夕焼けに染まる

「先生!」


 勢いよく数学準備室のドアを開けると机に向かっていた先生がビクッとしたのがわかった。先生は苛立って私を睨んできたけれど、今の私にはどうでもいいことだ。


「告白された!」


 誰かに好意を持たれるというのは結構嬉しいことで、私は完全に舞い上がっていた。しかもその相手というのが。


「5組の山下くんから!」


 5組の山下くん。バスケ部のエースで、顔もカッコいいモテ男くんだ。なんで私……?と思ったけれど、嬉しいものは嬉しい。


「へー、おめでとう」


 先生は少しだけ笑うと視線を机に戻した。……あれ?興味ない感じ?……そりゃそうか。


「うん、ありがとう。でも断っちゃった」


 先生がまた私を見る。黒縁メガネの向こうの目は少しだけ見開かれていた。


「そりゃまたなんで」

「んー、なんかピンと来なかった」


 ピンと来なかった、っていうか、好きって言われた瞬間先生の顔が浮かんだんだよね。で、気付けば断ってた。


「私もったいないことしたかな」

「好きじゃないならいんじゃね」

「でも付き合ってるうちに好きになることもあるじゃん」

「……」


 先生の視線がメガネ越しに刺さる。な、なに?私何か気に障ること言った?


「そう思うなら付き合えば」

「……」


 先生は優しいと思う。言葉遣いが悪い時はあるけれど、基本的に人を傷付けるような言葉は吐かない。……でもたまに、突き放すように急に冷たくなる。今の言葉がそうだ。言葉はそうでもないけれど、声が冷たい。その度に私はひそかに落ち込んでいたりする。私は先生に背を向けてドアに手を掛けた。


「……どこ行くんだよ」

「ん?うん」

「うん、じゃなくて。勉強は?」


 あ、普通に戻ってる。


「ジュース買ってくる」

「俺も行く」


 え、と思っているうちに先生が私の隣に並んだ。私はそんなに背が低いわけではないけれど、先生の顔は見上げなければ見えなかった。……背、高い。知ってたけど並ぶと更に実感する。


「何ボーッとしてんだ。行くぞ」


 先生はコツンと私の頭を小突いて先に歩き出した。先生が触れたところからじんわり熱が広がる。


「先生ってさ」

「あぁ」

「モテた?」

「もう終わったみたいな言い方しないでくんね。今でもモテます」

「でも彼女いるんでしょ?」


 夕焼けに染まる廊下。斜め前に伸びた私たちの影が、重なる。


「……なぁ」


 不意に立ち止まった先生。つられて立ち止まると、真剣な瞳と目が合って。先生、私……


「はぁ?!振られた?!」


 そんな中、すぐ横の教室からそんな声が聞こえてきた。その後、数人の男子が爆笑する声。そして次に聞こえたのは聞き覚えのある声だった。


「っるせェな」


 これって確か……、山下、くん?


「俺勝ち!負けは山下だけだな。絶対OKもらうとか自信満々だったのに残念だったな!」


 賭け?絶対OK?これって私のことだよね。どういうこと?山下くんは賭けで、私に告白してきたってこと?


「……馬鹿みたい」

「大橋」

「私ほんと、馬鹿みたい……」


 悔しい悔しい悔しい。一人で舞い上がって、先生に自慢して。私すっごい惨めじゃん……


「……あんな奴らのために、泣くんじゃねぇ」


 先生の声が冷たい。ハッとして先生を見ると、先生の顔が見たことないくらい険しくなっていた。……え、ちょっと待って。先生もしかしてキレてる?

 戸惑っている間に先生は教室に入っていった。これヤバくない?ちょ、これ絶対ヤバい!私も慌てて先生を追う。先生と私の登場に目を見開く男子たち。でもそんなこと関係なくて、まっすぐ山下くんに向かう先生を追いかけるのに必死だった。


「せ、先生!ちょっと!」

「山下。一発殴らせろ」

「は……」


 先生が拳を振り上げる。それが山下くんに当たる、10cm手前。私は何とか先生の腕を掴んだ。全体重をかけて止める。


「先生!だ、ダメ!クビになる!クビ!」


 私は先生を冷静にさせるのに必死で、自分が傷ついたことなんてさっぱり忘れていた。先生はギロッと私を睨むと腕を引いた。……よかった、とりあえずは落ち着いてくれたみたい。


「大橋、あの……」


 山下くんが申し訳なさそうに口を開く。だから私は笑顔で言い放った。


「大丈夫。どうでもいいから」


 先生がふっと笑った気がした。山下くんのことはもう見なかった。先生の背中を押して教室を出る。出たところで先生が言った。


「大橋、お前最高に男前だわ」


 私はそこで、先生はキレたフリをしていたのだと気づいた。……ほんと、趣味悪い。でも、何だかスッキリした。前を歩く先生の背中に心の中でありがと、と言うと先生が笑っている気がした。

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