狐花

黒猫亭

狐花

赤 朱 真っ赤


四季を忘れた庭の隅で


血潮のように紅く赤い


曼珠沙華が咲き乱れる


此処は神去かむさり 零落した者と

妖が留めた四季亡き庭


花々は咲き乱れ

鳥達はさえずり合って


さわさわ さわさわ


幻想を連れて吹き抜ける風に

曼珠沙華は淡く揺れ


ぽつん


細道から少し外れ

腰掛けるのに丁度良い

小さく黒い岩の上

まだ 幼さが残った少年は

薄色の髪を風に遊ばせ

惚けたように

一面の朱を眺め続ける


なんて綺麗なんだろう


細い茎の先

たわむ華奢な花弁は

くるんと丸まって


取り囲むように突き出た柄は

軽く曲げた

細い指先にも似て


彼岸に咲くから

彼岸花と言う。


そんな由来より


手弱女たおやめが折れそうに

その細い指先を曲げて

何かを必死に掴もうと

現し世ならぬ幽世に

引き摺り込もうとして見えるから

彼岸花と言う方が

余っ程らしいのではなかろうか


そんな事を考えては

一面の赤に見蕩れる


がさっ がささっ


細道に近い

茂みが揺れて騒ぐ


ざっざっ


ざざっ


「夕月!やっぱり居た!」


薄氷のように澄んだ声音と共に

少女と呼ぶには あどけない女童が

背丈より高い茂みを押さえつつ

嬉しそうな顔で転び出て


「また見てるの?」


赤色の着物に付いた葉っぱを払いつつ

此方に近寄って来る


「うん」


「本当に飽きないね」


「うん」


「他にも沢山お花あるのに」


「この花が良い」


「ふぅん」


「あこ、葉っぱ付いてる」


「取って!」


するりと横に座る彼女の

黄金色の髪に絡んだ葉っぱを

取ってやりながら

疑問を吐く


「なんで捜してたの?」


「あのね」


焦茶の瞳は不安そうに揺れ

薄桃色の唇が

幾度か言葉を呑んで

漸く吐き出された言葉は

少し震えていて


「ここに来れるの最後かもしれない」


「なんで?」


「おとっつぁん具合が良くないの

だから鍛冶屋も閉めなきゃいけなくって...」


「うん」


「弟もいるし

おっかさんの稼ぎだけじゃ苦しいの」


阿胡の震えた声が

どんどん小さくなる


「そしたら馴染みのおじさんが

女衒さん所に行ったら、どうかって」


「...うん」


その声は


「あたしね

遊女になるの」


あくまでも気丈で


「だから...だから...」


「阿胡。

曼珠沙華の呼び方って知ってる?」


ぱちくり

潤んだ焦茶の瞳が瞬く


「...彼岸花でしょ?」


「それも1つ。

面白いので石蒜せきさんや天蓋花、雷花と

他にも沢山あるんだけど

阿胡が知ってる呼び方は?」


少年は

くすり と穏やかに笑んで

続きを待つ


「後は...うーん...

死人花!!!」


「それもだね。

面白いのが、もう1つあるんだ」


「なぁに?」


「狐のかんざし」


「かんざし?あの頭に付ける?」


「そう」


「へぇー!」


少女は感心した声を洩らし

屈託のない笑顔で言葉を繋ぐ


「狐って野狐の

あたしと同じだね!」


「うん。

きっと本物の簪だって似合うよ」


「そ...そう...

そうだったら良いなぁ」


くしゃり

彼女は切なげに笑う


「ねぇ阿胡」


「んー?」


少年は真っ黒な眼で

ひたと見据え

真っ直ぐな想いを言葉に乗せる


「次は簪を持って迎えに行くから

だから待ってて」


気恥ずかしそうに

はにかみ

少しの間を置いて

嬉しげに少女は応える


「...うん。

絶対に迎えに来てね」




あの日の約束から

どれだけ経ったろう


幾度と文を交わし

繰り返す年の中で


少年の細い身体は

いつしか青年の物と成り


幾度と交わした文は

廓の大火で

宛先を失って


我武者羅に進み続け

あの日の子供は

卸問屋の若旦那へと変わった


「若旦那

こっちの積荷どうしましょ?」


夏と秋が移り変わる前の

涼しい風が吹く最中

額に汗を滲ませた水夫の声で

我に返る


「それは亥の蔵に」


「はいよ」


「それが終われば休憩だと

皆に伝えて頂けますか?」


「承知しました」


二人で過ごした

あの頃と

街並みも立場も

随分と変わったのに


果たすべき相手は

まだ見付からなくて


「あこ...」


大火の後

行方知れずの彼女に出逢う為

狐の遊女が居ると聴けば

どんな所でも向かった


そして捜した相手ではないと

幾度となく失望した


「何処にいるんだ...」


店先で

ぽつり苦く呟いた声は

雑踏に溶けだして


「よぉ!若旦那!」


親しみを込めた

快活な声が朗と響く


「おや、夕菅ゆうすげじゃないか

今日は連句の会でもなかろうて」


「なぁに

近くまで来たもんでな」


「茶でも飲むか?」


「おっ!良いのかい?」


「丁度、休憩だ

構わんよ」


御店の若旦那ばかりを集めた会合で

酒を酌み交わした縁故か

雅号が花同士の縁故か

時折ふらりと訪うようになった友と

客間へ向かう


「ここの廊下は何度見ても

鏡かと見紛うな」


「うちの丁稚が毎朝

頑張って磨いてくれるからね」


「なんとも羨ましい」


「夕菅の所だって

素敵な子等じゃないか」


「違いねぇ」


からから

気持ちの良い笑い声を上げて

客間の畳を軽く擦り鳴らし

開かれた障子から

風に靡く柳を視界に入れ

腰を下ろし足を崩す


「相も変わらず

良い庭だなぁ」


「有難う、そう言って貰えると

庭師達が喜ぶよ」


「今度うちにも紹介してくれまいか?」


「あぁ

なら紹介じょ...」


言い終わる前に


「失礼致します。」


廊下から声が掛かる


「お茶を御持ちしました」


すっと襖を開き

蛇の尾で滑り這入る女中は

盆の上に乗った

緑茶が透ける

丸みを帯びたグラスを差し出す


「お茶請けは如何致しましょう?」


「や、これを頂いたら

すぐ帰るさ」


「そうなのか?」


「軽くのつもりだったからな」


「では、失礼致しました。」


にこりと笑み

盆を手にした女中は

来た時と同じように

すっと襖を閉めて廊下へと消える


「なんだ、ゆっくりするのかと」


石蒜せきさんと少し話したかっただけだからな」


「して、話とは?」


「最近うちの小間物屋でも

京紅を扱いだしてな」


「あ、あぁ。

飛ぶ鳥を落とす勢いだとは聞いてるが...」


思わぬ話に

少々、面食らう


「有難い事に

新たな得意客も出来てな」


「それは良かったじゃないか」


「娘御さんから

馴染みの遊女へ土産になんて

色んな客が来るんだ」


夕菅は こくりと緑茶を飲み込み

その口を開く


「石蒜は

桃源と言う廓を知ってるかい?」


「いや...」


「新たな得意客が言うには

大層、美しい太夫が居るそうだ」


「あぁ」


少しばかり

動悸が早くなる


「その太夫は狐だそうだよ」


「きつ...」


雅号の由縁たる

薄黄色の瞳は

少し不安気に、だが確りと

石蒜を見据える


「太夫の名は紫苑。

逢ってみるか?」


逢いたい


それが阿胡か

どうかなんて


ましてや

幼き頃の約束を覚えているかなんて

解らないけど


それでも


少しでも彼女に繋がるとしたら


もし彼女だとしたら


一目でも良い


「逢いたい。」


「言うと思った」


半ば呆れたように

ふにゃり 夕菅が笑う


「話は通してある。

花街が目覚める頃、向かえば良い」


そう言いつつ

懐から

場所を記した書き付けを取り出し

此方へ手渡す


「有難う」


「今度こそ逢えると良いな」


「あぁ」


「もし違うければ

何時もの店で飲み明かしだ」


男っぷりが良いのに

何処か少年を思わせる笑みを浮かべ


「さて、用も済んだ事だし

帰るかな」


グラスに残る緑茶を

ぐっと飲み干す


「店先まで送ろう」


「すまないな」


立ち上がり着物の裾を直して

来た道を辿り

店先に行き着く


「石蒜と告げれば

案内して貰えるさ」


「解った」


「じゃ、これで」


くるり

背を向け

一歩を踏み出す背中に

声を投げる


「夕菅

本当に有難う」


返事の代わりに軽く手を振り

歩き出す背中を見送って

店へ戻り

夜が開く頃まで

忙しなく采配を振るう


かぁあん かぁあん かぁあん かぁあん

かぁあん かぁあん


暮れ六つを告げる

半鐘の音が響く


「今日は店仕舞いにしようか。

お咲さん、暖簾を閉まってくれるかい?」


「はいな」


「皆、ご苦労様。

後は夕餉を食べて、ゆっくりしておくれ」


ぴょんと跳ねるようにして

豆狸の丁稚が近付き


「若旦那は召し上がらないのですか?」


くりくりとした目で見上げつつ

疑問を問う


「あぁ、少し行く所が出来てね

私の夕餉は要らないと

伝えておいて貰えるかい?」


「お任せ下さい!」


ぽんと丁稚の頭を緩く撫ぜ

自室へと歩みを進め


鬼火行燈の柔い明かりを透す

障子を軽く引き

文机に近寄り

抽斗を開けて

手の平より一回り大きな

螺鈿が散った箱を取り出す


かこっ


蓋を開き

箱を文机に置いて


太夫に逢う度 手にした

細やか且つ曼珠沙華の造形が

目を惹く簪を取り

巾着に入れ

そっと袂へ落とす


逢えれば良い


今度こそ


彼女なら良い


逸りそうになる脚を抑え

店を出て

幾つもの道を渡り

絢爛と喧騒が渦巻く

花街に足を踏み入れ


「そこな兄さん

わっちと遊びんしょ」


「なんだ白菊は居らんのか」


書き付けを頼りに

目当ての楼へと辿り着く


桃源と言う名に恥じず

夢のように

ぼんやりと蒼い

鷺火提灯が照らした

暖簾を潜る


「いらっしゃいまし」


精悍な顔立ちの番頭が

鷹の目を眇め

にこやかな笑みで出迎える


「どう言った御用件でしょうか?」


「あ...あの...」


ぎゅっと手を握り締め


石蒜せきさんと申します」


なんとか言葉を吐き出す


「石蒜様、お話は伺っております。

おぉい結や」


ぱんぱん

手が打ち鳴らされると共に

何処からともなく

狐の面隠しを着けた禿が

青行灯を片手に現れる


「此方の御客様を

紫苑太夫の元へ」


「あいな。

どうぞ此方に」


禿に続き廊下を渡って

きっ きっ と鳴る階段を登る事を

何度か繰り返し

ゆらゆら揺れる

青行灯の明かりが

長い廊下の突き当たり近く

紫苑の描かれた襖の前で

ぴたりと止まる


「あちらへ」


音もなく開いた襖を通り

上座の御簾前から

少しだけ離れた場所に

ぽつねんと置かれた

座り心地の良さそうな

赤い座布団に腰を下ろす


「太夫様

いらっしゃいました」


禿の掛け声と共に


するする するする


御簾が上がり

凛と澄んだ声音が響く


「お初に御目文字叶います」


しゃらん

三つ指を突き

垂れた頭の上で

緩く結われた飾り簪が鳴る


秋穂を思わす美しい

黄金の髪



「紫苑と申しんす

どうぞ、よしなに」



つと顔を上げる

長い睫毛に縁取られた双眸は

焦茶



「あ...」



にこりと笑む唇は

瑞々しい薄桃


何も言わず 何も言えず

空気を求める魚の如く

口を開け閉めする様に

小首を傾げた太夫から

訝しげな声が飛ぶ


「主さん?」


「あっ...いや...あの...」


目の前に

捜し求めた彼女が居るのに

喜ぶ気持ちと

覚えているだろうかと言う不安から

使い物に成らない己の声帯が恨めしい


「わっちが気にいりんせんか?」


「そんな事は...」


「それなら良う御座んした」


にこり

薄桃は弧を描く


「あっ...あのっ...」



例え覚えていなくとも

一目でも良いと願ったではないか

何を今更、怖じ気付くのか



「御酒は如何しんしょ?」


すぅと息を吸い

居住まいを正す


「紫苑太夫」


「はいな」


袂を探り

巾着を膝の上に置き

紐を解き


「貴方に渡したい物が」


「あれまぁ

何で御座んしょ」


簪を取り出して

よく見えるよう

両の手の平に乗せて差し出す


「これを」


まじまじと眺める太夫の口から


「つ...ね...狐...

狐のかんざし...」


か細い呟きが落ちる


ぱちりと

かち合った焦茶の瞳が

丸く見開くと同時に腰を浮かし

たっぷりとした着物の裾を

抓む手間さえ

この僅かな距離さえ

惜しいと言わんばかりに

石蒜の胸へと飛び込む


「夕月!!」


寸手の所で潰されずに済んだ簪を

脇に置き

自由になった両腕で

細く白粉の香る身体を抱き締める


「阿胡...」


「きっと逢いに来てくれると

きっと夕月が迎えに来てくれると」


いつかの涙声を揺らし

か細い腕は

ぎゅっと力を込める


「あぁ...」


「本当ね」


身体を少し離し

見上げる様にしながら

赤くなった眼を嬉しそうに細め

微笑む


「何がだい?」


「かんざし」


「約束したろ」


ふふっ

穏やかで擽ったいような

二人の笑い声が重なる


「ねぇ阿胡」


「なぁに?」


「約束は、まだ有効かい?」


「馬鹿ね

待ってたって言ったでしょ」



その年の木枯らしが初雪に変わる前

紫苑太夫は

卸問屋の石蒜に身請けされ

桃源楼から華々しく見送られた


その後

紫苑は阿胡と名を変え

主人も奉公人も更に活気に満ち

行けば何だか心が温かくなる

大層、仲睦まじい夫婦が営む

卸問屋として名が知れたのは

また別の御話。


二人が

数ある花言葉の中から選び

その名に託した

花言葉の意味は

二人だけの秘密。



曼珠沙華 花言葉


情熱 独立 再会 諦め 悲しい思い出


思うは あなた一人


紫苑 花言葉


追憶 君を忘れない


遠方にある人を思う

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狐花 黒猫亭 @kuronekotonocturne

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