1346話 勁草の恩恵亭

それでも不安そうな表情が消えない看板娘。


「あの……父を……父も助けてもらうわけにはいかないでしょうか……」


「助ける? どうやって?」


意味が分からんぞ。


「そ、それは……」


本人だって分かってないじゃないか。


「連れて来なさい。働く気があるなら使ってあげるわよ?」


おおー。さすがアレク。圧倒的貴族力!


「ありがとうございます! で、では今から自宅に帰って二人とも連れてきます! あっ、先に宿にご案内いたします!」


それから歩くこと十五分。街の中心らしき場所、メインストリートへと差しかかる。


「見えました! あれです!」


ふむふむ。そこまで大きな宿ではないが落ち着いた品の良さを感じるな。


「分かったわ。もういいわよ。それじゃあ家族を連れてきなさい。」


「はい! 行ってきます!」


元気よく走っていった。この間に拐われたりしないよな? そこまで面倒を見る気はないし。


「さ、カース。行きましょ。部屋が空いてるといいわね。」


「そうだね。お腹もすいたしね。」


勁草の恩恵亭か。いい宿は食事も旨いからな。楽しみだ。




「いらっしゃいませ。お泊まりでございますか?」


立ち入るとすぐに挨拶の声。


「ええ。とりあえず一週間の予定で。一番いい部屋は空いてるかしら?」


「はい、翡翠の間が空いてございます。それでは宿帳にご記入をお願いいたします」


アレクが私の分まで記入していく。なんとも甲斐甲斐しいね。おまけにコーちゃんとカムイの分まで。


「ありがとうございます。当宿ですが夕食と朝食がございます。お部屋でも食堂でもお好きな方でお召し上がりください。それからお代ですが前払いとなっております。七泊ですので三百五十万ナラーでございます」


前払いか。珍しいな。でも海の天国館に比べたらかなり安いな。まあ街の規模もオワダほどじゃないし。でも農地まで含めるとヤチロの方がかなり広いな。


「はいこれ。」


ここは私の出番だからな。


「確かにちょうだいいたしました。それではお部屋までご案内いたします。モヤイズ!」


「はい。翡翠の間を担当いたしますチラノ・モヤイズでございます。お荷物は……ございませんね。それではこちらでございます」


若い男だ。清潔感のある好青年だな。


「ああそうそう。後でイロハって子が私達を訪ねてくるわ。来たら部屋に通してあげて。それから一番安い部屋を一つ、こちらも一週間お願いね。その子の一家が泊まることになるわ。」


「かしこまりました。ところでお客様、もしかしてイロハ・コガデのことでしょうか?」


看板娘はそんな名前だったっけ?


「そうよ。知ってるの?」


やはりアレクはきっちり覚えてるんだな。すごい。


「お客様の事情に立ち入って申し訳ありません……何かあったんでしょうか……お客様ほどのお貴族様をイロハが訪ねるだなんて……」


おや? こいつはもしかしてイロハのダーリンだったりするのか? だったら助けてやれよって話だが。


「知りたいのだったら後で話してあげるわ。一家が来たら案内ついでに同席するといいわ。どうせあそこの父親にも話をする必要があるし。」


「ありがとうございます……」


「ここからあの子の家までの距離を考えると、何分後にここに到着すると思う?」


「急げば……三、四十分ぐらいかと……」


「そう。なら先に食事を運んでくれるかしら? 四人分ね。それからお任せでお酒もお願いするわ。」


「かしこまりました」


おや、アレクにしては珍しい流れだ。てっきり部屋に入ったら即、襲われるかと思ったのに。でも腹もへってるからちょうどいいね。アレクは気が利くね。


へー、ここは三階が最上階なのね。エレベーターはないのか……フランティア領都で一番の宿、辺境の一番亭には人力のエレベーターがあったってのに。階段だるっ……


「こちらでございます。ではすぐにお食事をお持ちいたしますので、しばしお待ちくださいませ」


「ええ、慌てないでいいわ。頼んだわよ。」


おおー。広いねぇ。入口で靴を脱ぐのは海の天国館と同じか。ヒイズルだもんね。違うのは足裏から感じる畳の質。やけに滑らかで艶やかだ。なのにつるりと滑って転ぶことが無さそうな質感。香りだっていい。これは落ち着くな。


「これ、いいわね。オワダではそこまで思わなかったけど……これならカースがタタミを欲しがるのも分かる気がするわ。」


「だよね。これはいい畳だよね。ますます欲しくなったよ。」


「ガウガウ」


カムイは畳にゴロゴロと寝そべりながら、これが欲しいと言う。贅沢なやつめ。


「ピュイピュイ」


コーちゃんも? みんな贅沢だね。私もか。よし、寝転がろう。ごろごろ。


「私も!」


アレクが私にのしかかってきた。二人でごろごろ。畳の上でイチャイチャ。


「ガウガウ」


おっ、カムイも交ざりたいのか。来い来い。みんなでゴロゴロするぜ。カムイめ、絹のような毛並みがモフモフだぜ、うりうり。よーしみんなでゴロゴロモフモフするぞ。うーんこれは楽しい。圧倒的悦楽。


「ピュイピュイ」


さらにコーちゃんまで入り乱れて四人で畳の上を転がりながらゴロゴロモフモフ、そしてワイワイ。時折りアレクとイチャイチャ。なんだこれ……楽しすぎる。


「失礼いたします。お食事をお持ちいたしました」


少しだけ、時が止まった……

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