二人きりの夜

「立花って煙草吸うんだ」


 トイレから戻ってきた立花からふわりと煙草の匂いがして、何気なしにそう言った。立花は一瞬目を丸くしてくんくんと自分の服の匂いを嗅ぐ。


「匂いする?」

「うん、ちょっと」


 大人になったんだねぇと呟く。そりゃそうか。だって高校を卒業してからもうすぐ10年が経つ。私たちはもう二人とも大人だ。


「……ま、高校の頃から吸ってたけどね」

「そうなの」

「うん、悠介と文也はバレてたけど俺はバレなかったな。そもそも何でバレるのか分からない」

「優等生の面被った悪魔だな」

「サタンと呼んでくれてもいいよ」


 立花は私の後ろに腰を下ろし、後ろから抱き締めようとしてきたからそっと距離を置いた。


「どうして離れるの」

「どうしてくっつくの」

「深夜に男の部屋来といて何言ってんの」

「酔っ払ってる女の子一人にできないとか言いながら無理やり引きずってきたのは誰ですか!」


 お店の前でぎゅうっと抱き締められた後、周りの視線に気付いた私は慌てて立花を引き剥がした。自分の足元が覚束ないのは分かっていた。でもこれ以上一緒にいたくないと思って一人歩き出したのに。ガシッと襟元を掴まれたと思うと文字通り引きずられた。


「酔っ払ってる女の子一人にできないでしょ」


 顔は爽やかに笑ってるけど私引きずられてるせいで膝擦りむいてるんですけど!!

 あれよあれよと言う間にタクシーに押し込まれ、タクシーを降りた後は肩に担がれて部屋まで連行された。ほんと、手口が鮮やかすぎて開いた口が塞がらない。


「よくこうやって女の子連れ込むの」

「ははっ、まさか、こんなことするのヨリだけだよ」


 一見特別なように言われたけどされたことがされたことだけに全然嬉しくない。強引すぎる。


「でもさー、俺たちもう大人でしょ」

「そうだね」

「ヨリも処女なわけじゃないし」

「まあね」

「どうだね、一発……」

「そんなエロ親父みたいな誘い方されてもその気にならないからね?!」


 立花はケラケラと笑う。そんなこと言っても、どうせ何もしないくせに。

 付き合ってる時もそうだったよね。一年付き合っててキスすらしなかった。一条に「お前らどんだけプラトニックなの」と言われたけれど、私だって立花に文句を言いたかった。そして落ち込んだ。私はそんなに魅力がないのかと。


「立花さ、」

「ん?」

「どうして付き合ってる時何もしなかったの」


 無邪気に笑っている立花の顔が、みるみるうちに固まっていく。ああ、この質問も地雷だったか。まぁ、過去の話だしね。


「ごめん、やっぱり」

「大事だったからだよ」


 言わなくていい、そう言おうとした私の言葉を遮って、立花はそう言った。え、と固まる私を見て、立花はふっと表情を崩す。


「俺なりに、大事にしたかっただけ。ヨリってさ、俺が触れようとしたらカチカチになったでしょ」

「……」


 確かに。でもそれは緊張でだ。触れられるのが嫌だったわけじゃない。


「だからヨリが慣れるまでのんびり待つかーって。まぁ、何も出来ないまま終わっちゃったけど」


 私たちは、ただ言葉が足りなかったのかもしれないと気付く。もしさっきの質問をあの頃ぶつけていれば、私たちの未来はもっと違ったものだったのかもしれない。


「……緊張してただけだよ」

「ん?」

「嫌じゃなかった。むしろもっと近付きたいと思ってた。でも近付いたと思ったら簡単に離れて、いつもみたいにヘラヘラ笑ってたでしょ。だからそんなに私に触れたくないのかなぁと思って悩んでた」


 キスされる、と思った時。私はやっとかと思ってぎゅっと目を瞑った。でも立花はキスしてくれなくて、ヘラヘラ笑ってごまかした。その度に私はひそかに傷付いていた。


「……ヨリ」


 立花は突然真剣な顔になって近付いてくる。あの頃とはまた違う大人の色気を纏っているからタチが悪い。


「……あの頃の話で、今の話じゃないから」

「そうだよね、残念」


 立花はすっと離れて立ち上がった。


「ヨリ、紅茶飲む?」

「うん」


 キッチンに入りお湯を沸かす立花を眺めていると、不意に携帯が鳴った。見ると一条からのメールで、「避妊はしろよ」と書かれていた。「うるさい童貞」と返してやった。


「誰から?」


 戻ってきた立花が携帯を覗き込む。ち、近い、近い近い近い近い!ふと立花が私の方を向く。至近距離で見つめ合うと、立花の息が唇にかかった。私お酒臭くないかな。息が出来ない。


「……ヨリ、キスしていい?」

「……だめ」

「ぶち犯したい」

「ゴリラに抱かれたほうがマシ」

「随分野性的な趣味してるね」


 ああ、もう。流されてもいいって思ってる私ってやっぱり馬鹿だ。 あと少しで唇が触れ合う……という時。手の中で携帯が震えて現実に引き戻される。私は立花の顔を手でぐいっと押して電話に出た。


「っ、もしもし!」

『てめー、俺は童貞じゃねぇ!!』


 はぁ、とため息を吐く。助かったよ一条。流されたらまた傷付くところだった。

 私は立花の感覚を知らない。キスの仕方も、唇の柔らかさも、女の子を抱く時の顔も、触れ方も。

 それでいい。知ればきっと、私はもう他の人とまともな恋愛はできないだろうから。

 立花はもう私の方を見なかった。ただ黙ってテレビを見ていた。

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