第84話:天の光はすべて君③

 はたはたと耳障りな羽ばたきを、爆風が切り裂く。

 踏み込んだ繭の中は、見た目とは違っていくつもの空間に分かれていた。出来るだけ派手に、なおかつ相手が無視できないよう的確に破壊せねばならない。攻撃より防御、そして正攻法より搦め手を得意としているアルベルトにはなかなかの難題だった。

 「……最初から姉さんに頼めばよかったかな、これは」

 『ふん、抜かせ。心にもないことを言うでないわ』

 ぼやいたのを鼻で笑い飛ばすのは、碧いウロコをまとう馬。そう、先日封じたところの水魔ケルピーである。一人と一頭の周囲では、竜胆りんどうの花に似た色合いの鬼火が飛び回り、舞い飛ぶ氷の蛾を片っ端から焼き払っていた。ウィル・オー・ザ・ウィスプの炎は、ひとを道に迷わせるだけではない。

 『あの淑女、言動はとぼけておるがとんだ昼行灯ひるあんどんと見受けた。あ奴が前線に出るようなことがあれば、この学び舎などひとたまりもあるまい。

 くだんの乙女が悲しむようなことを、お主が許すとは到底思えぬな』

 「はは、ご名答です」

 生徒たちが困ってしまうとか、親友が職を失うとか、ここにもともと住んでいる木霊などの住処もなくなるとか。もっともらしい理由を全てすっ飛ばして指摘してくる相手に、そんなに分かりやすかったかと思わず苦笑する。――そうして気づいた。もう、かなり息が上がってきている。

 (まずいな。思っていたより長く持たないかもしれない)

 元々、紋様術というのは能動的な分野ではない。文字を媒介としているので、あらかじめ決まった部分まで準備しておいて、いざという時に最後の仕上げをして発動させる、というスタイルを取ることが多いのだ。ゆえに手数を増やそうと、封印してあった妖精たちを召喚したのだが……

 『……いささか飛ばしすぎではないか? あまり疲れるでないぞ、我は淑女以外背に乗せぬ主義だ』

 「わかってますとも。さて、霧生院さんはどちらにいますかね――」

  

 ずしゃあっ!!!


 白い吐息交じりのことばを、凄まじい音がさえぎった。巨大な氷の棘が、とっさに飛び退ったアルベルトとケルピーの間に次々と生えてくる。決して狭くはない繭の一室で、あっという間に分断されてしまう。

 『おい、大事ないか!? この程度でたおれおったら許さんぞ!!』

 「とりあえずは無事です、貴方こそお気をつけて! 属性が近似してますから、水の攻撃はあまり」

 『――あらあら、まだ他人のことを心配する余裕があるのね。それともやせ我慢かしら?』

 思いの外近くから、あまり聞きたくなかった声がした。七年前と変わらない嫌味な響きに、そっとそちらを振り返る。

 「……どうも、お久しぶりですね。出来れば、二度とお会いすることがなければよかったんですが」

 『そんな寂しいこと言わないで下さる? わたくしはずうっと逢いたかったのよ、貴方達に』

 丸みを帯びた繭の天井近く、羽織った振袖をはためかせながら宙に立つ霧生院がいた。冷え冷えとした響きの美しい声は、普段の彼女のそれではない。いま、何らかの形で彼女に憑依している相手が、その口を借りて喋っているのだ。

 『……ねえ坊や。自由に生きたいと思うことの何がいけないの?

 信仰してくれる人がいなくなって、祠も壊されて苦しくて悲しくて、それでも我慢しろってただの傲慢じゃなくって? だからわたくしは桜華に逃げてきて、同じ境遇の子たちと同化したのよ。可哀想な、この蚕たちと』

 「北にある製糸場のことですね。蚕塚かいこづかでも壊しましたか、見境のない」

 『まあ怖い。解放してあげた、といって下さる?』

 桜華の主な輸出品は生糸だ。大量に生産する過程で、繭を茹でて糸を取り出す際には膨大な数の蚕が死んでしまう。感謝とともに彼らを悼んで、その魂を鎮めるのが蚕塚だ。人間以外のものにも情けを忘れない、こまやかなこの国の文化をアルベルトは愛してやまないのだが……こと今回に限っては、それが裏目に出たか。

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