ・・ガチャ・・
二つ分の鍵が外れる音がしてから、扉が開く。
「どうぞ入って。」
「お邪魔します・・・とりあえず説明させてくれ。」
「いいけど・・・」
「俺、鍵を家の中に忘れて来てて、帰ったら鍵が閉まっていたから母親に電話しようとしたんだけど・・・」
俺はポケットからスマホを取り出した。
「こんな文章が母親から・・・」
さっきのメッセージを詞弥に見せる。
「なになに・・・」
しばらくして、文面を読み終えた詞弥は「なるほどね・・・」と少し考えた後、
「よし、今日は泊めてあげる。」
「・・・いいのか?」
「うん、全然かまわないよ。」
えらく簡単に決まったな。まあ、野宿は回避できたし良かったけど・・・
「じゃあ、一回外に出て待ってて。スマホでGOサイン送るから。」
「は?」
「いいから出て。」
いったい今度はなんなんだ・・・
結局外に出された俺は、五分くらいその場で待った。暇だったのでスマホをいじっていると画面上に『詞弥:GO!!』と表示された。
やっとか・・・
俺はドアの持ち手に手を掛けた。
いったい何の準備を・・・
「おかえりなさい、あなた。」
「え・・・?」
なんだこのデジャブ感は。
「ご飯にします?お風呂にします?それとも・・・わわ、わ・・・わっち?」
ここは遊郭かよ。
「誰に吹き込まれた?」
俺の脳には一人浮かんでいるが。
「・・・敦也のお母さん。」
やっぱり俺の母親は馬鹿だ。それも折り紙付きの・・・
「ってことは詞弥、今着てるのって・・・」
確かに詞弥は、エプロン姿だった・・・が、
「良かった・・・服は着ていたか。」
安堵の声が漏れる。
「脱ごうか迷ったんだけど・・・」
迷ったのか!?
「ここがなあ・・・」
胸に手を当てる。そこだけなのか?つまりそこさえあればやっていたのか。
「で、どうなの?」
「何が?」
「ご飯かお風呂かわた・・・」
「ご飯で。」
「即答!?」
「俺はどこに行ってればいい?」
「もう少し構ってくれてもいいじゃない。新妻だよ、JK の新妻姿だよ。どうして興味無いの?」
誰だ、俺が新妻好きだとかいうデマを流したのは。俺は四十代の新妻にもJK の新妻にも興味は無い。
「じゃあもう彼女でいいから。ただの彼女としてでいいから・・・」
いよいよそんなことをいい出した。あーもう分かった。俺が折れるよ。
俺は床に座り込んだ詞弥のそばまで行き手を差し出した。
「じゃあ、とりあえず案内してくれ。」
「敦也君・・・」
「ほら。」
「うん。」
手を掴んだ詞弥を引き上げる。
「こっちだよ。」
そう言った詞弥によって、俺は二階ではなく一階のリビングに通された。
「そういえばさあ。」
「何?」
「詞弥のところには母親からメールとか着てないのか?」
晩飯の肉じゃがを口に放り込む。
「さっきエプロン着てた時に着たんだけど・・・」
それであんな時間が経ったのか。
「見る?」
「・・・見てみたい気もする。」
「じゃあ、」
そう言って、スマホの画面を俺に向けた。
『お母さん:ママ、しーちゃんを夜中に一人にするのは心配やったから、愛しの彼を呼んでおきましたー。ちゃんともてなしてあげるのよ(^_^)v』
なんというか・・・最近の母は若いな。
ピロン・・・
音とともに新しいメッセージが表示された。
『お母さん:今頃敦也君と二人きり?エッチなことしてもママは怒らへんからね(*゚∀゚)』
「・・・」
「・・・」
当然のごとく気まずくなる。
俺は今更のように目の前の肉じゃがと、隣のエプロン姿を交互に見る。
「・・・いや、別にそこまでは考えてなかったから・・・ちょっと雰囲気を味わいたかっただけだから。」
詞弥が必死で弁解する。
「・・・」
「・・・あっ、そういえば敦也君、着替え持ってきてる・・・って、閉め出されてたんだったね・・・」
そういえばそうだ。着替えのこととかすっかり忘れていた。あの若作りババアめ、追い出すにしてもそういう必需品ぐらいは持たせてからにしろよ。
「あっ、私のは貸さないからね!」
「借りねえよ!馬鹿かお前は。」
「逆ならありだけど、さすがに男の子が女モノの下着っていうのはちょっと・・・」
逆もありでは無いだろ、少女漫画の読み過ぎだ。てか、着ねえよ!
「お父さんのならあるけど・・・」
「いや、いい。今日はどこにも出歩いてないし汗もかいてないからこのままで大丈夫だ。」
「じゃあ、着替えはそのままにして、風呂だけ入ったら?」
「そうだな。使わしてもらうわ。」
「もう湯船も溜まってると思うから、先に入っちゃって。」
「じゃあ、遠慮無く・・・」
結局場所を知らない俺は詞弥に連れられて脱衣所まで行き、
「あとでバスタオル置きに来るね。」と言って詞弥が去っていったの確認してから衣服を脱ぎ、そしてそれをそばにある棚にたたんで置いてから、風呂に入った。
まったく、濃い一日だ。休む暇が無い。記憶を取り戻すだけでも結構な苦労なのに、周りがどんどんん苦労を増やしてくる。六年前の俺も毎日こんな感じに過ごしていたのだろうか・・・それともたまたま今が忙しいだけなのか・・・今の俺は後者であって欲しいと願わんばかりだ。
ゆっくり考え事をできるのは入浴中だけで、この時間だけは唯一落ち着ける。
ガチャ・・・
誰かが脱衣場に入ってきた。詞弥がバスタオルを持ってきてくれたのだろう。しかし、実はそうではなかった。
ガラガラ・・・
それは、脱衣所の扉が鳴らす音ではなく、風呂の扉が鳴らす音だった。
そしてその瞬間、俺は唯一無二だった、リラックスタイムを失う。
「敦也君、背中を流しに来たよ。」
「し、詞弥!?」
扉の前に立っていたのはバスタオル一枚だけを身にまとった少女の姿だった。
俺は慌てて湯船の中で三角座りをした。
母親の毒にやられたのか?いや、違う。これは新妻プロジェク第三弾だ。俺の母親すらやらなかったことを、詞弥はやってのけた・・・と、感心している場合じゃない。
「なに考えてるんだ詞弥。お前、さっきそこまでは考えてないって言ってただろ。」
「あ、それとは全く関係無くて・・・敦也君、今日の朝言ってたじゃない。私の胸揉むって・・・」
「いや、あれは話の流れでつい・・・」
「でも、男に二言は無いんでしょ?」
無いんでしょ。って言われてもそんなもの俺は知らない。誰だよそんな言葉考えたやつ。
「だからって風呂で・・・しかもタオル一枚でする必要ないだろ。」
服越しでも・・・
「敦也君、あなた女の子の胸を舐めてるわ。」
その言い方だと、俺が変態みたいだぞ。
「ただ揉むだけじゃ駄目なの。あのね、バストアップのためには乳腺の発達が重要になってくるの。それで乳腺を発達させるのには女性ホルモンの分泌が必要なの。だから・・・そう、興奮する方がよりいいってこと。」
とんでもないことをすらっと言う。でも、なんか言ってることは正しい気がする。気にしているだけに色々調べてそうだもんな・・・
「第一、 俺はやるつもりがない。」
「いや、やらざるを得ないのよ。一昨日の朝、学校に行く途中、敦也君は私の胸を侮辱したでしょ。」
あ、まだ覚えていたのか。てっきり忘れているものかと・・・
「だがあの時お前は、俺の足を踏みつけた。それであいこだろ。」
「足の傷は消えても心の傷は消えないんだよ。」
「それを言われると・・・」
「そら、気に食わないから俺が大きくしてやるみたいな気持ちで。」
ある意味名言だな。世の巨乳好き男子達に聞かせてやりたいね。
「あー分かったよ。やるよ、やればいいんだろ。」
「よし。じゃあ。」
ザブーン・・・
「詞弥!?」
詞弥がそのまま湯船に飛び込んで来た。
「温めた方が効果があるの。」
「じゃあ俺が外側で・・・」
「それじゃあ体勢がきついでしょ。いいじゃない別に、付き合って四年だよ。私達。」
「はあ・・・分かった・・・じゃあ後ろ向きになれ。」
「確かに。その方がやりやすいね。よく分かっているじゃない。」
別にそういう意味で言ったわけじゃないんだが・・・直視したくなかったからなんだけど・・・まあ、いいか。
「それで、どうすればいいんだ?」
胸を揉むったって、適当にすればいいわけではないだろ。
「まずは、全体的にほぐす。」
「あ、ああ・・・じゃあ・・・」
俺は詞弥の白い肌とバスタオルの間にある薄い隙間に手を差し込んだ。指先にもちっとした肌の感触。そのまま下へと手を移動させ・・・
「・・・んあっ。」
「バカッ、変な声出すなよ。」
「だって今、先に当たったんだもん。」
いきなり刺激が強い。最後まで耐えられる気がしなくなってきた。
「揉むぞ。」
「優しくね・・・」
本当に無いな・・・揉むと分かるが、肋骨の感触が分かるくらい薄い。確かにこれは気にするわな。だがそれ以上に今気になるのは・・・
「おい詞弥、頼むから喘ぐな。」
「そう言われても・・・」
「じゃあ、やり方だけ全部教えて俺の耳塞げ。」
「分かった。」
一通りの流れを聞き、詞弥が俺の耳を抑えて再スタート。
目をつぶり、耳も塞がった状態になった俺は、もう無敵だった・・・
一通りのマッサージを終えると、詞弥の方からギブアップした。
なんだろう・・・視覚と聴覚が遮断されてからというもの、全くムラムラしなくなった。何をもんでいるのかすら分からなってきて、途中からはただの作業だった。なんか損したような気分だが、まあこれで、無事風呂から上がれるということで、結果オーライだ。
見ていないし、聴いてもいないので、目の前の少女が息切れしながらヘトヘトになっている理由も分からないまま、俺は体を洗うように借りていたタオルを腰に巻き付け、湯船から上がった。
「のぼせて倒れるなよ。」
「・・・あ、うん~だいじょうぶ~」
大丈夫じゃないな。
俺は後ろに向き直り、
「ほら、掴まれ。」
「うん・・・」
詞弥を湯船から引き上げ・・・その際、詞弥のバスタオルが脱げるという、記憶状初のラッキースケベを体験し、それでも気を取り直して風呂の外まで運び出した。
詞弥はクラクラしているせいか、裸を見られたことについてはノーコメントだった。
俺はあらかじめ詞弥が用意していたバスタオルを詞弥の方に掛け。
もう一枚のバスタオルを風呂の中に持って入り、体を拭いてそれを腰に巻いて、風呂の外に戻り、昨日から使い回しの衣服を着て、詞弥と脱衣所を後にした。
もうこんなことは懲り懲りだ・・・
―それから三十分後、リビングのソファーでくつろいでいた俺の前に、詞弥が湯気を発しながら登場した。比喩では無い。
この時間からすると、もう一度風呂に入り直したのであろう。
「無事に帰って・・・」
おれがセリフを言いきる前に、詞弥はその場に倒れ込んだ。全く、世話のかかるお嬢様だ。
俺は詞弥を、本来の詞弥なら喜んでいたであろうお姫様抱っこで(身長の割に軽・・・と言うのは考えないでおこう)二階の詞弥の部屋まで運び、寝かした。
・・・あ、意識が。
そして、疲労が溜まっていたのか、俺もその場に突っ伏した。
朝―
目が覚めると、少女の顔が目の前にあった。
そうか、俺昨日は寝落ちしたんだった・・・
部屋の掛け時計は七時半を示している。そろそろ起こしたほうがいいかもな。確か今日、詞弥は別の勉強会に出席するんだった。
「詞弥、起きろ。朝だぞ。」
その自分の言葉で俺は思い出した。
手で詞弥の鼻を摘む。
例によって、詞弥は「はあっ」と一声、一息上げて目を覚ました。
「・・・つや君?」
寝ぼけた感じでそう言い。
「敦也君!?」
今度はしっかり認識した。
「なんでここに・・・って、そうか、昨日は泊まっていったんだった。」
独り言のように自問自答をしたあと。
「・・・あっ。敦也君、昨日は良くも私の胸をめちゃめちゃにしてくれたわね・・・」
「俺は目も耳も塞がってたから何も知らんぞ。」
「ムウ・・・ずるいよ。」
詞弥がいじける。
「そういえば詞弥、今日は他の勉強会があるんじゃ・・・」
「ああっ!加奈ちゃんとの約束忘れてた!」
本気で忘れてたのかよ・・・
「ありがとう敦也。昨日のことは許さないけど・・・」
さいですか。
「ってことでそろそろ行かなきゃいけから、敦也君も家出る用意しておいて。」
そう言い放って、詞弥は着替えやらなんやらでバタバタしだした。朝から忙しい奴だ。
俺は詞弥が着替えだすより前に持ってきていた物をまとめ、玄関まで降りた。しばらくして階段を駆け下りてきた詞弥と外に出る。
「昨日は世話になった。」
鍵を閉め終えた詞弥は、
「いえいえ、こちらこそ迷惑掛けてごめんね。」
「ああ、ほんとに面倒くさかった。」
「目隠し、耳栓無しでするなら、また揉ませてあげてもいいわよ。」
「ああ、揉める胸にしないとな。」
「・・・いじわる。」
「俺はそういう奴だ。」
「私も面倒くさい女ですよ。」
ドヤ顔で見つめ合い、
「じゃあ、また明日。」
「うん、明日。」
そして、俺は詞弥と別れた―
この日はそれ以降は変わったことも無く、久しぶりに普通な一日を過ごした。現代社会の教科書を片手に・・・
内容が濃いという意味ではある意味充実した休みが終わり。
テスト前日の月曜日―
四時間目の授業は自習で、テスト勉強をする時間だった。
テスト前日ということもあって、教室の空気はいつもより少し張り詰めている。
と、言っても提出物をやっているのが大半で、ギリギリまで呆けていて、前日になって焦りだしているといった感じなので。真面目にテスト対策をしているのは、数人ってところだ。
その数人の中の一人である俺は終始現代社会の教科書とノートのページをめくっていた。時々俺を頼ってくる、男子友達に数学の考え方を教えたりしながら・・・
ところで、詞弥とはさっきから顔も合わせていない。その理由は一時間目が始まる前の朝休みまで遡る―
いつものように登校した俺達は、いつものように早い時間に教室に着き、いつものように俺は一人に、詞弥は駿河と談笑していた。
普段通り二人の会話に耳を向けていると・・・
「詞弥~、なんか荒川君と昨日より仲良くない?」
「えっ、そうかな~」
「昨日帰ってから何かあった?」
女の感は怖いな。
「・・・べつに。」
「私だけでいいからちょっと言ってえや。」
駿河は詞弥に耳を向けている。
詞弥は少し考えて、駿河の耳に口を近づけ、ゴニョゴニョと何かを言った。
言うのかよ!
「ええ!胸揉まれたの!」
やってしまった。
教室中に響き渡った声。男子の視線はそもそも男子が来ていなかったのでなかったが、早くから来ている女子達の視線が自然と俺の方に向くのが分かった。
俺はその場で立ち上がり、廊下に出、コミュニケーションアプリを起動し、詞弥を呼出した。
しばらくすると待ち合わせ場所の非常階段に詞弥が恐る恐るやって来た。
「どうするんだよあれ。」
「ごめんなさい。つい言いたくなって・・・」
「まあ、言っちまったことは仕方ない。運良く聞いてたのは早くから来ている数人だけだし。」
「どうせ拡散するけどね。」
「他人事みたいに言うな。」
「イタタタッ・・・」
「これ以上広めるなよ。」
詞弥の頭をグリグリしてから、俺は教室に戻った。
そこで俺が見たのは・・・
「あなたがあの信濃会長を抱いたという、一年学年トップの荒川さんですね。」
パシャ、パシャ・・・
まるで国会議事堂前に集まる報道陣だ。生徒会長というブランドがこれほど凄いものだとは思はなかった・・・まるで有名人だ。つうか、抱いてねえし・・・
「会長とはどのような経緯で行為に至ったのですか?」
「至っていないです!」
「先ほどあなたのクラスメイトの方が『胸を揉んだ』というふうにおっしゃっておられたとうちの部員から報告がありまして・・・」
しまった。新聞部の部員が教室にいたのか・・・というか、この学校にプライベートは無いも同然だな。
「あ、あれは、そういうんじゃないんです。」
「それでは本人から聞いてみるとしましょう。」
「え?」
後ろを見ると詞弥が驚いたようにこちらの群衆を見ていた。
雪崩れるように群衆はそっちに移動する。
「え、なんですかこれは?」
詞弥はわたわたしながら尋ねる。
「信濃会長、昨日、荒川さんと不純異性行為に至られたとお聞きしましたが・・・」
「不純異性行為・・・あっ、」
「何か思い当たるのですか?お聞かせ願います。」
「えっと、あれは違うんです。胸を揉まれたんじゃなくて、あの、その、バストアップの為にマッサージしてもらったんです。やましい気持ちは無かったんですよ。」
嘘をつけ・・・
「ほお、バストアップのため・・・」
「えっ、書くんですか?」
「これは記事になる。」
「あっ、ちょっと・・・」
「部長、そろそろ五分前です。」
「分かったわ、皆んな撤収よ。」
その瞬間、マスコミはダダーっという足音と共に帰っていった。
俺は詞弥見て言った。
「凄いことになったな・・・」
「ごめんね、巻き込んで。」
「いや、多分記事に書かれるのは、今の感じからすると、詞弥の貧乳エピソードだと思うぞ。」
「えっ・・・ええぇぇ!」
―というようなことがあったので、今は詞弥のことをあまり見ないことにしている。また何かの拍子に騒ぎ立てられると困る。ほとぼりが覚めるまではそうしておこうと詞弥とも話し合った。
「信濃さんと何かあったんか?」
昼休み。いつもの如く、男子五人で食堂。記憶は戻っていないが、だんだんとこの日常に慣れてきている。
「そういえば、お前らはあの騒ぎを見てないんだったな・・・」
普段から門が閉まるギリギリに登校してきているのだから知らなくて当然か・・・
「何やねん騒ぎって。」
ギリシャと日本のハーフ、マナンがバリバリの関西弁で迫ってくる。
「簡単に言うと、あいつが他言無用だったことをあっさり駿河に言って、それを聞いて驚いた駿河が大声でリピートしちまったんだよ」
「なに言ってるんか全然分からん。」
春樹が言う。
「つまり、この敦也は一昨日信濃さんの胸を揉んだらしくて。その話を信濃さんから聞いた加奈が大声で言ってしまった。」
海音、よくも言ってくれたな・・・って、なんで知ってるんだ?
「・・・おまっ、信濃さんの胸揉んだんか!?」
「マジでか。羨ましい・・・」
「海音、どうして知ってるんだ?」
「彼女から聞いた。」
「彼女?」
「加奈。」
「ええ!?加奈って、ええ!?」
「なんでそんなに驚くねん。結構前から言ってたやん。」
まさかそんな繋がりがあったとは・・・
「今朝会ってすぐ『海音君は私の胸揉まないの?』って言ってきたから、それで・・・」
「ああ、そうなんだ・・・」
早速影響受けたんだな・・・
「ちょー、お前らマジでうざい、てか羨ましい。」
「ホンマ何やねん、俺も彼女欲しいわ。なあ、ユッキー?」
軽音楽部ギターリストのユッキーは、行き道に買ってきたのであろうストロベリーなんちゃらを飲み干し、食堂に来てから初めて喋った。
「見て、俺今日、アイプチして来てん。」
「げっ・・・」
四人全員が同じ感想だった・・・
その日の帰り―
俺はいつもの如く、詞弥と電車に揺られていた。
「明日のテスト、いけそうか?」
「現社以外はバッチリだよ。」
結局苦手は克服せずか・・・
「そういう敦也君は?」
「俺は現社もバッチリだ。」
「学年トップはやっぱ違うね。」
なにせ現社の勉強しかしていないからな・・・
「あ、そうだ、じゃあ今日はうちに泊まり込みで私に勉強教えてくれる?」
「何の勉強になるか知れたものじゃないから辞めとく。」
「残念。」
そして、四日間に渡るテスト期間が始まる―
テストは火曜から金曜まで、各二教科ずつ行われ、最後の金曜だけ三教科行う。
まず一日目の科学と保険。
科学は二十分の余裕を残して終わり。自分が終わった後も周りではシャーペンを走らせる音がしていて、ちょっとした優越感に浸れた。
次に保険だが、この教科はあまり覚えていなかったが、提出物をやっていれば解ける問題しかなかったので難なくクリア。
二日目は英語と家庭科。
英語はリスニング問題を一つ聴き逃して書けなかっただけで、それ以外は完璧だ。
家庭科も前日にプリントだけ見ただけだが、全部そこから出てきた。
三日目、ここでようやく現社。そしてついでに現国。現代尽くしだった。
現社は勉強しただけあって、開始十五分で暇になって、その後三十五分は問題用紙に落書きをしていた。
現国は漢字を一つ書き間違えたから予想点数九十九点。
そして迎えたテスト最終日、数学、古典、情報とあったのだが、前の教科とだいたい同じなので割愛する。
ということで全てのテストを終えた俺であるが、なんというか、高校のテストを受けた気になれない。それぐらいの問題しかなかったところを見ると、この学校がどれだけ美術力を入れているかというのがよく分かる。勉強は最低限って感じだ。
その証拠に、テストが終わり、次に俺達を待っていたのは、年に一度のアートコンクール、芸術祭だった。
その日の四時間目、三時間目までのテスト終えてすっかり伸びきっていた俺達生徒は、構内放送による呼出しを受け、一年一同は学年集会が行われる視聴覚室へとダラダラ足を運んだ。その時に話された内容がそれだった。
周りの奴らは前々から知っていたっぽい表情をしていたが、俺はその時初めてそのイベントの存在を知った。
参加にあたっての注意事項を学年主任で絵画部顧問の石見先生が話している。
まず、製作期間だが、来週の月曜日から始まり、冬休みの終わりまでに完成させなければならないらしい。
ちなみにこの学校の冬休みだが、制作もあるので長めに設けられていて、始まりは十二月十日である。さらに来週一週間は短縮授業となり、四時間授業になる。つまりそれが何を意味するのかというと、金曜日の五、六時間目にある平面造形の授業は、冬休み明けまで無いということだ。
とうとうあの自画像の作者を聞くタイミングが無くなった―
その日は、テストの採点などの事情で二時完全下校。俺は、クラスの男子友達に別れを告げ、学校を後にした。
「敦也君は、何で出すの?」
ここで言う何は、版画、彫刻などといった出品分野のことである。
「やっぱり、絵画?」
そうだなぁ、ここはやっぱり無難に、
「絵画かな。」
「だよね。じゃあ私も絵画で出そう。」
「いいのか?人に合わせたりして・・・」
「私は敦也君から油絵のなんたるかを学んだんだよ。つまり、私は敦也君の弟子。師の背中を追うのが弟子ってもんでしょ。」
少し前になるが、詞弥が俺の部屋で積み重なっていた絵を見ていたことがある。その時の意味深な言葉には、今思えば、自分の師が絵を描くことを忘れしまって、目標を失ってしまったという感じの意味がこもっていたのかもしれない。もし俺が思い出さなかったら、詞弥も絵を描かなくなっていたかもな・・・
「じゃあ、お互い頑張ろうか。」
俺は拳を突き出した。
「うんっ。」
そこに詞弥の小さな拳がぶつけられる・・・
一週間が終わり
四時間授業を終えた俺は、いつものように食堂に行き、しかしいつもと違って、一人で素早く昼食は済ませ、制作のためのエスキースを考えた。まずそもそもどんなものを描くか決めなければならない、
今思いつくものは・・・
そうだ王都の感じとかどうだろうか、皆んなは知らない、だけど俺は知っている、そういう風景って結構いいんじゃないだろうか。
そう思った俺は、とりあえず思い出せる範囲で王都の町並み、王宮などをロッカーの中に入っていたのを見つけて持ってきていたクロッキー帳に描き殴った。
一段落付いたところで、周りを見渡した。
自分と同じことを考える人は結構いるもんで、食堂のテーブルんお上には、どこもかしこもクロッキー帳が広げられていた。
俺の隣もそうだった。
「ああじゃない」「こうじゃない」とぶつぶつ言いながら、一瞬のうちにクロッキー帳が絵で埋め尽くされていく。描くスピードが尋常では無かった。
履いているスリッパの色からするに多分上級生。
うちの学校では、学年ごとに色が分けられていて、俺ら一年生は緑、二年生は赤で、ほとんどかかわらないが三年は青色だ。来年の新一年生も青を履く。
隣で描きまくっている女子高生は、赤色のスリッパを履いているところを見ると、二年なのであろう・・・
「何?気が散るからあまり見ないでもらえる。」
バレていたか・・・
少女は全くこっちを見ないまま、そう言った。
「すいません。描くスピードがあまりに早いものだから、つい見入ってしまいました。」
少女は、俺のその言葉には全く反応しないまま、なおも描き続けていた。凄い集中力の持ち主だ。
それよりも、さっきから殴り書きされていく絵に、気になるものがあった。
剣や鎧のデザインを色々考えているみたいで、色んな形のものがある中で、たまたまだとは思うが、俺が騎士として身につけていたものと、限りなく似たものが描かれてあった。
俺は実習室の自画像を思い出した。
「先輩、一年の時に描いた自画像飾られてましたっけ・・・」
俺は、今始めて会ったであろうその先輩に、鬱陶しがられるのを覚悟で聞いた?
「・・・」
安定の無視・・・
気が散るから黙ってろとのことだ。しかし、そこで引き下がる俺では無い。
「先輩は、ペテルギアって知ってます?」
前にも同じ質問をしたことがある。詞弥とこの世界で再会した時だ。
・・・やっぱり無視・・・か?
その時、初めて少女は俺の顔を見た。
「ねえ。」
「えっ。」
俺は急に話しだしたことよりも、その表情に驚いた。
「何で敬語なの?」
そう、丁度俺の知っている王女様はこんな表情をよくした。
「あんたやっぱり・・・」
「やっぱ、会えるんじゃん。」
その時、俺の中でその少女は見知らぬ先輩では無くなった。
「アシア・・・」
無意識に言葉が出る。言葉だけじゃない・・・・
「あ、アスラ??」
「良かった・・・無事だったんだな・・・」
「なによそれ・・・っていうかこんなところでハグなんてしないでよ恥ずかしい。」
「ああ、ごめんつい・・・」
ガシャン・・・
「なんだ?」
音のした方に振り向く。
誰もいない・・・プラスチックの器と御盆が床に転がり、そこからうどんとその汁が溢れ出ている。
「あの娘!」
アシアが食堂の出口に指を指している。
その後ろ姿を見て俺はその正体を悟った。
「詞弥・・・」
「誰?その娘・・・」
そして多分余計なことを言ったと思う。
「アスラ?」
「あ、ああ・・・」
詞弥を追うかを迷う余裕は無かった。それどころか既にもう一つの危機が同時に迫っていることに気付く。
「説明してよね。」
「わ、分かった・・・」
それから俺は全てを話した。今の自分の意思諸々全部。
「なるほどね。それで私より記憶喪失の時間長かったんだ。」
「ほんと、すまない。」
「別に良いんじゃない。」
「えっ・・・」
てっきり怒られるのかと思っていた。これは浮気じゃないのか?
「もしもあっちの世界で別の女の子と仲良くしてたなら、そりゃあ私もムッと来るけど、でもこっちの世界でってなると、自分の状況も、他の人との人間関係も皆んな違うんだよ。そこで十五年も過ごせば他の誰かを好きになっても当然だよ。責める理由が無いよ。」
いつの間にか二人きりになった食堂に、その声だけが響いていた。
「ほんと、優しいよな、お前。」
「それだけが取り柄みたいな人間だから。」
きっと良い皇女になれるよ。
「ん、今何か言った?」
「いんや。」
「そう?なら良いんだけどさ・・・それよりっ!」
「んっ!?」
アシアは見を乗り出して来て言った。
「詞弥ちゃんどうするの?」
「って言われても、多分もう家だぞ。」
時計を見る。三時半・・・ってことは二時間近く喋っていたのか。そりゃあ人もいなくなるわな。
「でもさっきの話しだと家となりなんでしょ?」
「ああそうだった。じゃあ今から帰って行ってみる。」
俺は席を立ち・・・
「待って。」
「どうした?」
「私も行く。」
「いいってアシアは。これは俺の問題だから。」
「いや、これは三人の問題よ。私達三人は同じ問題を抱えているのよ。だからこれからのことも話し合わなきゃだよ。」
確かに一理あるか。
「分かった。着いてこい。」
「うん。」
と、その前に・・・
「これ片付けないとな・・・」
「ああー、これか・・・」
俺は隣でひっくり返っている器を拾い上げ・・・
「ああ、もうええで。おばちゃん達でやっとくから。」
「あ、すいません。お願いします。」
配膳のおばちゃんにお礼を言い、食堂を出た。
「それにしても、こっちじゃ俺とお前は同期じゃないんだな。」
先輩がアシアと分かってからずっと思っていたことだ。
「私も疑問だったそれ。」
「多分、こっちとあっちで学期の始まる月がズレているんだろうな。」
「あ、なるほどね。って、解決したじゃん!」
「しー」
俺は声のボリュームを下げろと手でジェスチャーした。
「あ、ごめん・・・」
まあ、気に触ったような様子は周りを伺う限りなさそうだ。
「そういえば、お前ここでの名前は?」
さっきの手をつり革に引っ掛けて直してから聞いた。
「えっと確か・・・愛花。」
やっぱり似てるな。
「どうしたの?」
「いや、俺のこっちの名前は敦也で、詞弥の向こうの名前はシヴァって言うんだけど、アシアの名前も聞いて余計思ったんだよ。」
「何を?」
「だから、向こうとこっちで名前似てると思わないか?」
「・・・あっ。ほんとだ。でもそれがどうかしたの?」
「これって偶然なのか?それともやっぱりどっちかが夢だってことなのかなって・・・まあ今は考えるだけ無駄だけどな。」
「う~ん・・・あ、そうだ・・・」
アシアは何かブツブツ独り言を言って、
「これからこっちに居る間、こっちの名前で呼び合わない?」
という提案を唐突にしてきた。微妙に話しがそれたような気もするが、提案自体には賛成だ。
「どうしてだ?」
「だって面白いじゃん。」
という理由ではなく、単純にその方がはたから見ても自然だと思っての賛成だ。
「まあ、別にいいけど。」
「じゃあ敦也、私の名前を呼んでちょうだい。」
急だな。
「苗字なんだ?」
この世界ではアシアは同じ学校の先輩に当たるのだ。苗字+先輩呼びが一番しっくりくる。
でも、当のアシアは、
「教えてあげなーい。」
女子って生き物は皆んなこうなのか?ほんと意地悪だ。
「ほら言って。」
ここまで来るとデジャブ感じずにはいられないな。でもこの場合は本当に二回目だからデジャブにはならないのか・・・?
「言ってよ。」
「呼ぶタイミングになったら言うから。」
「え~。」
子供か。
『間もなく・・・』
アナウンスが流れ出し、車体の速度が落ち出した。
「ねえ、敦也。降りる?」
「いやまだだ。」
「どれだけ待てばいいの。というか離れ過ぎじゃない。」
俺も最初の時にそう思ったよ。ちなみにこの最初はつい最近の方の最初だ。
「なあ愛花。」
「えっ。あ、言うんだ・・・」
「駄目だったか?」
「ううん。ウェルカムウェルカム。でなに?」
名前とかより以前に気になっていたことがある。
「お前、こっちに来てすぐ、どうだった?」
多分俺と同じで記憶喪失者扱いを受けたのだろうが、俺が詞弥に助けられたみたいに、アシア・・・愛花も誰かに助けてもらったのだろうか?じゃないと高校にすらたどり着けないだろうし・・・
「私、目覚めた時はベッドの上で、えっと確か夕方。」
「俺も夕方だ。」
「で、そのベッドフッカフカで丁度王都の宮殿にあるベッドくらい。大きさもそれぐらいだったわ。」
俺の家のはそうでも無かったけどな・・・
「で、ドアが開く音がして、見たらそこに執事みたいなのがいて、私が玄関で倒れたから部屋まで運んだって説明してくれて・・・」
「ちょっと待て。」
「えっ。」
「お前、こっちでもお嬢様やってるのかよ・・・」
愛花は髪を指に絡ませながら軽く頷いた。
そういう気質なのか?
「なら学校にも車で?」
「送迎してもらった。」
なるほどね。
「それから言い忘れてたけど、髪切ったんだな。」
食堂で合った時から気付いてはいたがなにせあの時はドタバタだったから言うタイミングも無かった。頭上のコブは切除され、肩に毛先が当たるくらいのショートボブになっている。
「そう、それよっ!」
「しー・・・」
「あ、そうね・・・私が一番ビックリしたの。で、アルバムとか見てると高二の集合写真の時点ではこの髪型だったのよ。失恋でもしたのかなって思って執事に聞いてみたら出たの、あんたの名前が・・・」
「マジか・・・」
「マジよ。」
六年前にこっちにいた俺にとって、それは十五年ぶりの再会で、さすがに気づけなかったわけだ。
「なんと返していいか・・・」
「いいのよ。私も忘れていたし・・・」
っていうか、失恋して髪切るって本当なんだな。
「でも、敦也には詞弥って彼女がいるって分かったし、こっちじゃ狙わないようにするわ。」
そうしてくれると助かる。
「作戦はあるの?」
「えっ?」
「詞弥ちゃんと合うための作戦よ。」
そういえば何も考えていなかった。よく考えれば、家に行ったからといって合ってくれるかは分からない。今のうちに何か考えとくか。
そうやっていつの間にか、車内アナウンスは目的の駅名を繰り返していた。
「ほんとに近いのね。」
「ほんと驚きだよな。」
二件の住宅を前にそう言葉を交わした。
駅からここまでの十五分、結局その間に名案が浮かぶことは無かった。
そういうことで、とりあえず基本的なことを試してみたのだが・・・
ピーンポーン・・・
『・・・』
ということで、早速手詰まりとなった。せめて家族の方が出てはくれやしないだろうかと言う期待もあっけなく切り捨てられた。
「どうするの?」
「ちょっと待て。」
ポケットから出したスマホを操作する。
プルルルルル・・・プルルルルル・・・
しばらく待ったが結局自動的に終了された。
チャットルームでスタンプを二十個くらい送りつけてからそっとスマホをポケットにしまった。
現代の技術を駆使しても、引きこもりを家から引き釣りだすのはやはり至難の技であることに変わりは無かった。
そもそもまだ家に帰っていないのかもしれないという可能性も浮上してきて、俺はこの状況を打破する方法をなかなか見いだせずにいた。
しかしそこでうちの皇女殿下が口を開いた。
「あ、私天才かも・・・」
少女が自意識過剰になる理由を俺は訪ねた。
「だって、ようは彼女と話が出来ればいいんでしょ?」
そうだけどそれが出来ないんじゃないか。それでも、俺は少女の顔が自身に満ち溢れているのを見て単純に気になった。
「で、その方法ってのは?」
「簡単よ。敦也、そこに立って目を閉じて。」
「はっ?」
「いいから。」
全く意味が分からないが・・・まあとりあえず愛花に任せよう。
「これでいいか。」
当然のごとく、目の前は真っ暗になっている。
「うん。いいよ。開けちゃ駄目だからね。」
心なしか、いつもより声が耳に響く気がする。多分気のせいではない。目に回っていた神経が目をシャットアウトしたことで耳に回ったのだろう。
「・・・」
ん?
「なあ、今どうなってるんだ?」
「・・・」
おかしい。さっきまで話していた愛花の声がしない。もしかして俺をからかっているのか?
そう思って軽く薄目になったと同時に気付いた。目の前に愛花の顔があること、そして・・・
「んっ!?」
唇に、柔らかい感触があることに。
・・・またか。
それから間もなく、視界と意識がフェードアウトしていく。俺は再び眠りに就いた。
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