翡翠

 年号が元和と改められた年。

 於振も一門と父の悲願達成と戦勝祝いの為に、徳川家の本城である江城を訪れていた。


 嫁ぐ迄の多感な時期を過ごした城であるから懐かしく思ったのは束の間。

 天下普請を重ね、豪壮に優美に飾り立てられた城は、寡婦となり跡目を継いだ長男の後見を務めようと必死にここ数年過ごして来た今現在の彼女を拒んでいるような気がして、別物のように美々しく整えられた庭の散策も止めた。


 何よりも祝いを述べた娘である己に対して父が言い渡した新たな命令に、於振は己の努力や献身は全て無駄な、甲斐なきものだったのだと思い知らされ、何もかもどうでも良いという気持ちになっていた。

 そうなると宿舎用に与えられた殿舎の美々しく上方風の造りや設えも、更には将軍家らしく品良く控えめな態度を崩さない侍女等迄もが気に入らない。


 不機嫌な状態で数日過ごした後漸く、於振は義姉であり、今やこの城ー正確には本丸奥殿ーの女主人である将軍家御台所の訪問を受けた。

 無論、於振は到着時に自分から挨拶に出向いているのだが、その答礼を漸く受けた訳だ。


「於振様、如何でしょう。何かご不自由はございませんでしょうか」


 親しげに向き合う形で座を取った義姉は柔らかい笑顔と共に聞いてくる。

 改めて於振は、御台所が余りにも若く見える、というより於振が江戸に居た頃と殆ど変わっていないのに、驚いた。


 寧ろ人懐こい愛らしさや透き通るような肌の美しさはより勝っているような気がしてこれまた面白く無い。


「特にこれと言っては。……敢えて申し上げるような事は何もございません」

 曖昧な応答をするのにも、兄嫁は穏やかに優しい微笑みを於振だけでなく部屋の隅や廊下に控えていた侍女等に振りまく。


「ええ、皆、於振様のお越しを楽しみにしておりましたから。久し振りのお里帰りですものね。是非にゆっくり気儘にお過ごし下さいませ」

「……忝のうございまする」


 間が抜けているのか鈍いのかと於振は斜めに相手の貌を眺めてみたが、将軍家御台所は優美ではあるもののあくまでも無邪気で無垢な笑みを向けてくるだけだ。


「……大御所様や上様も久方振りに於振様とお会い出来て、喜んでおられましょう。近々、茶席など設けたいと御父上も仰せでございました」

「左様ですか」


 では父は於振に無理な命令を下して以来一度も顔を見せないし於振を呼びもしないのに、この兄嫁には会っているのだと於振はむっつりと塞いだ。

 父は元々兄嫁を必要以上に可愛がり大事にし過ぎているというのが於振の印象だった。


「あの……実は……旦那様、いえ、上様に伺ったのですけれど」

「……」

「縁談が決まったそうでございますね。お目出度うございまする」


 それでは父だけの内意でなく、兄、つまりは将軍家及び幕府に於いても公にされた話なのだと覚って、於振の顔色は変わったのかもしれない。

 兄嫁が一転して心配そうな、不安気な声で呼び掛けて来たのだ。


「如何なされました、於振様。何やらご気分が悪そうで……薬師を呼びましょうか」

「いえ。良いのです」


 素早く否定してから、ふと於振は兄嫁に視線を戻し、まじまじとその顔を眺めた。

 元々色白の兄嫁の肌は滑らかでー場合によっては以前より艶やかであるかもしれない。

 僅かに見開いている黒目がちの大きな瞳も澄んでいる、ように於振には見えた。


 つまり兄嫁は未だ女としての気苦労は大して負っていない身、相変わらず真面目で堅物な兄は妻一筋を通し、正妻と正妻に生ませた子達を大切にしているのだろう。


 そういえば兄は、言葉や態度は頑とした素っ気ない風を装っていたものの、於振が江戸に居た頃から、妻子には甘かったと思い出す。

 城内でも気が利く者は、兄嫁に請願するのが兄の堅固な意志に影響を与えるのに最も手っ取り早い方法だと覚っていたが、あの当時から兄嫁は半ば周囲から隔離されるように守られていた為、慮外者達は近付けなかっただけだ。


 だが現に於振は、将軍家御台所と膝突き合わんばかりの近さに居るし、肝心の将軍家御台所は心配そうな、気遣わしげな眼差しと表情で於振を見ている。


 於振は幼い頃のことー異母兄である秀忠と於振自身と同い年の忠吉との三人で、遊んだ際の事を思い出した。


 兄秀忠と忠吉は同母の兄弟で、殊の外兄弟達の中でも仲が良く、於振は幼いながらに二人を羨ましく嫉ましくも感じたりした。

 だから忠吉が大切にしていたー何でも小姓の一人が親戚から土産として貰ったというーかわせみの羽根を取り上げて、忠吉を泣かせてしまった事があった。


 だがその際も兄の秀忠ーその頃は長丸といったーが飛んで来て、於振を叩いたりはしなかったものの、今と遜色ない厳しい、だが当時は素直に怒りを露わにした目で睨み付けて来て、折角の宝物を取り上げてしまった。


 とはいえ、己の手の内にあった時は、差程、かわせみの羽根は綺麗にも清らかにも見えなかったのだが。

 兄弟の手に戻ったソレが、元の青緑色の何とも美しい輝きを取り戻したのが、何より悔しくてわんわん泣いてしまった事を覚えている。


 その後、兄弟の母である西郷局が、兄弟を連れて詫びの印にと問題の羽根を差し出してきたが、その時も己のモノにしたいと感じる程美しくは見えなくて断った。

 素直で無邪気な弟の方は於振に好意を抱いたようだったが、兄の方は変わらず胡乱気に胡散臭そうに己を見ていたような気がする。


 つまり、於振の事を幼い頃よりそれ程重視していなかったように感じる異母兄であるが、妻の口添えがあれば心動かされるに違いない。


 於振は僅かに顔を背け、片袖で覆った。


「於振様?」

「……私、嫁ぎたくなどありませぬ!蒲生の家には息子達がおりますし、未だ私を頼りとしてくれております。それに最早、私は嫁ぐような年齢ではございませぬ!何故今更、他家へなど」

「御父上は、於振様に今一度幸せで安らかな暮らしを送って頂きたいとお望みなのですわ」

「いいえ!私を厄介払いしたいと、蒲生の佞臣共が申してきたのですわ!父上も兄上も、騙されておいでなのです!」

「まぁ……そのような」


 思った通り、兄嫁は簡単に心動かされたらしかった。

 於振を見詰めている大きな瞳が更に見開かれ、震えているのに、一層於振は張り切って訴える。


「義姉上も、母の心はお分かりでしょう?子等と無理矢理!引き離されるなど耐えられませぬ!私の居らぬ所で、子等が老獪な者共に騙され、操られるのではないかと思うと、私は夜も眠れぬでしょう!いいえ、子等と離れた場所に一人、放り出されるなど、死んでしまいます!」

「ええ……ええ、左様ですね……」


 くすんと小さく兄嫁は啜り上げ、於振と同様袖を目元に当てた。

「確かに……於振様のお気持ちを考えれば……」

「ええ、そうなのです!縁談など無用にございますわ!是非に、兄上にお取り成しを!」


 肝心要の要求を言い切った於振に、兄嫁は素直に頷いた。


 兄嫁が本丸奥殿へ戻っていくのを見送った後、於振は随分と寛いだ心地で、今や日の本一の権門となった実家での贅を凝らした暮らしを愉しんだ。

 とはいえ、彼女の痛快さや勝利感など長くは続かず、翌日の午後には今度は本丸に呼び出され、父だけでなく兄に迄説教を喰らう事となる。


「振。全くそなたという娘は!いい年をして、我が儘ばかり申しおって!この父がそなたの為に態々整えてやった縁談の何処が気に入らぬのだ!」

「振。そなたが寡婦を通すのは構わぬが、ならば、以後は藩政にも蒲生家の事に口を出すな。いや、嫁に行かずとも良い故、蒲生家に戻るのは禁ずる。北の丸で夫の菩提を弔いながら暮らせば良い。それが蒲生家や忠郷等の為にもなる」

「まぁ!何と酷い事を仰るのです!父上も兄上も、この、人でなし!」

「何が人でなしだ!詰まらぬ口出しや手出しをしおって!周辺の者達が内々に相談に来て居るのだぞ!蒲生の後家を何とかして欲しい、とな!」

「公に訴えがあれば、妹だろうが処断するぞ、私は。父上が何と仰せであろうが容赦はせぬ」

「おお、そうせよ、秀忠!この跳ねっ返りは何も分かっておらぬ!……そなたのせいで、儂はお江に詰られたのだぞ!昨日は肩を擦ってもくれんかった!いつもは肩と腰を揉んで、耳掃除もしてくれるのに!そなたのせいだ!」

「父上はどうでも良いが私に迄、被害を及ぼすな。私など昨夜江に徳川家の男は冷たい、などと言われたのだぞ。私は冷たくなどない!昨日も新しい花を発注したのに!」


 何やら妙に拗くれた意味不明な追求と自己主張を始める父と兄に、於振は呆れたが。


「まぁ!御父上、旦那様、今少しお考え下さいと申し上げましたのに!」

 華やかな気配と共に話題の中心であった兄嫁が駆け込んできて、於振を庇う位置に陣取り、父と兄に向けて訴えたのに、於振は素早く片袖を上げる。


「義姉上……父上も兄上も酷いのです……無理矢理私を嫁がせると仰せです。兄上など、嫁がぬなら尼になれ、などと」

「まぁ!」

「左様な事、申してはおらぬ!振、そなた卑怯だぞ!嘘を吐くな、嘘を!」

「父上も何としてでも我が子等と引き離すと思っておいでなのです!」

「まさか、御父上!」

「違う!儂は蒲生家や周辺の者達に頼まれただけじゃ!振、いい加減にせぬか!弱い者ぶりおって、このひねくれ者が!」

「義姉上~」


 よよよと義姉に向けて身を傾けてみせると、義姉はすぐに近付いて来て、於振の肩を抱いた。


「まぁ、於振様、可哀想に」

「可哀想ではない!全く、この女狐が!」

「可哀想なのは私だ!父上と妹に迄陥れられているのだぞ!」


 父と兄が強硬に、だが彼等にしては珍しく感情的に主張したのが、逆に義姉の心には響いたらしく、於振の背中を軽く慰めるようにぽんぽんと叩いてから、優しく宥めてくる。


「於振様。御父上も、旦那様も決して悪気がある訳ではないのです。於振様の身の上を案じておられるのです。どうか御心を和らげて下さいませ。決して於振様を御子達と引き離して山寺や岩牢に閉じ込めようとか、無理矢理鬼のような狒々爺に嫁がせようなどとはしておりません。ね、安心なさって」

「……」


 思わず顔を上げた於振は兄嫁をつくづくと眺めたが、兄嫁はきょとんとした風に見詰め返してくるだけた。

 プッなどという微かな音が聞こえた気がして、於振は素早く父と兄を振り返ったが、兄は普段通り無表情だし父も又普段通りにんまりという腹に一物あり気な笑顔を返してくる。


「江。振の相手は狒々爺ではないぞ。振より年下で、まだまだ若い男盛りだ」

「うむ。秀忠の申す通りだ。……確か、天正十四年の生まれだった筈。これ以上はない良縁ぞ。……そうだな、春姫の叔父故、浅野家でも決して振のことは疎かにはせぬ。徳川と浅野はより強い絆と縁で結ばれ、振も春姫も、和やかに暮らせるであろうよ」

「まぁ」


 義姉が注意を父兄に戻したのを目敏く覚った兄が素早く前に出て、妻の両手を取った。

 自然、於振は義姉から引き離され、思わず舌を打つ。


「何も心配は要らぬ。浅野長晟は、浅野長政の次男。つまりは高台院様の甥、そなたにとっても義理の従弟ではないか。大事な妹であり我が徳川家の姫である振を滅多な家や男に娶したりしないと、そなただとて分かっておろう?」

「……はい。左様ですね、旦那様」


 兄嫁が元通り綺羅綺羅と輝く瞳を真っ直ぐ兄に向けるのを認め、於振は己の負けを覚った。

 だが兄嫁の支援が得られなくとも簡単に軍門に下りたくないという意地は残っている。


「私はもう年です!嫁入るような年齢ではございませぬ!」

「左様な事は無い。振は今でも美しいし若いぞ。何といっても花がある。うむ、我が娘ながら、艶やかだ」

「……父上に比べれば大概の者は艶やかで若うございます」

「私よりも」

「当たり前でしょう。私は妹です!」


 敵は攪乱作戦に出たと受け止め、於振は本来の自分に戻り鋭く厳しく言い放った。

 途端、兄嫁がびくりと大きく震え、兄にしがみつくのが分かり、しまったと一瞬思ったものの、もう遅い。


「子達を置いていく事など出来ませぬ!」

「子達などと言うが既に皆、成人しておろう。何時までも母親が側にいてうじゃうじゃと藩政に迄口を出すでない」

「依姫も昨年無事嫁いだのだ。そなたも今一度、おなごとしての幸せを求めたとしても誰も責めたりはせぬ」

「今更、私に嫁いで如何せよと?!私はとうに三十路を越えているのですよ!最早子も産めませんのに!」


 だが言って直ぐ失敗だったと覚った。

 父と兄は、目すら合わせなかったものの同時に全く同じ風に片頬を緩めたのだ。


「何を言う。三十路を越えた位何だ。お梶は三十で市姫を出産したぞ。……可哀想にお市は僅か四歳で亡くなってしもうたがの。子は宝じゃ。幾つであろうが授かる時は授かる。年だの何だのと言い訳せず、産めるよう努めてみたらどうなのだ」

「父上!私は三十六です!もう絶対無理ですから!お梶殿とは立場も違いますし、」

「無理などという事は無い。そなたは幼い頃から武術も嗜んでおるし、屡々、私や忠吉を山姥のように追いかけ回していた。病らしい病をしたこともない、丈夫過ぎるおなごではないか」


 さり気なく無礼な事を言う異母兄を睨み付けたが、何故か兄嫁が敬意の籠もった羨ましげな目を向けてきたのに気を削がれ、反論が遅れた。

 更に兄が、「ここにいる江は三十五で和姫を産んだのだぞ」などと自慢げに付け加えるのに、ますます返す言葉が見付からなくなってくる。

 父が駄目押しに「そういえばそなたの姉は四十過ぎてから産んでいたぞ。うむ、流石儂の娘だ」と訳の分からぬ自慢返しをーおそらく兄に対してーしてみせる。

 更に。


「何だ。それとも振はもっと年を取った男が好みなのか?……ならば幾らでも紹介してやるぞ?なぁに、儂に任せよ。北だろうが南だろうが、大きかろうが小さかろうが、どんな男でも望み次第の者を、すぐに連れて来てやる」

「いや、振は年下好みではないのですか、父上。先の夫も確か振より三つ年下だった筈。もっと若くて生きの良いのを己好みに躾けたいのかもしれません。ならば、私も何人か候補を挙げましょう。振に候補を会わせて気に入った者と暫し共に過ごさせるのが良いかと」

 父と兄が勝手な事を口々に言う。


 兄嫁を再び何とか味方に出来ないかと視線を戻したが、先程己の産に言及された兄嫁は恥ずかしいのかー寧ろその態度こそ如何なものかと於振は思ったがー兄嫁はぴったりと兄に縋り付いて顔を兄の肩に伏せてしまっていて、当てには出来ないと判明した。


「いっそのこと武芸大会でも開きましょうか。広く日の本中に知らしめて、振の婿になりたいと望む者を大名諸候とその子弟より募るのです。御前試合と致しましょう。無論、胡乱な者に我等の大事な振を与える訳にはいきませぬ故、志望者の身元は厳に確かめなくてはなりませんが。暫し戦乱が続きました故、家中の者達や諸候等にも少し楽しみを与えてやらねば」

「ほう。なかなか面白そうだの」

「勝利した者には、無論、振だけでなく褒美を与えてやりましょう。良い励みともなります」

「ふむふむ」

「……もう止めて下さいませ」


 父と兄の嫌がらせは留まる事なく続くだろう。

 そう於振は覚り、諦観と共に己の運命を受け入れた。


 実際、父と兄の考えやー心配は、理解出来る。

 確かに己が傍にいては、蒲生家や会津藩の妨げとなる事態も今後生じるかもしれない。

 既に、跡目を継いだ長男と次男の間に紛争を起こそうと仕掛けている者が居るとも、於振は気付いていた。


 徳川家の姫である、そして蒲生家当主の母である己を利用し、権勢を握ろうと計る者も後を絶たない、のだろう。

 しかも既に父は老境にあり、もしも今父に何かあれば、不安定な不安要素を抱えて火種を燻らせているような蒲生家家中で何が起きるか分からない。


 そして諍いが起きるとすれば、神輿に乗せられて担ぎ上げられ振り回されるのはー以前と同じくー先ずは自分であると於振は承知しているし、実感させられていた。

 確かに非常にうんざりさせられる見通し、避けたい事態である。


 口で何と言おうと、又徳川家、幕府としての政略があろうと、父と兄が於振に新しい保護者を見つけ安全な場所に待避させたいと願っているのは、於振には明らかだった。

 ー最初から分かっていたが、なかなかに心と意地が追いつかず納得出来なかっただけ、だ。


「……分かりました」

「む?何じゃ?武術大会か?」

「振。そなたは参加してはならぬぞ」


 素知らぬフリをしてみせる狸親父な父と、真面目な顔で茶化してくる兄を睨み上げ、於振は、きっぱりと告げた。


「一度、長晟殿に会わせて下さいませ。幾ら良い殿御であろうと、私自身を望んで下さらぬ御方に嫁ぎたくはありませぬ」


 父と兄は特に表情は変えなかった。

 無論、二人共於振の性格を知っているから、だろうがそうした気遣いも今は非常に面白くなく、於振は姿勢を正してからそっぽを向いた。


 僅かな、幾分気拙い感のある沈黙の後。


「……大丈夫ですわ。きっと、上手くいきます」

 この場に、というより徳川一族が剣付き合わせた場には似合わぬ穏やかでのんびりとした声が、奇妙に響いた。


「江?」

「何じゃ、お江。そなた辻占もするか?」

 舅と夫に問われ、兄嫁は愛らしく可憐に頬を染めたが、於振から目線は逸らさなかった。


「於振様は、生き生きとして、賢くて、とてもお美しい。如何なる殿御であろうと気に入らぬ筈がございません」


 面と向かってしかも大真面目に言われた褒め言葉は、何故かすとんと於振の胸の奥深く迄入って来る。

 瞠目するだけの於振に兄嫁は何時も通り柔らかく微笑んだ。


 *


 実際の輿入れは翌年、既に父が病篤く助からぬ身と分かっていた頃。

 だがこれも父と兄の指図及び気遣いで、早々に於振は新しい夫の許へ、新しい暮らしへと旅立った。


 夫の領国に到着してから、ふと於振は、父と兄は於振の事を矢鱈丈夫とか頑丈などと言っていたが、もしかしたら本当は己の身を心配して、寒冷の地に置いておきたくなかったのかもしれないと思い付いた。


 なかなかに徳川家の男達というものは、素直に己の心情を白状しない生き物なのだ。


(徳川の女も)


 そんな風に思いつつも、新しい夫がおずおずと南国のモノらしき見慣れぬ美しい花を差し出してくるのを、これは兄嫁を見倣って笑顔で受け取った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る