ジュース

 夏休みは受験生にとって追い込みの時期だ。そう川井先生が言っていた。三年生になってから志望校を私立から国立に変えた私にとっても、勝負の夏休みだ。

 家にいても集中できないから学校の図書室に来て勉強することにしている。涼しいし、もしかしたら、先生に会えるかもしれないし。高校の先生の夏休み事情は知らない。もし休みだったら、わざわざ来てもらうのも悪いし。彼女さんと、楽しい夏休みを過ごしてるかもしれないし。そんなことを考えていたらシャーペンの芯がボキッと折れた。……何やってんだ私。集中集中!

 そう思い数学の問題集に向かうも、元々苦手な数学の公式と、頭に浮かんだ顔も知らない先生の彼女と先生がイチャイチャする姿が頭の中を掻き乱して。……ちょっと休憩、するかな。私は立ち上がり鞄の中から財布を取り出すと自販機に向かった。

 夏特有のジメジメとした空気が肌に纏わり付く。早く秋になってほしい。そう思うも、秋が終わればすぐ冬が来るし、冬が来たら受験だ。焦る。怖い。プレッシャーにズンと心臓が重くなる。自販機の前でしばらく立ち尽くしていたら、突然肩を掴まれた。


「びっくりした、幽霊かと思った」

「せん、せい……」


 びっくりしたのはこっちだ、と言いたいけれど。何でだろう。嬉しい。先生の顔が見れて、すごく嬉しい。安心したし、何より、嬉しい。先生に最後に会ったのは一学期の終業式でたった二週間前のことなのに、平気なフリをしていたけど本当は寂しかった。先生は当然だけれど何も変わってなくて、何も言わない私の顔を覗き込んでくる。そして、お前何泣いてんの、なんて言われたらもう、無理だった。


「っ、うわああああん、せんせぇ、……っ」

「は?おい、ちょ、大橋?!」


 気付けば先生の胸にしがみついて泣いていた。水色のシャツが濃い青になっていく。先生はしばらくジタバタしていたけれど、私に離れるつもりがないとわかったからか大人しくなった。そして、私の頭に手を置いた。


「ジュース奢ってやるからよ。泣きやめ。な?」

「俺が泣かしたみてぇだろうが」

「はぁ……」


 先生はとにかく喋り続け、私は上から聞こえる心地いい低音に耳を傾けながらも泣いていた。じんわりと心の中に温かい何かが沁みていく。……ああ、私、先生のことが好きなんだ。こんなに、大好きなんだ。ずっと認めるものかと思っていた想いを認めざるを得なかった。だって、先生がいてくれたら受験なんて怖くないって思えるんだから。


「先生、私頑張る!」

「あ?」


 満面の笑みで先生を見上げると、先生は困惑した顔で私を見下ろしていた。さっきまで大泣きしていたんだから、びっくりするよね。でも、清々しい思いでいっぱいだ。先生だし、彼女いるし、絶対に叶わないけど。そばにいられることが幸せ。


「先生ジュース奢ってくれるんでしょ?えっとね、私これがいい!」

「はぁ?……まぁいいけどよ」


 先生は未だ腑に落ちない様子で自販機に小銭を入れた。私はルンルン気分でそれを取り出しゴクリと飲む。美味しい!と先生を見上げたら、同時に腕が伸びてきてジュースを奪われた。


「……はぁ、確かに生き返るな。ほらよ」


 せ、先生、今飲んだよね……?か、間接ちゅーじゃん……!恋を自覚したばかりの私には少々刺激が強い。ジュースを持って固まる私を先生は振り返る。


「おーい、大橋?勉強すんだろ?」


 教えてくれる、ということかな……?やった……!

 私は先生を追って走り出した。ジュースを握り締めて。

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