愛のカタチ

好きなところ

「コホン」

「もうちょっとの辛抱だからな、陽乃」


 心配そうに車を運転するエージさんを横目で見遣る。


「待ってろ!絶対お前は死なせねぇ!」

「……エージさん」

「苦しいか?絶対俺が……!」

「エージさん、私ただの風邪なんですけど」

「………」


 エージさんは無表情でチラリと私を見ると、はぁとため息を吐いた。


「俺こう見えても結構心配してんだけど」

「や、それは嬉しいんですけど、ちょっと大げさかなぁなんて」

「38℃も熱出したら心配する」


 ちょっと大げさだけど、ここまで心配してもらえたら嬉しい。


「苦しいか?もうちょっとで病院着くからな」


 エージさんはそう言うと私の頭を撫でた。

 ……熱が出だしたのは、昨日の夜。兄はバイトでいなくて、何となく寂しくなってエージさんに電話をかけた。


『もしもし』


 エージさんはバイトの日以外の夜は絶対に1コールで電話に出てくれる。私の連絡待ってるんですか?って聞くと、うんって返ってきた。本気で恥ずかしくなった。


『どうした、陽乃』


 優しい声に、私はなぜか泣きそうになった。


「熱、出て……」

『うん』

「りっくんいなくて、なんか寂しくて……」

『待ってろ、すぐ行く』


 そう聞こえてすぐ、電話がぶちっと切れた。え……ええええええ。あの人『すぐ行く』って言いました?来るの?今から家に来るの?いや、確かに寂しいと思いましたけど。確かにちょっと会いたいと思いましたけど!まさか来てくれるなんて……。体はダルいのにもうすぐエージさんが来ると思うとそわそわして落ち着かなかった。

 その時、ピーポーンとインターホンホが鳴り響いた。き、来たぁ!ほぼ毎日会うのにどうしてこんなに緊張しているのだろう。エージさんは絶対余裕で来るはず。なら私も余裕を装わなければ!


「陽乃!!」


 でも私の部屋に来たエージさんは、予想に反して全く余裕じゃなかった。むしろかなりうろたえていた。


「え、エージさん……?」

「寂しかったか?もう大丈夫だからな。熱は?……あっちぃ!」


 エージさんは一人で騒いでいて、私はそんなエージさんをポカンと見ていた。


「うち来るか?それとも俺が泊まろうか?」


 いつもよりも明らかに優しいエージさんが嬉しくて、私はギュッとエージさんに抱きついた。


「今日はいっぱい甘えていいからな」


 いつも甘えさせてもらっているのにそんなことを言ったエージさんに、私は更にギュッと抱きつく。


「うち行くか。うちのほうが病院近いし」


 そう言うとエージさんは私を抱き上げた。


「明日病院連れていってやるからな」


 いつもより人間らしいエージさんは私の額にキスをすると歩き出した。そして目がハートになっている両親に挨拶をすると、私を助手席に乗せた。


「なんか欲しいものは?家にバナナはあるけど」


 ……あるだろうね。それだけは絶対にあると思ってたよ。


「ゼリーが食べたいです」

「わかった。コンビニ寄るわ」


 え、エージさんが優しい。風邪が治った時のギャップが怖い……!

 エージさんは私の好きなぶどうゼリーとタバコを買って車に戻ってきた。でも絶対にタバコは吸わなかった。私の体に障ると思っているのかなとちょっと思った。


「陽乃、明日俺バイト休もうか?」

「い、いえ!そこまでは!もしかしたら明日は熱下がってるかもしれないし!りっくん明日はバイトないって言ってた気がするし」

「……陽乃」

「………っ」

「お前はいつも辛い時に限って俺に言わねぇんだから、こういう時ぐらいいっぱい頼れっての」


 エージさん、そんなの反則。風邪引いてる時にそんなこと言われたら、私……


「ハハッ、泣くなって」

「だってエージさんキャラ違うし……」

「あ?」

「い、いえ、なんでもないですっ!」


 危なっ!ほんとのこと口走っちゃった!

 そして昨日の夜は優しいエージさんに存分に甘えて、今日。エージさんは今日も優しい。まぁ、熱が全然下がらないからだろうけれど。

 病院に着くと、エージさんはまた私を抱き上げようとした。でもそこは全力で遠慮する。いつもは嬉しいけれどさすがに今は恥ずかしい。エージさんはしぶしぶ諦めてくれて、私は自分の足で歩いて病院に入った。

 エージさんが連れてきてくれたのは小さな開業医だった。今日はかなり混んでいるらしく、結構待たないといけないらしい。エージさんも待たせるのは悪いと思ってそのことを伝えるとエージさんは


「それ、一緒に来たのが律でも言ったか?」


 と言った。……それは確かに言わなかったかも。私はエージさんに甘えきれてないのだろうか。それでエージさんを不安にさせてしまうことも、あるのだろうか。

 最近変にエージさんが兄を敵視していたのはそれが原因だったのかな。私が兄ばっかり頼るから?


「寄りかかれ」


 エージさんはそう言うと私の肩をぐいっと引き寄せた。


「エージさん……」


 好き好き大好き。心の中で叫んだ。38℃の熱でずっと座っているのはちょっとキツかったから、エージさんの肩に寄りかかれたのは本当に助かった。


「エージさん」

「んー?」

「周りの人がすごく見てます」

「俺がイケメンだからじゃない?」


 ……否定できないのが悔しい!!


「おい、今のツッこむとこだぞ」

「だってエージさんがイケメンなのは本当だもん」

「お前が言うなら事実だな」


 噛み合っているのか噛み合っていないのかよくわからない会話をしながら周りの席に目を向けた。


「あ……」

「ん?」

「すっごく綺麗な人がいるんです」

「お前のほうが可愛いよ」

「……」


 エージさんの言葉も無視して私はその人を見ていた。本当に綺麗な人だなぁ。


「福島椿さーん」


 その時受付のお姉さんが名前を呼んだ。

 ……ん?どこかで聞いたことある名前だ。私が見ていた綺麗な人が立ち上がって、受付に向かう。あの人の名前だったんだ。名前も綺麗。福島椿なんて。

 ……福島、椿……?

 ちょ、ちょっと待ってなんで…?『福島椿』って楓さんの妹さんの名前だ。椿さん亡くなったんじゃ……。いや、でも名前が同じだけで別人だってこともありえるもんね!きっとそうだよね。


「あ、陽乃。そういえば楓が……」

「……っ」


 その『福島椿』さんはタイミングがよすぎるエージさんの言葉に大きく反応した。絡み合う視線。……私はその時、確信した。


「椿さん!!」


 いきなり大声を出した私に、周りの視線が全部集まる。でもそんなのどうでもよくて。ただ、苦しむ楓さんの横顔が、頭に浮かんだ。私は椿さんのそばに行くと、言った。


「福島楓さん、知ってますよね?」

「……っ」

「あなたの恋人だった楓さん、知ってますよね……?!」


 どうして死んだはずのこの人が私の目の前にいるのか、そんなの私には全然わからないけど。……ただ、確かなのは。目の前で泣き崩れるこの人が、楓さんと同じくらい苦しんでたってこと。美しいその人の泣き顔を見て。見たこともないくせに楓さんの泣き顔が頭に浮かんだ。2人が兄妹だってことは紛れもない事実なのだろう。


「陽乃、お前急にどうした……っ」


 私の隣に走ってきたエージさんは、椿さんを見て言葉を失った。彼女は我に返ったように立ち上がり涙を拭くと、微笑んだ。


「エージさん、ですよね」

「……」

「『EA』の、ボーカルの」


 椿さんは知っていた。楓さんが『EA』のギターしてるってこと。


「楓は……元気ですか?」


 どういう事情があったにせよ、こうやって健気に楓さんを想う椿さんに、涙が溢れそうになった。


「元気だよ……見た目はね」


 エージさんの言葉に椿さんの顔が一瞬歪む。


「……なぁ」

「………」

「なんで死んだはずのあんたがここにいるかはわかんねぇし、どういう事情かは知らねぇけど。…こういうのって、楓を騙してるって言うんじゃねぇの?」

「エージさん……!」


 言い方はキツイ。でもエージさんが言うことは事実だと思う。


「アイツ毎週行ってるよ、アンタの墓参り」

「……っ」


 そうだ、楓さんは。椿さんが『亡くなった』3年前から、お墓参りを欠かしたことがないって聞いた。健気に想い続けてるのは、楓さんも一緒……


「今はコイツがこんな状態だからアレだけど」


 エージさんは私の頭にポンと手を置いた。そして続ける。


「また話してくんね?」

「……」

「アイツ、俺のトモダチだから」


 エージさんはそう言うと、私の携帯を奪った。そして椿さんの番号を登録する。


「じゃあまた連絡する」

「あ、あの……!」

「なに」

「……楓には、言わないでください。会ったこと」

「……わかった」


 エージさんは短く返事すると私の手を引いて待合室に戻った。


「っんとにお前は。急にいなくなったら心配するでしょ?」


 そしていつもの、2人きりの時の甘甘なエージさんに戻る。


「ごめんなさい」

「お手したら許してやる」


 出された手に素直に手を乗せると、エージさんは満足そうに微笑んだ。


「……エージさん」

「んー?」

「言わないつもりですか?楓さんには」

「うん。約束しちゃったもん」

「……楓さん、どうするんですかね。このこと知ったら」

「……わかんね。だけど俺なら」


 何も言わずに抱き締めるけどな。そう続けたエージさんに、私もそうだと思いますって返した。どんな理由があったにせよ、死んだと思っていた大切な人が生きていたんだ。喜ばないはずない……。


***


「お~風邪治ったの?よかったね」


 ……楓さん、ごめんなさい。私はあれから、心の中でずっと楓さんに謝ってる。


「英司くんの看病のおかげ?」

「当たり前だ。俺の看病は一味違うからな」

「いや、意味わかんないですから」


 エージさんは、そうじゃないのかな。エージさんは前と全然変わらなくて。椿さんと会ったことも忘れているみたいに見える。エージさんが何を考えているのかわからない……。……それはまぁ、いつもわからないんだけど。


「そういえば楓どうなったの?」


 ベッドに寝そべりながら雑誌を読む兄が聞いた。……つーか腹かくなよ。あんたいくつ?


「なにが?」

「カフェのあの娘と」


 か、カフェのあの娘って、女……だよねもちろん!


「すげぇめんどくさい。一回ヤッたからって彼女ヅラすんな」


 うわー、楓さん最低なこと言ってるよ。こんなこと言われたらムカつきすぎて殴っちゃうかも。


「あ、ハルちゃん今思い切り引いてるでしょ。心配しないで、ハルちゃん本命だから」


 うっ、キラキラスマイルが眩しい!!


「おい、俺の女口説くんじゃねぇよ」

「冗談だって、英司くん。俺は女の子みんな好きだから」


 ……それは、嘘だと思った。目が笑っていなかったから。前に一度だけ、楓さんの週間業務についていかせてもらったことがあった。絶対に誰にも連れて行かない場所に『ハルちゃんは特別』って言って、楓さんは快く私を連れて行ってくれた。その時の、穏やかな笑顔。優しい瞳。まだ椿さんが好きだって、告げているようなものだった。

 ……エージさん。私もう、限界。これ以上、楓さんに嘘つけない……


「……陽乃」


 タイミングよく名前を呼ばれて、私は顔を上げた。もしかして、気付いてくれたのだろうか。私が思ってることに……


「バナナ食いたい。買ってきて」


 ……そんなはずはなかった。もう面倒臭いなぁ。でもエージさんバナナなかったら動かないしな。行くしかない。


「行ってきまーす」


 そう言ってスタジオを出ると、門のほうから誰かの声が聞こえた。


「お、おう莉奈!」

「こんにちは翼さん」


 つ、翼さんと莉奈ー!!私ってばすごいいいタイミング!!2人のこと見物しちゃおう!!あれからどうなったのかは翼さんからも莉奈からも聞いてない。


「い、いい天気だな」


 ……翼さん、今日かなり曇ってますよ。朝から一回も太陽見えてないですよ。


「そうですね」


 くすくす笑いながら莉奈が答える。チラリと、2人の様子を覗き見してみた。


「……っ」


 超お似合い!!2人は門の前で向かい合って立っていた。たぶんあそこでたまたま会ったんだろう。私からは翼さんの後姿と莉奈の笑顔が見えた。翼さんっていつもイジられキャラだったしたまに忘れちゃうけど、実はかなりのイケメンだった。エージさんと楓さんは王子様系だし、兄はどっちかというとワイルド系。

 翼さんは『EA』の中で唯一の黒髪で少し子どもっぽく見えるけど、それが逆に翼さんの魅力だった。『EA』の中でもお姉さんから一番人気が高いのは翼さんだって聞いたことがある気がする。まぁ、エージさんは自分が一番だって言い張ってたけど。表情が豊かで、笑うとえくぼができて八重歯が覗く。……これでヘタレじゃなかったら翼さん完璧なのに。


「あ、な、中入るか?」


 翼さん超可愛い!!超初々しいんですけど!!


「……お前なに一人で笑ってんの」

「ひっ……!!」


 いきなり耳元で聞こえた低い声に、心臓が止まるかと思った。いや、一回止まったと思う。


「え、エージさん!急に話しかけないでください!」

「ごめん」


 素直に謝ってきたエージさんは、いきなり私の首筋に顔を埋めた。


「ちょ、エージさ……」

「おいぃ、お前らそこで何やってんだ!!」


 タイミング悪く、そこを翼さんと莉奈に目撃される。翼さんは真っ赤になって、莉奈はビックリするほどニヤニヤしていた。莉奈、今すっごい悪い顔してるよ……。


「一緒にバナナ買いに行くところ」


 行くぞ、と言ってエージさんは私の手を引いて歩き出した。……どうしたんだろう。さっきちょっと、様子が変だった気がするけど……。でも私の少し前を歩くエージさんは普通だった。いつも通りのんびりしてた。……私は正直、すごくドキドキしてた。だって、エージさんと、『EA』のメンバーとコンビニ行くの初めてなんだもん……

 近場で行くのは『翔』くらいだし、『翔』に『EA』のミーハーなファンはいないし。この間の病院も、エージさんはちょっと遠いところに連れて行ってくれた。もし、ミーハーなファンに見つかったら、どうなるんだろうか。まず、絶対に囲まれる。そして屈辱的な言葉を吐かれる。その次はきっと殴られたり蹴られたりする。……こ、こわ。

 自然に、歩くのが遅くなる。それに気付いてるのか気付いていないのか、エージさんも歩くのが遅くなっていた。……エージさん私、ものすごーく帰りたいんですけど……。その願いが通じたのか、エージさんはいきなり立ち止まってくるりと振り向いた。

 エージさんの家があるのは閑静は住宅街で、あまり人通りは多くない。コンビニはこの住宅街を抜けて5分くらいのところにあるんだけど、今はまだ住宅街を抜けていなかった。


「……なぁ」

「……?」

「楓に嘘つくの辛いか」

「……!」


 いきなりだった。私の頭の中はコンビニに行きたくないっていうのでいっぱいになってたから、いきなりその話題でビックリした。……エージさんは、気付いていたのかな。私がさっき、そう思ってたこと。でも、エージさんは弱々しく言ったんだ。


「俺も……俺も辛ぇ」


 私の気持ちに気付いていたところはあるかも知れない。でもエージさんも無理だったんだ。……エージさんは、私以上に知っている。楓さんがどんなに椿さんのことを好きか。楓さんがどんなに女遊びしても、どんなに最低なことを言っても。楓さんが苦しんでいることを、知っている。だからきっと放っておけないんだ。楓さんが救われるチャンスがあるのに、それを楓さんに隠しているのが、辛くて仕方ないんだ。


「……エージさん。椿さんに会いましょう」

「……」

「ほら、私もう元気いっぱいだし。椿さんに電話します」


 エージさんが頷いたのを確認して、私は椿さんに電話をかけた。椿さんは少し躊躇いながらも、3日後に会うことを了承してくれた。


「……エージさん」


 私はエージさんの首にギュッと抱き付いた。……何を考えているかわからない。いつもボーっとしている。そんな、不思議な人だけど私はよく知っている。エージさんが、優しい人だってことも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る