消せない気持ち
あー、疲れたー。歩くのも怠くてトボトボとマンションのエレベーターを降りて鍵を挿し込む。でも鍵は開いていた。ふっと顔がニヤけ少し疲れが癒された気がして、俺って単純だなと苦笑いした。
彩は身長がそんなに高くないことを気にしてヒールの高い靴を履く。今日のも随分高いけど、足疲れねぇのかなと思いながらリビングのドアを開けた。
「たでーまー」
「あ、おかえりなさい!」
ソファーに座っていた彩は俺の声を聞いて嬉しそうに駆け寄ってくる。彩の肩に額をつけて「疲れたー」と言えば、彩の小さな手が頭を撫でてまたニヤけてしまった。
「ご飯食べる?」
「おー。つーか彩、鍵閉めろって言ってんだろ」
「えっ、開いてた?ごめん!」
そう言いながらも全く気にしている様子がない彩に苦笑いしながら、寝室に入ってスーツを脱いだ。
リビングに戻るとテーブルの上に彩の手作り料理が並んでいた。今日は和食か。
合鍵を渡してからというもの、彩はバイトがない日に俺の家に来るようになった。彩はお母さんの仕事が忙しく、小学生の頃から家事をこなしていたらしい。特に弟がまだ小学生なこともあって、料理はすげー上手い。料理は好きなんだーと笑っていた。
いただきます、と一緒に手を合わせて食べ始める。うめー、と感動して言えば彩は嬉しそうに笑った。
彩は大学での出来事やバイトでの出来事を楽しそうに話した。大学に入学して二週間、まだまだ打ち解けるまでは行かないが高校の時ほど辛くないと。たまに友達からメールも来ているようで俺も安心している。
俺は俺で、今年初めて担任を受け持つことになり忙しい日々を過ごしている。去年みたいに準備室で漫画を読む暇もなく、でも充実した日々。彩をデートに連れて行くこともできないのは申し訳ないが、こうやって会いに来てご飯を作って待っていてくれることに幸せも感じていた。
「そういえばさー、今日友達に彼氏いるの?って聞かれて」
「うん」
「いるよって言っちゃった。まずかったかな」
こうやって不安そうな顔をさせてしまうのは本当に申し訳ない。まぁでも俺が教師じゃなかったらなんて考えても今更どうにもできないことで。何があっても彩を離すつもりはないんだから全部乗り越えていくしかない。
「いいんじゃねーの」
「ほんと?」
「うん、同じ高校の奴いねーなら隠す理由もない」
俺は教師だけど。当然生徒なら誰でもよかったわけじゃない。生徒を恋愛対象として見ることもない。彩だからだ。彩だから全部乗り越えて気持ちを貫こうと思ったんだ。
本当は何度も、この気持ちを消そうとした。でも無理だったから、諦めて受け入れるしかねーなって。
食事の後、片付けをすると言う彩に俺もするとキッチンに入ろうとしたら怒られた。先生は疲れてるんだから座ってて、と。その怒る顔が可愛かったから触れるだけのキスをしてキッチンを出た。真っ赤になった彩はいきなりキスするなんて、とまた怒っていたけど気にせずソファーに座った。せっかく彩が俺を気遣ってくれてるんだ、甘えさせてもらおう。
ぼんやりとテレビを見ていても、考えるのは仕事のこと。部活で怪我したって言ってたアイツは大丈夫かなーとか、彼氏に振られたって泣いてたアイツはどうしただろうとか。はぁ、とため息を吐いて腕を目の上に乗せた時。パタパタと足音が聞こえてきて彩が隣に座る気配がした。
「先生、疲れてるよね……?私一人で帰れるからもう寝たら?」
珍しく心配そうな声の彩にニヤリと笑ってしまう。やべーな、ほんと可愛い。
「彩、ここ」
腕を退けて、ポンポンと自分の膝を叩く。彩は意味を理解してさっと顔を赤くした。俺が手を差し出すと、そっと小さな手が乗る。その手をぐっと引いて向かい合わせで膝に座らせた。
「……っ」
「……彩、好きだよ」
何度も何度も彩の長く艶やかな髪を撫でながら囁く。俺のシャツを握る彩の手にきゅっと力が入った。
「疲れてるけど、平気。彩に会えたから」
「……っ、せ、先生って、甘いこととか言わないと思ってた……っ」
「……うん、彩は特別。 甘やかしたい」
翔の気持ちが分かるとかほんと最悪。ぐずぐずに甘やかして、俺から離れられなくしたい、なんて。
「……彩、好きって言って」
「っ、む、むり」
「お願い」
彩の体を少し離し、顔を隠せないように頬を手で包む。彩は真っ赤になってソワソワしていた。
「っ、そんな甘い顔しないで……!」
「ん?甘い顔してる?無意識」
ふっと笑うと彩は更に赤くなる。可愛い。このままずっと離したくない。早く二十歳になんねーかな。
「す、すき」
「ん?」
「き、聞こえてたでしょ!」
「もう一回」
「っ、だ、だいすき」
噛み付くように唇を塞いだ。ビクッと強張った彩の体をぎゅっと抱き締め、ソファーに押し倒す。
「……俺も。俺も彩が好き」
彩が嬉しそうに笑う。そしてぎこちなく俺の首の後ろに手を回した。それだけで疲れが癒えていく気がするのだから、我ながら本当に単純な男だと思う。彩の体を抱き締めながら、俺は飽きることなく唇を重ね合わせ続けたのだった。
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