難しい後輩

『そんなの、会社の人とすれ違わなくてよかったって意味でしょ。会社の人には当然内緒なんでしょ?』

「ああ、そういう意味……」


 部屋に戻った後みやちゃんに電話して相談すると、そんな言葉が返ってきた。確かにあそこで横谷さんとすれ違ってると面倒なことになったかも……。


『考え過ぎ。悪いように捉えすぎ。関くんが他の女の子になびかなかったって、あんたは喜んでいい場面じゃない?』

「うん、そうなんだけどさ……」

『他の女の子を部屋に入れてお粥作ってもらうような男じゃなくてよかったじゃん』


 確かにそんなことして期待させるほうが残酷なのかもしれない。関くんのやったことはきっと彼なりの優しさなんだろうけど……


「私にもいつか、あんな風に冷たくなるのかなぁ……」


 いつまでも好きでいてもらう自信もない。そもそも関くんがどうして私を好きになってくれたのかも分からない。私はいつだって、幸せで、でも不安でいっぱいだ。


『私も思うよ。彼氏ができたって、嫌われたくないとかいつか別れが来るんだって、不安になる』

「そうなんだ……」


 みやちゃんは私より当然恋愛経験豊富だし、とても魅力的な人だ。みやちゃんでも不安になることはあるんだ……。


『これからだよ。関くんとあんたはまだ始まったばかりなんだから、これからお互いに絆を作っていくの』

「うん……」

『逃げちゃダメだよ。ちゃんと関くんの話聞いて、あんたも自分の気持ち言って、向き合わなきゃ』

「うん、分かった」

『また四人で飲もうね』


 みやちゃんの優しい声に少し落ち着いて、電話を切った。逃げない、ちゃんと自分の気持ちを言う。私には難しいことばかりだけど、できるかな……。

 次の日、関くんの熱はまだ下がらなかった。でも微熱になって、少し落ち着いたようだ。顔も昨日と違って生気を取り戻している。


「よかった。今日は会社行く?」

「うん、行く」


 風邪が治ったことが嬉しいのか、関くんは笑っていた。それはいいんだけど、何だか喉が痛いような気がするんだよね。自分の体の異変に悪い予感を感じながら、私は関くんの少し後に家を出た。

 会社に着いて、やっぱり怠さを感じる。これ完全に風邪貰ってるな。そう思ったけど、関くんから風邪を貰ったと周りにバレるわけにはいかない。私は必死で体調の悪さを隠した。

 何とか午前中の業務を終え、休憩に入った。今日はお弁当を持ってきていたけれど、亜美ちゃんが誘ってくれたから一緒に屋上に行った。最近関くんと横谷さんの間に入るのが嫌になったらしい。二人は昨日のことなどなかったかのように、普通に話していた。


「関くんは全く興味なさそうなのに、横谷は結構メンタル強いですよ」


 呼び捨てにするほど横谷さんを敵視する理由は何だろう。難しい顔をして亜美ちゃんを観察してもよく分からなかった。


「そういえば、この前デートした人全然ダメでした。私酔っ払ってたのに送ってもくれないんですよぉ?最低」

「……普通さ、送るもんなのかな?例えばデートじゃなくて、飲み会とかでも……」

「送る人が自分しかいなかったら送るんじゃないですか?だって酔っ払った女の子一人で帰したら、何があるか分かんないし」


 そう、だよね。関くんは当たり前のことをしたんだよね、うん……。

 お弁当を片付け、亜美ちゃんと一緒に屋上を出る。その時だった。突然目眩がして、目が回った。


「辻先輩?!」


 近くで亜美ちゃんの声が聞こえたと思った時には、体が傾いていたのだった。


***


 目を開けると、亜美ちゃんの顔のどアップがまず視界に映った。


「っ、うわっ?!」

「センパーイ、人の顔見てその反応は酷いんじゃないですかぁ?」


 ぷうっと頬を膨らませた亜美ちゃんは寝転んでいる私の顔を覗き込んでいたらしい。亜美ちゃんの向こうに見えたのは、真っ白な部屋。


「わたし……」

「センパイ倒れたんですよ。高熱と寝不足ですって。私が咄嗟に支えなかったらセンパイ階段転げ落ちてたんですからね」

「そ、そうなんだ。ありがとう……」

「やっぱり関くんの風邪が移っちゃったんですねぇ」

「えっ?!う、うんまぁ同じ部屋で仕事してたらね!」


 亜美ちゃんは狼狽える私のことなど気にもせず、ナースコールを押す。

 というか、今何時……?しばらくすると看護師さんが来て、血圧を測ったりした。今日は念の為入院して、明日の朝には退院できるそうだ。


「あ、亜美ちゃん、今何時?」

「今ですか?今は夕方の6時でーす」

「えっ、もしかしてずっと付いててくれたの?」

「まぁ、仕事が終わったからですけどねぇ」

「亜美ちゃん……!」


 亜美ちゃんはキツいこと言うし私のことバカにしてる節は多々あるけど、悪い子じゃないと思ってた!一人感動していると、亜美ちゃんが「そうだ」と思い出したように言った。


「関くんもいますよー?今コンビニ行ってるけど」

「えっ、そ、そうなんだ」


 関くん、来てくれたんだ……。


「あ、センパイ嬉しそう!酷いなぁ、助けたのは亜美なのにー」

「えっ、そ、そんなことないよ」

「まぁ、仕方ないかぁ。センパイも地味だけど女ですもんね。彼氏が心配してくれたら嬉しいですよねぇ」

「ハハ、地味って普通に言ったな。……って、ええ?!」

「センパイ、バレてないと思ってたんですかぁ?駅で抱き合っといてー」


 ?!?!あれは全く誤魔化せてなかったってこと?!あまりの衝撃に口をパクパクさせる私を見て、亜美ちゃんは呆れたようにため息を吐く。


「分かりやすすぎますよー。お弁当のおかず一緒だしー、関くんが休んだ時超仕事頑張ってたしー、関くんと横谷見て泣きそうになってたしー」

「うっ……」


 亜美ちゃん、恐るべし。何も言えない私に、亜美ちゃんはニッコリと微笑む。


「裏切り者」


 綺麗な微笑みからは想像できないゾッとするような言葉。体を強張らせる私に、亜美ちゃんはチッと舌打ちをして立ち上がった。


「センパイみたいな地味な女に負けるなんて信じらんない。あーあ、ほんとムカつく」

「……」

「私別に関くんのこと好きじゃないけど。自分より下の女に取られると欲しくなっちゃうなぁ」

「あ、亜美ちゃん……」

「だってセンパイ、ダサ眼鏡だし服装だってダサい。下着だけいいの着けてるのが更に痛いって感じでー」


 グサグサと亜美ちゃんの言葉が胸に突き刺さる。亜美ちゃんの言っている言葉が正論すぎて口答えできなくて。私はぐっと唇を噛み締めた。


「私ー、努力してるんです。エステだって行ってるし、ファッションだってメイクだって、誰よりも綺麗でいたくて。でもセンパイ、努力なんて微塵もしてないでしょ?なのにそんなセンパイに負けたのが、すごく腹立つ」

「……」

「センパイ、関くんに捨てられたくなかったら努力しないと。体調よくなったら一緒に買い物行きましょ。あ、今度の土日どうですかぁ?私土曜はまたデートなんでー、日曜のほうが嬉しいですけど」

「うん……え?」


 買い物?私、亜美ちゃんに嫌われてるんじゃないの?よく分からなくて、首を傾げる。亜美ちゃんはなかなか答えない私がじれったかったのか、また舌打ちをした。可愛い顔で舌打ちすると怖いからやめてほしい……。


「私ー、これでもセンパイのこと好きですよー?」


 ごめん!やっぱりよく分からない!!


「私ー、仕事って遊ぶ金欲しさと出会いの場、そんな目的しかないんです。仕事にやり甲斐なんて感じないしー」


 ……うん、まあそれは何となく分かってた。亜美ちゃんはクルクルと髪を指に巻き付けながら続ける。


「でもー、センパイって誰も気付かないようなことでも一生懸命やってるじゃないですかー。私、誰かに褒めてもらわないと生きていけないのに」

「え」

「すごいなーって、単純に。自分以外のことでそんなに一生懸命になれるのってすごいって思ったんです」

「亜美ちゃん……」

「センパイのおかげで仕事がちょっと楽しいしー、ま、恋愛初心者のセンパイをちょっとぐらい助けてあげてもいいかなーって」


 難しい子だ。悪口を言ったり褒めたり、裏切り者と言いながら協力すると言ったり。うーんでも、やっぱり嫌いになれないな。だって会社で普通に話しかけてくれたの、亜美ちゃんだけだもん。


「ありがとう」


 そう言うと、亜美ちゃんは照れたように笑った。

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