届かない距離

 立花との生活は思った以上に穏やかだった。


「ヨリー、ただいまー」

「おかえり」

「おかえりのチュー」


 ん、と目を瞑って唇を突き出す立花に、呆れた顔をしながらも真っ赤になってしまう。はぁ、とため息を吐いてちゅ、と少しだけ唇をくっつける。すると、後頭部を押さえられて深いキスになった。ドンドンと胸を叩いても立花は離れない。存分にキスを堪能した後、立花はようやく離れ至近距離で微笑んだ。


「……ごちそうさま」

「っ、毎日毎日やめてよね!」

「はいはい、エロい顔して。ご飯作るからちょっと待ってて」


 ポンポンと頭に手を乗せて立花は寝室に入る。そして着替えてキッチンに入った。

 毎日立花は仕事が終わると帰ってきて二人分のご飯を作ってくれる。私が作っておけるといいんだけど、包丁と火を使うことを禁止されているのだ。まぁ、仕方ないよね……何度か立花のお腹を壊してるもんね……。

 キッチンの外側から、邪魔にならないように料理をする立花を見守る。立花は鼻歌を歌いながら、とても楽しそうだ。

 その時、ピンポーンとインターホンが鳴った。


「誰か来たよ」

「三崎でしょ。ロック解除して」


 カメラに映っているのは確かに三崎くんで、私は解除ボタンを押した。

 そして数分後、今度はドアのインターホンが鳴る。出て、と言われて私は玄関のドアを開けた。


「……え」

「え……」


 そこに立っていたのは三崎くんじゃなかった。 ロングヘアーのとても可愛らしい女の子だった。え、み、三崎くん女装癖あるの……?


「早坂さん、こんばんは」

「うわっ?!」


 そんなことを思っていたらどこからか三崎くんが現れた。て、ことはこの子は三崎くんじゃないってことで……


「あ、お疲れー。ごめんね、わざわざ」


 混乱する私の後ろから立花が来て、その女の子から書類らしきものを受け取る。私の横に立つから距離が近くて、慌てて目を逸らした。その時に三崎くんと目が合って、何もかも見透かすような目が怖くて俯いた。私の隣で書類を確認する立花は壁に手を突いていて、私は逃げようにも逃げられない。二人分の視線を感じて気まずくて仕方ない。


「……ん。ありがとね。せっかく来たんだしご飯食べてく?」

「はい……!」


 とっても嬉しそうにキラキラと目を輝かせた女の子を見て、気付く。……あー、そういうことね。この子、立花のこと好きなわけね……。チラッと立花を見ると、「ん?」と微笑む。ほんと罪な男だな……。私はため息を吐いて部屋に入った。

 四人で囲んだ食卓、当然彼女の興味は私に集中した。立花と三崎くんは普通に会話をしていて、彼女はずっと私を見ている。まっすぐな視線が痛い……。


「ヨリ、ワイン飲む?」

「えっ、私ワインは飲めないからいい……。み、三崎くんは?えーっと、」

「間宮です」

「あ、ま、間宮さんと一緒にどうぞ……」


 間宮さんの視線は怖いほどに私に注がれて。我慢できなくなって、私はとうとう口を開いた。


「っ、あの、私は立花の高校の同級生なの!色々あってちょっとの間ここで住ませてもらってて……」


 突然そんなことを言い出した私を立花は不思議そうに見る。でも間宮さんは見るからに安心したようだった。三崎くんの全て見透かすような視線を感じながら私は立花が作ってくれたご飯を口にかきこんだ。


「……元カノだね」

「え゛」

「で、俺の好きな子」


 ちょ、ちょっと立花?!間宮さん涙目になってるけど?!アワアワと焦る私の動揺を気にする様子もなく、立花はグラスを煽る。


「ヨリはほんと馬鹿。好きじゃなかったら家に住ませてあげるわけないでしょ。馬鹿なの?」

「い、いや、立花、あのさ……」

「ヨリが欲しい。他の女の子が入る隙もないくらいね」


 必死で涙を堪えている間宮さんに申し訳ないほどときめいてしまった私は、本当に嫌な女だ。どんよりとした空気の中で進んだ食事は気まずい以外の何物でもなく。空気を読んだ三崎くんが間宮さんを連れて帰った。

 二人になった後も立花は何も話さなくて、私が片付けをしている間もソファーに座ってぼんやりテレビを見ていた。いつもならセクハラ紛いのことをしてくるくせに。モヤモヤと不安が募っていく。ここに来てから二人とも夜に家にいる時はいつも通っている銭湯も今日はなしかな……。


「ヨリ」

「わっ」

「お風呂行こっか」


 片付けを終えたちょうどその時、立花がそう言って。私はゆっくり頷いた。


「暖かくなってきたね」

「うん……」


 いつもと同じ距離なのに、とても遠く感じる。立花が私を見ない。それがこんなに寂しいことだなんて。私は甘えていたのかもしれない。立花に微笑んでもらうことに。立花の優しさに、私は甘えきっていたのだ。


「……立花」


 立花の服を掴んだ。立花が振り向く。その瞳に切なさが滲んでいることに私はすぐに気付いた。……私たちが上手くいく日なんて来るのだろうか。私たちはいつまでも噛み合わない。素直になれない。お互いがお互いのほうを向いているのに、平行線のまま。苦しい。こんなに好きなのに、立花はいつまで経っても私のものにならないんだ。


「……すき」

「……ヨリ」

「ごめん、すき」


 だから離れていかないで。もう、離れるのは嫌なの。

 一年前、もう会わないと決めた時。胸が引き裂かれそうだった。こんなに好きになれる人はもういないと思った。立花を忘れるために他の人と結婚を決めたけれど、どうしても忘れられなかった。婚約者が逃げたのはきっと私のせいだ。やっぱりこんなに好きな人がいるのに、最低なことをした。なのに、どうしてだろう。立花にぎゅっと抱き締められると切なくて苦しい。


「……ごめん、ヨリ」


 どうして謝るの?好きになったことを謝らなきゃいけない恋なの?障害なんて何もないのに。私たちはどうして一緒になれないの?


「……好きだ」


 ぎゅっと抱き締め合ったまま立ち竦んだ。好きだけじゃ上手く行かないのだ。それを初めて実感した。

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