031 大猪

 リンゴは背負い鞄の中から、何かの動物の皮で作られた袋を取り出す。そして、その袋の中に未だ血を流しているぐちゃぐちゃの鹿角ウサギを突っ込んだ。

「それは?」

「殺した魔獣を入れる用の袋なのだがな」

 あれだけ血まみれだった鹿角ウサギを突っ込んだのに、その袋から血がこぼれ出す様子は無い。防水加工でもされているのだろうか。

「これのような、あまり大きくない魔獣は、この袋に入れて持ち帰るつもりなのだ」

 リンゴが背負い鞄に袋を結びつける。なるほど。草狼程度の大きさなら数匹は入りそうだ。これなら背負い鞄を汚さないだろうし――うん、準備が良い。俺も、こういった袋を手に入れるべきだろう。

 魔法的な力で良く分からない亜空間とかに、四次元的なポケットよろしく、ひょいぽいと格納できれば、こんなことを気にする必要はないのだが、現実は甘くない。どうしたって倒した魔獣を持ち帰る手段ってぇのは必要だ。倒しただけじゃあ意味が無い。持ち帰って、お金に出来て、初めて、魔獣を倒しに来た意味がある。


 手を伸ばせばすぐに次の木に触れてしまうような、そんな深い森の中を歩く。


 ん?


 木の幹の辺りに何かの姿が見える。


 何だろう……?


「蛇だぁ!」

 思わず叫ぶ。そう、それは蛇だった。木の幹に巻き付いた蛇――かなり大きい。


 その蛇が動く。牙の付いた大きな口を開け、飛びかかってくる。早いッ!


 ……。


 だが、その時にはリンゴが動いていた。手に持っていた盾で蛇の牙を受ける。そして、何をどうしたのか、気付いた時には盾を蛇の首の辺りに当て、地面に押さえつけていた。いや、さっき、蛇の攻撃を受け止めたよな? それからどうやって地面に? 一瞬過ぎて分からなかったぞ。もっと、しっかりと注目して見ているべきだった。


 蛇が胴体をうねらせ暴れている。あくまで動きを封じただけで蛇は生きている。リンゴは青銅の斧を持った手を振り上げ、そのまま固まっている。

 何か迷っているような様子だ。もしかすると、青銅の斧では倒しきれないと思い、振り下ろすのを躊躇しているのかもしれない。


「リンゴ、任せてください!」

 俺は叫び、青銅の短槍で蛇の頭を狙う。突くッ!


 ぬるりという感触とともに槍があっさりと蛇の頭を貫通する。硬い頭の骨を貫通したはずなのに、一瞬、ぺきりという感触があった程度だ。

 蛇の胴体が痙攣し、ビクビクと跳ねて動く。だが、リンゴが盾で押さえつけているため、それ以上動けない。

 その最後のあがきも終わり、蛇は動きを止めた。


「これは魔獣ですか?」

「低位の魔獣なのだ。ヴァイパー種としては毒を持たない個体だったはずだ」

「毒……ですか?」

 リンゴが頷く。

「毒なのだがな、この周辺の魔獣で毒を持つ個体は居ないはずなのだ」

 居ないのか。といって、あっさり安心出来る訳がない。


「毒を受けた時の対処法とかってありますか?」

「その毒にあった解毒薬や魔法が必要になるのだ。竜人……やリザードマンは毒が効きにくいとは聞くのだがな」

 その毒にあった……解毒薬や魔法? 魔法で対処できるのは、さすが異世界という感じだが、これってどういうことだ?

「えーっと、その毒にってどういうことでしょう?」

「毒にも種類があるのだ。当たり前の話になるのだがな、その毒にあったものでなければ効果は無いのだ。毒を持った個体を狩るのであれば、事前に、その個体に対応した毒消しの準備が必要になるのだ」

 あー、そうなんだ。いくら異世界でも、これ一個で大丈夫、みたいな解毒薬は、無い、と。そうだよなぁ。そんな都合良く、全ての魔獣が同じ毒しか使わないなんてあり得ないよなぁ。

「分かりました。ありがとうございます」

「うむ」

 リンゴは頷き、そのまま森の奥へと歩いて行こうとする。


 ん?


「えーっと、この蛇の魔獣は放置するんですか?」

「あまり高く売れなさそうだと思ったのだがな」

 リンゴが振り返る。


 この蛇の魔獣は売っても安い? いや、でも、荷物に余裕があるなら、持って帰るべきだ……と思う。少しでもお金になるものは持ち帰るべきだ。

「持って帰りましょう」

 それに、蛇の肉は鶏肉みたいで美味しいと聞いたことがある。最悪、自分たちが食べる用にしても良いんじゃあなかろうか。

「うむ。分かったのだ」

 蛇の魔獣を袋にしまい、改めて森を進む。


 しばらく歩くと開けた場所に出た。小さな水たまりと太陽の光を受けて輝く草花が生えた自然の広場だ。

「うむ。ここで少し休憩にするのだ」

 太陽の陽射しが眩しい。良い天気だ。


 と、そこで先客と目が合った。

「タマちゃん、どうしたのだ?」

 リンゴは気付いていない。


 ……。


 何故、気付いていない?


 それは――巨大な猪だった。大きなたてがみと牙を持った軽自動車ほどの大きさの猪。それが水たまりの向こう側に立っている。水を飲みに来たのだろうか。今、その大猪がこちらを見ている。


 リンゴは気付いていない。


 このリンゴさん、いざ戦いになれば素早く反応して行動するが、敵を感知する能力が弱いようだ。こんな大型を見逃すなんて――いや、それも仕方ないのか? リンゴは視界の悪そうな頭全体を覆う兜をかぶっている。


 いや、でも、だからと言って……。


「リンゴ、あれを」

 俺の言葉を聞き、やっとリンゴが気付く。そして、ゆっくりと盾を構える。

「タマちゃん、私の後ろに隠れるのだ」

「あれがフォレストボアですか?」

「それの上位種……もしかすると、この辺りの主かもしれないのだ」


 上位種、だと。あの草狼のリーダー的な存在と同じような個体だろうか。


「希少な上位種と出会うとは、運が良いのか悪いのか……」

 リンゴが盾を構えたまま、じりじりと近寄っていく。どうも俺を守るように行動してくれているようだ。


 そして、大猪が動いた。地面を削り、大地を削るように走る。咲いていたい花や草を蹴散らし、こちらへと突進してくる。まるで暴走機関車だ。

 リンゴが盾を地面に叩きつけ、その場で構える。突進を受け止めるつもりのようだ。


 いや、それは無理だろッ!


 大猪は軽自動車くらいの大きさだぞ。しかも野生の動物だ。全身筋肉の塊だろう。その体重は何トンになるか分からない――それの全力の突進。


 人が受け止められるようなものじゃあないッ!


 リンゴの盾と牙を持った大猪がぶつかる。リンゴがあっさりと跳ね飛ばされ――されなかった。リンゴが大猪の恐ろしい突進を受け止めている。

 さすがに踏ん張った地面ごとじりじりと押されているが、それでも突進を受け止めている。


 何だ、と。


 人にそんなことが可能なのか? どれだけの力が、怪力があれば、そんなことが出来るんだ。

 リンゴは盾に体を預け、全身で押さえ込もうとしている。


 そして、リンゴの体が深く沈む。一歩、踏み込む。その一歩によって地面が削れ砂煙が舞う。

 盾が動き、大猪を弾き返す。


 大猪が突進を逸らされ、横へ滑っていく。


 す、凄い。


 突進を受け止めたリンゴも凄いが、その一撃に耐えた盾も凄い。曲がってもいない。これも魔法的な力なのだろうか。


 突進を逸らされた大猪が態勢を整え、再び動く。


 戦いは終わっていない。


 リンゴが再び盾を構える。って、無茶だ。そんな何度も耐えられるような突進じゃない。


 ……。


 リンゴの盾と大猪が再びぶつかる。リンゴは何とか耐えている。だが、先ほどのように弾き飛ばし、逸らすことは出来ないようだ。

 じりじりと押されている。


 もしかして、さっきのは何かの力を使って――そう、ゲーム的に言うならばスキルとか技のようなものだったのか? しかし、連続では使えない?


 ……。


 って、何を俺はぼーっと見ているんだ。リンゴは一人じゃない。俺が居る。リンゴが受け止めているなら、俺がッ!


 俺は青銅の短槍を持ち、駆ける。


「タマちゃん、駄目なのだ。逃げるのだ!」

 リンゴが叫ぶ。


 だが、俺は動く。


 青銅の短槍を、その無防備な大猪の顔に突き刺す。あっさりと刺さる。


 だが、その一撃は、分厚い肉の壁に挟まれ止まる。貫通しない。いや、こいつの肉を貫通させるには短槍では短すぎるッ!


 攻撃を受けた大猪がこちらを見る。大猪の顔には青銅の短槍が刺さったままだ。引き抜け……れない。


 ……ヤバいッ!

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