花見ー陸 語らい
「今年も綺麗に咲いてくれた桜に感謝して」
刑部桜にむけて、ゆきが杯を掲げる。
その杯をこんどは縁側にすわる環奈に向けて、にっこりと微笑んだ。
「それと環奈ちゃん」
「え?」
環奈が肩を揺らす。
「去年、なんも言わへんと急にひとりで東京行ってもうたやろ。──ほんでも今回、浜崎先生のおかげで奈良に帰ってきてくれはって。それがとってもうれしかったんで『環奈ちゃんお帰りなさい会』も兼ねて、ね」
「ええっ!」
「ではこちらも便乗して……」
と、立ち上がったのは仙石である。
その手には、アンティークな風合いの白い箱に、ピンクを基調としたパステルカラーの花々がきれいに盛られたプリザーブドフラワーが携えられている。なるほど、買い物とはこのことだったようだ。
「ようこそ刑部くん。浜崎ゼミへ」
「わ、あわ──へっ!」
「だれでもないキミの誘いで参加したお花見やもんで、いまいち恰好もつかんが──刑部くんの歓迎会も兼ねて」
と、仙石が恥ずかしそうにわらう。
「わ……」
環奈は頬を真っ赤に染める。
そしてゆきと高村を交互に見た。
「良かったね環奈ちゃん」
「環奈。そういうときは『ありがとう』ていうたらええねんで」
とやさしく笑う高村。
環奈は大きくうなずくと、そわそわと落ち着きなく「ありがとう!」とゼミ仲間へ頭を下げた。
学部生は照れ、院生はわらう。浜崎にいたっては感極まって涙をこらえる始末である。
始まる前に泣かれちゃ困る、とゆきは二度手を叩いた。
「ハイハイ、それではあらためて。皆さまグラスを持って」
そして満足げにわらうと、
「──乾杯!」
と声高にいった。
「かんぱーいッ」
カチン。
各々が掲げたグラスの頭を交わしあい、宴のはじまりを祝った。
※
高校生や学部生はジュース片手にはしゃぎ、料理に舌鼓をうつ。
大人たちは缶ビールをグラスに注ぎ、最初の一口をぐっと喉に流し込んだ。
「あーッんまい!」
浜崎が吠える。
酒のうまさがよほど目に沁みるのか、目頭を抑える彼を見て、冴子が呆れたように酌をした。
「先生、なにがそんなにお忙しいんですか。学会だってまだ先でしょうに」
「いろいろ──いろいろあんねん」
「ははあ、奥さんと喧嘩でもされましたか」
仙石は悪戯っぽく猫目を細めた。
はたから聞いていた尚弥と剛が、ぐいと身を寄せる。しかし、目頭から指を離した浜崎は呆けた顔で「奥さん」といった。
「いまその話はすな」
「なんや、夫婦喧嘩か」
「喧嘩で済むわけないやろ」
わずかに声が震えている。
おや、という顔で仙石がちらと冴子を見た。
(触れない方がいいわよ)
と口パクと手振りで伝える彼女。
ぐっと口をつぐむ仙石に代わって、尚弥がずいと浜崎に顔を寄せた。
「夫婦喧嘩で拗ねてるんスか」
「喧嘩とちゃうわ。戦争や」
「は?」
「…………ガキが出来てんで」
「はぁ、おめで……────」
言いかけてハッと尚弥は閉口する。
(あっ)
と、剛も声にならぬ叫びを隠すため、両手で口を覆って巨体を丸めた。麻由と冴子は頬をひきつらせ、仙石は気まずそうにそっぽを向く。
──が。
「ええっ」
一団から外れて座る潮江はちがった。
「おめでたですかッ。そりゃめでたい!」
と弾んだ声をあげる。
こいつ分かってねェ──と仙石が立ち上がる横で、喉を詰まらせた浜崎がうなだれた。
「や、……せ、せやな。いのちの誕生は、めでてえよな──たとえ、ほか、の……」
「あ、アッ。先生っ、この春巻き食べました? めちゃくちゃうまいッスよ」
突然春巻きにかぶりつく剛。
しかし、それもむなしく「どうせあいつは」と下唇を突き出す。
「料理もろくに作れへん女やった──」
「…………」
一瞬にして場が凍てついた。
「……ごっつ引きずってるやん」
「高校生もドン引きやで、どうすんねんこの空気」
麻由と尚弥がくたびれた顔で、春巻きを口にほうりこむ一方──。
テーブル席に座る高校組。
彼らは高校生らしい、若者たちの恋愛話で盛り上がっていたわけだが、『歩く好奇心』尾白武晴は大学生たちのやりとりを遠目から眺めていた。
内情を悟るや「はわわ」と手で口を抑える。
「あかん、ハチ聞いた? 高校生が聞くにはディープすぎる話やな」
「聞いてたけど──つまりどういうこと?」
と、八郎は柊介に顔を寄せた。呆れた顔で八郎を一瞥し、なぜか環奈を気にしながら柊介は「そらおまえ」と声をひそめる。
「浮気されたっちゅうこっちゃろ」
「へっ、そらあかん……かわいそうや」
「ふはっ」
と。
八郎の言葉に噴き出したのは、めずらしくも高村だった。
テーブル席から縁側に移る。そこにいた環奈と潮江をテーブル席のほうへと追いやり、浜崎にむかって一升瓶を揺らしながら「こっちで呑みましょう」と微笑した。
「へ? あっ」
挨拶が遅れまして、と浜崎は立ち上がる。
「高村六道いいます。浜崎先生でしたな」
「浜崎辰也です──乾杯」
なみなみと注がれた猪口をかかげる。
同時にくいと一口。そしてふうっと息を吐く。すこし頬を紅く染め、浜崎はぽつりといった。
「…………話しても?」
「よろこんで」
といった高村はうすくわらっている。
────。
浜崎辰也は、まだ若い。
三十三歳といえば研究者としてはひよっこで、准教授という肩書は年齢にしてみればかなりの出世といってもいい。
そんな学者としては新米の彼がいま、ティーン集団からぽつんと離れたひとりの男の腕のなかで泣きべそをかいているのである。
「そんなん言うても、ひどないですか。ふつうに別れ話してくれたらよかったんですよ。なんも既成事実こさえてからこんでも──そんなんされたら別れるいうしかないでしょ!」
「うんうん」
「そもそも、子どもはいらんて同意のもと結婚したはずやったんですよ。アイツがいらんて言うてたのに、けっきょく話聞いたらホンマは子ども欲しかったとか……いやもうそんなら言えよって!」
明け透けやなァ、と高村は苦笑する。
「私はね、
「えっ。……────」
「逆に言やぁ、男しだいでどうにでもなる。……刑部さんにはちと嫌味じみているかもしれませんが」
ゆきが、取り分けた料理を持ってきたこともあって、高村はあわてて付け足したが、彼女が気にした様子はない。
「あら、そんなもんですよ男と女なんて。わたしに言わせてみれば、男を繋ぎ止めるよりよっぽど簡単なもんです」
ゆきは小首をかしげて笑った。
「うちはいま海外赴任で離れたはりますけど、主人から週に三回でも電話が来はったらそれでがんばれるんですから」
「それは、奥さんがいい女だからでしょう」
「それも……あるかもわかりまへんけど」
とおどけたゆきに、浜崎もくっと肩を揺らす。そして早々に一升瓶を空にした高村に視線を移した。
「そういう高村さんは、ご家族は?」
「──ええまあ。ただ、みなさんとはかたちが違ういうか。参考になるもんではないんで」
「かたち?」
ゆきがお盆を胸の前にかかえて腰を下ろす。
「いやなに。夫婦のあり方、ちゅうのは夫婦の数だけあるということですわ」
と、高村はべつの酒を浜崎の猪口に注ぐ。うまく濁せたようで、浜崎は「そうですよねえ」とそれを喉に流し込んだ。
濁すのも当然である。
平安時代の夫婦の在り方が現代の夫婦に当てはまるわけがない。ゆきは高村のほうへ身を乗り出した。
「高村先生、お子さんは?」
「ああ──いてますよ」
と、彼は猪口を持つ手で口元を隠す。
「とびきりかわいいのが」
そしてうっそりと瞳を細めた。
(…………)
あれっ。
と、環奈がきょろりと周囲を見る。
昼間に見た紅梅色の着物が、視界の端に映ったような気がしたからだ。
ていうかァ、という武晴の声で、意識はテーブル席に戻る。
「潮江さんと松田って知り合いやったんスね!」
「そのわりにはほとんど会話してへん」
と、柊介。
武晴は眉を下げた。
「会話もなにも、こいつさっきから食うことしかしてへんで。すんませんね環奈姐やん。ちゃんと食うてる?」
「うん。かんなの分は、シュウくんが取ってくれたヨ」
とにっこり笑う環奈に、京子がハッと顔をあげた。ちらと柊介をうかがうと彼は「松田のスゴさを知らへんからな」と気だるげに枝豆を食べた。
きゅっと膝の上で拳を握る。
「…………」
「キョーコちゃん、食べてる?」
「えっ!」
声をかけてきたのは、環奈だった。
小首をかしげる彼女の可憐さにおもわず息を呑む。まったく、桜の美しさも霞むようだ。
「い、いただいてます」
「はっちゃんママのご飯、おいしいデショ。このお花見で女の子に会うの、かんな初めてなのネ。だからすっごく嬉しいんだァ。また来てね!」
「は、はい」
ポッと頬を染めた京子を押し退け、松子が「環奈さんッ」と身を乗り出した。
「うちは中学の卒業式以来ですよね! 急に東京行っちゃったって聞いて、めっちゃビックリしたんですから」
「あはッ、マツコちゃんは去年も来てくれたんよね。電話ではっちゃんから聞いたんヨ!」
「そうです、この春菜といっしょに」
と、横に座る春菜の肩を組む。
いつもはおしゃべり好きの彼女も、すこし緊張しているのか「えへへ」とかわいこぶった。
「アッ。そーねそーね、聞いたよハルナちゃん!」
「そーでしょ、そーでしょ。なんてったって有沢の元カ──」
「おい四宮」
柊介の声が低く響く。
一瞬でピリつく空気に、おもわず松子も口をつぐむ。が、環奈は柊介の眉間に指を伸ばして「なになにー」とわらった。
「シュウくんが怒ること? わはーッ、おせーておせーて!」
「うるせえお前、そうやって俺の嫌がること喜ぶんやめろやアホ」
「まあまあまあ、そういうこと言うてるうちに松田がぜんぶ食うてまうで。はよ食べましょ」
と武晴が苦笑する。
アッ、と環奈は恵子を見た。まったく忙しない娘である。
「そうだケーコちゃん、潮江センパイと仲良しなのネ。びっくりした!」
「べつに仲良くはないッスけどね」
「うふふ、女の子いっぱいでうれしーのネ。ご飯食べにでもまた来てね!」
「ハイそれはもう、めっちゃうまいっす。また来ます」
遠慮の一欠片もない彼女に、場はどっと笑い声があがった。
時刻はまもなく、午後八時を迎えようとしている。
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