デートの口実

 次の日。今日は自由行動の日だから後輩の子たちとどこに行こうと計画を立てていた。……のに。


「ヨリー、行くよ」


 旅館のロビーで立花が待ち構えていた。ひっと短く悲鳴を上げて隠れようとしたけれど無駄だった。


「そんなに照れなくても。ほら、行こ」

「っ、痛い!痛痛痛痛痛!」


 またいつかのように襟を掴まれ引きずられる。これ……女の子に対する仕打ちじゃないよ……

 結局私は立花に無理やり連れて行かれ、行動を共にすることになった。せっかくの旅行が……。

 落ち込む私をよそに、立花は機嫌よさそうに歩いている。


「あ、あのさ、逃げないから離してくれない?」


 旅館を離れたところでそう言えば、立花はようやく離してくれた。


「はい」

「ん?」

「ん?」


 私を離してくれたのはいいものの、立花は私に手を差し出す。首を傾げていると、ふふっと笑われた。


「ウブなフリしないで、はい」


 も、もしかして手を繋ぐということ……?なんで?!


「デートじゃあるまいし!」

「デートだよ」

「なら帰る」

「……首輪つけられたくなかったら大人しく手を差し出しな」


 どんな脅し文句よそれ!

 でも立花は本気でやりそうだから躊躇いながらも手を重ねる。うわあ何これ何でこんなにドキドキするの。立花の大きな手に包み込むように手を握られ、体温が直に伝わってくる。はぁ、何してんだろ私……

 立花に連れて来られたのは動物園だった。チョイスがデートっぽくないけどまぁいいだろう。私は動物が好きだ。


「うおおおお立花!見て見てミーアキャットだよ!」


 あああ可愛いなあああ

 とんでもないテンションの上がり方をするのは昔からだ。立花の腕を引っ張りぐんぐん歩く。私の動物雑学も立花はうんうんと聞いてくれた。


「ヨリ、楽しそうでよかった」


 そう言われてハッとした。私、何普通にデート楽しんでるんだろう。立花は立ち止まった私の手を引いて次の動物の話を聞こうと微笑んでくれる。

 ……ああ、もう。今まで付き合った彼氏は、こんなにちゃんと聞いてくれなかったのにな。それどころかもう一緒に動物園行きたくないって言われたし。

 そういえば高校生の時、みんなで行ったことがある。あの頃の私は立花に遠慮ばかりしていて、引かれるのが怖くて本当の自分を出せなかった。それでも立花は微笑んでくれた。


「ヨリは動物が好きなんだね」


 って。ま、まさか覚えてくれてたの……?立花を見ると、「ん?」と微笑んでくれる。悔しいくらいにカッコよくて泣きたくなった。


「お、覚えてたの」

「何が?」

「私が……、動物好きなこと」

「覚えてたって言ったら抱かせてくれる?」

「冗談。……昨日のセクハラ、訴えてやるから」

「ヨリ、セクハラは被害者が嫌がってないと成立しないよ」

「何その自信?!」

「……昨日のあれは、ただの前戯」


 爽やかな笑顔で、周りに沢山の人がいる状況でそんなことを言う。でも、呆れながらも楽しんでる私がいる。どうしてだろう。立花といると胸が切なくてぎゅっとなって苦しいのに、安心する。


「ほらヨリ、ゴリラだよ。抱かれたいんでしょ?」


 ……やっぱりコイツムカつく。


「飲み物買ってくるから座って待ってて」


 一周見て回った後、立花はそう言って一人売店に行った。立花の言葉に甘えて座っていると、売店で飲み物を買う立花が見えて。その少し後ろに、明らかに立花に声をかけようとしている女の子数人のグループがいた。あー、やっぱり立花ってモテるんだなー。牧瀬や一条も一緒にいると大変なことになるもんね。吉岡は一緒に行動したがらないから知らないけど。

 勇気を出して立花に話しかけた女の子たちに、立花は微笑みを返す。女の子にも優しいよなー、裏で何思ってるかは知らないけど。立花は私を指差し一緒に来ていることを説明しているようだ。何となく気まずくて目を逸らす。

 俯いていたら、視界の端に靴が映った。


「ヨリ、お待たせ」


 見上げると、そこには立花がいて。さっきの女の子たちはこっちを見てこそこそと何かを言っていた。


「よかったの」

「何が」

「あの子たち」

「俺積極的な子より普段素直じゃないくせにちょっと触られただけで体熱くしちゃう子の方がいいから」

「誰の話ですかね」

「ヨリの話ですね」


 キッと睨むと立花は肩を竦めた。ほんと腹立つ。

 立花が買ってきてくれたココアを飲みながら移動する。自由時間は後少し。そろそろ帰らないとな。べ、別に残念だとか思ってないからね!と、一昔前のツンデレみたいなことを思いながらふと思った。

 ……そういえば、立花は今もコーヒーを飲んでいるしこの前家に行った時もコーヒーを飲んでいた。でもわざわざ私には紅茶だとかココアだとかをくれる。まさか、私がコーヒー飲めないこと覚えてる……?

 ……まさかね。ないない。だってもう、10年も前の話だし。10年も……


「ヨリー、最後にボート乗ろうよ」


 立花の言葉に、私はぼんやりとしたまま頷いた。


***


「寒っ!寒いわ!」

「もー、ヨリが乗りたいって言ったんでしょ?」

「言ってないよ!え、言った?」

「言った言った。ちょっと我慢しなよ」


 えー、そりゃあ私が言ったなら我慢するけど……え?言ったっけ?

 この季節にボートなんて乗るもんじゃない。ビュービューと冷たい風が吹き付けガクガクと体が震える。立花は涼しい顔をして、いや、涼しいどころか寒いんだけど、平気そうな顔でボートを漕いでいた。

 辺りに人気はない。そりゃそうだ。寒いもん。


「そんな寒い?」

「そりゃああんたは面の皮が厚いから分からないでしょうね!」

「ははっ、ヨリ面白いね」


 嫌味も通じないコイツの図太さ。はぁ、とため息を吐けばまた体温を奪われてぶるりと震えた。


「こっち来たら温めてあげるよ?」

「結構ですから陸に戻りましょう」

「誰もいないからアオカンもできるし」

「こんな寒い場所で素っ裸になるなんてただの変態だから!」


 ほんとこの下品な口どうにかしてよ!


「ヨリさー、今好きな人いる?」

「いたら合コンなんて行かない」

「ふーん。そっか。じゃあ俺と付き合おうよ」

「えー、優しくしてくれるなら……なんて言うと思った?!」


 何とんでもないこと言ってんの?!どんな下ネタよりとんでもない冗談だよ!


「俺優しくするよ?」

「いやさっきのはさ、」

「翔みたいに縛ったりしないし」

「牧瀬ー、そんな性癖あるのかー」


 知らないところで性癖を暴露される哀れな牧瀬に同情する。まぁ、牧瀬は「楽しいよ?」とかって平然と言いそうだけど。


「私じゃなくても立花ならいっぱいいるでしょ。こんな平凡な元カノじゃなくてもさー」

「ヨリがいい」

「何でよ」

「好きだから」


 はぁ、と思わずため息を吐く。ほんと、10年経っても成長してない。そんな嘘、もう吐く必要ないのに。


「あのさ、そういうのは本当に好きな子に……」

「だから、ヨリに言ってるんだよ」


 いつになく真剣な立花に思わず口を噤む。そういえばこんな顔してたことあったな。あれはいつだっけ。……ああ、そうだ。初めて手を繋いだ日だ。告白してきた時も軽く言われたし、慣れてると思ってた立花が、何だかとても緊張していて……

 え、え?今もしかして緊張してるの?

 ハッとして立花を見ると。その瞳が不安定に揺れていた。切なさとか、不安とか、そんなものが滲み出ているような気がして。

 なんで……?だって、立花は寧々ちゃんのこと……


「ずっと好きだったとは言わないよ。ヨリと別れてから普通に彼女もいたし。でも、久しぶりに会った時思った」

「……」

「俺やっぱり、ヨリのことあのまま終わらせたくない。今の俺なら、ヨリのこと幸せにできる」


 あの日、立花に振られた日の記憶は今でも脳に焼き付いている。まるで火傷のように。

 私だってずっと好きだったわけじゃない。彼氏だっていた。結局別れちゃったけど、この人ならずっと一緒にいられるかもしれないと思う人もいた。

 でも、火傷を火傷のままで置いておくには、どうしても立花の記憶は鮮やかすぎる。私の好きなもの、飲めないものを覚えてくれていたこと。私の話を聞いてくれること。セクハラしながらも、最後の最後は私に逃げ道をくれたこと。立花が優しい人だということを、私は充分すぎるくらい知っている。


「ねぇ、ヨリ。もう一回始めよう」


 まっすぐな立花の目から視線が反らせない。いつの間にか寒さなんて忘れて、私たちはひたすら見つめ合った。臆病な自分から脱するのは、今かもしれない。


「あの……」


 その時。ピリピリとした空気を破るように携帯が鳴った。立花はしばらくしてため息を吐き、電話に出た。相手は三崎くんだったらしい。もうすぐ集合時間だと微かに聞こえてきた。


「考えといて。待つからさ」


 ほら、結局立花は私に逃げ道をくれるのだ。

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