花見ー漆 小町

 宴もたけなわといったころ。

 高校生組と大学ゼミ集団はすっかり意気投合し、いっしょにレジャーシートの上でカードゲームを広げている。

「よう」

 そんななか環奈はひとり縁側で、飽きもせずに贈り物を眺めていた。そのとなりに腰かけたのは、高村だ。

 浜崎は酔いつぶれて眠ったらしい。

 環奈は、パッと顔をあげた。

「へへへ、むっちゃん」

「良かったな」

「うん。……」

 と、嬉しそうに頬がほころぶ。

 そのまま沈黙した彼女に、高村はなにを言うでもなくただその呼吸を聞いた。

 俺の勝ち、と武晴の笑い声がひびく。

 環奈はふたたびプレゼントに視線を落とし、

「こないだまでは」

 と、ぽつりとこぼした。

「こんなのもぜんぶ、ねむってからお話ししてたんヨ」

「……そうやったな」

「ずっと」

「…………」

「夢の外にもいてくれたらいいのにって思ってたむっちゃんが」

 ここにいるのネ。

 といった彼女の顔が、いまにも泣きそうに歪む。しかし彼女は泣かない。

 夢でだって泣いたことはなかった。

「ありがと、むっちゃん」

(嗚呼──)

 高村は目を細めて微笑した。

 昨日いわれた八郎の言葉がよみがえる。


 ──夢でしか会うへんかったむっちゃんがリアルにおるねんで。

 ──それがなによりのプレゼントやろ!


(そうか)

 心に想いを馳せろ、というようなことを以前、彼にいったことがある。

 思い返すとおかしくて高村はくすっと笑った。

 んっ、と環奈が小首をかしげる。

「なにがおかしいの?」

「いやなに」

 血は、嘘をつかない。

 ──おかえりの場所。

「八郎がお前のそばにおってよかった思うてよ」

 高村はそして、刑部桜の見事な花姿を仰ぎ見た。


 ※

「ホンマに、ありがとうございました」

 宴の終わり。

 食い散らかした高校組と、飲み荒らしたゼミ集団はそろってゆきに腰低く詫びた。

 駅方面へ向かうゼミ集団と、三人の女子高生。同中組は近所のため、それぞれ一斉に刑部家を出立する。

 高村はゆきに頭を下げた。

「それじゃあ私も──これで」

「ええ、ぜひまた呑みにでもいらしてください。おうちここから近いんですって? よければ奥さまもご一緒に」

「まさか。また浜崎さんといっしょに参りますよ」

「うふふ、今度はじっくり大人の話でもしましょうね。ホンマにありがとうございました。さ、八郎──先生のことお送りしんさい」

 とゆきが微笑する。

 こうして八郎と環奈、柊介の三人は、高村の帰宅に付き添うこととなった。


「先生って、家あるん?」

「あるっちゃある」

 高村が、刑部家の目と鼻の先を指さした。

 えっ──と八郎と柊介は目を見張る。

 そこは、近所で有名な廃屋だったからである。

「あそこ!?」

「荷物置くだけの場所やさかいに、豪奢な設備はいらんのや。どうせ昼間は学校で夜は冥土──居着きもせんのに、わざわざ経費使うて用意する必要もねえしな」

「……そ、」

 そんなもんスか、と柊介はわずかに顔を青くする。しかしその戸惑いには八郎も同感だった。

「先生ってなんなん?」

「なんなん、とは」

「こーやって触れるから幽霊でもねえし、かといってふつうの人とはちゃうやろ。夢のなかに現れるときは高村先生とちゃうし──そういう話、まだぜんぜん聞かせてもろうてないよ」

「ああ……」

 そうだっけ、ととぼける高村。

 八郎と柊介が力強くうなずいたとき、環奈がアッ、と声をあげた。

 視線の先には廃屋の玄関口。

 ──その前になにかがいる。

 環奈は昔から、人とは違うものをよく見るらしい。が、いまばかりはなぜか八郎の視界にもそれが映っている。

 すっかり夜も更けた闇のなか、ぼんやりと薄白く浮かび上がる、何かが。

(……なんだ?)

 ゾッ、と八郎の背筋が凍った。

「むっちゃん」

 しかし。

 環奈の声は弾んでいた。

「あのシト、むっちゃんのお友達? きょう朝からかんなにずーっとついてきたヨ」

「……いや」

 高村は頬をゆるめて手をあげた。

 ──。

 ────。

「ずいぶん呑みましたね」

 一方、浜崎は、案の定おぼつかない足取りで、しかし上機嫌に仙石と潮江に支えられていた。

「あのひと、おんもしろくってよ。言葉は古ィし研究者よりも歴史に詳しいしで、いろいろ聞いてもうて」

「──気分転換になったなら良かったですけど」

 冴子は苦笑いをする。

 だってよう、と浜崎はくすくすと肩を揺らした。

「あの人、子どもの名前まで古風にしてはんねん。おんなの子」

 なんてお名前なんです、と冴子がつられて笑う。浜崎はゼミ生たちを振り返る。

「美人の代名詞といったら?」

 彼らは声をそろえて、答えた。

 ──。

 ────。


「小町」

 高村が、呼んだ。

 廃屋の前にいた薄白く光るモノが、ゆっくりとこちらに近付く。環奈はのんきに手を振ったが、八郎はぴゃっと悲鳴をあげて身を縮こませた。

「…………」

 となりに佇む柊介も、見えているらしい。

 もはや石のように固まっている(実はだれよりもおばけ等が苦手なのである)。


「おもうさま」


 鈴を転がすような声だった。

 目が慣れたのか、それはやがて人型を帯び、紅梅色の着物をまとう女があらわれる。

 ──うつくしい娘だった。

 鬢そぎの黒髪が醸す大人びた雰囲気とは対照的に、真っ白な肌に桜色のちいさな唇はまるで赤子のようなかわいらしさがある。

「…………」

 あんぐりと口を開ける八郎の視線に気が付いた彼女は、ハッと袖で鼻元までかくした。

 その可憐さに八郎は放心する。

「わあこんちは! 小町ちゃんってゆーの?」

「あ……!」

 と。

 環奈と目を合わせたとたん、小町は恥ずかしそうに目元まで顔を隠した。

 しかし高村はその仕草に鼻をならす。

「そんなかわいこぶりっこをして──どうせすぐ剥がれるのだからおやめ」

「…………」

 小町が高村を睨みつける。

 が、環奈に向き直るやとても嬉しそうに身を寄せてきた。

「環奈──この小町、おもうさまが八郎どのの師となるにあたって、環奈のお目付け役として参りました。どうぞよしなに」

「おめつけやく?」

「おはなし相手ということ」

 うふふ、と笑う小町。

 高村はふっと微笑し、八郎と柊介の背中を強く叩く。

「ええ加減しっかりせえ」

「ハッ」

 と、ふたりは同時に我にかえった。

 お互いに顔を見合わせ、ふたたび小町という娘を盗み見る。

「──というわけであれが俺の愛娘、小野小町だ。よろしゅうやってくれ」

「小野小町!」

 それなら知っている。

 日本人の九割が聞いたことのある名であろう。

「先生って小野小町の親父やったん──」

「俺、眠たなってきた」

 ひきつった笑みを浮かべる柊介は、夜道のなかでもわかるほど顔が青い。

「ああ、もう遅いしはよう帰れ。また追々話していくから。おい環奈」

 お前が持っておけ、と高村が懐からなにかを取り出した。和本のうちの一枚──九枚目の和紙である。

 第九首と書かれたのみで、名前も絵姿もなにもない。

「あ、これ」

「夢のなかでなくとも、お前が呼べば言霊の小町がそばに来る。なあ、俺が夢に行かなくともこれなら寂しくなかろ」

「むっちゃん──ありがとう!」

「さあ小町も和本にお戻り」

「では環奈、また」

 小町はにっこりと微笑んで、ふわりと消えた。

 同時に、和紙の表面に絵姿がぼんやりと浮かび上がる。これがどうやら和本に戻ったということらしい。

「またあした。気を付けて帰れ」

 高村はそして、

「夜更かしするなよ」

 とわらった。


 ※ ※ ※

 ──春の長雨にうたれて散る桜のように、

   かつての私の栄華も美も、

   物を思ってむなしく月日をすごすうち、

   すっかり衰えてしまったわ。──


 第九番 小野小町

  旧き友人との語らいのなか、

  春の長雨にて散りゆく桜に己を重ね、

  無常の時を思ひて詠める。



 ※

 ざざ、ざ。

 海鳴りが心地よい。──これは、夢である。

 浜崎は砂浜へつづく階段に立った。眼下を見わたすとふたりの男女が身を寄せてなにかを話している。傍から見ても、男の挙動はそわそわと落ち着かない。

(嗚呼、この場面は)

 浜崎は目を細めた。

 彼女が視線をそらしたすきに男がポケットからなにかを取り出す。彼女の肩をたたく。 

 ひと言ふた言ささやいて取り出したものを見せると、女は、涙をこぼした。

 たしか、と浜崎は唇を噛んだ。

(指輪はまだ買えねえと言ったんだっけ)

 男は女を抱きしめて、同様に肩をふるわせる。

 海が陽光を反射している。

 まるでドラマのワンシーンのように、そこに世界がつくられた。

 ──幸せだと、疑いようもない光景。


 しかしそれはまばたきをした瞬間に暗転する。

 海は黒く染まり、砂浜にもさきほどまで寄り添っていた男女はいない。

 浜崎だけがただひとり黒い海を眺めているのだ。

 波が慟哭するように打ち寄せる。やがて海は、泣いた。


『契りきな かたみに袖を しぼりつつ

        末の松山 波越さじとは』


(…………)

 うつろいゆく時のなか。

 不変を保つことの、なんとむずかしいことか──。


 浜辺にすわる彼のとなりに、篁は腰を下ろす。

 砂浜に落ちた、ふた粒のシミを指でなぞり、ひとつ。

(…………)

 深い息をついた。



 ※ ※ ※

 ──約束したのにね。ふたり涙を流して、

   この愛は、波が絶対に越えられぬという

   「末の松山」のように、決して

   心変わりせぬ永遠のものであると。──


 第四十二番 清原元輔

  心変わりて侍りける女に、

  人に代わりて

  詠める。

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