第3話:投資の儲けと体調不良

 仕事は教育研修科課長として、新人のノルマ達成の勉強会や同行訪問をして

、極力早く戦力として育て上げるのが任務となった。この頃から仕事に対して

の情熱が息切れしてくる自分に気づき不安がよぎった。そんな時に、伯父の

木下紀夫さんの住む、天津小湊にいって、家族で行って、気分転換するのが

楽しみで、帰りに鴨川シーワールドに行くと子供達が大喜びで楽しんで

くれるのがうれしかった。


 信夫が1995年5月に、体調を崩し、病院に行くとストレスによる軽い

心身症だと言われて、有給休暇が多く残っていたので1週間休みを取って

3日間ほど天津小湊へ釣りに出かけ、ストレス発散に心がけた。その後、

6月になっても憂鬱な感じが、ぬぐい去れず本調子に戻る事は、

出来なかった。


夏休みも7日間取り、休養をとって、自宅にいたが精神的にリラックス

できない自分が不安になった。1996年になっても、本調子になれないが

、だましだまし仕事を続けていた。1997年も巷のバブル景気で業績は

順調に稼げており仕事上、何の心配もなく、見た目には回復した様に

見えたが、以前よりも不安心理がもたげる様になるのが気になって

しょうがなかった。


 1997年に長男の栄一も今年から中学生となり勉強を始めていた。

勉強を教えてやろうと思うのだが、仕事を終えた後は、何か抜け殻のようになり

、何もする気が起こらない様になってしまった。


 まずいなと思いながら、気を紛らわせるしかなかった。1997年夏も、

伯父の木下紀夫さんの住む、天津小湊にいって、海で水遊びしたが、子供達は

、泳ぎが上手になり、頼もしく思えた。長男の栄一が釣りも始めて初めて

アジを釣ったときのうれしそうな顔は、実に満足げだった。


 鴨川シーワールドと館山で魚の旨い店で夕飯を食べて自宅に帰った。

 1998年も新人が5人になって、同行訪問も多くなり、神経を使うように

なると、胃がむかむかしてくる様になったので、念のため、近くの病院で

診察を受けると、神経性胃炎ですと言われたが、心身症もあり、ストレスを

甘く見てはいけないと言われ、悪くすると潰瘍性大腸炎など、思わぬ難病に

なるから、無理しないか仕事を変えることも考えてはいかがですかと

先生に言われた。


 この頃はバブル絶頂期で銀行でも株投資が盛んだった。そんな矢先、ヤフー

という日本初のインターネットが注目されており木下信夫も注目していて、

和美さんと2株ずつ買おうと話し、1997年11月に160万円で指値を

して4株を640万円で購入した。


 しかし、その後も体調は思わしくなく、子供達も中学、高校、大学へ、

将来のことを考えると、安閑たる思いだった。1998年10月、遂に、

仕事中にめまいに襲われて、仕事を早退するはめになった。3日間自宅で

休養して、翌週から仕事に出た。1999年も世の中はバブルに酔いしれ

、仕事は順調にいってるのに、身体が持たないという、じれったい感じを

残したまま、過ぎ去っていった。


1999年10月に2年前に買ったヤフー株が16分割して、急上昇した

ので800万円で売り指値をいれた。翌月11月に全株が売れて2.6億円

で売れ、和美さんと合計5.12億円となった。ヤフーの利益と合計すると

2人合計で5.77億円となった。

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