077 防壁
宿で真っ先にやったことは体を洗うことだった。宿の裏で水をかぶり体を洗う。外で体を洗うというのは、少し開放的で、少し恥ずかしい。一応、覗かれないように布が広げられているが、ぺらっとめくられてしまえば丸見えで、しかも上からなら普通に覗けるような場所だ。
ヤバいよ、ヤバいよ。
かなりあっさり体を洗い流し、改めて貫頭衣のような服を身に纏う。ホント、奴隷みたいな格好だよなぁ。うーん、ブーツは手に入ったけど――次は服だな。いや、その前に靴下が最初なのか? どちらにしても服って大事だよな。文明開化の第一歩だよ。
体を洗って綺麗になったところでやっと部屋に案内される。ベッドとテーブルがあるだけの狭い部屋だ。まぁ、いくら大きな建物だって言っても平屋だもんな。宿泊客を増やすためには部屋を狭くする必要があるよなぁ。仕方ない、仕方ない。
こんなものさ。
しばらくすると食事が運ばれてきた。丸いパンもどきと何かの肉だ。ステーキだな。だけど、なんだろう、見る限り、ただ焼いただけで味付けはされていないようだが。むむむ。素材の味が大事ってことかな。いや、それよりも重要なことがある。食べるための道具が何も無い。スプーンもフォークも箸もない。
まさか、手づかみで食べろってことか?
むむむ。
仕方ない。丸いパンもどきを引きちぎり、その中に焼いただけの肉を挟む。囓る。硬い。まるでゴムを食べているみたいだ。味も、うん。素材の味が生きているなぁ。生き過ぎていて何を食べているのか分からなくなってくる。
それに、だ。
この食事を運んできた人もさ、ノックもなく入ってきて、これを置いてすぐに消えるんだもんなぁ。食べ方とか説明も無し。いきなり入ってくるのもびっくりだ。場所が場所なら殺されても文句が言えない所業だと思うのですよ。
不満たっぷりの食事を終え、ベッドに横になる。まぁまぁ、柔らかい。いや、でも、ふかふかじゃあないよなぁ。ギルドの無料ベッドよりはマシだけどさ。これで銀貨十枚? まぁ、四人で十枚だから、いや、それにしても、うーん。騙されている気がする。
そういった感じで宿での一泊を終え、出発する。
馬車の中でその時のことを思い出す。思い出していた。
「タマちゃん、どうしたのだ?」
「えーっと、いえ、宿が凄く微妙だったな、と」
ズタ袋をかぶったリンゴが首を傾げる。
「そうでもないと思ったのだがな」
うーん。
この世界だと、あれが標準なのだろうか。食事も外食が基本って感じでさ。
「食事も味のないパンと肉だけでどうにも……」
「ん? それはおかしいのだ」
リンゴの言葉。おかしい、おかしいってなんだろう。
「それ、本当?」
御者台の狼少女がこちらに話しかけてくる。この少女は耳が良いようだ。もしかすると獣人の殆どがそうなのかもしれない。
「えーっと、本当って、どのことについてです?」
「食事」
この狼少女、相変わらず必要最小限しか喋らないようだ。
「えーっと、丸いパンと焼いただけの肉でした。それにノックも無しに入ってくるのもびっくりでした」
目の前のリンゴが息を飲む。
「ふむ。それは災難だったのでしょう」
おっさんがちょっと同情したような顔をこちらに向けている。
ん?
どういうこと?
「こちらのミス。償いはする」
狼少女はそれだけしか言わない。
意味が分からない。
リンゴの方を見る。そして、おっさんを見る。
「付き人、いや、もっと正確に言えば奴隷だと思われたのでしょう。こちらがお金を払った分、それなりの部屋にしたようですが、本当にそれなりだったようですね」
おっさんがため息を吐き出している。
あー、そういうことだったのか。
って、そういうことかよっ!
「えーっと、それって酷くないですか」
「うむ。酷いのだ」
「向こうは気を使って奴隷と分けたのでしょう」
おっさんが改めてため息を吐いている。
要らない方に気を使われたのか。
酷くない?
酷いぜ。
最悪だぜ。
「生まれを変えることは出来ないのですから、自身の格好を見直すべきでしょう」
そして、続けておっさんはそんなことを言っている。
生まれって、俺が半分の子だってことか。差別は少ないって言っても無いワケじゃあないだろうし、なんだかなぁ。まぁ、格好が格好なら、もう少しマシな扱い――勘違いされなかったかもしれない。
そうだ、服装だ。
服かぁ。服装だよなぁ。まぁ、でも、まずは靴下だな。この世界に靴下があるのかどうかは分からないが、似たようなものはあるだろう。このままだとブーツが蒸れて大変なことになってしまう。
そんなことがあった後も馬車は走っていく。
石畳の道が終わり、あぜ道のような雰囲気の道に変わっていく。周辺に広がるのは穂のついた作物たち。もしかして本当にあぜ道なのか。
つまり、ここは農道?
「えーっと、これ、もしかして全て畑ですか?」
「王国の食料庫なのだ」
本当に畑だったみたいだ。
どこまでも畑が広がっている。しかも、ちょうど実っている時期か。
のんびりとした風景の中を馬車が走っていく。
そして、しばらく走り続けると壁が見えてきた。そう、壁だ。
「えーっと、壁が、壁が見えてきました」
幌馬車から乗りだし、壁を指差す。
「あれが王都」
狼少女が呟くように喋る。
王都?
壁が?
いや、壁の向こうに王都が広がっているというコトなのだろうけどさ。壁しか見えないぞ。
壁だ。
しかし、王都か。
やっと王都か。
でも、壁だよなぁ。
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