3
やりたいこと
関くんと体を重ねた翌朝は、甘ったるくて少しだけこそばゆい。
「おはよう……」
関くんの寝顔を見つめていたら、目が開かないまま彼はそう言った。起きてたの?と聞くと起きてないと返ってくる。関くんは絶対に私に背を向けて眠らなかった。腕枕は関くんの腕が疲れるし、それを気にして私も安心して眠れないからやめた。向かい合って、手を繋いで眠るのが幸せ。モゾモゾと布団の中で移動した関くんは私の胸に顔を埋めぎゅっと抱きついてくる。柔らかい髪が首筋に当たって、くすぐったいのに心地いい。はむっと突然鎖骨の下の柔らかいところを甘噛みされた。次に背中に回っていた大きな手がお腹を撫で、どんどん上がってくる。
「せ、きくん……」
「なに?」
「朝だよ……?」
「うん」
うんじゃなくて……!
関くんの赤い舌が肌をなぞる。官能的で、刺激的で、甘ったるい。
「お弁当、作らなきゃ……」
「うん」
「あっ……」
ああ、もう流されそう。陥落しそうになったちょうどその時。目覚まし時計が鳴って関くんがピタッと止まった。そして真っ赤な顔で関くんを見下ろす私を見て、ふっと笑う。
「おはよう」
関くんは、やっぱり意地悪だ。
***
「どうでしたぁ?熱ーい夜を過ごせましたぁ?」
「えっ、あ、あの、とりあえずありがとう」
昼休み、今日も亜美ちゃんがお昼を一緒に食べようと言ってくれたから屋上に来たら、着いた途端亜美ちゃんが恥ずかしいことを聞いてきた。真っ赤になった私を見て、亜美ちゃんは笑いながら「リア充うぜー」と言う。応援してくれているのか鬱陶しがっているのかどっちかな?ん?
「センパイって料理上手なんですねぇ」
「うーん、子どもの頃から母親に厳しく教えられてたからな。花嫁修業だ、とか言って」
「えー、子どもの頃からぁ?でもよかったですねぇ、関くんの胃袋もガッツリ掴めるじゃないですかぁ」
私のお弁当から卵焼きを取って食べる亜美ちゃんのお弁当はコンビニ弁当。亜美ちゃんって料理も頑張ってる(もちろんモテるために)イメージだから意外だ。
「料理は男のためにしか作りませんよぉ」
あ、そうですか。
お弁当を食べ終えると、一緒に階段を降りる。「関くんがー」と話していた亜美ちゃんは誰かが階段を登ってきたことに気付いて口を噤んだ。亜美ちゃんはやっぱり、誰かに言いふらしたりする気はないようだ。いい子なのかそうじゃないのかよく分かんない子だなぁと思いながら階段を降りていると、登ってきた女の子たちは亜美ちゃんの知り合いらしく手を振っていた。新入社員か、と思いながら会釈する。三人組の女の子とすれ違った瞬間。後ろからトン、と押されてバランスを崩した。
「え……」
「センパイ!!」
間一髪のところで亜美ちゃんが腕を掴んでくれて平気だった、けど……今もしかして押された?振り向くと、三人は私を睨んで去って行った。え……なんで……?亜美ちゃんは押されたことに気付いていなかったようで、
「センパイってドジですねぇ。ドン引き」
と呆れたような視線を送ってきた。それにごめん、と答えながらもう一度階段の上を見ると彼女たちはもういなくて。もしかしたら当たっちゃっただけで、私がぶつかってきたと思って睨んだのかもしれない。そう思って気にしないようにした。
その日は昨日亜美ちゃんに選んでもらった服で会社に行ったけれど、仕事の時はコンタクトは目が疲れると思ったから眼鏡だった。もちろん誰かに変化に気付かれることもなく、淡々と時間は過ぎて行く。そんな中。
「……お前、何か服違う」
「えっ?」
一人だけ気付いたのが部長だったから、私が一番ビックリした。部長は書類を提出に来た私を上から下までマジマジと見つめて、ふっと笑った。あ、この人が笑ってるの初めて見た。その後部長は特に何も言わず書類に視線を戻したので、私も席に戻った。
今日は買い物があったので、前に待ち合わせした公園で関くんと待ち合わせてスーパーに寄った。自然と差し出された手に手を重ねる。それだけで一日の疲れが吹き飛んだ気がするから不思議。
「今日の晩ご飯何がいい?」
「うーん、お肉」
お肉をガッツリ食べたいってことかな。うーん、ステーキのお肉は安くなってないしなぁ。スーパーのお肉コーナーの前で唸りながら悩んでいると、関くんはお酒取ってくると言って行ってしまった。鶏肉が安いから唐揚げ……うーん……
「あれ」
隣から聞こえた声に反射的に顔を上げて、固まった。
「もしかして、辻さん?」
そう言って爽やかに笑った彼は、根岸くん。高校生の時に好きだった人。もちろん、彼はイケメンな上にサッカー部のエースで大人気だったから見てるだけで終わったけど。まさか覚えられているとは……。あの頃は制服だったけど、今はスーツ。相変わらずカッコいいなぁ。
「俺、高校で同じクラスだった根岸。覚えてない?」
「お、覚えてるよ!」
慌ててそう返事をすれば、彼は八重歯を覗かせてニカッと笑った。
「この辺に住んでる?」
「う、うん」
「じゃあここよく来るの?」
「まあ……」
「そっか!じゃあまた会えるな!」
「え?」
「またな」
ポン、と肩を叩いて根岸くんは去って行った。ビックリした……。
「七瀬さん」
「うわっ?!」
その直後、今度は後ろから声をかけられて体が跳ねる。私の驚きように関くんは首を傾げていたけれど、「ごめん、何でもない!」と言って買い物に戻った。関くん、今の見てたかな……。いやでも、何もやましいことなんてない。ただ高校の同級生に再会しただけだ。……それがたまたま初恋の人だっただけ。
「関くん、唐揚げでいい?」
「うん」
ああ、なんか今日暑いな。パタパタと手で顔を扇ぐ私を関くんがじっと見つめていたことに、私はもちろん気付いていなかった。
家に帰ってすぐにご飯の準備を始める。 関くんはやれることを手伝ってくれる。私が料理をしている時にただ座って待っているのが嫌らしい。手伝ってくれるのは嬉しいんだけど、たまに不意打ちでキスしてくるのはやめてほしい。その後の微笑みが色っぽくて何も考えられなくなってしまう。
「七瀬さんはさ」
「うん」
「彼氏としたいことってないの?」
ご飯を食べ始めた時、関くんが唐突にそんなことを言った。確かに25年間彼氏がいなかったから、妄想力だけは逞しく育った。彼氏が出来たらこんなことをしてみたいという憧れは沢山ある。
「えっとね……」
「うん」
「笑わない?」
「笑わないよ」
「……頭、撫でてもらいたかった」
ドラマや漫画で、男の子がふとした瞬間に女の子の頭を撫でる。それをされた女の子は大抵キュンとしていて、男の人に頭を撫でられる感覚ってどんなだろうってすごく思っていた。関くんはキョトンとした後、ふっと笑った。
「わ、笑わないって言ったじゃない!」
「笑ったんじゃない」
「笑ったよ!」
「やっぱり七瀬さんが好きだなぁと思っただけ」
そう言って、関くんは向かいから手を伸ばして。そっと、私の頭を撫でた。
「ず、ずるい」
「ん?」
「関くん、ずるい」
「キュンとした?」
「した……!」
大きくて温かくて大好きな手が私に触れるだけで嬉しいのに。まるで、関くんの気持ちが伝わってくるような、そんな温かな感覚。
「せ、関くんはないの?やりたいこと?」
「んー……」
関くんは一瞬考えて、私の顔をじっと見た後首を横に振った。
「いいや」
「え?」
「エロいことだから」
「……!」
真っ赤になった私を見て笑う。関くんはやっぱり意地悪だ。
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