物知り博士のキーストーン

たつおか

物知り博士のキーストーン

 美海住 梟子(みみずく・きょうこ)は依然としてトイレの便座から立ち上がれずにいた。


 かれこれもう10分以上はこうしている。出すべきものは出し尽くし、もはや用のない場所となっているにも拘らず、いつまでも梟子の尻は重かった。


 その理由こそは、見開いて半分に畳んだ平綴じ雑誌の存在である。

 そこにあるクロスワードパズルの、ある一問を解けずがゆえに立ち上がれないのだ。


 そもそもの始まりは他愛もないものであった。

 トイレ前より暇つぶし程度で始めていたパズルは殊のほか簡単で、サクサクと解けていくそれに小気味良さを覚えてはトイレにまで持ち込んだのだ。

 もはや完成を予感した脳にはその達成の快感しか眼中になく、終盤になって梟子はこの場所でのパズル完遂を決めて居座った。


 しかしながら、とある一問を前に梟子は手詰まりとなる。

 このパズルの要石(キーストーン)ともなるべき4文字の単語が見つけ出せずに難儀していた。


「何だろうコレ? 縦のHの問題は……」


 そのキーストーンを示す設問を梟子は独り言ちる。


「えっと……『森の物知り博士』?」


 7文字のみのその設問に梟子はセミロングの頭をかく。考える時の癖だ。

 しばしクセ毛を指にまとわりつかせながら熟考するも直感は閃かない。もはや直接この設問から解くことは不可能であると見切りをつけ、梟子はそこへザッピングしてくる他の設問から答えが探れないものかと検討した。


 頭の一文字目を指し示すであろう一問に目を止める。


「えっと……『毒のある魚』?」


 その問いに対する答えは2文字──その頭の文字がキーストーンの1文字目である。

 そしてこれには、字数を確認した瞬間にピンときた。


「毒のある2文字の魚なんてアレしかいないじゃない♪」


 梟子はすぐさま……『ムツ』と書き込む。


 ちなみに余談ではあるが、スズキ目サバ亜目クロタチカマス科のバラムツは、『ワックスエステル』という蝋成分の油脂を持つ。

『ワックス』の呼び名からも分かる通り、不水溶性のこれは人体内で分解されず油脂は消化器官での吸収を経ずに、腹痛を伴った下痢や発汗という形で体外に排出される。

 大量摂取による昏倒やアレルギーの発症も確認されており、日本では1970年から食品衛生法に該当する食品として販売禁止指定されており流通はしていない。


 閑話休題──ともあれキーストーンの1文字目は『ム』と判明した。

 そのことに気を良くすると梟子は、黒縁メガネのフリッジを中指で上げながらキーストーン2文字目の設問に目を通す。


「さてさて二問目は……『書ける・読める・伝えられる、をコンセプトとしたWEB小説サイト』?」


 確認するやこれまたピンときた。

 今日の自分は絶好調だ──そんなことを思いながら梟子は4文字の空欄に『せつろう』と書き込む。


 余談に逸れるがここで言う『せつろう』とは、ネット上において最大級の作品投稿数と読者を有する小説投稿サイトであり、主に若年層をターゲットとしたライトノベルを中心に掲載するWEB小説サイトである。

 プロではない一般人による作品投稿サイトではあるが、その読者量の多さから出版業界からも一目を置かれ、事実ここで多くの評価(ポイント)を集めた作品は数多く商業化(メディアックス)展開も果たしてもいる。

 しかしながらサイト内での評価ポイントを基に書籍化された作品に必ずしも傑作が含まれるわけでもなく、むしろ近年では粗製乱造に刊行され続ける稚拙な作品を取り上げては、『せつろう系』などと揶揄する言葉まで生まれている。


 閑話休題──今回のキーストーンとなるのは答えの2文字目である『つ』。これにてキーストーンは『む』・『つ』と2文字が判明した。


 残るは2文字……上半身には寝巻代わりのキャミソールだけといういで立ちに肌寒さも覚えたが、真理への到達を前にした梟子にはそれも些末なこと。高鳴る期待に胸を躍らせながら、梟子は3問目へと注視した。


「3問目はァ……『昔話の定番。お供のサルが大活躍』? この答えは5文字ね」


 更に付け加えるなら、この問題は3文字目がキーストーンとなる。

 そして梟子の直感はまたしても、瞬時にしてこれの答えを導きだしてしまった。


「こんなのカンタンよ。この問題で5文字って言ったらもう、『ニシゴリラ』しかないじゃない」


 余談を差し挟むに、大型類人猿の一種であるニシゴリラはゴリラ族においては最も確認個体数が多い種であり、一般人が『ゴリラ』として認識しているものの多くはこれである。

 一頭のオスに対して複数のメスとその子供という家族構成を持ち、それら20頭前後のコミュニティーで群れては生活を営む。


 近年においてもっとも有名なニシゴリラとしては名古屋市の東山動植物園に飼育されている『シャバーニ』がおり、精悍さの中にも知的な余裕を感じさせるルックスから『イケメン』と称された彼の活躍は、低迷していた業界を活気づかせる起爆剤となった。

 斯様な起死回生となるシャバーニの活躍を、鬼の首を取ったが如くに『動物園の救世主』と囃し立てたマスコミの反応を見るに、『猿』というポジションと併せても彼を現代の『桃太郎』と呼んで遜色はないであろう。


「そもそもキーストーンそのものの設問が『森の物知り博士』で、ゴリラも『森の賢者』だから、この答えは疑いようもないわね」


 閑話休題──此処までに判明したキーストーンは『む』・『つ』・『ご』……残るは一文字となった。


 その最後を解き明かすべくに、梟子も足を交差させては足枷のように足首に絡めていた下着をよじりつつ最終問題へと目を走らせた。


「いよいよ最後よ……問題は、『公営ギャンブルで活躍する動物』……」


 この日、梟子のインスピレーションが最後まで鈍ることは無かった。

 最終問題の答えは2文字、そしてキーストーンとなるのは1文字目である。

 そんな最終問題の2文字を梟子はウイニングランを噛みしめるようゆっくりと記入した──『ロバ』、と。


 余談に過ぎるは僭越だが、1997年に活躍した競走馬に『ロバノパンヤ』という牝馬がいた。

 記録においては通算49戦4勝・獲得賞金1億7232万3千円という成績ではあったが、その名称ゆえのインパクトから『馬なのにロバとはこれいかに?』と数多くの競馬ファンの記憶に残る馬であった。

 かくいう梟子もかの名馬の最盛期には、馬場において「ロバコール」を連発したファンの一人であり、梟子にとっての競走馬とはすなわち『ロバノパンヤ』であり、競馬を連想させる問題に対して『ロバ』と書き込むことは至極当然のことであったと言える。


 閑話休題──かくしてすべての設問が解かれた。

 これまでのキーストーンを管理するに、


・1問目──キーストーンは1文字目

・2問目──キーストーンは2文字目

・3問目──キーストーンは3文字目

・4問目──キーストーンは1文字目


 これらのキーストーンをつなぎ合わせた文字を梟子は声に出して読んだ。


「『む』『つ』『ご』『ろ』………」


 呟くそれに最初は意味を見出せなかった。

 しかしそれがこの4文字を導き出す設問、『森の物知り博士』と結びついた時──全ての答えが白日の下に晒されたのであった。


「『むつごろ』……『ムツゴロウ』さん……動物研究家『畑正憲』さんのことだったのね」


 求めてやまなかった答えの解明にもしかし、不思議なほど梟子の心は落ち着いていた。

 それほどにこの答えは、あまりにも完璧に合致したからだ。


 最後の余談となるが、かの動物研究家である畑正則の通称『ムツゴロウ』は、彼が癖としたうつ伏せの寝姿がスズキ目・ハゼ科のムツゴロウに似ているからとの説がある。

 しかしながら実際はこれ以外の理由も複数存在しており、本人ですら正式な名前の由来を把握していないというのが実情である。


 閑話休題──全ての問題を解き終えた達成感はしかし、幾ばくかの空しさもまた梟子の胸に残した。


 しばし瞳を閉じては天を仰ぎ、昼光色の電球の光を瞼に感じていた梟子ではあったが、鼻を鳴らすように一息のため息を切ると立ち上がり、足元に降ろしていた下着を装着し直す。


 今日のこの勝利が、そしてこの寂しさがより大きく自分を成長させてくれたような気がした。

 あるいはそれすらも勘違いであるのかもしれない。それでもしかし梟子は嬉しく思うのだ。


「ありがとう、森の物知り博士……もう、行くわね」


 手にしていたフクロウが表紙の雑誌をトイレの一角にある雑誌束の上の放ると梟子はトイレを出る。

 まるで何事もなかったかのよう執着無く後ろ手でドアを閉じる──梟子の証明終了は果たされたのであった。





 余談であるが本当のキーストーンは、『ふ』・『ク』・『ろ』・『う』となる。

 そして梟子はトイレを流していないことと、さらには尻をまだ拭いていないことにその夜、それぞれ再度のトイレ訪問と風呂場において気付くこととなるのであった。





【 おしまい 】

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