146 焼き蟹
十キロを越える重さのカニを持って森を駆ける。
……。
これ、結構、凄いことだよなぁ。
少し力のある大人ならさ、十キロ程度の荷物を持ち上げることくらいは、当然、出来るだろうさ。でもさ、それを持って運ぶ、駆ける、となると……しかも足元の悪い森の中を、だよ。それを小さな女の子の体で行うってさ、改めて考えても異常なことだよなぁ。
異常? ま、俺は、その体に秘められた力の恩恵にあずかっている側のワケだけどさ。
そんなことを考えているうちに工房に辿り着く。
「遅かったようだね」
その工房の前では眼帯の女性が待ち構えていた。
遅かった?
時間を確認していなかったが、そんなに遅い時間だろうか。まぁ、お昼時は過ぎているだろうけどさ。もしかして、俺が食事を持ってくるのをずーっと待っていたのか?
「……その虫は何さね。素材にするには微妙な代物のようだがね」
素材?
なるほど異世界の鍛冶士らしい言葉だな。魔獣の素材を使った武具を作るって感じなんだろうか。
でも、だ。
違うんだよなぁ。
「えーっと、これは食材です」
「ん? 聞き間違ったようさね」
俺の言葉を聞いた眼帯の女性が首を傾げる。
「えーっと、これは『食材』です!」
だから、もう一度、強く、同じ言葉を伝える。
「知らないようだから教えるがね、虫は食べるものじゃないのさね」
眼帯の女性が子どもに教えるような口調でそんなことを言っている。
んー。
これはどうなんだ。
「えーっと、毒があるってことですか?」
眼帯の女性は肩を竦め、首を横に振る。
毒があるワケじゃあないのか?
まぁ、でも一応、試してみるか。
カニの腕を掴み、ナイフの柄で、その腕の殻を叩き割る。中に入っている白い繊維を一本だけ引き裂いて引き抜き、口に入れてみる。
……。
……。
サイズが大きいから大味かと思ったが、割と濃厚でクリーミーだ。そのまま噛みしめ、飲み込む。高級なカニよりくせは強い感じだが、うん、美味しい。
毒もなさそうだ。
生でも普通に食べられるよなぁ。
……ん?
眼帯の女性が、カニの身を食べている俺を見て、気持ち悪い物でも見たかのような目を向けている。
あー、カニを食べる文化がないって感じなのか。魔人族って海が鬼門みたいだからなぁ。って、でも、この眼帯の女性は魔人族じゃあないはずだよな? 違うよな?
「ところで、その瓶に入っているのは何さね。魚のように見えるんだがね」
眼帯の女性はカニの身を食べた俺から目を逸らすようにして、塩漬けになった魚が入ったガラスの大瓶を見ている。
「えーっと、これはこれからのお楽しみです。この状態で発酵させて一年くらいおいとくと美味しいものになります。ここで預かって貰えませんか?」
魚醤の完成だ。まぁ、俺自身、魚醤を作ったことはないから、成功するか分からないんだけどさ。
「分かったのさね」
俺からガラスの大瓶を受け取った眼帯の女性は、そのまま工房の中へ戻っていった。工房の何処か片隅にでも保管してくれるのだろう。
と、その間にカニを処理してしまうか。
本当は茹でて食べたいのだが、この大きさだと鍋がなぁ。二メートルクラスのカニを茹でられる鍋なんて、それこそ炊き出し用みたいなサイズになるよな。それは、さすがに……。
となると焼くか。
まぁ、焼くしかないよなぁ。焼きすぎて焦さないように気を付けよう。
……。
枯れ枝を積み上げ、いつものように魔法で草を生やして点火する。大きいカニなので、節の部分からナイフで足を切り離し、足と胴体に分ける。本当は腹の部分から半分にするのが良いのだろうけど、このサイズだとなぁ。
足と胴体を火にかける。直火だから焼きすぎないように気を付けて、と。
カニの焼けた美味しそうな匂いが広がる。
いやぁ、カニはそのままでも美味しいからな。良いものが手に入ったぜ。
カニを焼いていると眼帯の女性が戻ってきた。ガラスの大瓶を抱えている。
ん?
「持ってきたのさね」
と、そう言った眼帯の女性は、俺がカニを焼いているのを見て顔をしかめていた。美味しそうな匂いが漂っているのに、それでも顔をしかめるほどなのか。
で、ガラスの大瓶?
ん?
「えーっと、これは?」
ガラスの大瓶の中が黒く濁っている。何だろうドロドロだ。
「発酵させてきたのさね」
ん?
今、なんて言った?
発酵させてきた?
俺は改めてガラスの大瓶を見る。
中は黒く変色し、ドロドロになっている。動かすと何かドロドロになった塊がグニャグニュと蠢く。よく見れば、それは、何かの骨や皮、切り身の残骸のようだ。
何か?
何かじゃあないよな。
これ、俺が塩漬けにした魚だよな。
へ?
え?
ま、まさか、発酵が終わっている?
どうやったんだ?
本当にどうやったんだ?
一年分の発酵を一瞬で終わらせたのか?
この眼帯の女性は何をやったんだ?
「えーっと、何をしたんですか?」
「言われたように発酵をしたのさね。これくらいはサービスにしとくのさね」
眼帯の女性が肩を竦めている。
いやいや、本当にどうやったんだよ!
何なんだ。
本当に何なんだ。
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