先生だけ

「大橋!」


 放課後、数学科準備室に向かおうとしたら後ろから声をかけられて。その声に聞き覚えがあったからそのまま立ち去りたかったけれど、とりあえず立ち止まった。何故ならその声はあの日から毎日私の名前を呼び、無視してもどうせ明日も呼ばれるんだろう、それなら嫌だけど話だけでも聞こうか。そう思ったからだ。

 私が立ち止まったことに驚いたらしい声の主は、出来る限りの嫌そうな顔をする私をまっすぐ見つめる。放課後、皆が部活へ行ったり下校したりする中只でさえ目立つこの男と話すのはなるべく避けたい。何、と不機嫌な声を隠そうともせず言えば男はごめん、と言った。あまりに真面目な声だったから驚いた。


「あのさ、あの日のこと、ちゃんと謝りたくて」


 あの日のこと、とは。この男・山下一成が私に友達との賭けのために告白してきた日のことだろうか。


「別に、だからどうでもいいって」

「違う、違うんだ」


 どうしてあんたがそんな悲しそうな顔するの。イライラして何が、とさっきより低い声で言えば山下一成は一瞬目を瞑り、そしてゆっくり息を吐いた。


「好きなんだ」

「……はい?」


 賭けで負けたのがそんなに悔しかった?何度も告白してたら私がOKするとでも思ってるの?

 私のイライラが頂点に達しそうなことに気づいたらしい、山下一成は慌てて言葉を紡いだ。


「確かに、賭けはした。だけどあの気持ちは嘘じゃない」

「そんなの信じられるわけないじゃん」

「わかってる。最低なことしたと思うし。でも俺、本当にずっと大橋のこと好きだったんだ」


 周りの視線が突き刺さる。当然だ。下校時間に教室の前で告白なんかしてたら。しかも、している男がバスケ部のエースでモテ男で、されている女が地味な一匹狼だったら。皆の興味をそそらない訳がない。私の答えをまだ待っているらしい、やはりまっすぐ私を見つめてくる山下一成にため息が出る。


「……そんなの信じられないし信じたくもないし、それに迷惑」


 そう言ってその場を離れる。周りは「今のさすがに酷くね?」「告白されたからって調子に乗りすぎでしょ」なんて、勝手なこと言ってる。私はそいつらに睨みを利かせながら数学科準備室へ走った。

 勢いよく引き戸を開けると、デスクで何か仕事をしていたらしい先生がビクッと体を震わせた。何だよオイ、とイライラ声で先生が言うのを無視してソファに鞄を投げつけその隣に座った。


「……あー、オイ、何かあったか」


 私の様子がおかしいことに気づいたらしい先生が聞いてくる。必死で泣くのを堪えていた私は歯を食い縛っていたから何も言えなくて。スン、と鼻を鳴らしただけだった。


「ほら」


 しばらく経った頃、先生がそう言ったから顔を上げたら目の前にカップがあった。


「ココア」

「……熱い」

「文句言うな」


 先生からそれを受け取って両手で包む。暑い中こんなに熱いもの飲みたくないよ、と心の中で呟きながらも心が温かくなっていくのを感じた。


「うぅ、温かい……」

「山下か」

「えっ」

「昨日呼ばれてたの見た」

「あの、日から、毎日だよ……!嫌だって、迷惑だって言ったら私が悪いのっ?あの人が私に何したかも知らないくせに、私が無愛想だから、皆に嫌われてるから、山下じゃなくて私が悪者になるの?!」


 はぁはぁと肩で息をしながら先生を睨み付ける。先生は全然悪くないのに、先生のせいじゃないのに、怒りをぶつけてしまう子どもな自分が恥ずかしい。

 先生はコーヒーを一口飲んだ。そして。


「んー、ま、人間なんてそんなもんだから仕方ねぇだろ」


 軽い口調でそう言い立ち上がった。そしてデスクに戻り仕事を再開する。私は何だか拍子抜けしてしまって、ポカンと先生を見つめていた。


「ん?」

「な、何か、慰めるとか、そういうの……」

「んー、じゃあ、俺だけは知ってるとか、そういうこと言ったらいい?」

「……っ!」


 とっても軽い口調で、とってもキザなことを言われた気がする……!真っ赤になる私に先生は全然興味がないらしく、デスクに視線を戻した。


「俺だってそうだったよ」

「え?」

「何かあったらすぐ疑われたし、腹立ったけど仕方ねぇ。それに俺にはわかってくれる奴がいたし」

「先生……」

「ん?」

「わた、しは、先生がわかってくれてたら、いいかも」


 そうだ、誰に何を言われても先生がわかっていてくれたら。それだけで心が落ち着いていくのを感じた。

 そんな私を見て先生が微笑んだのを、私は知らない。

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