第12話 天地

 十五年前の聖戦について、その全容を知る者はもうこの世にはいない。正確に言えば、語り部がいないと言った方が正しい。わずかな残党は一様に口を噤み、でなくば人類未来の展望に絶望し、自らの命を絶っていくからだ。


 希少な残党たる霧の国の党首は、聖戦の対戦相手を『天使』と表現した。

 この現し方も一般概念としては通らない。そもそも彼らには正式名称というものがなかった。ある者は『悪の化身』と呼び、またある者は『霊獣の長』とも称した。


 件の大戦が『聖戦』とされることにも疑問が残る。同盟国軍は単に、何者かも分からぬ五千足らずの一個師団の侵略に対抗しただけに過ぎない。そこには宗教上の理由や信仰性の崇高さは微塵もない。聖戦と呼ぶには、戦の発端が些か野蛮であった。

 が、仮に対戦相手が、神に使われた『天使』、言葉通りの『悪の化身』、異門より召せし『霊獣の長』であったのなら、我らが信じる神の御旗、ひいては人類存亡を賭けた戦であったとして理屈の一端は為せる。

 何れにせよ有力な文献や語り部なき今、考察は限りなく制限され、人々の心に大きなしこりを残す結果となった。




 ケムリは主の背を借り、霧の塔から地上へと下った。

 地上は依然として重々しい霧靄に呑まれているが、満身創痍の身体には何か心地よく感じる。

 宿場の老婆のもとで事情を説明し、一階の寝床を拝借する。ケムリは再三、ここまで負ぶってくれた礼を塔の主に述べた。

 暖かい毛布に包まれながら窓辺を見やり、ケムリは語りを続ける。西の都では秘密裏にしている、自己の出生についてだ。




 十五年前の大聖戦の後、世は恐慌の一大事に曝されていた。各国の機能が著しく欠落し、司令塔を失った軍隊や領主の抱えた混乱と重務は下々の民にまで伝播し、各地で暴動や正教運動が勃発する。それほどに国の頭を失った被害は大きく、土地の荒廃は人々の生活に支障を来した。


 そんな折、西の都の外れにが落ちる。


 巨岩の落石を、ケムリの父ははっきり覚えているという。

 中央義軍の領地からの帰り、故郷の都へ向けて荷馬車を走らせていた父は、大気を裂くような轟音に天を見上げた。見ればそれは『光の塊』であった。光は稲妻の如き鋭さで空を分断し、かつ真っ赤に燃え盛り夜闇に発光していた。あまりの事態に父は、「星が落ちてきた」と思い込んだらしい。

 光の塊が遠くの地に激突したのは直後、父が慌てて手綱を引いたのと同時であった。


 風圧が落下点を中心に一気に広がる。周囲の木々を薙ぎ倒し、衝撃波は父まで届いた。二頭の馬ごと荷馬車を横転させ、風の圧力で吹き飛ばされる。

 幸い、そこは長い旅用道の中腹にあり、時刻も丑三つ時を前にした頃。住居はおろか人の影すら見られぬ閑散地帯であった。

 馬が恐れをなして逃げていく。荷馬車は損壊し商物を辺りにぶち撒けた。父は強く頭を打ち意識を失うが、数瞬ののちに我に返る。

 傷を負った右肩をかばいながら、ともかく状況を確認すべきとし、光の塊が落ちた箇所へ向けて歩き出す。


 それは、未だ赤く熱を帯びた巨岩であった。岩は地形を変形させ、一帯の草根を焼き払いずっしりとそこに坐していた。


「わたしは、その巨岩のそばで泣いていたそうです」


 赤子の声を聞きつけ、父は先程まで抱いていた恐れを忘れ、巨岩へと駆け出す。もはや反射的にである。父はある事情から妻を失くし、同時に腹の子を死なせた過去があった。妻子を失くしてからというもの、俺は死ぬまで商道に身を捧げるのだ、と決めた父だったが、しかしいつだって脳裏には宝子の残影が焼き付いていた。

 のちにケムリと名付けられる女の赤子は、巨岩の割れ目のすぐ袂で転がっていた。赤子は全身に創傷があり血に塗れていた。片方の目玉は破裂し、右の足首などは皮一枚で繋がっている状態である。頭部は骨の一部が見え隠れしており、その赤子が息をし泣き喚いている事が不思議なほどであった。

 父は赤子を抱き上げる。

 俺はまた目の前で子を失くしてしまうのかと、泣きながら赤子に頬をつける。しばらくそうして神に祈りを捧げる。やがて赤子の泣き声が聞こえなくなり、父は諦念気味に腕の中を見る。

 赤子は安らかに指を咥え、小さな寝息を立てていた。




「婆の名読みが通じぬわけだ」


 主は零し、隣で藤椅子に揺れる老婆を見やる。老婆は聞こえているのかいないのか、緩く頷き目を閉じている。


「昔から、よく見る夢があるのです」

 ケムリは半身を起こす。人差し指を立て、上方を指し示した。

「あそこに居る夢です」


 塔の主は指し示された方を見る。そこには天井があるが、少女は更にその上を示しているようだった。


「天か」


 ケムリは首を横に振る。


そらです」


 夢の内容を思い浮かべる。身体を丸めた自分が暗空間を漂い、ときおり巨大な岩石が鼻先を掠めていく。万物が地に落ちることもなく、その場をただ浮遊するだけの空間。そんな世界を鮮明に想起する。


「人は、万物は天から地へと落ちるもの、と口を揃えて言います。確かにそれも真実です。我々が住まうこの地において、という意味でなら」

 少女は言葉を整理する。

「ですがこの世のどこかには、そんな常識が通用しない世界があるはずなのです。わたしには、そう思わずにはいられない。そんな『実体感』があるのです。夢から見た大地は人々が想像する形状とは少々異なります。更に言うなら、大地を中心に天体が回る、という光景ですらありませんでした。大地はまた別の何かを中心に周回し、途方もない大きな力によって動かされている。わたしたちは天の重圧に押し付けられながら、ただ地を這うだけのちっぽけな存在に過ぎなかったのです」


 塔の主も、選ぶように言を捻り出す。

「それが単なる夢だという可能性は」


「ありません。少なくとも、わたしにとっては」ケムリは即答する。「だからこその『実体感』なのです」


 ケムリはそれっきり口を閉ざし枕に頭を乗せる。窓から星を見る。わたしはどこで産まれたのだろう、とふいに思う。生まれてこのかた商売に明け暮れたせいで、すっかり考えることを止めてしまっていた。

 あの塔の屋上階に上がったとき、何か得も知れぬ共感、共鳴を覚えた。そこに自分の正体があるのではないかと、夢現に呆けてしまったほどに。


 霧の国に訪れて九日が経っていた。

 明日の早朝には発たなければならない。一日を掛けても西の都に着けるかは分からないが、父から勘当されてしまっては堪らない。今後の生活に関わるのもそうだし、なにより自分は父を深く慕い愛しているのだと、ケムリは改めて確信した。

 旅立ちを二人に告げる。ならば今は少しでも休むが良いと、主は鋭利な目を可能な限り柔くする。老婆は鷹揚に頷き、また藤椅子を揺らした。

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