サガリバナに憧れた少女
星火燎原
第一章
第一話 サガリバナ
1
「私ね、サガリバナに憧れているんだ」
僕の顔を見ながら、
観覧車のゴンドラの中で、彼女が口にした言葉の趣旨を考える。
サガリバナ?
憧れている?
考えたところで趣旨がつかめそうにない。彼女の口から発せられた「サガリバナ」とやらがなんなのかすら分からない僕は訊ねる。
「サガリバナ?」
幸野は一瞬寂しげな顔を見せてから黙り込み、僕から視線を逸らして外の景色を眺める。目を細めて沈みゆく太陽を見つめながら、彼女は優しい声で話す。
「サガリバナはね、一夜しか咲かない花で、幻の花と呼ばれているんだよ」
「一夜しか咲かない?」
「そう、一夜だけ。夜に咲いて、朝になると散っちゃうの」
それを聞いて真っ先に思い浮かんだのが、蝉だった。
「なんだか蝉に似ているな。短命なところが」
微笑みながら幸野は「儚いところは似ているかもね」と肯く。
「一夜しか咲かないから幻の花……なんて呼ばれているけれど、沖縄に行けば普通に見ることができるんだ。サガリバナを一目見ようと沖縄へ旅行する人もいるみたい」
「花を見る為にわざわざ沖縄へ行くなんて理解できないな」
東の空は既に暗くなっていて、その下でビルの明かりが光り輝いている。
「男の子はそう思うかもね。でも、実際にサガリバナを見る為に沖縄まで行く人はいるし、花に興味がない私でも死ぬ前に一度見ておきたいって思う時もあるの」
笑みをこぼしながら話す幸野を見ながら、心の中で「それは叶わないだろう」と思った。彼女が実際にサガリバナを見ることはおそらくない。
「
「どういう意味だよ」
「サガリバナが『ただの沖縄にしか咲いていない花』だったら、また違っていたと思うの。一夜しか咲かない花だから皆見に行くんだよ」
確かに『ただの沖縄にしか咲いていない花』だったら、見に行きたいと思う人の数も違ってくるはずだ。一夜しか咲かない花だからこそ興味を惹かれる。彼女の言うメリットとはそういうことなんだろう。
「まぁ、儚げな雰囲気が売りの女優とかいるしな。メリットと呼べるかもしれない」
蝉だって寿命の短さから儚い印象を持たれているが、もし短命でなかったら夏の風物詩と呼ばれていたのだろうか。春の花粉症みたいな疎まれる扱いになっていてもおかしくないような気がする。
「そう考えるとさ、サガリバナってずるいよね」
「ずるい?」
「だって、一夜しか咲かない儚い花というだけでサガリバナを見ようと人が集まるんだよ? 道端で見かける普通の花だって一生懸命咲いていることには変わりないのに誰の記憶にも残らないじゃない。人間から見たら散る為に生まれてきたような花だけれど、それだけで皆の記憶に残るなんて『ずるい』としか言いようがないよ」
僕は黙ってジッと彼女を見続ける。小さな子供の屁理屈を聞いているような気分で、高校生である彼女の話を聞き続ける。
「そういうずるいところに憧れたんだ。普通の人生を送っていたら私……誰の記憶にも残らないまま死んでいたと思う。きっと、そこらへんに生えている雑草のように、ね」
自分を嘲笑するように話す彼女を見て、言葉では言い表せない感情が湧いてくる。
僕と、幸野は、同時に「だから」と口にした。
声が重なり合ったことで、幸野は言葉を飲み込んだが、僕は続けた。
「だから、自分の命と引き換えにあいつの身代わりになったのか」
視線を交わす。
僕はガンを飛ばすように幸野の目を見据えるが、彼女は視線を逸らすことなく、「そうだよ」と笑って答えた。
「無意味な人生を過ごして一生を終えるぐらいなら、好きな人の為に死んだ方がいいでしょ」
平然と当たり前のように彼女は言った。
幸野綾香は好意を寄せていた人間を助ける為に――身代わりになった。
その代償として幸野は、一年以内に死ぬ。
身代わりになって死ぬなんて、誰かに話したところで、誰も信じない話だ。
幸野はただの女子高校生で、名の知れた武将や権力者の影武者が務まるわけがないし、借金の保証人になることもできない。今の時代、高校生が身代わりになって死ぬような状況をどうやったら作れるのか、という話だ。
しかし、幸野が身代わりになったことによって死ぬのは本当だ。
彼女は願ったのだ。自分の命と引き換えに好きな人を生き返らせてほしい、と。
とても信じられない話だと思うが、僕は一度、彼女が死んだのを確認している。
彼女の死を知っているからこそ彼女の発言が、態度が気に食わない。
「私が死ぬことで彼が助かる。無価値だった私の人生が死ぬことで価値のあるものに変わる……そう考えると、私の人生ってサガリバナみたいだよね」
そして、幸野は穏やかな顔で、僕の顔を見据えながら言い切る。
「だから、絶対に身代わりになったことを後悔しないよ」
幸野の顔を見れば、その発言が嘘偽りでないことが分かる。迷いなく、死を恐れることもなく、身代わりとして命を差し出したことを全く後悔していない。目の前の彼女を見なくても、そんなことは分かりきっていた。
なのに、僕は認められないでいた。認めるわけにはいかなかった。
「それはどうだろうな。幸野は僕と違って恋人でもなんでもない人間の身代わりになったんだ。死ぬ間際になったら心変わりするかもしれない。そうならないように気をつけるべきだ」
自分でも酷い言い方だと思った。でも毒を吐かずにはいられなかった。
「違わないよ。恋人だったとか恋人じゃなかったとか関係ないと思う。私も諏訪くんも好きな人の身代わりになった同じ仲間でしょ」
――同じ仲間。
そう、僕も好きな人を助ける為に身代わりになった。
本来なら身代わりになった者同士で慰め合ったり、このことを唯一知っている立場として幸野が死ぬまでの間、彼女のよき理解者でいるべきなのかもしれない。
ただ、僕と幸野で違う点が二つある。
一つ目が、身代わりになって助けた人間との関係。僕が身代わりになって助けた人間は恋人で、幸野は一方的に想いを寄せていた人間を助けた。
二つ目が、身代わりの代償として払ったものが違うこと。幸野は自分の命を差し出して、僕は自分の夢を差し出した。
つまり僕は夢を諦めなければいけなくなったが、死ぬことはない。助けた恋人だって僕にとって世界で一番大切な人で、当時の僕なら命と引き換えでも構わなかったはずだ。
けれど僕は、夢を諦めたことを、身代わりになったことを、
――後悔していた。
その一方で幸野は恋人でもなんでもない人間の為に、命を代償にして身代わりになった。聞いたところ彼女が助けた男、
いやいや、どう考えてもおかしいだろ。いくら好意を寄せていたからって数回しか会話したことがない人間の為に、なんで命を差し出せるんだよ。
勢いとか感情に流されたのなら、まだ理解できる。しかし、死期が迫っても幸野は『後悔しない』と自信満々に言い切る。後悔する気配がないどころか、今になって花に憧れているだとか、死ぬことで自分の価値が高まるなどと戯言をぬかす。
恋人を救う為に夢を捨てた僕が後悔しているというのに、幸野は数回しか話したことがない男を助ける為に命を差し出して満足している。
幸野綾香はどうかしているとしか思えない。
こんな奴と僕が同じ? 勘弁してくれよ。
僕が彼女に抱いている感情は嫉妬や同族嫌悪といった真っ黒な感情だ。上手く言葉にできないけれど、彼女の考えを、彼女の存在を、否定したい。
このまま幸野綾香が死んでしまったら、僕はいつまでも彼女を妬み続けて生きていくことになるだろう。
「暗くなってきたね」
遠くの空を見つめる幸野の横顔を睨みつける。
「……そろそろ帰らないとな」
僕が決意したのは、このときだった。
『彼女が抱いた馬鹿らしいほど純粋な願いを踏み潰してやる』
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