第6話【ノ―ラ オブライエンⅢ】


ノ-ラはその後父親の経営する【めかし屋】で店に出て働き始めた。好景気に沸くロンドンで客足は好調だった。


ノ-ラは接客をしながら合間に仕立の仕事を習った。


彼女が店で仕上げたのは男性用の背広や燕尾服ではなく、魔法使いのようなコ-ト一着だけだった。


店にいる時も大概その格好で過ごしたため「魔女」のあだ名は消えなかった。


しかし死者の嘆きではなく、誰にでも明るい笑顔を見せるようになったノ-ラを、近隣の人々も店を訪れる客達も受け入れた。


霊媒仕事の最後の日。


「私、お姉さんと同じ仕事がしたいです」


ノ―ラは彼女に告白した。


先輩の魔女は「それはオススメ出来ないね」


そう言った後で「この仕事に大切なのは人あしらいさ」


そうノ-ラに忠告した。


「生きていても死んでいても人が何を求めて、そこに居るのかを読みとる事が大切なのさ…ある意味能力以上に大切な事だ。どちらにも感情移入せずに線を引く事が求められるよ」


「あんたに霊媒は向かない、とても危険だからね」


そう優しく但された後でノ-ラは彼女に包みを手渡された。それは飾り気のないヴェランの包み。中を開けてみると。色とりどりの神秘的な絵が描かれた絵札が顔を除かせた。


「綺麗…!これはアルカナですね」


ノ-ラは包みの中のアラビア文字や数字、戦車や女帝、塔から転落する男が描かれたカ-ドを見て声を詰まらせた。


「お姉さん、これを私に、本当によいのですか!?」


「私が師から一人立ちを許された時頂いたものの一つだ、あんたにやるよ」


「そんな、お姉さんが師匠に頂いた大切な物を私なんかが頂く訳には」


「私はとても生意気な弟子で師が私にそれをくれると言った時『それは必要ない』と断ったんだ」


「何故ですか?」


「私にはカ-ドも水晶玉も必要ないからと…そしたら師は私にこう言ったんだ」

「今のお前にやるのではなく未来のお前に託すのだよ」


「未来の、お姉さんに」


「今その意味が分かったよ。私は一人立ちするからと師を越えたつもりになっていたが」


彼女は苦笑した。


「未だに全然駄目だ」


彼女はタロットについて簡単な説明をノ-ラにしてくれた。


タロットは15世紀に北イタリアで作られたヴィスコンティ版が最も古いカ-ドとされている。


「それは、そもそも占い用に作られたものじゃないから、持っていても意味がない、美術館に飾られるような代物さ」


彼女がノ-ラに手渡したタロットは、18世紀のフランスの占い師エッティラが、その晩年に絵師に描かせた手書きのカ-ドだった。


「彼女がアルカナ占いの開祖と呼んで差し支えないと思うよ。後々練金術の要素や様々な神秘学が加えられたが…このアルカナはそれを基に作られている、謂わば由緒正しいオリジンて訳さ」


「何だか怖いわ」


「敬意を払うという意味で、それは大切かもしれないが、カ-ドがあんたを相棒に選ぶかどうか未だ分からないよ」


彼女はノ-ラをテ-ブルの椅子に着かせ自分は後ろに立って言った。


「さあ、切らないでいいから、1枚だけ札を捲って見せて」


彼女に言われるままにノ-ラはカ-ドに手を伸ばす。


「そう、力を抜いて、ただ漠然と思うだけで構わない」


彼女の前髪がノ-ラの襟足を擽るくらいまで近づくとノ-ラはくすぐったそうに身を捩る。


彼女の伝えようとする真剣さが、背中越しにも感じられた。自然と熱を帯びた吐息がノ-ラの耳に触れる。


カ-ドを捲ろうとしたノ-ラの右手を制すように彼女の手と手が重なる。しかし、けして触れようとはしなかった。


「過去を思って」


「私の過去を」


言われるままに一枚を無造作に抜きとった。


「隠者のカ-ド…上々だね」


彼女の声が少し軽くなった気がした。


「それを横に置いて、それはあんたの過去、読み解く必要も思い出す必要もないものだ、忘れてしまいな」


「お姉さん次は」


やや紅潮した面持ちでノ-ラが問いかける。


「未来を」


「未来を見るなんて…私何だか怖いわ」


「なら私の未来で構わないよ、さあ占ってみせて」


「お姉さんと私の未来を…それなら私、怖くありません!」


「いきなり、そんな高度な占いは難しいんじゃないか」


「大丈夫」


ノ-ラはカ-ドを抜き取る。


月のアルカナ。中央に人の顔が描かれた月。


「月の下にある対の建物は?」


「それは門だね」


門の下には森と左右対象に並ぶ狼、水辺から顔を覗かせるザリガニ。


「お姉さん、このカ-ドは何を意味しているのかしら」


ノ-ラの言葉に彼女は素っ気なく言った。


「カ-ドの意味なんて知らなくていいよ」


「それでは占いになりません」


「意味を知りたきゃ本でも読めばいい、でも、そうじゃないんだよノ-ラ」




「さあ、手に取ったカ-ドじっくり眺めてごらん。あんたはそれを見て何を思う?思い浮かんだ言葉を言ってみて」


「森…です」


「そしたら今度は、カードを自然な視野の中で、自然な状態で目に近いところで眺め、さらに視点はカードではない遠くを眺める。視点にカードを入れたまま遠くに視線移動する感覚さ…やってごらん」


カードの風景は目の前で、ぼやけながらも近づいて来る。そんな感じがした。


徐々に視界の中心、ノ-ラ意識の中心にカードの風景と同化するような感覚が芽生える。


「そこまで来たら成功さ…最初にカ-ドを見て森を思い浮かべたね」


「ええ、森が見えた気がしました」


「高い山なら洞窟を…それがつまりゲートさ」


「ゲート?」


「カ-ドを読み解く入り口を自分で拵えないといけないのさ、もう一度カ-ドを見て、さっきと同じように」


「森を…」


気がつくとノ-ラは森の入り口に1人立っていた。


恐る恐る森の入り口を潜ると、知らず知らずのうちに駆け出していた。駆け出した足は止まらない。


風さえ吹かぬオ-クの森。ノ-ラは地表に剥き出しになった根に躓く事なく風のように森を駆け抜けた。


灰色の体をした栗鼠は時のようにすばしこく森を走り回るが、ノ-ラはそれよりもさらに早い。


やがて見えて来る。


森の真ん中に聳える黒くて憐れな首吊りの木。


ぶら下がる死者共が風見鶏のように向きを変えてノ-ラを見送ったのも束の間。

夥しい死者の群れに囲まれている。


若い病み窶れた顔の紳士と、隣にいた若い女の子。


あれは、お姉さん?随分若いように見えるけど…私が見ているのは本当に未来なの?それとも過去?


森を抜けたノ-ラは見知らぬ荘園の門の前に立っていた。


見上げるような豪奢な造りの大邸宅。まるで陸に乗り上げた貴船の様。


門の中央に施された竜のレリーフは翼を広げ嘶くように来る者を威圧していた。


「戻ったのかい、ノ-ラ」


ノ-ラの華奢な肩に掌が添えらる。返事を返す代わりにノ-ラは彼女の手を取り自分の頬にあてた。


あまりの事に声も出なかった。彼女の掌は初めて寝室で触れられた時と同じで温かい。


「疲れたようだね、無理もない。アルカナはあんたを主と認めたようだね」


「でも、お姉さん私今見た事上手く説明できないわ」


「説明しなくていいよ」


「どうして?私お姉さんの未来を見たのに、知りたくはないの?それとも全部知ってるから?」


「私は自分で自分を占ったりしないよ。先の楽しみがなくなっちまうからね」


「そういうもの」


「お姉さんはやっぱり偉大よ…女王陛下より大司教様より偉大、私そう思います!」


「カ-ドがあんたを良き未来に導いてくれると私は信じてるよ、死者に伺いを立てるのは危険だからね」


「ええ、そうね」


「生きていても死んでいても他人の言葉は人を迷わすだけ。ノ-ラ、そのカ-ドは大切にした分だけ、あんたを助けてくれるはずさ」


「生涯手放しません…大切な…大切に…」


鼻薬でも嗅いだように、ノ-ラは深い眠りに落ちた。


目を覚ますと部屋に彼女の姿はなかった。

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